■感想など■

2009年07月03日

第11章「恋するキモチ」

■■【3】■■
 部長がいつも買い物の時に立ち寄るという、小さな洒落たカフェでコーヒーを飲みながら、圭介は目の前に座る綺麗な女性をそっと盗み見た。壁一面がスモークガラスの窓際の席で、雲間から覗いた太陽が薄い陽光を降り注いできている。その陽光に照らされて、女性のストレートな黒髪がキラキラと艶やかに輝いていた。着ているのは白のブラウスで、肩や裾のレースが嫌味にならない程度の上品さであしらわれていた。胸元のブローチにはなんだか不思議な色合いの石が七色に輝いていて、切り取って額に入れて美術館に常設展示したら、閲覧料を取れそうなほど絵になっている。
「ん?私の顔がそんなに見たいならば、もっと堂々と見たまえ。圭ちゃんなら特別に許すぞ?」
「あ、いえ……その……」
 見惚れていた事に気付かれ、圭介は“かあぁぁ……”と顔が熱くなるのを感じる。先輩は、慌ててコーヒーに目を落とす圭介を優しく見ると、シナモンスティックでカプチーノをかき混ぜた。彼女の仕草は、その一つ一つがいちいち上品に決まっている。背が高くて綺麗で家が金持ちで、実はお嬢様。『天はニ物を与えず』…………とか聞くけれど、与える人にはとことん与えるのが最近の『天』というヤツらしい。
『きっと悩みなんて無いんだろうなぁ……』
 圭介は溜息をつくと、思いきって顔を上げた。
「部ちょ…………先輩は、何の用事ですか?」
「圭ちゃんのストーキング」
「は?」
「冗談だ」
 漆黒の瞳でまっすぐ見つめられ、大真面目に言われると、思わずそのまま信じてしまいそうになる。
「絵の具の購入に来たのだよ。家の者に買いに来させると、色々と間違えるのでな」
 そう言って「ふ」と秘密めいた笑みを浮かべる先輩は、最近女子生徒の間で妙に流行ってる、“ミッション系女子学園を舞台にした少女小説の登場人物”を圭介に思い起こさせた。その登場人物は、正真正銘のお嬢様で、ストレートの黒髪と透き通るような白い肌、上品な物腰と丁寧な言葉使いで、主人公の少女から「お姉様」と呼ばれているのだ。
 もっともあちらは、同じ「丁寧」でも、ちゃんとお嬢様っぽく話すし、胸だってもっと豊かだけれど。
「カップサイズはBあれば十分だと思うが」
「は?え?」
「いや、圭ちゃんの目が私の乳房に留まっていたのでな」
 お嬢様な格好をした美少女…………いや、美女の唇から「乳房」という単語が何の気負いも無く飛び出し、圭介は再び血液がほっぺたに上がるのを感じた。
「ちょ……先輩……こんなところで……」
「乳房は乳房だ。……恥かしいか?」
 先輩はナチュラルな顔で不思議そうに聞いた。
 そうなのだ。この人はこの綺麗な顔で「乳房」とか「性器」とか「陰毛」とか「膣」とか、人前で大きな声ではあまり口に出来ないような単語でさえも、人体解剖実習をする医科生みたいな口調で冷静に話すのだ。
「…………もう少し、控えてもらえると……うれしいです」
「ふむ。それはすまない」
 言葉とは裏腹に、ちっとも悪びれず“にっこり”と笑うその様子は、まるで湖面に咲く睡蓮の花のようだった。
 こんなに上品で清楚でお嬢様然とした女性が、どうして学校ではあんなにヘンでめちゃくちゃになってしまうのか、圭介にはわからない。
 それを思いきって聞いてみると、
「どちらが本当の自分か……ということを明確にするのは、さほど重要な事では無いよ。
 強いて言えばどちらも本当の私なのだが…………そうだな、学校ではあの格好が一番楽に行動できるから。また、学校の外ではこの格好が、家族にも対外的にも、一番都合の良い印象を与えるから…………といったところか」
 ハイネックのブラウスは美しく精緻なレースに彩られ、いかにも「上品」とか「おしとやか」といった印象を圭介に与えている。触れたら壊れてしまいそうな、そんな危うい繊細な印象さえ抱いてしまいそうだ。
 中身は全く違うのだけれど。
「どちらも自分がしたいようにしているだけで、それが受け取る側の心境や置かれた状況によって変化しているだけだと、私は捉えているがね。
 その証拠に、基本的に私は学校の中でも外でも言葉遣いを変えた事はあまり無い。さすがに態度や行儀作法は、この格好に似合ったものにするが…………。
 ふむ。そうだな。
 『空を飛ぶ』という行為を描写するのに、“メーヴェ”を使っても“フラップター”を使っても、『空を飛ぶ』という行為そのものは変わらないし、『空を飛ぶ』という事象に対する擬似的な爽快感、開放感、または空や風や雲に対する、人の持つ根本的な憧憬が変わらないのと同じだ」
「…………すみません。その例え、ちょっとわからないです」
 圭介は、先輩が日本で一番有名なアニメ映画スタジオ作品のファンだという事を、改めて思い出した。“メーヴェ”も“フラップター”も、『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』という長編アニメに出てくる飛行機械なのだけれど、圭介にはそれがどれやら名称だけではさっぱりわからない。
「むう……。では、こうだ。キャラメルの包み紙を和紙にしてもセロファンにしても、キャラメルはキャラメルでしかないし、甘くて美味しいという事実そのものは変わらない」
「はあ……まあ……」
「ただ、キャラメルを包む包み紙は、TPO……時と場所と場合によって変えるべきだと思っている。また、おのずと変えてしまうのが人間というものだ。
 人は意識、無意識に関わらず、いくつもの自分を使い分けている。それは是非を問うようなものではなく、そうある事が自然なのだよ。
 たとえば圭ちゃん。君だってそうだ」
「ボク?」
「男だった君と、今の君。どっちが本当の君か、答えられるかね?」
「それは……」
「どちらも君である事には変わりが無い。
 前の自分を否定する事も、今の自分を否定する事も、君には出来ないはずだ。
 中身は何も変わっていないのだからね。
 でも、君を取り巻く環境や状況は、今の君になってから日に日に変化していっているはずだ。
 そして君はそれに対応しつつある。
 女である事を否定出来ない――いや、あえて言うならば否定“しない”自分が、生まれ始めているはずだ。
 違うかね?」
「それは……まあ、そうです……けど……」
 なんだか、上手く話を逸らされた気がしないでもない。
「君も、そろそろ今の自分をちゃんと受け止めたらどうかね?
 でなければ、一歩も前には進めないと思うが。
 ちなみに私は、受け入れたよ。自分が今、すべき事を……ね」
「先輩がすべきこと?」
「結婚する」
「へ?」
 圭介は思わずコーヒーカップを落としかけ、慌ててソーサーに戻した。
 なんだか今、信じられない言葉を聞いたような気がする。
 それは先輩風に言えば、森の精霊(?)のトトロが、突然「オッス!オラ、トトロ!」と叫んだような。
 けれど先輩は、圭介の間抜けな返事には構わず、どこか寂しさを匂わせる笑みを浮かべてカプチーノを一口飲んだ。
「つまり私は、先方のたっての願いで、卒業と同時に輿入れを済ませ、跡取りを産む為に毎日せっせと精進するわけだ」
 『結婚したら子供を産む為にセックスしまくる』と聞こえた。
「え?……あの、美大に推薦が決まってた……んじゃ…………」
「絵は、いつでも描ける。勉強も、しようと思えばどこででも出来る。だが、私を必要としてくれている人は、今のところ彼しかいないのでな」
「彼?」
「大時代的で悪いが、いわゆる親の決めた相手……というヤツだよ」
 確かに先輩は、圭介の住む街で一番大きな名家のお嬢様だ。とは言っても、旧態依然とした『閉じた世界』を延々と護ってきた華族とか士族というわけではなく、もっとオープンでフランクな部類に入るのだけれど。
 そうでなければ、そんな家の娘が、地元の、しかもそんなにレベルの高くない公立高校へ通っているはずも無いし、頭がいいくせに「疲れるから」とか「教師に注目されると絵を描く時間が無くなるから」という理由だけで学年40位くらいをキープする……なんてことが許されるはずも無い。
 さすがに、ボディガードも無しに繁華街を一人でうろつく自由は持たされていないらしく、今も後の席にはそれっぽい男性が張り付いているのだけれど。
「そんな……」
「ああ、誤解してもらっては困るが、彼は私の幼馴染みだ。決して嫌々結婚するというわけではない。
 むしろ……」
「むしろ……?」
 先輩は「ちょっと言い過ぎた」とでも言いたそうな顔で少し気まずそうに窓の外を見ると、
「圭ちゃん、君は今、恋をしているかね?」
 と言った。
「へ?こ……恋!?」
「私は、自分でもそうと気付かない恋を、もう十何年も続けてきていた女だ」
 話の展開についていけない。
 圭介はとりあえず「はあ」と答え、ミルクをたっぷり入れたコーヒーを一口飲んだ。
「私はついこの間、それに気付いたばかりでね。
 だから私にもわかる。
 圭ちゃん。
 君は恋をしている」
 まっすぐこちらを見つめる目が、圭介にはなぜか、すごく……痛かった。

         §         §         §

 先輩と別れ、圭介はデパートに向かいながらずっと考えていた。
 相変わらずちょっかいをかけてくる男はいたけれど、あの中学生(?)達ほどしつこい連中はいない。圭介は、自分が眉を“きゅっ”と寄せ、まるで「さっき果し合いに行ってきました。そんで相手をボコボコにしましたが、まだ腹の虫が収まりません」とでも言いたそうな顔で歩いている事に、自分で気が付いていなかった。
『君も、そろそろ今の自分をちゃんと受け止めたらどうかね?でなければ、一歩も前には進めないと思うが』
 先輩の言葉が、心に小さなトゲのように刺さっている。
 確かにそうなのだ。
 女に“なって”から、自分はずっと同じところをぐるぐると回っているだけのような気がする。
 悩んで、ぐじぐじして、ずっとずっと“前”に進めないでいる。

 でも、じゃあ『前に進む』とはどういう事なのだろう?

『君は恋をしている』
 先輩はそう言った。
『恋…………恋なのかな……これは……やっぱり…………』
 では、健司に道ならぬ想いを抱いてしまった自分を認めて、彼に告白し、えっちしてもらう?愛してもらう?
 それで、『星人』達が望むように彼との子供を宿し…………産む?
 でも、それでは自分は?
 自分の、この男だった17年間の想いは?
 記憶は?
 アイデンティティは?
 男だった記憶のままで、健司の幼馴染みで兄貴分で親友だった記憶のままで、健司に抱かれるのか?抱けるのか?
 そしてもし、もし健司と恋人になれたとして、愛してもらえたとして、子供が出来たとして、それで自分は健司と結婚出来るのか?
 そこまで考えて、圭介は顔を赤くしたままハエでも追い払うように頭の上でパタパタと右手を振った。
『いや……子供って、結婚してからつくるもんだろ?……じゃあ、まず結婚…………』
 “ぽわわわん……”と、圭介の脳裏に情景が浮かぶ。
 夕焼けの公園。
 小学校の頃、よくアイツと由香と3人で学校帰りに遊んだ公園。
 紫色の帳(とばり)に瞬く宵の明星。
 どこからか聞こえる犬の遠吠え……。

「健司!オレと結婚してくれ!」
「やだ」

 圭介は歩道の真ん中でふらっとよろめいた。
『ちょっと待った』
 いきなりそれはないだろう。
 せめて想像の中くらい…………。
『じゃ……じゃあ』
 …………もう一度。

「健司!オレと結婚してくれ!」
「いいよ」

 えーと…………。
 その先が浮かばない。

『そ、そうだ、結婚式』
 高台の教会。
 入り口から伸びる、ヴァージンロードの先。
 厳(おごそ)かな顔付きの神父の前。

 タキシードの健司。
 タキシードの圭介。

 …………あれ?

『いや、だから違うって』

 …………もう一度。
 タキシードの健司。
 ウエディングドレスの圭介。

『…………なんかヘンだけど、まあ、そんな感じ』

 誓いの言葉。
『…………は、まあ、ちょっと、置いといて』
 指輪の交換。
 圭介のヴェールを上げる健司。

 そして………………誓いの口付け。

『うわっ!』
 デパートの入り口に入りながら、圭介はぶるっと身震いした。
『人前で?健司と?オレが?く…………く……口付け?』
 “かああぁぁ……”とほっぺたが、顔が、身体が、熱くなる。
『ばかばかばかばかばかばかばかばかばかっ!!』
 両手の拳底で、頭を両側から叩く。そのたびに自己主張著しい特大の乳房が、ぷるぷると小刻みに揺れた。
 ……と、側を通る人々が、何かヘンなものを見たような目で通り過ぎて行くのに圭介は不意に気づく。彼は“かああっ”と顔を赤くして俯くと、慌てて店内に入り2階へ続くエスカレーターまで早足で歩いた。
 ずっと、胸が“ドキドキ”して背筋が“ゾクゾク”した。
『なにヘンな事考えてんだよ。違うだろ?そうじゃないだろ?』
 その前に、自分は本当に健司を恋愛の対象として心からそう想えるのかどうか……じゃないのか?
 無意識がどうあれ、身体がどうあれ、男として育った17年間の想いや、記憶や、アイデンティティは、まだ健司を恋の相手としては認めていないのだから。ひとりえっちで「オカズ」にしたとしても、それはそれ、これはこれ、だ。ぜったいに。
 それに、たとえ圭介が健司を「女として」好きになっても、健司が圭介を「女として」見てくれるか、好きになってくれるかは、また別の話なのだ。ずっと顔も見てくれないし、ちゃんと話してもくれない今の状態では、そんな事は夢のまた夢でしかない。
『あ…………』
 圭介は、熱くなった胸が急速に冷えていくのを感じた。

 そうだ。

 そうなのだ。
 いくら自分が色々考えて、一人でドキドキしたり恥ずかしがったり悩んだりしても、それは全て……
“机上の空論”
“捕らぬ狸の皮算用”
 そんな諺が頭に浮かんだ。
 エスカレーターで良かった。もし階段だったら、その場で歩けなくなって立ち尽くしてしまうところだった。
『そう…………なんだよな…………男に……』
 男に戻れないのなら、女として接するしか道が無いのなら、
『もっと…………』
 もっと女っぽくしないとダメかもしれない。
 健司に「気持ち悪い」って思われないくらい、ちゃんと女の子っぽく話して……もっともっと可愛くなって…………じゃないと、とても女としてなんて見てはくれないだろう。
 けれど、意識してちゃんと女っぽく話して可愛くなるというのは、男の記憶と想いを持っている圭介にとっては、正直、苦痛だった。
 「私、〜だわ」とか「〜なのよ」とか「〜よねぇ」とか、そんな話し方なんてしたら、自分が「オカマ」にでもなった気持ちになるし、ようやく人前で「ボク」と言う事にも馴れてきたかなぁ……という程度の自分が、産まれてからずっと女をやってきた正真正銘の女の子みたいに可愛く話せるなんて、全く、ぜんぜん、これっぽっちも思えなかった。テレビなどで「それ」を売りにしているキショクの悪い「オカマ」が「おねえ言葉」を話しているみたいに、きっとヘドが出そうなくらい気持ち悪く聞こえるに決まってるのだ。
 真実はどうあれ、少なくとも圭介は、そう思っていた。

 エスカレーターを上がり、4階の「婦人ファッション/ファッション雑貨」で降りる。
 この階で降りたのは、実は由香と下着を買いに来た時が初めてだった。大体、中学までは服なんていつの間にか母が買ってきていたから、自分で買う事も滅多に無かったし、買うとしても駅前の商店街で適当に見繕(みつくろ)っていたから、デパートには6階のアートギャラリーとか7階のおもちゃ売り場とか8階の本屋くらいにしか立ち寄った事が無い。
 この階は売り場が売り場なだけに、目に入るのは全て女性向けのものばかりだ。いまさらながら、なんだか自分がひどく場違いな場所に立っている気がしてきて、圭介は視線を上げられなかった。
 女になってから幾度となく、母、涼子から
「ねーけーちゃん、一緒にお買い物しましょう?ね?けーちゃんに似合う服いーーーっぱい買ってあげるからぁ」
 と言われ続けているけれど、今まではさすがに母と一緒に服を買う勇気は圭介に無かった。きっとお人形さんのように何十分も何時間も付き合わされて、自分には到底似合いそうも無い可愛らしい服ばっかり買い与えられるに決まってるからだ。
 でも、一度くらいはいいかもしれない……と圭介は思う。
 それで、ちゃんと可愛い女の子に見えるようになるのなら…………。
『慣れないといけない……んだよな…………』
 溜息を吐きながら、男だった時から使ってる、ちょっとゴツい黒の腕時計を見る。
 時刻はもう3時48分だった。家を出たのが2時過ぎだったから、多恵さんからの留守電を聞いてから、もう2時間半以上経っている。
『ちょっと遅くなっちゃったかな……』
 圭介がそう思いながらランジェリー売り場に着くと、多恵が目ざとく圭介を見つけて、嬉しそうに微笑んだ。
 それだけでもう、圭介は胸の中のもやもやとしたものが“ほろっ”とほどけていくような気がする。母とも、由香とも違う、ちょっと年上のおねーさんだけが持つ独特の雰囲気のせいかもしれなかった。
 多恵は(ちょっと待っててね)と口をパクパクさせると、対応していた客に向き直った。圭介はそんな“働くおねーさん”な多恵さんを見ていると、自分がなんだか取り残されたような気になってしまい、下唇を“きゅ”と噛んでしまう。
 どうしてそう想ったのかわからない。
 自分はあの人に何を求めているのだろう?
 彼女のふりふりと揺れるポニーテールを見ながら、圭介は心細さからくる寂しさと切なさに、豊かに張った胸の前で両手の指を絡ませた。それは、女になってから初めて逢った「普通」の「頼れる」「おねーさん」に抱いた、『甘えたい』というたった一つの気持ちのせいだった。

 多恵を待つ間、売り場に並んだ、色とりどりのランジェリーを見てまわる。
 ふあふあとした、可愛らしい、砂糖菓子みたいな、女の子のインナーたち。
 レースや、ステッチの細かい細工。
 虹の色よりも、クレヨンよりも、初心者用油絵の具セットよりもずっとずっとたくさんの色彩。
 可愛い柄やお洒落なワンポイント、官能のデザインにどきどきするようなシースルータイプ。
『これぜんぶ……下着…………なんだもんなぁ……』
 今では、多恵さんからもらったカタログや、由香の『女の子チェック』で名前もちゃんとわかる。
 ブラジャー、ショーツ、キャミソール、ベビードール、ストッキング、ガーターベルト。
 ペチコート、スリップ、タップパンツ、ガードル、ボディスーツ…………あの中世のドレスの下に着るコルセットみたいなのは、確かウエストニッパーと言うはずだ。
 すごいなぁ……と単純に想う。男なんて、ブリーフとトランクスくらいしか無い。ビキニパンツなんていうものもあるけれど、あれはちょっと認めたくなかった。
 でも、女には下着だけですごく種類がある。これは全部、女の子たちが抱く『自分を可愛く、美しく、カッコ良く見せたい』……という願望を適えるために増えたものだ。もちろん、それだけではないのもわかってる。機能的に必要な形態もあるし、生理的に必要な機能を取り入れた末に分化した形態もあるだろう。でも、それでも、ここには女が女として美しくあろう、カッコ良くあろうとした、叡智の全てが詰まっている。
 そんな気がする。

 圭介は、ふと、そんな美しくも艶やかで色とりどりの下着を身につけた、マネキン達を見上げた。胸だけとか腰の部分だけとかじゃない、全身マネキンだった。
 どのマネキンも、背が高く、鼻筋の通ったオトナの顔付きで、すらりとした美人揃いだ。
 きっと男が好きになる女というのは、こういうのを言うのだろう。
 そういえば、自分も男だった時、スラッとしてカッコイイ女の人に憧れた気が…………しないでもない。
 ここには、女の憧れがある。
 こうなりたいという願う願望が形となって“在る”。
 背が低くて童顔で、中学生みたいなくせに胸ばっかり“ぶくーっ”とふくらんだ不恰好で“ぶす”なマネキンなんて、一体も無いのだ。
 男のくせに男を好きになって、女になってまでその男と結ばれたいと心の底で願っている気持ち悪い“ぶす”に似合う下着なんて、一着も無いのだ。
 そう思ってしまった途端、
『あ、だめだ』

 “自覚”する。

 男では無くなってしまった自分が、女としてもひどく不完全な存在だということを。
『考えるな……だめだ……考えるな……』
 呪文のように唱える。
 でも、無駄だった。

 どんどん、“わるいかんがえ”になってゆく。

 嫌な思いがぐずぐずと胸に溜まって、どろどろとしたタールのように黒く濁ったものになってゆく。
 女になってから、ポジティブだったはずの性格が180度方向転換してしまったみたいだ。ずっとずっと、こんな“わるいかんがえ”が頭をぐるぐるしてる。自分でも嫌だと思うのに止められない。
 由香がいれば、彼女の言葉で、表情で、「いってはいけない領域」に到達する事無く霧散し沈静化していた黒い想いは、こうして一人になると容易く圭介の心を蝕(むしば)み、犯す。
 自分がどうしようもなくちっぽけで、いやらしく、汚い存在に思えるのだ。
 胸の奥の引出しの一番下のさらに奥に押し込めていたものが、主(あるじ)の隙を突いて吹き出し、覆い尽くす。こんなチビで中学生みたいな顔で不恰好で、それでいて中身はまるきり男だなんてヘンな存在の自分を、純朴で純粋でイイヤツなアイツが好きになるわけがない。女として見てくれるわけがない。そう信じる。
 信じてしまう。
 固く。
 固く。
 でも、自分にはもうアイツしかいない。
 女になった自分には、もうアイツに愛してもらうしか、道が無い。
 そんな風に想いは歪み、凝り固まり、萎縮(いしゅく)し、自分を矮小(わいしょう)化する。
 アイツがひどく価値のある、少なくとも自分にとってはとてもとても価値のある人間であり、自分にとっての唯一の輝かしい光のように感じてしまうたびに、その逆をいくように自分はそんなアイツには相応しくない、好きになってもらえるはずも無い、価値の無い人間だと思ってしまう。
 追い詰められていた。
 自分の想いに。
 そうでなければならないのだ、と。
 そうでなければ、あんなイイヤツが自分を気持ち悪いと思うはずが無い。自分の目を見ようとしないはずがない。自分と2人きりになるのを避けるはずがない。自分の言う事に気の無い返事をするはずがない。

 だってアイツは本当にイイヤツだから。

 だって自分は……気持ち悪いヤツだから。

 思考がぐるぐると円を描く。螺旋を描く。螺旋の行く先は、自己の否定。
 存在の否定。
 “そこにいる”ことの否定。
 それに気付かない。
 気付けない。
「なんて情けないヤツだ!」
 男の頃の圭介が、今のうなだれた、雨に打たれた子猫みたいな圭介を見たら、きっとそう叱り飛ばすに違いない。
 叱り飛ばずだけで済めばいい。
 駅前広場の噴水の中に蹴倒すかもしれない。
 それくらい、今の圭介は“情けない”人間だった。
 しかも自分でそれに気付いていない。
 気付けない。

 ――――最悪だった。
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