■感想など■

2009年06月20日

第8章「初めてのボクの下着」

■■【6】■■
 驚いたのは多恵だった。
 カップサイズを告げたら急に連れを呼んで欲しいと言われ、いないと言うと不意に黙り込んで、そして
「……ぅ…………っ…………」
 泣き出してしまった。
 ぽつぽつと、試着室の床に黒い染みが出来る。肩を震わせ、しゃくりあげ、メロンちゃんは声を殺して泣いていた。
 声をかけた方がいいだろうか?

 でも、どうやって?

 私は単に下着売り場にいる店員で、メロンちゃんのプライベートな問題に口を挟むような立場にいない。
 そう多恵は思いながら、肩を震わせる少女をの細い肩を見つめた。けれど、試着室からそっと出ようとして、
「…………もうやだ…………」
 そう、少女が小さくつぶやくように吐き出した、血を吐くような言葉に、多恵の“おねーちゃんハート”が、“きゅんきゅんきゅんっ!”と鳴った。可愛くて可愛くて切なくて苦しくて、もうプロフェッショナルな従業員の営業スマイルなんて顔に貼り付けていられなかった。
「……どうしたの?」
 初めて、お客に対して対等な言葉遣いをしてしまった。
 入社以来、言葉遣いだけには気をつけていたのに。どんなに失礼な客にも、腹の立つ客にも、理不尽なクレームをつける客にも、決して言葉遣いを崩したことが無いのが、彼女の密かな自慢だったのに。
 メロンちゃんはしゃくりあげ、俯いたまま
「だんでも……だい、でず」
 と言った。鼻水で鼻が詰まって、おかしな声になっていた。だからなおさら、不憫に見える。
「なんでもないこと、ないでしょう?」
 タイトスカートのポケットから、ハンカチを出して差し出した。けれど、メロンちゃんが受け取らないので、なかば強引に顔を上げさせて涙を拭い、鼻水の垂れた鼻を“くちゅくちゅくちゅ”と拭う。
 店の店員が客にする事ではない……と思う。逸脱した行為だ。それはわかっている。けれど、だからといって細い肩を震わせて声も上げずに無く少女を放っておいて良い理由にはならない。
「…………店員さん……」
 ずずっと鼻を啜(すす)り、メロンちゃんは涙がいっぱいに溜まって赤くなった瞳で多恵を見上げる。
「曽我山多恵(そがやま たえ)」
「え?」
「私の名前。これはもう店員がする事じゃないから、今はただのお姉さん」
「…………多恵……さん」
 名前を呼ばれて、多恵は軽く目を見開いた。可愛らしい声で、気のせいかもしれないけれど少し甘えるような音が混じっていて、背中が“ぞくぞくぞくっ”としたのだ。
『あ、でも“おねえさま”ってのも、アリだったかなぁ?』
 ……なんてバカな事を考えてしまったのは、ヒミツ。
 けれど、メロンちゃんはそれをどう誤解したのか、
「ご、ごめんなさい。曽我山さん……」
 慌てて苗字に言い直した。
「多恵でいいわよ?」
「………………た…………多恵……さん……」
「ん。……ね、どうして泣いちゃったの?」
 狭い試着室で半裸の美少女と2人きり……という、ちょっとヘンなシチュエーションでありながら、多恵はどうしても聞かざるをえなかった。この年頃の女の子にはよくあることで、肉親にも友達にも話せないヒミツの一つや二つ、必ずその胸の中に秘めているものなのだ。そういう悩みは、誰にも相談出来ないままだと、たちまち悪い『種』になってしまう。その『種』はやがて芽吹き、女の子を闇へ引き込むツルを伸ばし…………そして少女は堕(お)ちてゆくのだ。
 肉親にも友達にも手の届かない、暗い闇の中へ。
 ……と、そこまで大袈裟に考えなくても、自分の生活とは全く関わりの無い赤の他人だからこそ話せることもあるだろうし、また、そういう存在は必要だろうと、多恵は思ったのだった。
「……胸を」
「胸?」
「……小さく見せる方法は、ないですか?」
 見上げてくる瞳が切実だった。
 多恵はその瞳に胸を突かれ、息が詰まる思いがした。
 この愛らしい子が、こんなにも自分の身体を厭(いと)う理由とは、なんだろう?自分を否定してまで得たい恋があるのだろうか。それとも、単に思春期ゆえの不安定なココロから?
 自分の高校生時代は、どうだったろう?
『私は、私を好きでいてあげられていただろうか?』
 言葉にすればそんな想いが、多恵の胸に満ちる。
 彼女は、涙の滲んだ少女の目をまっすぐ見ながら、ゆっくりと一言一言区切るようにして問うた。
「自分の、胸、嫌い?」
「嫌いです」
 キッパリ言った。
「男が見て、イヤな気持ちになります。ヘンな目で見られるのはイヤです。気持ち悪いです。恥ずかしいです。前はそんなこと無かったのに、こんな胸になったら急にイヤなことばかりです。見られるのも触られるのも、もうヤなんです」
 一気に言って、メロンちゃんはまた俯いた。
 多恵は少女の心に、重たい『石』が乗っかってると思った。その『石』は、ある日突然空から落っこちてきたわけではなく、じわじわと大きくなって、気がついたら自分でもどうしようもないくらい大きくなって、もうどかすにどかせなくなってしまった重たい『石』だ。決して「岩」ではないのは、自分の想い一つで簡単に取り除けるくらい小さいものだから。体ごと心まで押し潰してしまいそうなくらい大きいものではないから。
「…………男の人、嫌い?」
「ダチは嫌いじゃないです。でも、野郎は嫌いです」
 『ダチ』と『野郎』の意味が、多恵にはよくわからなかった。
「気になってる子はいるの?」
「………………いない、です」
 躊躇いがあった。
 多恵は“ふっ”と肩の力を抜くと、
「男の子は、みんなおっきいおっぱいが好きよ?そりゃもう呆れるくらい。おっぱいがおっきければあとはなんでもいいってくらい。それくらい、バカ」
「バ……」
「そう。バカ。どうしようもないクズよね」
「クズ……」
 メロンちゃんは、多恵のそのキッパリとした言い様(よう)に、息を飲んだ。
「女の体の一部で一喜一憂して、ワイワイ騒いだりからかったり。ほんと、どうしようもないク」
「……アイツはそんなんじゃな」
 多恵の言葉を遮るように出された言葉が、途中でブツリと切れる。見れば、少女は耳まで真っ赤になって、多恵から見えないように顔を背けていた。

 なあんだ。

『やっぱりいるんじゃない』
 かわいいなぁもうっ!……と、多恵は一人でふにふにと笑ってしまう。
 多恵は圭介の両肩にやんわりと両手をのせると、軽く屈み込んでメロンちゃんの艶やかな黒髪に頬を寄せた。
「ね、女の子に、なんでおっぱいがあるか、知ってる?」
「……え?」
 急に変わった話に、圭介は目を瞬(しばたた)かせて鏡の中の多恵を見た。鏡の中の彼女は、どこか悪戯っぽい表情で、口元を優しくゆるめている。ランジェリー売り場のプロフェッショナルなお姉さん……というより、近所のお姉さんといった感じで、親しみが“ぐぐぐっ”と増している。
 圭介が、頬がますます熱くなるのを感じながら幼女のように“ふるふる”と首を振ると、
「女の子のおっぱいはね、大好きな人を癒してあげるためにあるの」
 鏡の中のお姉さんはにっこり笑って、圭介の髪を優しく撫でてくれた。
「いや……す……?」
「ちっちゃいおっぱいも、おっきいおっぱいも、みんな。ほら、ええと………………」
「???」
 本当ならここで名前を教えてくれるはずなのだけれど、こういう会話に慣れていない圭介は不思議そうに見つめるばかりだ。
 仕方なく多恵は諦めて、
「…………名前、なんだっけ?」
「けいす………………ケイでいいです」
 本当の名前を言うと、それだけでまたややこしい話になりそうだったので、圭介はそう答えた。
 偽名ではない。途中で切っただけだ。
 けれど、本当の名前を言えない罪悪感に、圭介の小さ…………大きい胸が、ちくりと痛んだ。
「ん。じゃあケイちゃん、小さい頃、お母さんに“ぎゅっ”ってしてもらった事あるでしょ?」
「…………はい……」
 今でもしょっちゅうされてます……とは言えなかった。
「哀しい時や苦しい時、なんだかわかんないけれどムカムカした時、お母さんに“ぎゅっ”てしてもらったら、楽にならなかった?ふあふあして、いいにおいして、あーもうなんでもいいや……って、ならなかった?」
「…………なった…………かも……」
「女の子の胸にはね、ヒーリング効果があるの」
「ほんと?」
 初めて聞いた。
「うん。ケイちゃんも時々、誰かを“ぎゅっ”ってしてあげたくなる事、ない?」
「………………ある」
 幼馴染みの、朴訥(ぼくとつ)で純朴(じゅんぼく)で暢気(のんき)で、晴れた日の牧場でのんびり草を食(は)んでいる牛みたいな顔が浮かんだ。
 不思議と、否定しようとは思わなかった。
「ふふ。それはね、『あーこの人に元気をあげたいな。私の心の中の元気な部分をあげたいな』って思ったり、『この人を“ぎゅっ”ってしたら私も元気になるかな。もっともっとこの人に元気をあげられるくらい、元気になるかな』って思うからなの」
「…………ほんとに?」
「ほんとほんと」
 ウソかも……と思った。
「あ、今、ウソかもって思ったでしょ?」
「えっ!?」
 びっくりした。多恵さんは心が読めるんだろうか?
「ウソじゃないよ。でも……ホントでもないかな?」
「…………は?」
「けど、私はそう信じてる。そう信じたいし、そう信じれば、ケイちゃんもきっと自分の胸が好き…………まではいかなくても、嫌いにはならないと思う。
 ケイちゃんのおっぱいはね、ケイちゃんが『元気をあげたい』って思った時に、それが出来るようにおっきくなったんだよ。
 ケイちゃんが『癒してあげたいな』って思った時にそれが出来るように、ここまでおっきくなったんだよ。
 だからそれを嫌だって思ったり、恥ずかしいって思う事は無いの。ケイちゃんが『元気をあげたい』『癒してあげたい』って思う相手以外にどう思われても、それは関係無いし、その相手に必要とされる事に比べたら、そんなのはなんでもないって、きっと思えるようになる。
 これはホントだよ?
 だから、胸の大きな自分を嫌いにならないで。自分の体の一部を否定しないで欲しいの。少しずつでいいわ。少しずつでいいから、ケイちゃんには自分の体を好きになってあげて欲しい。
 そのためなら私、いろいろ教えてあげる。もちろん、仕事はヌキだよ?
 ケイちゃんがちゃんと自分の胸を好きになれるまでなら、小さく見せる方法だって教えてあげる。ね?」
 鏡の中の多恵の顔は、明るく、優しく、そしてちょっとだけ悪戯っぽくて、圭介は心の中の固いしこりが少しずつやわらかくなっていくのを感じていた。
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