■感想など■

2009年07月09日

第11章「恋するキモチ」

■■【9】■■
 夜道に女の子一人では危ない……ということで、多恵さんがタクシーを呼び、圭介は先日の事もあってそれに従った。自分が、今では無力な…………他人の暴力や欲望に簡単に晒されてしまう立場の人間なのだと、あの夜に嫌というほど思い知ったからだ。
 男だった時には、そんな風に自分の弱さを認める事は、屈辱でしかなかった。
 それが今では、自分の弱さを認める事から始めないと、一歩も前には進めない人間になっている。
『…………女…………なんだよ……な……』
 タクシーのシートに身体を預け、圭介は窓の外を流れるオレンジ色の外灯をぼんやりと見つめる。擦れ違う車は少なく、歩道を歩いている人もほとんどいない。
 多恵さんのアパートは、デパートのある繁華街の駅から、さらに4つほど離れた住宅街にあった。圭介の住む街とは方向が逆で、その上、市を別にしている。それでも、国道を飛ばせば車で30分ほどの距離らしい。
『また……泣いちゃった……な…………』
 泣き過ぎて、目が腫れぼったい。鼻の奥がツンとして、まだちょっとぐずぐずしてた。
『多恵さんの前だと、ボクは泣いてばっかりだ』
 セーターとジージャンを下から押し上げて、重たい胸がこれ以上無いくらいに自己主張をしている。その胸を隠すように、バッグと、デパートで購入した下着の入った紙袋を抱いていた圭介は、「は……」と溜息を吐いた。
『……でも』
 胸の苦しみが、痛みが、もやもやが…………晴れていた。
 すっかり全部……とまではいかないけれど、それも、悩み続け陰々鬱々となっていた、ちょっと前までの自分とは明らかに違う気がする。
 『覚悟』というものを、自覚するのだ。

 確かに、悩んでいるのは、苦しい。
 女でいるのがこんなに苦しいのなら、やっぱりどんな手を使ってでも男に戻って、そして事情を全部話して、せめて前みたいに普通に接したい……と思った。
 思っていた。
 健司に避けられている……と感じるようになってから、ずっと。
「アイツに嫌われたんなら、もう、どうだっていいかな…………誰か知らないヤツと適当にえっちして、そんで男に戻って…………そうすれば、また前みたいに…………」
 健司が変わってしまってから……先週の水曜日から4日間、そう思った事は、一度や二度ではないのだ。
 でも、男に戻れないのなら、女として……いつまでかはわからないけれど、女として生きていかなければならないのなら、母の言うように、ソラ先生の言うように、自分はいずれ誰かの子供を宿し、そして産まなければならないのだろう。それが『星人』達から自分に対して“種族として”期待されていることなら、やはり果たすべなのかもしれない……と圭介はぼんやりと思う。
 その相手が健司であるなら、それがベスト……なのだろう。
 ……自分の体が、健司のためだけに変化した……というソラ先生の言葉を信じるのであれば。
『……とすると…………後は……ボク自身の覚悟…………って事になるのかな…………やっぱり……』

 “流れ”に逆らってはいけない。世の全ては“そうなるべく流れている”のだから。

 どこかで読んだ本のフレーズが頭に浮かぶ。圭介が好きなゴッホもゴーギャンもマグリットもスーラも、偉大な芸術家達はみんな己の心の声に従い、生きた。その結果破滅したとしても、彼等は後悔しただろうか?
 自分の決断を、絵に対する情熱を、後悔しただろうか?
『心の……声…………』
 自分がどう思われているかとか、どう見られるかとか、そういうのではなくて。
『自分がしたいこと……』
 先輩の言葉が蘇る。
『私は、自分でもそうと気付かない恋を、もう十何年も続けてきていた女だ』

 …………恋。

 気付かない恋……。

 多恵さん言葉が甦る。
『向き合う前から逃げてたら、それが「恋」かどうかなんて永久にわからないよ?始まらないよ?終わらないよ?』

 終わらない辛い恋。

『ボクは……』
 健司に対する想いが、「恋」かどうかなんてわからない。
 でも、一つ言える事は、
『ボクは…………アイツのそばにいたいんだ。アイツと一緒にいたいんだ。……そうだよ。ただ、それだけなんだ』
 アイツが自分をどう想っているか。
 アイツにとって自分は何なのか。
 そればかり考えて、自分の気持ちから目を逸らしていた。気持ちを押し込めてアイツの顔色を伺って、それでビクビクしているなんて、そんなのは自分らしくない。
 アイツが気持ち悪いって想うなら、それでもいい。気持ち悪いって想わなくなるまで、平気になるまで、話し掛けてやる。近くに行ってやる。
 待ってるだけじゃダメなのだ。どうしてそんな事に気付かなかったのだろう。
『違う。気付かなかったんじゃなくて、気付こうとしなかったんだ。ボクは、逃げてたんだ』
 ハッキリと健司に「気持ち悪い」とか「嫌い」とか言われたわけじゃないのに、そう言われるのが恐くて、ずっと逃げてたんだ。
『君も、そろそろ今の自分をちゃんと受け止めたらどうかね?
 でなければ、一歩も前には進めないと思うが』
 先輩の言った事が蘇る。
 そうなのだ。
 いいのだ。
 自分が本当に健司を恋愛の対象として心からそう想えるのかどうかとか、そんなのはいいのだ。健司が自分のことをどう想ってるかとか恋愛の対象として見てくれるのかとか、そんなのはいいのだ。そんな事は、前に進んでから考えればいいのだ。
 とりあえずアイツに付き纏って、背中を叩いてやる。
 脚を蹴っ飛ばしてやる。
 「ばーか!」って言ってやる。
 「このやろー!」って言ってやる。
 そうだ。
 全てはそれからだ。
 それでいい。

 それでいいんだ――――。

         §         §         §

 11時近くになって帰宅した圭介は、ちょっと涙目になった母に“ぎゅうっ”と窒息寸前まで抱き締められたけれど、なんだかもう、以前よりそれが嫌ではなくなっている自分に気付いた。男だった時よりも、もっとずっと「人のぬくもり」に対して抵抗を感じなくなっているのかもしれない。
 これが、男と女の違い……とは思わないけれど、それでもこの変化は、女になったからだ……と圭介は思った。
 女になった時、身体かすっかり変わったと同時に、“男では感じる事の出来ない何か”を感じ取るための“回路”が出来たのだろう。
 健司に感じる、あの『ぎゅっとしてやりたい』という強烈な熱望は、たぶんそこからくるに違いない。
 そう、思うのだ。
『いつか……健司を抱きたい……とか、健司に抱かれたい……とか、ハッキリ思うようになる……のかな……』
 どうせモニターしているのだろうから無事なのはわかってるはずなのに、それでも「遅くなるならなるって電話くらいして、けーちゃん」と、いい年してふくれっつらしながら文句言う母に苦笑しながら、圭介はそんな事を考えた。

 女になってから見た、あの“色々とえっちな夢”を思う。

『あんな風に、なっちゃうのかな……』
 お風呂で、少し熱めのお湯に身を沈めながら、ぼんやりと思う。
 少し恐いような……でも、前よりも「男とえっちする」ことに嫌悪感が無い気がする。
『……ちがうな』
 きっとたぶん、相手が健司だからなのだろう。
 他の男を抱く……とか、抱かれる……とか、そういうのを考えると気持ち悪くなる。
 クラスメイトの男子とか、伸吾とか……吉崎卓巳とか加原とか金子とか、美術部の久保塚とか、ましてやアナゴなんかと抱き合うなんて事は、考えるだけで鳥肌が立つ。
 でも、相手が健司だと、そんな風にはならないのだ。
『………………わかんね』
 机に座って鏡を見ながら“ぺちぺち”と化粧水をほっぺたにつけながら、誰にともなく肩を竦めてみせる。
 今日はいろんな事がありすぎて、頭がぐちゃぐちゃだった。
 たった一つの結論だけで、いい。
 全ては、明日から。
 圭介はパジャマに着替えて天井をぼんやりと見ながら、そう思った。

 ――――夢は、見なかった。
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