■感想など■

2009年05月10日

第2章「今日からオレは!」

■■【2】■■
 圭介は、玄関から出てきた2人が窓を見上げると、小さく手を振ってやった。
 太陽はすっかり地平に沈み、夕焼けの残照がわずかに残るばかり。町の家々の明かりが、その中で笑いさざめく人々の笑みを思い浮かばせる。
『大丈夫かな……由香のやつ……』
 2階に上がって来た時、何か決心したような顔をしていたと思ったら、急に赤くなって黙り込み、そして圭介の告白で固まって、健司の叫びでぶっ倒れた。
 なんとか健司と2人で介抱したけれど、まだふらふらしていたから、ひょっとしたら明日は学校を休むかもしれない。
 健司は………………
『あれから、オレと一度も目を合わせなかったな…………』
 無理も無い。今日まで男だと信じていた親友が、突然「オンナだった」と言われたのだから。
 自分だって、すごくショックだったのだ。今だってショックから抜け出せているとは言いがたい。
 けれど、ちゃんとごまかせただろうか?
 母親に言われたとおり、自分は『女性仮性半陰陽』なのだと、彼らに信じさせる事が出来ただろうか?
 元々は遺伝的に女だったのだと。
 毎年あった肉体の変調は、遺伝的な体質と肉体の“ズレ”が引き起こしていたのだと。
『信じられるワケねーか……』
 冷静になればわかるはずだ。
 たかが3日かそこらで、髪が肩まで伸びるはずはないと。
 たかが3日かそこらで骨格そのものが華奢になり、骨盤までもが張った形に変化するはずは、ないのだと。
 けれど、今は、こうでも言っておくしかない。
 本当の事など、とても言えやしない。
 それくらい、母が話してくれた事は、圭介にとって衝撃的な事だった。
 今までの、彼の17年間の生活そのものが、根底からひっくり返るくらいに。


 今朝は、目が覚めてからずっと母の話が続いた。
 汗臭く、いくら母が世話してくれていたとはいえ、体中がなんだかベトベトして脂っぽくて、擦るだけで真っ黒な垢がボロボロと落ちてきた。母の持ってきたお湯で簡単に拭きはしたけれど、それでも触ると全てのものに匂いと脂が付いてしまいそうで、手摺りも持たずに階段を降りた。リビングで紅茶を飲みながら母の話を聞き、風呂に入る事が出来たのは、話が終わった11時頃の事だった。
 股間がむずむずした。
 起きた時、オモラシしてしまったためにむず痒く、それで何も考えずに右手で掻いたら、何の手応えも無かった。いつもなら小さいながらも立派な陰茎と、精巣の入った陰嚢が手に触れるはずだった。それが、どうしようもなく情けなかった。むず痒さの原因はわかっている。身体を拭く時に股間がどうなっているのか、圭介は見ていたからだ。

 目を瞑って脱衣所のドアを開け、くるりと回れ右をしてからドアを閉めて、深く深く深呼吸した。
 右手に鏡。
 洗面所の鏡。
 腰まで映る、壁面いっぱいの鏡だ。
 圭介は、ごくりと唾を飲んで、目を開けた。
 自分がいた。
 当たり前だ。
 けれどそれは、自分じゃ、なかった。
「…………ったく……なんだよこりゃ…………」
 後で結んでいた髪を解くと、胸元まで伸びた髪がぼさぼさに顔に振り掛かり、まるで落ち武者のようだ。元々細かった体の線がさらに全体的に華奢になって、パジャマは心なしかブカブカだし、肩なんて健司が掴んだだけで折れてしまいそうだった。今までは、いくら細いとは言っても、それは男の骨格の範疇でのこと。けれど今、鏡に映っている人間の骨格は、男のものにはちょっと……見えなかった。
 パジャマの上着のシャツを脱ぎ、裸の胸を見下ろした。
 ほとんど、いや全く、男だった頃と変わらない。
『やれやれ……』
 これでもしおっぱいが母さんみたいに『どーん』となっていたら…………もう、笑うしか無かっただろう。
 それでも少し膨らんで見えるのは、たぶん気のせいだ。
 今決めた。
『問題はこっちだな……』
 パジャマのズボンを脱ぐ。ツンとしたアンモニアの匂いと、蒸れた汗の匂いが鼻についた。
「くせっ……」
 思わず顔を背けたけれど、確かめなければならないのは、もっと先だった。左手でトランクスのゴムを引っ張り、中を見る。
 もじゃっとした陰毛があるはずのところは、まるで赤ん坊の肌みたいにツルツルだった。
『……やっぱり……全部抜けた……のかよ……??…………』
 身体を拭いた時に確認したら、腋毛も、きれいに無くなっていた。
『…………出来の悪いアニメか漫画みてぇ…………』
 どこかのロリコン漫画じゃあるまいし、17歳にもなって腋毛も陰毛無い女がどこにいるものか。そういう体質ならいざ知らず、圭介はそういう毛が生えてきたのは、実は健司よりも早いのだ。
 もっとも健司のそれは、圭介よりもずっと濃くて太い毛で出来ていたけれど。
「…………はぁ…………」
 もう笑う気力も無い。
 脱力して、無造作に右手をトランクスに突っ込んだ。そして中指で股間を撫でる。
「……っ…………」
 痛かった。
 乾いた指で直接、傷口を撫でたみたいだった。
 圭介は、今まで一度も女性のあそこを見た事が無い。だから、女のソコがどうなっているのか、どんなカタチなのか、まったくわからなかった。
『穴…………開いてるんだ……よな……』
 保健体育の授業の時、男性器と女性器の断面図とか女性器の略図とかを見たけれど、ホンモノの、生の、アソコは、圭介の想像の範疇の外にあった。
 小さい頃に見た母のアソコはもじゃもじゃした陰毛に隠れてたし、幼稚園の時の水遊びで見た女の子のアソコは、スジが1本走っているだけだったと思う。そのお陰で圭介は長い間、女は大人になるにつれて、あのスジの中からもじゃもじゃした毛がたくさん生えてくるものだと思い込んでいたのだった。
「…………あ…………なんだ……?」
 一度履き替えたはずのトランクスの内側に、再びべっとりと付着していたものが、指の背についた。ねとねととして、なんだかちんちんの先っぽの、皮の隙間に溜まる恥垢に似ている。
 顔をしかめながら鼻に近付けると、
「……んっ…………」
 …………やっぱり、臭かった。
「ええいっ」
 ささっとトランクスを脱ぎ、浴室に飛び込む。
 シャワーのお湯で軽く体の汚れを流すと、お湯を張った湯船にゆっくりと身を沈めた。たっぷりと満たされたお湯は、入浴剤のためかオレンジ色をしていて、彼の好きな心地良い柚子の香りがする。
 圭介はざばざばと顔を洗うと、ふと思い立って右手を再び股間に伸ばした。
「んっ…………」
 陰茎も、陰嚢も無い。
 男性器そのものが、きれいに無くなっていた。
 代わりにあったのは、
「……傷口…………」
 肉が内側から縦に裂けたのではないか?と思わせる、傷口めいた亀裂だった。恐る恐る指で触れる。ぽってりとした肉の盛り上がりの内側に、くにくにとした薄い肉の襞があった。
『ええと…………これが大陰唇……で…………これが…………っ……ん…………小陰唇…………かな……?』
 むず痒いような、痛いような、ヘンな感覚だった。
「いっ……」
 襞のもっと中側に指を入れようとしたけれど、痛くて入らない。刺激に敏感過ぎるのだろうか。
『ちんちんも、先の赤いところは触るだけで痛いもんな……』
 亀裂の先は、ちょっとぷくっとした後、すぐにお尻の穴だった。
『穴…………が3つ……あるんだよな…………なんか不思議……というか、気持ち悪いな…………』
 男と違って、女にはお尻の穴の他に、剥き出しの尿道口と子宮に繋がる膣口があるはずだ。
『……やっぱり……オレにも子宮……って……出来てんのかな…………』
 腹の中に、胃でも腸でも膀胱でも肝臓でも腎臓でも膵臓でもない臓器がある。
 子供を宿す、臓器がある。
 自分の股間の、あの襞のもっと奥の方には、そこに通じる穴が、ある……のだろうか。
『…………妊娠…………すんのかな……』
 一瞬、お腹が大きくなってよたよた歩いている自分の姿が頭をよぎり、圭介は顔をしかめて再びバシャバシャと顔を洗った。
 ゾッとした。
 妊娠するという事は、えっちするって事だ。
 もちろんそれは女とじゃない。
 男と、するのだ。
 つまり、

 男に抱かれる。

『冗談じゃない』
 気持ち悪くなって、圭介は浴室の排水溝に唾を吐いた。
 ……と、
「けーちゃーん。あそこもちゃんと洗うのよー?」
 若い母が、にこにこしながらバスルームの戸を開けていた。
「かっ……母さん!!なんだよ!覗くなよっ!」
「ちゃんと洗ってる?清潔にしないとダメよ?」
「あ、洗うって、ど、どこを!?」
「やあね、けーちゃんの『オンナノコ』よ」
「『オンナノコ』?」
「うーん……正確に言うと、外陰部、生殖器、おま」
「わーーーーーー!!!!わかった!わかったから!!」
 なんてことだ。
 あの母には、『羞恥心』というものがこれっぽっちも無いらしい。
 尚も何か言おうとする母を睨みつける事で追い出して、圭介はぐったりと湯船の縁に顎を乗せて溜息をついた。
「…………あ〜あ…………」
 沈んだ声が浴室に反響する。
 大好きな柚子の香りさえ、今は煩わしく思えた。

 それから夕方に由香へ連絡を入れるまで、また色々あったのだけれど、それに関してはあまり詳しく思い出したくなかった。簡単に言えば、オネショの地図をにこにこと嬉しそうに広げる母親に頭を痛めながら、ずっと部屋の掃除をしていたのだけれど。


 ヘンな事を思い出しながら、圭介は窓の外の夜空を見ていた。それから、くんくんと可愛い鼻をひくつかせる。
 なんだか、まだおしっこの臭いが残っている気がして、圭介は霧状散布するタイプの微香性消臭材を手に取り、カーテンとベッドにしつこいくらい吹き付けた。
「…………なにやってんだろ……」
 そうひとりごち、圭介は窓のカーテンを引いてベッドに腰掛けた。そして、数分前まで2人が座っていた床に目をやる。
 さっきは、『女性仮性半陰陽』ということでなんとか由香と健司に……強引に納得してもらったが、母にそう言いなさいと言われたから言っただけで、それを本当に信じてもらえるとは、正直……圭介自身、思っていない。
 圭介もバカではない。
 そしてそれは由香も健司も、そうだ。
 風呂から出て、母に髪を切ってもらい、それから部屋を掃除してから由香に電話するまで、圭介はパソコンを使ってネットで『仮性半陰陽』の事を調べた。そして、あそこまで完璧に男だった体が、短期間に、ここまで完全に女に変化することなど、有り得ないと知ったのだった。
 圭介が寝込んでから、まだ3日間しか、経っていないのだ。そんな短期間では、たとえ手術をしたとしてもここまで完璧に女の姿になどならない。
 けれど、それでも、そう言わなければならないのが、圭介はひどく苦しかった。
 あの2人を、結果的に騙してしまう事になることが。
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