■感想など■

2009年06月24日

第9章「イヴの目覚め」

■■【3】■■
 圭介に遅れる事5分。
 父、山中善二郎はケロリとした顔でリビングに入ってきた。
 ゴミ置き場に突っ込んだはずなのに、その体にはゴミ一つついていない。さすが、地球外生命体の『星人』と愛し合って、あまつさえ子供まで作ってしまった“非常識人”は、どこか違う。
「ひでーな圭介。『一緒に風呂入ろう』なんてのは、ちょっとした冗談じゃねーの。そんなに怒るこたぁねーだろ?」
 自分が息子に蹴倒された理由を、どうも誤解しているようだ。もっとも、圭介としても「人を怖がらせやがって」なんてとても言えないので黙っていたのだけれど。
「あらあら、いいわね親子の触れ合いって」
「圭介のドロップキックも久しぶりだよ。なかなかキレが良くて驚いた」
 エプロンで手を拭きながらキッチンから出てきた涼子に、善二郎は顔のシワを深くしてニコニコと報告する。
 息子にドロップキックを食らわされて喜ぶ父親なんてものは、あまりこの世にはいないと、圭介は思う。
「ただいま、涼子ちゃん」
 白いものが混じったロマンスグレーの髪を、ざっくりと大雑把に後へ撫で付けて、善二郎はぎゅうっと愛する妻を抱き締める。
「おかえりなさい、善ちゃん」
 涼子はそのたっぷりとした乳房を愛する夫の胸に押し付けて、愛しくて愛しくて仕方ない……というようにうっとりと囁いた。
 そして、
「…………やめてくれよな子供の前で……」
 リビングのテーブルの前で熱い抱擁と熱いキッスを熱烈に披露する両親に、圭介は心底うんざりしたように肩を落とす。
 両親の仲が冷え切って、子供がいるから離婚しないだけの“壊れかけ夫婦”よりは数倍もいいとはいえ、帰ってくるたびにこれでは、正直、うんざりするなという方が無理というものだ。ましてや、圭介のような年頃の子供には、両親を性的な意味で見る事に、かなりの抵抗感を感じるものなのだから。
 こうなるとやっぱり『星人』の母と地球人の父の“夜の生活”は、やっぱりアダルトビデオでやってるみたいに…………。
『うえ……』
 なんだか恐い考えになりそうだったので、圭介は“ぶるるっ”と顔を振ってその想像を振り払った。
「いいかげん慣れんか?」
「慣れるかっ!」
 母の細い腰に両手をまわしたまま言う父に、圭介は噛み付かんばかりに吼(ほ)えた。

 長い抱擁と何度も繰り返されるキスに、苦りきった圭介が部屋に上がろうとすると、善二郎は急に真面目になってリビングのソファに座るように言った。
「なんだよ」
 圭介は、まだ制服のままだった。紐タイは外していたけれど、母のブラウスはまだ着たままだし、下もチェックのミニスカートのままだ。早くスウェットにでも着替えてしまいたくて、圭介は“ぶすっ”とした顔で飄々(ひょうひょう)とした顔の父親を睨みつけた。
 善二郎は、そんな圭介の顔を穴があくほど見つめると、
「やっぱり女の子が家にいるってのは華があっていいなぁ!ねえ、涼子ちゃん!」
 ソファごとひっくり返りそうになった圭介は、ガラステーブルに脚を載せ、灰皿を持った右手を無言でぶんぶんとぶん回した。
「まあ、待て待て待て待て待て待て」
「うっせ!話ってのはそれだけか?ああん?」
「お。可愛いパンツ」
「!!」
 慌ててテーブルから脚を下ろし、スカートを掴んでパンツを隠す圭介に、善二郎はニヤニヤとした顔を向ける。
「こっのっクソオ」
「話は聞いたか?」
 一瞬のうちに、善二郎の顔から一切の表情が消えていた。
 その変わりように、圭介は思わず息を飲む。滅多に見ない、父親の真剣な顔だった。切れ長の目で鼻梁も高く、薄い唇とガッシリとした顎を持つ親父は、真剣な顔をすると鋭利に研いだ刃物のような鋭さを見せる。
 それきり言葉を発しない善二郎に気圧されるようにして、圭介はソファに座り直し、“こくっ”と頷いた。
 こんな顔をした時の父には逆らわない方がいい。なぜか小さい頃から、圭介はそれを体で覚えていた。
「そうか……」
 息を長く吐き出し、父はソファに体を預ける。
 42歳の父の浅黒い肌は、日に良く焼けているけれど、シミなどはほとんど無い。肩幅は広く、背も高く、これで口髭を生やして制服を着れば、政府の官僚とか軍隊の司令官と言われても、そのまま何の疑問も持たずに信じてしまいそうだった。
「空山さんは、お前が生まれる前からお前の事を知っている。これからも何かあったら頼るといい」
 いつもの、ちゃらんぽらんでいい加減な父親ではなかった。
 帰ってきた時はいつも家で酔っ払ってて、適当な事を言ってごまかしたり、デタラメな事をもっともらしく言って子供の頃の圭介を騙す事に悦びを見出しているような、いつもの父親ではなかった。
『考えたらロクでもねー父親だよなホントに』
 外資系の商社勤めと聞いていたが、そんなのはウソに決まっている。先日の母の話でそれがよくわかったし、ソラ先生の話も、この父親がサラリーマンなんて逆立ちしたってやれる人間じゃない事を示していた。
『まあ、聞いてもどーせ教えてくれるわけないから、聞いてなんかやんないけど』
 “ふっ”と肩の力を抜く。
 それでもこの父親が、自分の事を愛しているのは嫌というほど実感している。
 悔しいけれど、母の信じきった目がそれを証明しているのだ。
「で、だ」
 なんとなく面白くない想いに唇をむにむにさせていると、善二郎はしかめつらしい顔をさらに真剣にさせて、圭介の顔を見た。
 思わず居住まいを但し、父親の視線を正面から受ける。
「……なんだよ」
 そう言おうとしたのに、視線から受ける重圧(プレッシャー)で口がうまく動かなかった。
「一つ、聞いてもいいか?」
「………………なに?」
 キッチンから、母が料理する音が聞こえる。御機嫌なのか、鼻歌まで歌っていた。
 さすが女優で歌手……といった感じで、そのメロディは耳にひどく心地良い。
 善二郎はしばらく圭介の顔を見つめ、言った。

「生理はまだか?」

 リビングから聞こえてきた音に涼子がキッチンから顔を出すと、そこには今日2度目のドロップキックを鳩尾に受けて床に転がる、愛する夫の姿があった。

         §         §         §

 母に「めっ」と叱られ、父に「はっはっはっこれは参ったな」と軽く言われながら、圭介は母の作った餃子を親父の分まで食べた。ドロップキックは確実に親父の腹に決まったというのに、まるで効いていなかった。バケモノだと思った。
 久しぶりの家族揃っての夕食は、それでも一応、楽しかった。
 秘密が無くなったせいか、親父は母を連れて世界中を旅した時の事を話してくれたけれど、圭介は話半分で聞いておいた。親父の話を全部信じるとロクな事が無い……と、小さい頃から学習しているからだ。
 どこの世界に、UMA(未確認生物:Unidentified Mysterious Animals)やオーパーツ(場違いな出土加工物:out of place artifacts)や古代遺跡までが、ほとんど『星人』に関わりあるものだ……と言われて素直に信じる者がいるものか。時代も地域も全く別々で、共通項などほとんど無いものを、どれもこれもいっしょくたにしてしまおうなんていうのは、小学生のウソよりひどい。
 第一、母の話からすると、母達がこの地球に降り立ったのは、数百年前ではなかったか?
 オーパーツや遺跡には、数千年から数万年以前のレベルのものだってあるのだ。
 ただ、父の言った言葉に、気になる事があった。
「『星人』というのは1種族の名称を指すものじゃない。言ってみれば、そうだな……サーカスの名前だと思えばいい」
「はあ?サーカス?」
「サーカスは人間だけで構成されたものばかりじゃないだろう?ライオンやトラ、ゾウやクマや犬、猫、時にはネズミだってサーカスを構成する一員になる」
「…………どういう意味?」
「『星人』も同じだ」
「……どこが?」
「人は人だけじゃ人として認識されないって事だ」
 全く訳がわからなかった。

 食事が終わって、圭介は母から鼈甲(べっこう)のような光沢のカチューシャ(髪飾り)をもらった。流れ込んで来る人の思念をカットするのだという。まるで、中学生の時に読んだエスパー漫画に出て来る「ESP(超感覚的知覚能力:Extra-Sensory-Perception)制御リング」みたいだった。
 「こんな時のために」と、なんだか“ピンチの時のスーパー技術者”とか“胡散臭い万能科学者(マッドサイエンティスト)”が言いそうなセリフと共に差し出されたそれを、圭介はこれ以上無いくらいバッチリと疑いの目で見ながら受け取った。
 なぜこのタイミングなのか?
 電車の中で息子があんな目にあったのを、知っているのか?
 知っているなら、どこで知ったのか?
 他人の心の中で犯されて苦しんでいた様子を、ずっとモニターしていたのか?
 モニターしていた『星人』は、どうして助けてくれなかったのか?
 聞きたい事は山ほどあった。でも、聞かなかった。

 聞けなかった。

         §         §         §

 2階に上がり、とりあえず勉強机に向かうと、圭介は紙袋の中身を全部取り出して机の上に並べた。
 ブラジャーが2着。
 パンツが4枚。
 ランジェリーの総合カタログが3冊と、レシートと注文伝票の控え。
 曽我山多恵さんのケータイの番号と、下着の洗い方を間単に書いたメモ。
 化粧水の瓶。
 スキンケア用のパックとか乳液とか保湿クリームとか、何に使うのかすぐにはわからないパウダーとかファウンデーションや口紅のサンプル…………。
 コットンとか脂取り紙まで入ってた。
 覚悟を決めた…………とはいえ、やはり思わず溜息が出る。
 今まで、ニキビとか肌荒れとかにはあまり縁が無かったし、女みたいに眉の手入れだとかパックだとか気にする男は大嫌いだった。けれど、まさか自分が“そういうこと”をする立場になるなんて、ほんの2週間前にはこれっぽっちも思ってなかった。
 これではクラスの女達がいつも「お金が無い〜」だとか「宝くじ当たんないかな?」とか「どっかに金持ちで顔が良くてちょっとバカでこっちがしたい時しかえっちしなくても文句言わないウマチン(…………「具合の良いちんちん」……らしい)の彼氏って落ちてないかな?」とか言うのも、わからないではない(男を「落ちてないかな?」と言ってのける感性だけは、どうしてもついていけそうにも無かったけれど)。
 親からもらう小遣いだけでは、とても化粧品や服やアクセサリーや雑誌など、自分の欲しいものを全部買う事なんて出来やしないし、ましてや、男にデート代を全てもってもらわなければ、とても割りに合わないからだ。

 ブラやパンツや、おりものシートとか生理用品などは、きっと他の女の子達だって親に金を出してもらったりもするのだろうけれど、そうするとたぶん、自分が「いいな」と思った下着などは買えないに違いない。「可愛い」下着ならまだいいけれど、ちょっと「過激」な下着や「刺激的」な下着は、母親のチェックが入ってしまうだろうから。
『母さんは………………自分から買ってきそうだな……』
 にこにこしながら「ねえ、けーちゃん、コレ着てみない?」と、スケスケのブラとか真っ赤なパンツとか持ってくる母の姿が容易に浮かんで、圭介はげんなりとした。近いうちにきっと“襲撃”を受けそうな予感がした。
 そういう過激な下着は、別に男に見せるためだけに買うわけではなく、ごく普通に「自分が欲しいと思ったから買う」ものだ。
 そういう過激な下着を着ている自分に、ちょっと「優越感」……というか、「特別意識」を持つのが、なんとなく楽しいのだ。
 …………と、クラスの女子は言っていたけど、圭介にはよくわからない。男には、そんな感覚が希薄だからだ。
 たとえば、男が「黒のラメ入りビキニパンツ」や「極Tバックビキニパンツ」や「ブランド(…………メジャーなところではカルバンクラインとか)パンツ」を履いてきても「あ、それいいなぁ」なんて言う男はいないし、ましてや「どこで買ってきたの?今度教えてよー」なんて言ったりしない。特別な下着なんて買ってる余裕があったら、たぶん靴とか時計とか、服の方に金をかけるからだ。だいたい、下着の見せっこなんていう事を男同士でする……なんて、考えただけでキショク悪くて鳥肌が立つ。

 そんな圭介が、着られなくなったブラウスとベストの代わりを購入することを忘れた……と気付いたのは、ブラとパンツをクローゼットの引き出しに仕舞って、制服からスウェットに着替えようとした時だ。
 デパートでは下着を選ぶだけでいっぱいいっぱいで、とても制服の事まで頭がまわらなかったのだ。
 女になってから着ていたブラウスは母が用意してくれたサイズ(子供服サイズの150)だったけれど、胸回りが子供服サイズとはとても言えない特盛サイズになってしまったため、やはり購入しないわけにはいかない。いつまでも母のブラウスを借りているわけにもいかないからだ。
「……けど明日は、また借りないといけないかな…………」
 そこまで考えて、圭介は自分よりずっと大きくて重たげで、“ゆさゆさ”と良く揺れる母の胸が脳裏に浮かんだ。
『母さん…………ちゃんとブラしてんのかな……』
 いつもぎゅっと抱き締められたりする時、ブラの感触を感じた事がほとんど無い事を思い出す。いつも“ふあふあ”で、“たぷたぷ”で、あったかくてやさしくて、いーにおいがする…………母の胸。1児を育てて、しかも32歳の年齢(外見だけで、本当はいくつなのか教えてくれないけれど)であの大きさだと、もう垂れてもいいはずだ。なのに、“だらん”とだらしなく垂れているようには見えないし、むしろ張りもトップバストの位置も、月刊プレイ○ーイのグラビア並みだ。あれだけやわらかいのにちっとも垂れないというのはズルイけれど、もしそれが『星人』だから……というのであればさらにズルイ気がする。
『オレも…………』
 『星人』の因子で男から女へ性転換したのなら、肉体的な特徴も母のものを受け継いでいる……と考えていいはずだ。いや、そう考えたかった。歳を取って、このでっかい胸が“だらん”とだらしなく垂れると思うと、すごく嫌だからだ。ただ胸が大きいだけでも恥ずかしいのに、その上みっともなく垂れたりしたら、いったいどうすればいいのか。
 ……と、そこまで考えて、
『いや、別に一生、この(女)ままって決まったわけじゃないし……』
 圭介は眉を顰めて一人ごちた。

 それにしても、と思う。
 帰ってきて早々、親父のペースに巻き込まれて気付く事も出来なかったけれど、母は、父のところに行っていたのではなかっただろうか?6月8日…………先週の木曜日に東京に出掛けて、月曜日の今日、帰ってきた。その間、たぶんあの『万年新婚馬鹿夫婦』の事だから、ずっと一緒にいたに違いない。なのに、母があんなにも熱烈な抱擁とキスで出迎えるなんて、まるで何日も離れていたみたいだ。

 何をしていたのだろう?

 唐突に思う。
 母は、本当に父のところに行っていたのだろうか?
 ひょっとして、
『オレが女になった事と、やっぱり何か関係がある…………のかな……』
 自分の周りで、自分の知らない事が、自分の知らないうちに動き始めている…………そんな気がする。
「けーちゃん?お風呂空いたわよぉ?」
 ノックと共に、母のぼんやりとした声が聞こえた。
 頭を振って、浮かびかけたものを振り払う。今、そんな事を考えて悩んでも、仕方ない気がしたのだ。母と、そして父が何を考え、そして何をしようとしているのかはわからない。けれどたぶん…………圭介が哀しんだり苦しんだりするようなことはしないに違いない。
 ……そう、信じる事にした。
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