■感想など■

2009年07月02日

第11章「恋するキモチ」

■■【2】■■
 午後になって、トイレに行っている間に、留守電へメッセージが入った。
 デパートの下着売り場の、あの多恵さんからだった。注文していたブラが届いたので来て欲しいという事だった。
『そうだな……ぐちゃぐちゃ考えてても、何も変わらないし……』
 どうしたらいいかわからない時は、とにかく動いてみる。それが本来の、圭介の“スタイル”だったはずだ。
 最近の自分はいろんな意味で、やっぱりヘンだ。
 それを自覚する。

 部屋に戻り、スウェットを脱いで、クローゼットの引出しからフルカップの“おばさんブラ”を取り出した。別に、誰に見せるというわけでもないし、見られるとしてもそれはたぶん多恵さんだろうから、これでも構わなかった。一応、パンツも替えておく。服は、今日は少し肌寒いので、Tシャツとニットのセーターを着て、その上に薄手のジーンズジャンパーを着込む。パンツはスリムボトムで、靴はスニーカーにしようと思う。セーターの色は、美術部の後輩のマーちゃんに「胸が大きくてもあまり目立たない」と言われた黒だ。
「こんなもん……だよな……」
 姿見に全身を映して見る。
 繁華街に出るには、この年頃の女の子にしてはどうかと思うようなコーディネイトかもしれない…………と圭介は思う。女っぽい服を着るのもまだ抵抗あるし、かといってまるきり男っぽい服を着るのも、なんだか周囲の人の目が「はあ?」という感じに見えてしまうため、なんとなくちくはぐになってしまうのも仕方ないと思った。背が低くて童顔なので、余計にそう思えるのかもしれないけれど。
 実際にはそんなにヘンには見えないし、そもそも人は自分が思うほど自分の事など見てはいないものだ。けれど、最近の圭介は自分でも気付かないうちに、ずいぶんと自意識が過剰気味になっていた。

 勉強机に座り、卓上鏡を見ながら髪を梳(と)かし、顔をウエットティッシュで湿らせると、化粧水をコットンにつけ、叩くようにしてのばす。目元と頬骨のあたりを中心にして乳液を馴染ませて、唇にはちょっと色のついたリップクリームを滑らせる。そして、適当に前髪を散らせてカチューシャをつければ、完成。
 すっかり馴れてしまった手付きでそれらをこなすと、もう一度姿見に全身を映して見る。
「こんなもん、こんなもん」
 同世代の女の子に比べたら、たぶんずっと簡素で適当な“お出かけ準備”に違いない。
 でも、いいのだ。別に男に媚びるわけじゃないし、由香から言われた「女の子として最低限のたしなみ」さえクリア出来ていれば。
 細々(こまごま)としたものを入れたショルダーバッグを持って玄関を出ると、薄い雲が空を覆っていた。面倒くさいけれど、とりあえず折り畳みの傘を持っていく事にする。
 気分を変えるために外に出たのに、天気が悪いと心まで晴れないような気がしてくる。
 それでも、自転車で駅まで走る間に頬で風を受けていると、なんとなく気持ちが軽くなるから不思議だった。

         §         §         §

 いつものように駅を2つ越して、デパートのある繁華街に降り立つ。そういえば、この街には下着を買いに来て以来だった。
 男だった時には、健司とよく新譜CDとかブリスターパックの限定版フィギュアとかを買いに来たものだった。それは、駅前の商店街に無くても、この街に来れば大抵のものは手に入ったから……なのだけれど、考えてみれば顔なじみの地元で買い物しないというのは、ちょっと薄情だったかもしれない……と思わなくもない。
 駅の改札を出ると目の前に広がる、緑をふんだんに植えた広場には、そこここにデートを楽しむカップルの姿が見える。梅雨で外に出る機会が減ったからか、少しでも天気が回復すると人々は申し合わせたように街へと出て来る。そのため、広場はいろんな人達で賑わっていた。
 本当に、いろんな人達で。
「ねえねえねえ」
 何度目かの声に、圭介は苛立たしげに「ちっ」と小さく舌打ちした。
 女の子が一人で歩いていると、やはり……というか、それがまるで礼儀でもあるかのように様々な男が声をかけてくる。
 カチューシャのおかげで、いやらしい思念こそ流れ込んでこないものの、男達の目は、圭介の顔よりもまずジージャンとセーターを内側から押し上げるたっぷりと豊かな胸に吸い寄せられ、そして値踏みするように顔をじろじろと見る。そしておもむろに言うのだ。
「彼女?今からどこ行くの?」
 皆、テープに録音したかのように同じ事を言う。
 こういう輩(やから)は無視するに限る。なまじ受け答えでもしようものなら、どこまでもついてきて鬱陶しいことこの上ないからだ。
 そのためか、今日はデパートまでの道程(みちのり)が、ひどく遠く感じる。
 童顔で背が低いため、中学生にさえ見られかねない圭介だったけれど、そんな少女の胸が“どかん”とふくらんでいるというのは、よほど馬鹿な男達には興味そそられるものらしい。

 けれど、どう見ても中学生にしか見えない男の子達にまで声をかけられるに至って、さすがの圭介も神経が修復不可能なくらいささくれ立ってきていた。こうなってはもう、大好きな杏仁豆腐を2人前ほどじっくりゆっくり一人で食べるか、今ここにはいない幼馴染みのアイツの、あの見る者をなごませてしまう牧歌的な笑顔を見るまで、きっと直らないに違いない。
「ねーカノジョーあそぼーよーねー」
 さっきから、童顔に金髪が壊滅的に似合っていない男の子を初めとした、4人の中学生(?)が、しつこく後をついてくる。ちなみに、金髪少年がついさっき名前を言ったような気がしたけれど、圭介には覚える気なんてさらさら無かったから10秒で忘れた。
 他の3人も、それぞれ顔にハッキリと幼さを残す少年達だった。一人は似合いもしないシルバーアクセサリーで体中を飾っていて、一人は左の耳に紅い石のピアスをしている。最後の一人はトレーナーと穴開きジーンズに草履(ぞうり)……という、パチンコ通いのリストラ親父みたいな妙な格好をしていた。
 どこからどう見ても、「僕たち馬鹿です」と大空に向かって宣言しているような少年達だった。
 その彼等が、圭介に纏わりつくようにして声をかけてくる。
「ねえねえ、じゃあさ、おっぱいさわらせてよ。一回でいいからさ、そしたらお茶するだけでいいから」
 ……何をどうしたら、「お茶するだけ」にするために胸を触らせなければならないのだ?
「中学生で、すげーえっちな体してるよねーモデルとかやってる?」
 ……モデルをするとえっちな体になるのか。初めて知った。
『それに中学生じゃないし』
 それでも圭介は無視して、すたすたと前を向いたままひたすら歩く。
 すると、草履の少年が前に回り込んで、圭介の行く手を塞いだ。
「返事くらいしろよ、こっちは貴重な時間を使ってんだからさぁ」
 ……だったら、さっさと諦めてどこか目の届かない所に行って欲しい。できれば、南極の昭和基地北西20キロくらいの地点で大地にぽっかり開いたクレバスの中などがベストだ。無かったら掘ってでも作れ。
「そうそ。何もえっちまでして欲しいなんて言ってないじゃん。お茶してくれるだけでいーんだから。それで許してやるっての」
 ……許すとか、許さないとか、そういう問題じゃない。そもそも、どうして初対面の女に「セックス」を匂わせる言葉を吐けるのだろう?
『ダメだ…………こいつら馬鹿だ。正真正銘の馬鹿だ。サルだ。人間の言葉なんか、きっと通じない』
 草履少年を避けて行こうと足を踏み出すと、体が急に後に引っ張られた。振り返ると、ピアスの少年が圭介のバッグを掴んでいる。
 無言で睨んでやると、少年はにやにやと笑いながら“ちらっ”と左に視線を走らせた。
『なんだ?』
 つられて右を見る圭介の肩から、バッグがするっと抜き取られる。引っ掛けられた、と思った時には、もう少年はバッグを手に持ったまま後に跳び退っていた。
『……こいつら……最初から金が目当てだったのか……?』
 バッグの中には、注文していたブラと、それから予備にもう何着か買うために、母からもらった2万円の入った財布が入れてある。そして念のため……と、新たに作り直した写真入りの学生証と、キャッシュカードやレンタルビデオの会員証などが入ったカードケースも。
「……返せよ」
 お腹に力を込めて、思い切りドスの効いた声を出した。つもりだった。
 ピアス少年は、ころころとした子犬が一所懸命に威嚇しようとしているような可愛らしい……でも毒を含んだ声に、一瞬だけ驚いたようだったけれど、すぐにまたにやにや笑いを貼り付けて、他の少年に目配せをする。
『コイツが“ボス”ってわけだな』
 男とは言っても、たかが中学生の馬鹿少年だ。バッグ一つ取り返すなんてワケは無い。
 周囲では、圭介と少年達のやり取りを横目に人々が歩いてゆく。誰も少年達を諌(いさ)めようとしないけれど、仕方ないな……と圭介は思う。面倒な事にはなるべく巻き込まれたくないというのは、普通の人々の普通の心理だから。
 だいたい、こんなケンカにもならない諍(いさか)いなんて、男だった時にも何度か経験しているから、助けなんて必要じゃなかった。今さらこんな事でビビるような圭介ではないからだ。
「なあ、オマエら、中学生か?」
 圭介の口から漏れた、外見に全くそぐわない乱暴な口調に、今度こそ少年達の動きが止まった。
「……なんだオマエ……ガキのくせにオカマか?」
 …………中学生の坊主には心の底から言われたくないセリフだ。
「どっちがガキだ。ボ……オレはこう見えても高校生だ」
 圭介は、“ボク”と言いかけて言い直した。なめられるような気がしたから。
 でも、オカマかどうかは、あえて否定しなかった。
「キショクわりぃ……女装趣味のオカマ野郎かよ……」
「可愛い顔して野郎だなんてなー」
「でけーおっぱいもニセモノかぁ」
 少年達の声に、落胆と嘲笑が滲む。
 それでいい。それで興味を失ってくれれば…………。
 ところが、
「え!?」
 不意に、ぐいっと手を引かれた。
「ちょっとこっち来いよ。俺達が確かめてやるから」
 金髪少年が向かおうとしている先を見て、圭介はぎょっとした。メインストリートから分かれた道の先に公園があり、そこに公衆便所が見える。少年達の目を慌てて見回した。
『こいつら……』
 どの目も、圭介が『オカマ』だなんてこれっぽっちも信じていない目をしていた。
 カチューシャをしていて良かった……と、圭介は心から思った。少なくとも、あんな汚い感じの公衆便所で「何か」されるようなビジョンを、衆目の中で脳裏に焼き付けられなくても済むからだ。
「ふっ……ふざけんなバカヤロー!!」
 カッとして、右手に持った折り畳み傘を、力任せに金髪の頭に振り下ろした。手加減なんてしなかった。相手の頭がどうにかなるとか、怪我をするとか、そんな事はこれっぽっちも考えなかった。
 けれど、金髪少年はその傘をさっと避けると、軽く圭介の手を捻り上げる。
「いたっ!!」
 傘は簡単に地面に落ち、圭介は不意に絶望的な気持ちに襲われた。腕力が、違う。まともに対抗しようとしても、敵いそうもなかった。
「うわっ気ぃつよっ!いいねぇいいねぇ」
「おねーさんかわいいー」
「俺達と遊ぼうよ。いいっしょ?」
 にやにやした顔が、至近距離まで近付く。さっきまで幼さの残る童顔だと思っていた顔が、途端に、無邪気に昆虫の羽をむしる、残忍で酷薄な、罪を罪と思わない醜悪な顔に見えた。
 「子供」であるという事を「社会の弱者」ではなく「社会の特権」であると認識している“猾(ずる)い”顔だった。
『ちくしょう……』
 中学生だと思って侮(あなど)っていた。こいつらはただの中学生じゃない。
 自分で自分の枷(かせ)を外し、ほとんど動物と区別がつかないくらいモラルも常識も無くした「馬鹿な中学生」だった。
「いい加減にしろよこの野郎…………」
 腕を掴んだままニタニタといやらしい笑みを浮かべる金髪少年の向う脛(むこうずね)を容赦無く蹴り上げると、少年は「ぎゃっ」と叫んで、圭介の手を離した。
 そこでようやく、今まで見て見ぬ振りをしていた通行人達が足を止め、遠巻きに集まり始める。圭介はそれを確認して、
「……バッグを返せ。知ってるか?人のものを盗むと泥棒になるんだぞ?知らなかっただろ?」
 ピアス少年に歩み寄ると、正面から目を睨みつけて幼稚園児に言い含めるように静かに言った。
「あぁ?俺達はただ、おねーさんをお茶に誘っただけじゃん。なぁ?」
 背後の少年達に同意を求めるけれど、あきらかに腰が引けている。集まり始めたギャラリーと、思ったより手ごわかった少女に、呑まれかけていた。
「じゃあ返せ。女を誘うにはそれなりの流儀ってものがあるだろ?いきなりバッグを取り上げるってのが、オマエ達の流儀なのか?そんなんで本当に女がついてくるとでも思ってんのか?
 ふざけろよバカヤローが。
 女の全部が全部、てめーらみたいに数で押せば言う事聞くなんて思ったら大間違いだ。
 女コマすならもっと勉強しろ。それが出来ないならコソコソと一人でオナってろ」
 見た目は大人しそうで可愛らしい女の子から、汚い言葉がポンポンと景気良く飛び出すのを目の当たりにして、『ひょっとして声をかけてはいけない人にちょっかい出してしまったのか?』と少年達は思い始めていた。
「なんだよこの女…………」
 ヘタしたら、この女の子は、もっとヤバイ人の『彼女』なのかもしれない。
 そう思った草履少年と金髪少年は、そわそわと周りを見回した。どこかに少女の『ツレ』がいるかもしれないと思ったのだ。
 もしかしたら、こんな少女が無防備に一人で歩いていたこと自体、何かのワナなのか…………??
 そういう、形容し難い「恐れ」が少年達の背筋を冷たくする。
 考えすぎだ。
「『なんだよ』はこっちのセリフだ。早く返せ、このホーケータンショーヤロー!
 まともな女も抱いた事ねークセに、このオレにちょっかい出すなんていい度胸だよな?!
 きたねーちんちん捻じ切られたく無かったら、さっさとバッグを返しやがれクソが!!」
 もちろん、圭介はこのピアス少年のちんちんが包茎で短小かどうかなんて、まったく知らない。ついでに言えば、実際にこんな風に相手を罵倒した事なんて学校の中でさえ一度も無かった。彼は、漫画の中で使われていた言葉を、ただ使ってみただけなのだ。無性に腹立たしくて、汚い言葉を投げつけてこの少年達の馬鹿面(ばかづら)が歪むのを少しでも見たいと思っただけなのだ。
 普段の圭介らしくない、狂暴な感情だった。情緒不安定だからこそ出来てしまえたのかもしれない。
 けれど少年は、目の前の女の子がどうやら普通の少女ではない……とようやく足りない頭で理解したようだった。
 たとえ子犬だって、噛む時は噛む。その細っこい歯で、皮膚だって食い破れるのだ。
 ピアス少年は、
「へっ」
 と、負け惜しみのように息を吐くと、バッグを圭介の足元に放る。そして、
「いこーぜ」
 「あくまで自分達はからかっただけで、それが飽きたから行くだけだ」というポーズを作りながら去っていく。
 草履少年と金髪少年は、最後まで周囲への注意を絶やさなかった。

         §         §         §

 雑踏を掻き分け、少年達の姿が消えると、ギャラリーも徐々に散って行く。圭介は少しして肩の力を抜くと、「ふう……」と溜めていた息を吐きながらアスファルトに落ちたバッグを拾い上げた。
 ……正直、恐かった。
 あのまま力任せに公園の公衆便所に引き込まれたら、何をされるかわからなかったから、ただ必死だった。
 そんなこと、いくらなんでも昼間っからあるわけない……とは思いながらも、やっぱり腕力では敵わないのだという事実は、恐かった。
 自分の腕力の無さを、まざまざと痛感する。
 そして、女がいかに男から軽く見られているか……も。
 たかが中学生のガキでさえ、女はビビらせれば簡単に言う事を聞くと思われている。冗談じゃない。女は男にオモチャにされるだけの、ただの人形じゃないんだ。好き勝手されてたまるものか。
 そこまで考えて、圭介はガードレールに腰をかけ、汗ばんだ額をハンカチで拭った。
 体が熱い。
 喉が渇いた。
 今になって体に震えが走る。
 暴力を振るわれたら…………自分は果たしてああまでも強気でい続けられただろうか?
 ……と、
「飲め」
「あ……さんきゅ」
 さりげなく左から差し出された缶ジュースを受け取り、圭介は何の疑問も持たずにプルトップを引いて、一口飲んだ。
「あれ?」
 横を見る。
 いつの間にか隣では、キレイな黒髪を腰まで伸ばした可憐な女性が、その深窓の令嬢然とした顔付きにはあまり似合いそうも無い笑みを浮かべ、実に楽しそうに圭介を見つめていた。
『だれ?』
 その瞬間、自分はほんとうに馬鹿ではなかろうか?
 圭介は心からそう思った。
「圭ちゃんは勇気があるな。ああいう脳味噌の半分近くをどこかに落としてきたような猿相手では、さすがの私でも、あそこまで上手くはあしらえないところだ」
 どこかで聞いた事のあるような、落ち着いていて、そしてひどく理知的な、心にしんと染み込むような声だ。
「だが、次はもっと上手にあしらう方法を模索(もさく)しておくことだ。暴力でも振るわれたら、それなりの体技(たいぎ)でも無い限りこちらに勝ち目は無い。その場合は、相手が怯(ひる)んだ隙に全力で逃げることだ。心しておきたまえ」
 あまり女性らしくない固い口調と、理路整然(りろせいぜん)と言葉を並べる論法は、確かに聞き覚えがあった。
「ぶ……部長?」
「りんりんへの引継ぎはもう終わっている。私はもう部長ではないよ」
 そう言って、学校では三つ編み&黒縁眼鏡標準装備の、「女殺し」とか「メイデン・キラー(処女殺し)」とか言われている、美術部のヘンタイ部長――杉林素子(すぎばやし もとこ)は、圭介の頭をなでなでと撫でながらにっこりと笑った。
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