■感想など■

2009年07月10日

第12章「お母さんになれるということ」

■■【1】■■
 翌日、6月19日の月曜日は、朝から大雨だった。
 粒の大きい水滴が容赦無く屋根の瓦を叩いている音を聞きながら、圭介は目を覚ました。
 いつになく目覚めはすっきりとしていて、ヘッドボードの時計を見るといつも起きる時間よりも20分も早かった。
 気合は十分だ。
 迎えに来た由香が、2階から降りてきた圭介を見て、
「…………決闘にでもいくの?」
 と聞いた。
 どうやら、目を険しく細めて口を一文字に引き結んでいたから……らしかった。
 圭介としては、昨日心に思った事を、決意して決断して決行しようと心を奮い立たせていただけ……だったのだけれど。
「……まあ、ある意味、決闘かな」
「…………健司くん?」
 ズバリと聞かれた。
 相変わらず“ほにゃほにゃ”してるくせに、妙なところでスルドイ由香だった。
 そう。
 圭介は今日、自分から健司に会いに行って、健司に付き纏ってやるつもりなのだ。
 男は行動あるのみ(今は女の子です)。

 まず彼は、1時間目の休みにE組まで行って健司を呼び出すと、決意の瞳で「今日は一緒に帰ろう」と言った。
「……いいよ。夜、遅くなるから。けーちゃんは女の子なんだから危ないよ」
 と、先週と同じ事を言う健司の脚を踏んづけて、
「うるさい。ボクが一緒に帰ると言ったらオマエは『うん』って言えばいいんだっ!」
 …………専制君主か独裁者のように、有無を言わせずハッキリキッパリ無茶苦茶な事を言って、頭一つ分は上にある健司の顔を見上げた。
「で、でも……」
 うわ。コイツ断るつもりだ。
 そう思った途端、圭介は、困った顔で目を逸らそうとする健司の顔を両手で“ぐわし”と掴んで、
「話してる時はボクの目を見ろ。それともなにか? ボクと話したくないとでも?」
 とまで言ってのけた。
 健司は目を白黒させてちょっと引いていたけど、圭介は構わなかった。
 もう、ちっちゃく縮こまって健司の顔色を伺うのはやめたのだ。

 でもほんとうは。

 表面は「ちょっと怒ってる」風を装っていたけれど、実は脚が細かく震えて、胸がどきどきして、いつ健司が嫌悪感を剥き出しにした目を向けてくるか、圭介は恐くて恐くて今すぐにも逃げ出したくて泣きそうだった。けれど、精神力で「弱い心」を無理矢理ねじ伏せて胸の奥の奥の奥の奥の、ずーーっと奥の、頑丈でダイナマイトでも壊れないくらい頑丈な檻に放り込んでおいたのだ。
 だから。
「……うん。わかった」
 そう健司が「しょうがないな」とでも言いたそうな顔で言った時、思わず彼に抱きついてしまいそうになり、慌てて以前そうしたみたいに、彼のでっかい背中を「ばしんっ!」と叩いて、ごまかしたのだった。
「……いたいよけーちゃん……」
「うっさい。男だろ? これくらいなんだ」
 見上げて噛み付く圭介の姿は、なんだか牧場の牛に吠え掛かる牧羊犬の、しかも子犬みたいだったけれど。
「……けーちゃん、『ボク』にしたの?」
「何が?」
「だって、先週まで俺に対してだけは『オレ』だったじゃない?」
 由香に言われて第一人称を変えてからも、健司に対してだけは『オレ』と言い続けていた。由香と健司と3人で昼食を食べた時も『オレ』と言っていたけれど、由香が怪訝な顔をしてもなんとなく変える事が出来なかったのだ。
 健司に対して『ボク』と言った途端に、何かを失ってしまう気がしたから。
 それにしても、由香といい健司といい、どうして普段は“ほにゃにゃ〜ん”とか“ぽやや〜ん”とかしてるくせに、時々妙に鋭いのだろうか。
「…………いいだろ? 別に……」
「……あ、けーちゃん、照れてる? やっぱり恥ずかしいんだ?」
「こ……てめっばっ……」
 圭介の心の葛藤を知る由も無く“にこにこ”と言う健司に、圭介は“かああああっ! ”と頬をトマトみたいに真っ赤にして手を振り上げ、
「いいと思うよ? 女の子だもんね。いつまでも『オレ』じゃあ、やっぱりヘンだもん」
 ――られなかった。
「……ぁ……う……」
 急に圭介は何も言えなくなり、でもすごくすごく悔しくて、その悔しさが理不尽だと自分でも思いながら、
 首筋まで真っ赤にして、あの、純朴で朴訥とした人畜無害の笑顔を見上げ、
 それから目の前にある向こう脛を「げしっ!!!」と蹴っ飛ばした。

 ――――止まっていた時が、動き出す。

 融け出した時間が、急速に以前と同じ流れを取り戻してゆくように、圭介は感じた。
 今までずっと、あんなにも悩んで苦しんで泣いていたのが、ウソみたいだった。最初からこうすれば良かったのだ。勇気を出して立ち向かってみれば、健司は健司のままで、拍子抜けするくらい前と変わらない…………少なくとも圭介にとっては変わらない笑顔を、見せてくれるようになったのだから。
 ついでに、昼食も一緒に食べるように(もちろん強引に)取り付けて、教室に帰ると、由香がこっちを見て“にやぁ”と笑った。
 “にやぁ”だった。
 “にこっ”じゃなかった。
 なんかもう、
『ぜんぶわかってるんだから』
 とでも言いたそうな、そんな笑顔だった。
 圭介はいたたまれなくなって、くるりと方向転換して『戦略的撤退』をした。
 つまり逃げた。
 “ヘナチョコ”なところは、ちっとも変わってなかった。
「どこいくの?」
「……トイレ」
「今から? もうすぐ先生来るよ?」
 圭介は教室を出て、後を振り返ろうともしないでスタスタと廊下を歩いた。
 廊下を歩いている生徒は、もうまばらだ。時々、「もうすぐ授業なのにどこいくの?」という目と合ったけれど、圭介は潔いくらいスッキリと無視する。
「ついてくんな」
 足早に歩く圭介の後を、由香が当たり前のようについてきた。
「仲直り、出来た?」
「…………別に、ケンカしてたわけじゃない」
「そう?」
 もう誰もいない女子トイレの前まで来て、そこで2時間目の開始のチャイムが鳴った。
「はうっ……」
 思わず声が漏れる。
 入り口で立ち止まった圭介は、首まで綺麗な真っ赤にして、
「なに笑ってんだよ」
 圭介は拗ねたように唇を突き出して、声も無く苦しそうに肩を震わせて笑う由香を、肩越しに「じろり」と睨んだ。
「……だ……だって…………もう……けーちゃん…………なんかもう……もう…………す……すごく、かわいい……」
「ばっ! …………ばかやろー……」
「……ほんと……かわいい」
「……うれしくない」
「かわいい」
 そう口にする由香に、背中から腰に手を回されて、“きゅ”と抱き締められながら、
「……ばか」
 圭介はただ……ポツリと、呟く事しか出来なかった。

         §         §         §

 昼食は由香と健司と一緒に、保健室で食べた。
 男よりも男らしいソラ先生が、いつものように気だるそうな顔で椅子にふんぞり返りながら
「お前ら、ココがどこだか忘れてるだろ? カンペキに忘れてるだろ?」
 とか言って怒ったけれど、圭介の「甘くない卵焼き」と由香の「一口ハンバーグ」と健司の「小女子の佃煮」をお供えしたら、神罰も不吉な託宣(たくせん)も無かったからホッとした。
 実に食いしん坊で話のわかる神様だ。
 でも、生徒にお茶を入れさせた上に、
「出てく時に起こしてくれ」
 とか言いながらさっさとベッドに横になってしまったのは、仮にも教職についている人間としてどうなのだろう? ……と圭介は思った。

 健司は、困った顔をするけれど、ずっと圭介の言うままに付き合ってくれた。
 圭介も健司をいいように振り回しながら、それでもホッとした。
 由香はいつものように“ほにゃほにゃ”で頼り無さそうで、それでいて妙に鋭かった。
 そして、妙に気を回し過ぎるところがあった。

 だから……
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