■感想など■

2009年05月12日

第2章「今日からオレは!」

■■【4】■■
 目覚めてから4日間、彼が何もしなかったわけではない。
 その間、圭介は母からいろいろな事を教わった。
 正直、ちょっとうんざりした。
 17年間男として生きてきたのに、いきなり女の生き方を教えられても困惑するだけで、具体的な現状の打開策なんてものはこれっぽっちも浮かびやしない。
 けれど、身体は心の器であり、心は身体のありように影響されるものだ。圭介の場合は、ある日突然……というわけでもなく、昏睡状態だった期間も合わせて一週間という時間をかけ、徐々に心が肉体に引き摺られていった。
 それはいっそ、「馴染んでいった」と言い換えてもいい。
 「男であろうとする」「かつて男のものだった心」が、「女であることを強く感じさせる」「女そのものの身体」に、徐々に“呑まれて”いったのだ。
 確かに喪失感は、強い。
 当たり前に男だった自分が元々持っていたものが、すっぽりと肉体から消失してしまったのだから。
 それは「性器」だけではなく「力」であり「声」であり「肉体における自由さ」だった。

 たった3日間で、思い知った事がある。
 それは、男という生物は、「生物学的に」驚くほど「身軽」だった……ということだ。
 それをまざまざと実感する。
 男の時には感じなかった非力さを、些細な事で痛感した。
 前のように笑い合いたくて、訪ねてきてくれた健司を右手で軽く突いた事がある。
 健司の肩は、動きもしなかった。
 キッチンの椅子を運ぶだけで、腕が疲れた。
 親父の田舎から送られてきた、10キロの米が入った宅配便の箱を運ぼうとして、持ち上げる事も出来なかった。
 電話に出た時、圭介の声を聞いた相手が急に馴れ馴れしくなった時には、怒りを通り越して呆れた。

 そして、女の肉体の不自由さを知った。

 トイレに行く度に、パンツもズボンも脱いで、便座に座らなければならない。たったそれだけの事が、とんでもなく面倒臭かった。
 それだけではない。放尿した後、トイレットペーパーを使わなければならないのがイヤだった。男なら、陰茎の根元に力を込めて尿を切った後、“ぴっぴっ”と陰茎を振れば良かった。それであらかた尿は切れるし、長い陰茎で尿が漏れる事もあまり無い。
 でも、女は違った。
 気を抜くと、尿が漏れる。放尿した後に丁寧に拭いておかないと、すぐパンツがおしっこ臭くなる。一度など、くしゃみをした途端“ぴゅっ”と尿が漏れ、パンツがしっとりと濡れた。なんだかそれが情けなくて悔しくて、パンツを換えながら、ちょっと、泣いた。
 うんちをした後は、もっとひどい。
 とにかく、拭くのが怖かった。ヘタに拭いて、うんちが性器についたら……あの繊細な襞についてしまったら……。そう考えると、紙で強引に拭く事なんて出来なかった。幸い、ウォシュレットが完備されていたから、圭介はそれを多用した。そして、トイレットペーパーを何回も何回も使って、軽く叩くように、押し当てるようにして拭いた。
 以前はものの数分で済んでいた排泄作業が、5分も10分もかかるようになり、そういう些細な事の繰り返しが、圭介の心の奥に、
「もうオレは男じゃないんだ」
 という、諦めにも似た思いを植え付けていった。

 17年という年月が、たった1週間という日々に、確実に侵され、呑まれ、そして、変化しようとしていた。
 もちろん、17年間男として培ってきたアイデンティティは、そうそうたやすく女性という立場に対応出来るほど、柔軟でもいい加減でも無かった。
 それでも、その「変化」は着実に圭介の精神を、感情を侵食し始めていたのだった。

 涙が出やすくなったのも、変化の一つだった。
 確実に、情緒不安定になっている。涙もろくなり、感情に波があった。以前からその気はあったけれど、女性化してからはそれが顕著だ。テレビから流れる、子供などの甲高い声に敏感になった。以前は鼻で笑っていたような、“あざとい”、いわゆる『泣きドラマ』で容易く泣いたりもした。
 圭介も、「女」というものが、全てこんな感じだなどと思った事は無い。「女」にもいろいろいるし、基本的には男と同じ人間という生物なのだから。けれど、メンタリティの部分では、圭介は確実に「圭介が思っていた女のイメージ」へと近づいていった。

 それは、本人の自覚も…………無いままに。
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