■感想など■

2009年07月08日

第11章「恋するキモチ」

■■【8】■■
 多恵さんに引き寄せられ、そのあったかくてやさしい胸に頬を埋めた時、圭介は思わず身を堅くして声を上げそうになった。
 彼女にこうして抱き締められるのは、記憶にあるだけで3回目だ。
 17歳の少年が、年上のお姉さんに抱き締められる……というのは、本当ならとてもとても“ものすごいこと”だ……と、圭介は思う。普通なら17歳の性欲の有り余った男子高校生が、こんな風に一人暮らし(?)の年上の優しいお姉さんの家に上がり込んで、あまつさえ抱き締められてしまったら、たぶん自分の立場もわきまえずにその若さを“暴発”させてしまうかもしれない。
 事実、男としての性欲がほとんど無くなってしまった圭介の、その胸の奥に少しだけ残った「オトコノコ」は、さっきから緊急警戒警報を“ふぁんふぁん”と鳴らしっぱなしだし、喪失(な)くしたはずの性器……が在ったところが、じんじんと疼いてさえ、いた。

 でも、それ以上に圭介を当惑させたのは、体を震わせるほどの、泣きたくなるくらいの安らぎ……安心感だった。
 それは、

 このまま身を任せたい。

 多恵さんに何もかも打ち明けてしまいたい。

 そんな、今の圭介には“毒”とも言える甘美な感覚だった。
 多恵のトレーナーに顔を埋めるようにしながら、おずおずと息を吸い込む。お酒の匂いに混じって、母とも由香とも京香とも玲奈さんとも、ましてやソラ先生とも、はるかちゃん、宮森、部長、まーちゃん、タカちゃん、マリさんとも違う、優しい匂いがした。
「ねえ、ケイちゃん……このままで聞いて」
 不意に多恵さんが、圭介を優しく抱き締めたままゆっくりと囁いた。
 今の彼女は、上はトレーナーだけれど下はホットパンツで、健康的な太股が剥き出しになっている。圭介は肩を引き寄せられ抱き締められたものの、手の置き場所に困って、でもその白くてやわらかそうな太股に触れるのも憚(はばか)られて、仕方なく彼女のウエストに置いていた。
 その手から、多恵さんの声の震えが伝わってくる。
 今さらながら、女の人の体に触れているのだ……と意識してしまい、圭介は身動き一つ出来なくなってしまった。
 そんな圭介に構わず、多恵さんは彼の髪の中に鼻を潜り込ませるように押し付け、深く息を吸った。
 それに気付いて、こんな時だというのに、圭介は『昨日、頭洗ったっけ……』と、ヘンな事を考えてしまう。
「ケイちゃんって、気になってる子が、いるんだよね?」
 突然の言葉に、圭介の体が“かあっ!”と熱を帯びた。
 思わず否定しようと顔を上げかけるけれど、多恵さんはそれを許してはくれなかった。
「ん。いいの、わかってる。
 異性として……オトコノコとして『好き』とか『嫌い』とか、まだハッキリわからないけれど、でも気になってる子がいるんだよね。
 その子の事を考えると、胸が苦しくなって、哀しくなって、でもあったかくなって、ぽわぽわしちゃうんだよね」
『どうしてわかるの?』
 そう聞きたかった。
 誰にも明かせない胸の内を正確に言い当てる多恵さんが、ちょっと恐かった。
 でも、胸が苦しくて、言葉にならなかった。
「嫌われるの、恐い?
 その子と、今までと違う関係になっちゃうの、恐い?」
 少しの間があった。
 圭介は答えられず、ただ、多恵さんのトレーナーを両手で“ぎゅ”と握り締めた。
「うん……そうだよね。
 恐いよね。
 小学校の頃からの幼馴染み……だっけ?
 もう、一緒にいるのが当たり前みたいな関係なんでしょ?
 そういう相手から嫌われるかもしれない……って、やっぱり恐いよね」
 多恵さんの声は、圭介の強張った心にするすると入り込んでくる。
 ゆっくりと囁く言葉は、甘く優しく、耳に心地よかった。
「でもね、ケイちゃん。
 嫌われるのが恐いって事は、好きって事でしょ?
 異性として……とか、オトコノコとしてとか、そんなんじゃなくて、もっと一番基本な部分で、『好き』ってことでしょ?
 好ましいってことでしょ?
 一緒にいると落ち着けて、あったかくなって、ぽわぽわするってことは、そういうことでしょ?
 ケイちゃんは、どうなの?」
「…………ボ…………」
 圭介自身、何を言いたいのかわからないまま口を開きかけて、やめた。今、口を開くと、“抑え込んでいるもの”が暴れ出しそうだったから。
 多恵さんは辛抱強く圭介が応えるのを待っていたけれど、彼が彼女の肩に顔を押し付けたのを感じてちょっとだけ苦笑した。
「ね……ケイちゃん。
 嫌われたかもしれない……とか、好きになるわけない……とか、なんだかケイちゃんは、その子とちゃんと向き合ってないみたい。
 向き合う前から、もう全力に後ろ向きで逃げてるみたい。
 その子がどう……とかの前に、ケイちゃんの心はどうなの?
 どうしたいの?
 自分の心の中にあるものが『恋』かどうかなんて、ケイちゃん以外の人にはたぶん、きっと、正確にはわからないんだもの。
 ケイちゃん自身が向き合って、確かめて、それからどうするか考えなくちゃ。
 向き合う前から逃げてたら、それが『恋』かどうかなんて永久にわからないよ?始まらないよ?終わらないよ?
 終わらない恋は、すっごく辛いんだから。
 ホントなんだから。
 ケイちゃん、そーゆー、『終わらない辛い恋』とか、したい?」
 多恵さんはそこまで言うと、今度は自分から圭介を体から離し、彼の目を真正面から見つめた。
 圭介は、間近で見る多恵さんの瞳に、まるで吸い込まれそうな気がして、けれど、どうしても逸らす事が出来なかった。
 そして、

ちゅ

「!!?」
 圭介のおでこに、そよ風のようなキスを降らせた多恵さんは、一瞬だけ「あ、しまった!」というような目をしたけれど、涙が潤んで景色がぐにゃぐにゃと歪み始めた圭介には、それに気付く事なんて出来やしなかった。
「おまじない」
「ふえ……?」
「ケイちゃんが、自分の心とちゃんと向き合えるための、勇気のおまじない。
 泣いてもいいよ。
 怒ってもいいよ。
 ちょっと挫けても、ころんでも、ふて寝してもいいよ。
 でも、ケイちゃんの心と向き合えるのはケイちゃんしかいないんだから、ケイちゃんが頑張らないとダメ。
 だから、おまじない。
 がんばって。
 自分がどうしたいか。
 今はそれだけを考えればいいと思うわ」

 不意打ちだった。

 ずるくてひどくて、とんでもなく卑怯な行為だった。
 今の圭介には間違ってもしちゃいけない行為だった。
 今までずっと溢れそうな心の奔流を押し留めていた胸の結界を、もう2度と多恵さんの前では泣かないぞ……なんて密かに決めていた圭介の決意を、努力を、誓いを、あっという間に突き崩して蹴散らしてしまうような、極悪で非道で卑怯極まりない行為だった。
「多…………」
 声が、出なかった。
 唇が震えた。
 ただ、彼女の首にかじりつくようにしてしがみついた。
『多恵さんはずるい』
 そう思った。

 誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。
 背中を少しだけ押して欲しかったのかもしれない。

 でも、こんなのは、ない。
 こんな不意打ちは、ない。
 多恵さんは、自分がこんなにも泣き虫で弱虫で、誰かにすがらないと決断さえ出来ない小さな存在なんだ……と、これ以上無いくらいの現実を圭介に突きつけて、それでもまだ足らずに「あたたかくてやさしいキス」なんていう凶悪な最終兵器でトドメを刺した。
『私は好きよ?
 だから自信を持ってね』

 カチューシャをしているのに。

 性欲に直結した思考でもないのに。

 多恵さんは女の人なのに。

 多恵さんの、自分を気遣う想いが、まるで厚く空を覆った雲間から差し込んだ、一条の陽光のように圭介の胸の黒く蟠(わだかま)った暗部を照らした。
 そうなってしまっては、もう泣いてしまうしかない。
 でも、声は出してやるもんかと思った。
 そんな、恥ずかしくて消えて無くなってしまいたくなるくらいの姿を、そうそう何度も見せてなんかやるもんかと思った。
 4回目なんて無いぞと思った。
 本当に、思ったのだ。
「……う〜〜…………う〜〜う〜〜〜…………う〜〜…………」
 多恵さんは、ぼろぼろと涙をこぼしながら、それでも強情にも唇を一文字に引き結んで「泣かないぞ」という意思表示を示し続ける圭介の背中を、ただずっとずっと、優しく撫で続けていた。
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