■感想など■

2009年05月14日

第3章「オレが女になったワケ」

■■【1】■■
「はあ?何言ってんの母さん」
 6日前のあの日、あの朝、圭介は、ベッドの側の床に正座して、今まで彼が一度も見たことの無いような真剣な目でこちらを見上げる若い母を、呆れたように見やった。
「いいから。ね?おちんちん、ある?」
 黒目がちでいつも濡れたような瞳を向ける母の言葉には、有無を言わせぬ迫力がある。けれどそれは、去年の出演映画『ふた恋』での「冷徹で氷の微笑が似合うヒロイン」とは、どうしても結び付かなかった。
 もっと切実だ。
 まるで、「今度いつ帰ってくるのか」と、遠方に単身赴任している夫や父に聞いている新妻とか娘みたいな声音で聞かれた気がする。
 つまり。
 『ちゃんと答えないと泣くぞ』と言われた気がした。
「ねっはやくっ」
 TV画面や雑誌の中では、母の真剣な眼差しを見た事もあった。けれど、今日のような母を見るのは、初めてだった。
 母に急かされ、圭介は毛布の中に手を入れた。まだ、昨日の無感覚を引きずっているのだろうか。どうも、股間にいつも感じる感覚が無かった。
 右手を股間に当てようとして、その直前で躊躇する。寝小便してしまって、まだそこはしっとりと濡れているのだ。
「あの、母さん」
「もうっ、どうなの?あるの?無いの?」
 ベッドの端に両手を着いて詰め寄る母に、気圧されるようにして股間に触れた。
「…………え?……」
 手に、何も感じなかった。夜にトイレに行った時、親指の三分の二くらいの大きさまで縮み上がっていた陰茎を思い出す。
「……あ……ははっ……」
 手が濡れるのも構わないで、今度はさらにズボンの中へと手を入れる。
 けれど、やっぱり、無かった。
「うそっ!?」
 毛布を跳ね除け、膝立ちになり、母がいる事も忘れてしまったかのようにトランクスをズボンごと引っ張って、中を見た。
 トランクスの裏地に、もしゃもしゃしたものが大量にへばりついているのが見える。さっきからずっとむずむずとむず痒かったのは、オモラシをしてしまったから……というだけではなかったらしい。
 右手でそのもしゃもしゃしたものを摘んでみた。
 それは、黒くて、艶々して、そして歪(いびつ)に縮(ちぢ)れた毛。
 下腹部を触る。
 つるつるしてた。
 …………陰毛が、全部抜け落ちた??
 何がどうしたのかわからない、ただ、気が抜けた。
「どう?あった?無かった?」
「…………ない…………」
 圭介が手に縮れ毛を持ったまま呆然と言うと、
「きゃーーーーー!!!おめでとうーー!」
 急に女子高生みたいな黄色い声が響いて、圭介は母にむぎゅっと抱きしめられた。ふかふかとした二つの豊満なふくらみに顔を埋められ、反射的にじたばたと暴れる。
「ちょ……かあっ……」
 いい臭いの母の香りを嗅いで、逆に圭介は、自分がツンとした酸っぱいような臭いとアンモニアの臭いで、とんでもなく臭い事を思い出した。
 恥ずかしい。
 強烈な羞恥心が身体をカッと熱くした。恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて、汗がますますどっと出た。
 けれど、離れたいのに母は離してくれない。
「ちゃんと固定化したのね?初めてだからお母さん、すっごく心配したのよ?」
「え?ちょ……え??固定化?なん…………ちょ……かあっさんっ!」
「よかったぁ…………ほんとうに……よかったぁ…………」
 自分の豊満な胸で愛しい息子が窒息寸前に陥った事にこの母が気付くまで、あともう少し。

         §         §         §

 ひとしきり『娘』の抱き心地を堪能したのか、母は満足そうに微笑みながら「お風呂を沸かしてくるわね?」と言いつつ部屋を出て行った。圭介はその間に……と、汚れてしまったズボンとパンツを慌てて脱ぐ。
 そして母の持ってきた、お湯の入った洗面器でタオルを硬く絞り、とりあえず顔や手や首筋や胸元などを拭いたけれど、一番汚れているだろう股間は、こびりつく陰毛と垢を手早く拭っただけで、奥の方にはほとんど触れなかった。
 怖かったのだ。
 自分の身体ではあるものの、まだ、自分の身体とか思えなかった。見慣れた陰茎も陰嚢も無く、つるつるで、産毛だけしか生えていない。
 そんな所をヘタに触れて“取り返しのつかない事”になったりしたら、困る(どう取り返しがつかなくなるのかは、さすがに想像も出来なかったけれど)。そう思ったから、ちょっとお湯を含ませたタオルで軽く拭うだけにしておいたのだ。ねとねとした白っぽい粘液がいっぱいついて、すごく臭くなり、そのタオルではもう顔は拭けなくなってしまったけれど。
「…………あ…………」
 身体を拭き始めて、圭介は自分の髪が胸元まで伸びている事に、今更のように気付いた。気付いて、自分がいかにパニックになっていたのかを知った。それとも、感覚そのものがマヒしていたのだろうか?
 ばさばさと顔に振りかかる髪をしきりに掻き上げ、圭介は今日、目覚めてから最初の溜息を吐(つ)いた。

「けーちゃーん。下で話さないー?」
 ベッドの上やカーペットに散った“恥ずかしい縮れ毛”を拾っていると、階下から母の呼ぶ声が聞こえた。
 まだ、パジャマの下の肌がべとべとしている気がするけど、我慢出来ないほどじゃない。それよりも、長く伸びた髪から白いフケがパラパラと落ちて、それに気付いてからは、ずっと頭が痒くてたまらなくて、そっちの方がずっと気になった。フケの浮いた不潔な頭など、自慢じゃないが圭介は今まで一度だって人に見せた事は無い。はずだ。
 早く洗いたかったけれど、とりあえず応急処置として、リビングに行く前にトイレで頭をばさばさと振ってフケを落とすと、水を流しながら手早く輪ゴムで髪をひとまとめにした。

「お風呂、今沸かしてるから、その間にちょっとだけ昔話するね?聞いてくれる?」
 パジャマにフケがついていないか確認してから圭介がリビングに行くと、ちょうど手にティーカップの乗ったトレイを持って母が入ってくるところだった。
 もう、いつもの母だった。
 いつもの、ぽやぽやとして、息子が可愛くて可愛くて可愛くて仕方ない、ただの子煩悩な母親の顔だった。
「昔話?」
「ね、けーちゃんは、お母さんがどうして女優なんてやってるのか、不思議に思ったことは無い?」
「へ?」
 突然、母はいったい何を話すつもりなのだろう?
 圭介は、自分が女性化したその理由を母が知っているのだと思っている。知っているからこそ、特に驚きもせずに普通に接し、あまつさえ
『きゃーーーーー!!!おめでとうーー!』
 などと言い、さらには
『ちゃんと固定化したのね?初めてだからお母さん、すっごく心配したのよ?』
 などと言ったのだろうと思っている。

 固定化。

 どういう意味なのか。
 “何が”固定化したのだというのか。
 身体が?
 女に?
 それは、いったいどういう意味なのか。
 それを母は、ちゃんと説明してくれるものだと思っていた。だから大人しくリビングに降りてきたのだ。
 なのに。
「そんな怖い顔しないで。ちゃんとワケも話すから。ね?」
 むうっと唇を突き出して拗ねるように言う母を見て、圭介は不機嫌そうにするのも馬鹿らしくなり、ティーカップを取って香りの良い紅茶を一口だけ口に含んだ。
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