■感想など■

2009年05月25日

第4章「トモダチ」

■■【5】■■
 圭介を部屋に通すのは、小学校以来だった。
 由香は慌てて「だめっ!」と言いかけて思い直し、「ちょっと待ってて」と言ってケータイを切った。それから玄関に行こうと部屋のドアを開けてから、下着の中が濡れている事に気付いて真っ赤になり、クローゼットから下着を取り出して、そして立ち上がったところで思い直して今度はとっておきの可愛い下着を取り出した。それを持って階段を飛ぶように駆け下りると、トイレに入ってあそこをウォシュレットで念入りに洗ってから丁寧に拭き、新しい下着を身に着けて、汚れた下着を洗濯機の中に放り込んで手を洗った。
 ここまで52秒。
 それから階段を下りた時と同じくらいの速さ(と思ってるのは本人だけで、実際には「トロい」由香がそこまで敏捷であるはずもなく)で駆け上って部屋に入ると、慌てて窓を開けてスプレー式の消臭剤をベッドや枕やクッションやカーペットにたっぷり吹いて、粘着テープ式のゴミ取りで手早くカーペットを掃除する。
 ここまでで2分17秒。
 それから部屋を出ようとして思い直し、ばたばたと服を着替え始める。部屋着に使ってるちょっと縒(よ)れてくたびれたピンクのスウェットでは、あまりに体裁悪いと思ったのだ。けれど、明るい色のパーカーとジャンパースカートとストッキングに着替えて髪を梳かしながら、
「…………なにやってんだろ……」
 と気付いてしまい、彼女は思わず肩を落として溜息を吐いた。
 どんなに気合を入れても、パンツをおにゅーにしても、同性相手にどうしようというのか。
『でも、まあ……いいか……』
 よれよれのくたびれた格好で彼の前に出るよりは。
 そう思いながら、4分12秒後、由香は玄関のドアを開けた。

 圭介は由香の顔を、ちょっと見るだけのつもりだった。
 それが、ずいぶん待たされた後で由香に引っ張られるようにして中に通され、そのまま彼女の部屋に案内された。自分としては女の子の部屋に親もいない時に入るなんてのは考えられない事だったけれど、考えてみれば自分も今は女なのだと気付いて「まあいや」と階段を上った。それに、今さら「下でいいよ」と言えるような雰囲気でもなかった。
「ど、どうぞ」
「あ、うん……」
 由香の部屋に入って、まず最初に匂ったのは、消臭剤の匂いで、それに混じって由香自身の香りがした。甘いような、甘酸っぱいような、なんだかむずむずする匂いだ。
「あ、い、今、お茶入れるね!?」
「あ、いいよ別……に……」
 圭介の返事を待たずに部屋を飛び出していく由香に、圭介は少ししてから笑みを洩らした。緊張しているのは圭介だけじゃないのだ。今までずっと一緒にいて、妹か従姉妹みたいな感覚で付き合ってきたけれど、考えてみれば…………いや、考えてみなくても、由香は年頃の女の子なのだ。

 圭介は、由香が自分の事を好いていてくれている事に気付いていた。
 けれどそれは、兄とか従兄弟とか、そういう自分が由香を好きな気持ちと同じようなものだと思っている。今までも、そして今だってそうだ。
 由香と初めて出会ったのは、小学3年生の時だったと記憶している。
 隣の席だった由香は、圭介から見てもちょっと「トロい」ところがあって、よくクラスの悪ガキに格好の餌食になっていた。それを助けたのは圭介で、それ以来ずっと由香は圭介に懐いて彼の行くところどこでもちょこちょことついて歩くようになった。あの時は、単にその悪ガキのやり方が気に入らなくて殴ってやっただけだったのだけど、由香の目にはそうは映らなかったのだろう。一人っ子だった圭介と由香は、それ以来まるで兄妹のように同じ時を過ごしてきた。
 高校進学の時、当たり前のように自分と同じところを受験する由香を、圭介は邪険には出来なかった。けれど、由香の成績なら2ランクも3ランクも上の高校を選べたはずだと思えば、あの時、喧嘩してでも別の高校を受験するようにさせれば良かったと思わないでもない。けれど由香は、あの「ぽややん」とした顔で「え〜〜……けーちゃんのいない高校なんかに行っても、つまんないもん」と言って「ほにゃほにゃ」と笑うものだから、それ以上は何も言えなかったのだ。
「馬鹿だよな……ほんと……」
 同い年なのに甘えん坊で、そのくせ頭がすごく良いのにトロくて運動神経切れてる。圭介と一緒に陸上部に入った時も、真っ先にマネージャー志願したのは走っても跳んでも人並み以下だったからだ……と、今も圭介は固く信じていた。
「おまたせ〜……あ、もうっあんまりジロジロ見ないでよぉ〜」
 あぶなっかしく2人分のティーカップとティーポットをトレイに載せて持ってきた由香は、圭介が視線をさ迷わせているのを見咎めて“ぷう”とほっぺたを膨らませた。

 いつもの由香がいた。

 圭介はホッと肩の力を抜き、ようやくいつものように笑う。
「泣いたカラスがなんとやら……だな」
「どういう意味?」
「わかんねーならいいや」
 いまどきの女子高生なら化粧の一つもしているのが普通(らしい)けれど、由香はその気配がちっとも無い。やけにテカテカしてる唇にグロスを塗ってるくらいは、母に「女の子ならこれくらい」と持たされたリップで理解出来た。
 由香の持ってきた紅茶に砂糖を落とし、カチャカチャと掻き回す。2人とも、しばらく無言だった。
「さっき、健司のとこに行ってきた」
 ずずず……と紅茶をすする。
「……うん」
 由香は俯いて、こくっと頷いた。言いたい事は山ほどあるのに、2人とも口がひどく重い。
「で、まあ……その……なんだ……由香のとこにも行っておかないと……って思ってさ」
「健司くんの次なんだ……」
 圭介の顔を見て、彼の……彼女の睫(まつげ)が自分よりも長く、目もぱっちりとしているのがなんとなく面白くなくて、由香は言葉にトゲをまぶして紅茶を一口飲んだ。
「……なんだよ」
「べつに?」
「……ナニ拗ねてんだよ。いーだろ?別にどっちが先でも」
「ふぅーん」
 よく見ると肌もきれいだ。赤ちゃんみたいにつるつるしてる。
 これだけ可愛くて肌もきれいなら、女の子としても十分やっていけるんじゃないだろうか。
 由香はなんとなくそんな事も思った。
「オマエだってな、ずっとうちに来なかっただろ?健司は次の日も来てくれたぞ?」
「それは……だって……」
「この薄情者」
「う……」
「そりゃ確かにオマエもショックだったとは思うけどさ、オレだってすげーショックだったんだぞ?気がつきゃ女になってるし、母さんは星…………」
「ほし?」
「…………まあ、その、なんだ………………で、元気か?」
「……………………けーちゃんこそ」
 胸を突かれ、由香はようやくそれだけを口にした。
「お……女の体って、めんどくせーのな。トイレとか、風呂とか、パンツ履くだけでも、なんかすげー焦った」
 重い空気を跳ね除けるように、圭介はおどけたように言った。顔が赤いのは、まだ女だという事に慣れていないからだろうか。
「どうして?」
「なんか、ヘンタイっぽくてさ」
「ヘンタイ?」
「女モノのパンツ履くなんてさ、ちょっと前まで考えられなかったんだぜ?それがオマエ……こんな薄くてちっちゃいパンツ…………なあ?」
「なあ……って…………」
 同意を求められても困る。
 由香は物心ついた頃から女の子をやっているのだから。
「さすがにクツはサイズが合わなかったから母さんに買ってきたもらったヤツを履いてきたけど、服は、なんかやたら可愛いモンばっか買って来てさ…………恥ずかしいから前の引っ張り出して着てきたよ。母さん、男モノは全部押し入れに仕舞っちまいやがんの」
「…………今は、女の子が男の子の服着てても別におかしくないんじゃないかなぁ?それに、女の子の服でもカッコイイのいっぱいあるよ?色も男の子っぽいの、多いし」
「ほんとか?」
「なんか、子供の頃から男の子、女の子って区別しちゃダメなんだって。色だってほら、『男の子色』とか『女の子色』とかあったでしょ?」
「ああ、あったあった。青とか黒とかは『男の子色』で、赤とかピンクとかは『女の子色』ってヤツだろ?」
「うん。それに子供服も『男の子用』と『女の子用』ってやめようって運動もあるみたい」
「へぇ……由香、よく知ってんなぁ……」
 気がつくと、2人は服のことを皮切りに色々な事を話していた。さすがに、以前と同じ屈託無く…………というわけにはいかないが、由香の中にあったわだかまりは、それで随分と解けていったようだ。
「けーちゃんが知らなさ過ぎるだけだと思うけど……」
「……そうか?」
 実際、女は男よりも覚えなくちゃいけない事が多い。自分は平気でも、行動一つで周囲の人を不快にしたり、意識させたりしてしまう。女とは、なんて不自由で、なんて窮屈な生き物なんだろう。
 圭介はうんざりしながら紅茶を飲んだ。
「だからね?歩くときは、こうやって……」
「へぇ〜……」
「座る時はスカートをこうお尻につけるようにして……」
「へぇ〜……」
「あそこのポッカの自販機の角から奥は、夜は暗くなるから気をつけないと……」
「へぇ〜……」
「食べる時はこうやって顔を近づけるんじゃなくて……」
「へぇ〜……」
「制服はミニだから、その、えっと、ト……トイレに行った時……」
「へぇ〜……」
「それで、授業中にどうしてもト……イレに行きたくなったら……」
「へぇ〜……」
「……………………けーちゃん、ちゃんと聞いてる?」
「きっ聞いてる…………聞いてるよ」
「もうっ!恥ずかしいの我慢して教えてるのにぃ!」
「わりぃ」
 由香の言った一つ一つを、全部意識しながら生活するなんて、圭介にはとても出来るはずも無かった。
 圭介は明日からの生活が益々不安になる。
 自分は、ちゃんと“女をやれる”だろうか?
「……いいや。オレはオレだし、なんかもう、好きにした方が良さそうだ」
「けーちゃん……」
「わかんない事があったら、由香に聞くよ。それでいいだろ?」
「う……うん、だけど……」
「よろしくたのんます。由香センセ」
「先生?」
「そ。今日からオマエはオレの先生だ」
「先生…………私がけーちゃんに教えるの?………………んふ〜……なんかいいかも」
 今まで勉強以外では圭介に教えられたり護ってもらったりばかりだった由香にとって、それは新鮮な感覚だった。
 思わず頬が緩む由香に、圭介は疑惑の目を向ける。
「まさかオマエ……デタラメ教えようとか思ってねーだろうな?」
「なんでそーゆーこと言うの?もう何も教えてあげないから」
「あ、いや、それは、困る。わるい」
 しおらしく頭を垂れ、謝る圭介がたまらなく可愛かった。
 由香は心の中でくすくすと笑いながら、それでもそんな心の動きはおくびにも出さず、
「で、明日からどうするの?」
「ん……あ、そうそう、今日はそれを言おうと思ってさ」
「?」
「明日から、学校に行こうと思ってさ。それで、また、朝……その、一緒に行ってくんねーかなぁ……って」
「今まで嫌がってたのに?」
 わざと言ってやる。
 これくらいのいぢわるは許されていいと、由香は思う。
「う……」
「ふふ……いいよ。こんなけーちゃん、ほっとけないもん」
「そ、そうか」
「そのかわり、これからはビシバシ鍛えてあげるから、覚悟しといてね?」
「あ〜……いや……お手柔らかに頼むよ……」
 ふにゃっと情けなさそうな顔をして顔の前で両手を合わせる圭介に、由香は
『まあ、いいか』
 と思った。
 恋人は、いつか別れる時が来るかもしれないけれど、友達なら一生付き合っていける。
 前みたいな仲のいい幼馴染みとは、ちょっと形が違うけれど。

 ただ、自分の恋心に決着を着けることが出来るのは、もう少し先になりそうだった。
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