■感想など■

2009年07月06日

第11章「恋するキモチ」

■■【6】■■
 多恵の教えてくれた店は、ちょっと洒落たオトナの店……という感じの紅茶の店だった。紅茶の店……とは言っても、紅茶しか置いていないというわけでもなく、ソフトドリンクもあるし、ケーキやパスタ、コーヒーもある。けれど、やっぱり紅茶の種類が多いから、たぶん「紅茶の店」と言ってしまっていい気がした。
 あの後。
 階段の踊場で多恵さんに抱かれてちょっと泣いた後、圭介は気恥ずかしくて、あの人の顔をまともに見られなかった。頭がぐちゃぐちゃになって、自分でも何を言ったのかよく覚えていないのだけれど、何かとんでもない事を口走ってしまったのではないだろうか?という恐れが、ずっと胸にわだかまっていた。
 それに、涙と鼻水でくちゃくちゃになった顔を、多恵さんはまた自分のハンカチで拭いてくれた。けれど、「洗って返します」と言った圭介に、彼女は最初に会った時と同じように「ケイちゃんはそんな事気にしないの」と言いながら、圭介の手にしたハンカチを取り上げてしまった。
 たぶん、多恵さんは自分の事を、ものすごく子供だと思ってるに違いない……と、圭介は思う。
 けれどそれは仕方ないのだ。
 彼女と会ったのが2回なら、自分はその2回とも、彼女の前で泣きじゃくってしまっているのだから。
『ボクのこと…………泣き虫だって思ってる…………んだろうなぁ……』
 でも、泣いたらちょっとスッキリした。問題は何一つ解決していないけれど。まだ、胸は少し切ないけれど。
 ちょっとだけ、スッキリした。
 それは本当だった。
 そして、スッキリした分、ちょっとだけ冷静になれた。
 それも、本当だった。

 店では、紅茶とスコーンのセットを注文した。
 スコーンにはホイップクリームとラズベリージャムがついていて、昼御飯をシチューとパンで簡単に済ませた圭介は、先輩とお茶しただけでは満足できなかったお腹をそれで満たした。困ったのは、気持ちが少し楽になったせいか、パクパクと「健啖(けんたん)」を絵にしたような食べっぷりを見せた圭介を、周囲の女の子がクスクスと笑みを漏らしながら盗み見ていた事だろうか。
 あつさえ
「かわいー」
 とか
「よっぽどお腹空いてたんじゃない?」
 とか
「ほら、ネコ缶開けた時に子猫とか……」
「そうそう」
 とかひそひそ声が聞こえるに至っては、さすがの圭介も耳まで真っ赤にして小さく身を縮こまらせるしか手が無かった。
 中学生に怒って、先輩に驚いて、多恵さんに泣いて、スコーンをパクパクと食べて、周囲の目に恥じ入って…………やってる事は、まるで小学生だ。感情が“だだ漏れ”で、感情と行動と思考が数珠繋がりに直結している気がする。
『ボクって…………なんて単純…………』
 そして圭介は、とうとう思考の中でもごく自然に「ボク」と言ってしまっている自分に、気付いてしまった。
『……ボク…………ボク…………オレ……………………ボク…………』
 もう、「オレ」という第一人称の方が、違和感を感じる。「ボク」と呼称するのが、それこそが本当のような気がするのだ。
『こうやって……少しずつ“女”になっていくのかなぁ…………』
 肉体が変化し、女性的シンボルである乳房が顕著に大きくなって、毎日毎日、自分が「女である事」を嫌でも自覚している。立っても歩いても座っていても、話していても食べていてもトイレに行ってもお風呂に入っても、そこには自分が「女である」という事実だけが厳然(げんぜん)としたものとして存在し、強く強く自覚させられる。
 肉体の変容によって、魂はどのようにも変化してゆく。
 それを、まざまざと感じていた。
 ただ、女性化を決定付ける最後の手札だけが、まだ山積みのカードの中に隠されている。
 たった一枚で、その「場」がひっくり返ってしまうような、そんな力を秘めたカード。
『生理…………』
 ぶるっ……と、圭介の背中を震えが走った。

 そうだ。

 たった一つ。

 女を女たらしめている、次世代に命を繋ぐための機能が、まだ圭介の体には、無かった。
『……どうしてかな…………なんか……もうそんなに恐くない……や……』
 2杯目のアッサムティーにミルクを垂らし、銀のスプーンでくるくるとかきまわす。マーブル模様はすぐに薄いキャラメルカラーになって、溶け合い、交じり合う。今まで分離していたと思い込んでいた「男の心」と「女の体」が、実もう、いつの間にかすっかり馴染んでしまっていた事に気付いた瞬間だった。
『あそこから血が出るなんて……ホラーかスプラッタみたいに思えたんだけど…………』
 今は、ただ“その時”に来るだろう痛みだけが、なんとなく不安に感じてしまうだけだった。
 小学生の女の子が、学校でキチンとした性教育も受けないうちに、心も体もまだまだ未成熟な状態で生理の訪れを待っている…………というのとは、また状況が違うのだ。雑誌やインターネット、それに先週から参加させられている学校の保健体育などで、圭介も一応の知識は得ている。生理というものが「どういうもの」で、それを迎えることで女の体が「どうなるのか」という事も。
 京香にだって由香にだって、生理は来ていた。「女であれば」誰だって来るものなのだ。来るのが当然で、避ける事が出来ないのであれば、後はそれを受け入れるしかない。闇雲に恐れていても仕方ないのだから。
『それにまだ、この体で本当に生理がくるなんて……わかんないし……』
 結局はそこなのだろう。
 「女になって」から、まだ一ヶ月にもならない圭介には、馴染んだとはいっても、まだまだ実感が完全には出来ていない……という事なのだ。だから、そんな甘い事さえも考えてしまう。
『生理………………セックス…………妊娠…………出産…………』
 お腹に命を宿すということ。
 愛する人の子供を宿すということ。
『愛する人…………』
 それが健司なのか、圭介にはまだわからない。
 わからないのだ……と、圭介自身がそう思った。
 そう思っておくことにした。

 今は。

         §         §         §

 晩御飯を食べるのだから……と、スコーンは3つあるうちの2個だけ食べて、圭介は最後の1個は、ちょっともったいないけれど残すことにした。そして、2杯目のアッサムにミルクをいっぱい入れて、ゆっくりと時間をかけて飲みながら、ひたすら多恵を待つ。
 周りには女性が目立ち、なんとなく居心地が悪いような気もしたけれど、それでも随分慣れた方だと圭介は思う。やはり学校で女子に混じっての行動が増えたから……かもしれない。むしろ、後の席にいるカップルの男性の方が、圭介には気になった。
 すぐ近くに見知らぬ男性がいる……というだけで、なんだか嫌なのだ。
 以前はそんなことも無かったのに、女になってから…………いや、あの電車の中の一件から、それを感じるようになっていた。
『自意識過剰…………だよね……』
 そうは思うけれど、生理的嫌悪感とは別に、ちょっとこの場にはそぐわないものもまた、感じていた。
 どうもその男性は、香水を付け過ぎている気がするのだ。紅茶の香りを楽しむ場所で、こんなに香水をプンプンさせていること自体、無思慮と言えた。だから、たぶん男性の存在そのもの……というより、男性の付けている香水の方に嫌悪感を感じるのだろう……と、圭介は思った。

 待つ事しばし。
 多恵は、5時を15分ほど過ぎた頃“ものすごい人たち”と一緒にやってきた。
 最初、店の入り口で立ち止まって店内をぐるりと見回し、窓際の席に座っている圭介を見つけた多恵は、『ごめんね』と口をぱくぱくさせて顔の前で拝むように手を合わせた。
 圭介も、事の道理のわからないような幼い子供ではない。少し時間に遅れたからといって、無闇に怒ったりはしないのだ。それに、多恵さんは仕事をしているのだから、仕方ない……とも思う。
 けれど、驚いたのはその後だった。
 不意に彼女の後ろに2つの影が“ぬっ”と立ち、彼女の両脇を“がしっ”と掴むと、あたふたと慌てる多恵さんを有無を言わせず連行して、一度、店を出て行ってしまったのだ。
 圭介はなんだか、すごいものを見た気がした。
 そしてそれは、決して見間違いではなかった……と、彼は1分後に知ったのだった。

 圭介が食べたスコーン・セットの代金は、多恵さんが払ってくれた。
 さすがにそれは悪いので、圭介は「自分で払う」と言って最後まで頑張ったのだけれど、
「待たせちゃったんだもの。いいでしょ?お願い」
 ……と『お願い』されてしまっては、断るわけにもいかなかった。
 目の前でみっともなく泣いて、胸まで貸してもらって、その上お茶代まで出してもらう……なんてのは、はっきり言って圭介のプライドが許さなかったけれど、ここで意固地になって多恵さんの気分を害したら、それこそ失礼に当たる気がしたのだ。

 そして店を出ると、そこには“ものすごい人たち”がいた。

 一人は背中までの髪にウェーブをかけた、むちゃくちゃ「カッコイイ」人だった。
 背が、健司よりちょっと低いくらいあった。
 「健司よりちょっと低い」ということは、女性にしては「すごく背が高い」ということだ。
 そして、ただ「綺麗」というカテゴリに分類するのも躊躇われるような、力強い目をしている。眉はしっかり細く整えられ、アイラインはクッキリとして、マスカラで睫がビシバシに“武装”してあった。目がパッチリとして、やや小さい瞳そのものに力があるから、そんなメイクをしても妙に(?)似合ってしまうのだろう。
 多恵よりも少し浅黒い肌をしているけれど、決して荒れているわけではなく、むしろ浅黒い事で、野性の大型猫科肉食獣を思わせた。黒ヒョウとか、ピューマとか、そういうしなやかな肉体に瞬発的な「獰猛」を忍ばせているような感じだ。あえて失礼を承知で形容すれば、デパートより、むしろ暴走族のレディースとか、アルゼンチンあたりのオリンピック強化選手の中にいそうな、そんなタイプだった。
 赤いルージュが薄目の唇にクッキリと引かれ、派手の一歩手前のイヤリングが彼女の「カッコ良さ」を引き立てている。本人がどう思うかはわからないけれど、「綺麗」よりも「カッコイイ」という言葉が似合いそうな、そんな人だ。「男に媚びる」……というより、「男に挑戦する」ような……そんなイメージを抱かせる人だった。

 そしてもう一人は、うなじまでのショートカットの髪が涼しげな、青いメタルフレームの女性だった。
 “とろん”とした目がどこか眠そうで、ぽってりとした厚い唇と相まって、なんだか「やーらかい」印象の女性だ。ロングヘアの女性が赤い革のジャケットを着て、第二ボタンまで外した白のシャツと黒のストッキングに赤のパンプス……という、ある意味「だらしない」と紙一重の「臨戦体勢」といった出で立ちであるのに対し、この女性は、水色のワンピースにクリームイエローの革ベルト、そしてスワンホワイトのハイヒール……という、なんだかお嬢様タイプのスタイルだ。年齢不詳に見えるのは、たぶんその格好のせいもあるのだろう……と圭介は思う。
 青が好きなのか、ピアスの石も青で、腕時計もバンドが青色だった。それだけなら特に「すごく」ないのだけれど、この人のすごいところは、肩に、黒くてでかいボストンバッグを背負ってるところだ。水色ワンピースには超絶的に似合っていないけれど、本人もロングヘアの人も多恵さんも、別に何も言わないから、きっとこの格好がこの人の「普通」なんだろう。
 でも、ぜったい「ヘン」だと、圭介は思った。
 ……とても『星人』と地球人のハーフである自分が言うセリフではないけれど、
『いろんな人がいるし』
 とりあえず圭介はそう思っておいた。

「ね、ケイちゃん、御飯、この2人も一緒していいかな?」
 インドの人が「なますてー」とやるように、胸の前で拝むように両手を合わせた多恵さんが、ちょっと眉をハの字にして圭介に聞いた。
 圭介は、多恵の困ったような甘えるような顔を見て、ロングヘアの人を見て、それからショートカットの人を見た。
 当たり前かもしれないけれど、3人とも、見事に髪型が違ってて面白かった。
 人見知りする性癖でもないし女性ばかりなのだから、逆に良い気晴らしになるかもしれない。
 そう思った圭介は、多恵に“にこっ”と笑って
「……別にいいで」
「うわーーーーかわいーーーっ!!」

 ――びっくりした。
 今まで、目を大きく開けてまじまじと圭介を見ていたロングヘアの人が、急に声を上げて突進してきたのだ。

 ……食べられるかと思った。

「ちっちゃーーー!!うわっ!でっかーーーーーっ!!ふかふかーーーーっ!!」
 突進したイキオイのまま肩を“きゅっ”と両手で掴まれ、あっという間に胸に“ぎゅうっ”と抱き締められて、「なんだなんだ?」と目を回しているうちにぐるんと後を向かされて、そして
「たわわーー!」
「にゃわわわわわわっ!!?」
 ……脇から両手を回されてブラの上から乳房を「たぷたぷ」された。
 誇張でなく、全身に“ぞわわわわっ”と鳥肌が立った。
「やめなさいっ!この色情魔っ!!」
 慌てて多恵が圭介の腕を取り、ロングヘアの人から彼を“救出”する。
『うわーー…………』
 怒涛のイキオイに、圭介の心臓が“ばくんばくん”と野兎のように跳ね回ってた。
 いきなり初対面の女の子の乳房を「たぷたぷ」する女性がいるなんて、圭介の辞書には一人も載ってない。
 ……いや、一人いた。
 つい2時間くらい前に会ってお茶した『お嬢様風変態部長』の涼しげな顔が、圭介の脳裏に浮かぶ。
「あ、多恵ずるいっ!なに一人占めしてんのよぉ!」
「うるさい変態。いきなり人の乳揉むな。一歩間違えればセクハラだよ?」
 すみません。
 一歩間違えなくても、じゅうぶんセクハラです。
 それはもう立派なくらい。
「いーじゃんよー。キョニューだよキョニュー。これを揉まねば何を揉む?」
「おじさんの肩でもたまには揉んであげなさいよ」
「やだね。んなもん揉んでも、ちーとも楽しくない」
 やっぱり前言撤回だ。ロングヘアの人が「カッコイイ」なんてウソだ。
 圭介は心の中で、わきわきと両手の指をいやらしく動かすあの人を『部長2号』と呼ぶ事にした。
 ……まあ、それはそれでいいのだけれど……。
「あ……あの…………」
 『部長2号』さんから解放されたのはいいものの、今度は多恵さんに“ぎゅっ”と抱き締められてしまった。ついさっき、この胸でみっともなく泣いて色々喋ってしまった事が思い出されて、圭介の顔が“かあああっ”と赤く火照る。
「ほら、ケイちゃんだって嫌がってるじゃない」
「……あたしには嫌がってるっつーより、恥ずかしがってるように見えるけど」
「え?」
「あんた、チチ押し付け過ぎ。ハツジョーしてんのか?」
「し……失礼ねぇ」
「人の事言えねーだろソレ」
 『部長2号』さんが、やや三白眼気味の目で“じと〜”と見るけれど、多恵は見せつけるように益々“ぎゅうう”と、圭介を抱き締める手に力を込めた。多恵の身体から匂う柑橘系のいい香りのフレグランスに、圭介の頭が“ぼ〜〜〜っ”となった。母のたっぷりとした胸とは違うけれど、……いや、母とは違うからこそ、男のメンタリティも“まだ”持ち合わせている圭介には、すごくすごくすごく刺激の強い状況だった。
「私はいーの!暗くて狭いところでケイちゃんの下着姿見て胸にも触った仲なんだから」
「ほぉーーー……」
「ちょっ……たっ多恵さんっ!」
 困る。
 非常に困る。
『……あ、あれは下着売り場の店員とお客という立場でのことであって、べつになんかそーゆーあやしー関係とかでわ……』
 顔が火照って体が熱くなって、圭介の頭がショートしかける。
 ……と、
「どうでもいいけど……店内でレズんのはやめなさいよね」
 今まで黙っていたメタルフレームの女性が、溜息を吐きながらポツリと呟いた。
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