■感想など■

2009年07月14日

第12章「お母さんになれるということ」

■■【5】■■
 目が覚めた時、圭介は一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
 体が、ドロドロに溶けてしまったかのようだ。
 それは、息をする事で、かろうじてコレが自分の体なのだと認識出来る感覚……。
 熱い。
 全身が熱く熱を持っていた。
『……この感じ…………どこかで…………』
 これと同じ感覚を、圭介はどこかで感じた気がした。
 遠い昔ではない。つい最近の事だ。
 “あの時”……。
『“あの時”? …………いつ?』
 思い出せなかった。
 本当に最近だっただろうか?
 本当に経験した事なのだろうか?
 本当はずっとずっと夢を見ていたのではないだろうか?
「…………っ……」
 目を開ければ、そこには白い天井があり、仕切られたクリーム色のカーテンから半分だけ、明るい光を放つ蛍光灯が覗いていた。
「お、起きたか?」
 体がぴくりとも動かず、不意に聞こえたその声に、顔をちょっとだけ動かし目だけで声の主を探す。
 すぐ、ザッ……とカーテンが引かれて、髪の短い、やけに整った顔立ちの女性が顔を出した。
「ソラ……せんせ……」
「まだ体が動かねーだろ? いいから寝てろ」
 同じセリフ、同じ表情。
 いつか前にも、これと同じ会話をした気がする。

 ――――既視感(デジャヴ:Deja-vu)。

 心理学的に記憶の「錯誤」とも定義される感覚。
 記憶の混乱。
 ――頭がぐらぐらした。
「ここ……は……」
「私がいるとこって言ったら保健室しかねーよ」

 これも――――前に聞いた。

 圭介は、ぼんやりとした頭で『夢』に見たものを思い出そうとして……思い出せなかった。
 今日は何曜日だっただろう?
 思い出せなかった。
 ぐらぐらする視界を無視して、強引に身を起こし、両肘で支えた。
「ムチャすんな。まだ、身体が固定化してないんだから」
「固定化?」
 毛布を首まで被った身体が熱く火照って、全身が汗でじっとりとしている。
 なのに、手の感覚も、脚の感覚も希薄だった。
 のろのろと手を動かす。
 動く……という事は、最悪でも“麻痺している”というわけではないようだ。
「…………夢……? …………」
 左手で目を覆い、息を吸った。
 喉が焼けるように熱い。

かっ…………かはっ……けっ…………

 絡んだ痰が、喉でごろごろした。
 ソラ先生が起き上がるのを助けてくれ、ティッシュを差し出して痰を吐き出すように促(うなが)してくれる。
「夢じゃない」
「え?」
 驚くくらい間近に、端正なソラ先生の顔があった。
「ほんの数時間前まで、お前は女だった」
「女?」
「ああ」
「ボクが?」
「ああ」
 じわじわと、ぼやけた頭に記憶が戻ってくる。
 自分がごく自然に自分の事を「ボク」と言った事に気付いた。
『そうだ、ボクは…………』
 ある日突然、『星人』の因子が発現して、「女」になった。
 健司と離れたくない、一緒にいたいっていう…………そんな想いが原因で。
 それで、手も足も細くなって、おっぱいがすごくでっかくなって……。

 あれは夢じゃない。

「でも今は違う」
「え?」
「自分の身体を見てみろ」
 圭介は毛布を捲り、自分の身体を見下ろした。

 素裸だった。

「うわっ!」
 慌てて毛布を被り、ソラ先生から隠す。
「ばか。脱がせたのは私だ。今さら恥ずかしがってもおせぇよ」
「で……な…………えぇ?」
 毛布の中で身じろぎする体が、ウソのように軽かった。
 その感覚に圭介は、一瞬だけ見た自分の胸を、股間を、両手でまさぐった。記憶の中にある、みっともないくらいにでっかいおっぱいも、脂肪のたっぷりついたお尻も無くなっていた。股間には、あの『肉の亀裂』ではなく、標準よりちょっぴり小さい仮性包茎のちんちんが、小さいながらも自己主張している。
『男…………え? …………もどっ…………た??』
 呆然としている圭介をたっぷり30秒は見つめてから、ソラ先生が口を開く。
「生理が始まったんだ」
「……生理?」
「そ。私は言ったよな?
 お前が男に戻るには、お前を女にした健司から離れて新しく女に惚れるか、それとも男とイッパツやって膣内に精液を感じ、精神にも肉体にも過剰なストレスを感じさせるしかない……って。
 お前の身体は、男として生きるか、女として生きるか、よりストレスの少ない手段で確実に子孫を残そうとしている。
 だから、どちらかの性に固定する前に、どちらかの方法をとれば」
「男に戻れるかもしれない……」
「そうだ。ところがお前の身体は、女性体であれば当然あるべき生理を、精神的にも肉体的にも、子孫を残す上では障害となるほどの過剰なストレスだと感じた。
 精神的には、もっと他の要因があったのかもしれないが、確かに女性であっても肉体的に、これ以上身体に負担をかける生理現象は無いからな。
 しかも第二時性徴から準備期間を経て体験したものではなく、つい3週間前まで男だったお前には、酷なほどのタイミングで。つまり、まあ……簡単に言えば」
 ソラ先生は、そこで一旦言葉を切り、圭介をじっと見つめた。
「お前が女であることに強いストレスを感じたから、身体が女である事を『拒否』したんだ」
「…………そんな……」
「そんな?」
「あ、いえ……」
「お前、男に戻りたいって言ってたじゃないか。なら、良かったんじゃないか?」
「……それは……そう……ですけど…………」
 久しく失っていた陰茎の感覚。
 毛布の下で、右手で握ってみる。まだ手の感覚は鈍いけれど、陰茎に感じる感覚は確かだ。括約筋に力を込めると、“びくっ……びくっ……”と動き、はねる。それは男性の象徴であり、アイデンティティの根幹を成すもの。
 なのに、この胸のもやもやはなんだろう……。

 ――――なんだか、嬉しくない。

 確かに「男に戻りたい」と思っていたはずなのに。
 どうしてだかわからない。
 でもうれしくない。
 ものすごい喪失感が、あった。
 大切なものを無くしてしまったような気がした。
 胸にぽっかりと、大きな穴が開いてしまったような。
 余分な肉が付いて、動くだけで“ふるっ”と震える体が、ひどくいとおしいと思った。
 あの身体こそ自分の本当の身体であり、この男の身体の方が偽りの……“ほんとうじゃない”身体に思えた。
「まだ、混乱しているだけだ。じきに慣れるさ。女の体になった時も、すぐに慣れただろう?」
 確かにそうだ。
 でも。
「……女に戻りたいか?」
「っ…………まさか…………」
 無理矢理、笑みを浮かべた。
 17年間慣れ親しんだ体よりも、たかだか一ヶ月にも満たない間だけの身体の方が“しっくりきていた”なんて事は、言えるはずも無かったのだ。
「圭介」
 ソラ先生が、まっすぐ見つめていた。
 その先生の顔が、ゆらゆらと滲んでいる。
 あれ? と思う間もなく、圭介の目から、涙がこぼれた。
 自分でも理由のわからない、なんだか妙に冷たい、そんな涙だった。

「……圭介」

 目を瞑った。
 もう、闇しか見えなかった。
 闇しか見たくなかった。

「…………圭介」

 胸が、苦しい。
 切なくて苦しくて、どうしてだかわからないままに哀しかった。
 その哀しさが、胸を重く押し付けていた。

「圭介」

 ソラ先生の声が、耳朶を叩く。

「……圭介、どうした? 苦しいのか?」
「…………っ…………」
 肩を揺り動かされ、圭介は“ぱちり”と目を開けた。
 そこには白い天井があり、仕切られたクリーム色のカーテンから半分だけ、明るい光を放つ蛍光灯が覗いていた。
『同じ……』
 現実は現実だ。
 目を瞑ったからといって、逃れられるわけはない。
「痛むか?」
 ベッドの側で、ソラ先生が顔を覗き込んできていた。蛍光灯の逆光と、目が涙で滲んでいるためにどんな表情をしているのかまではわからない。それでも、彼女の右手が自分の髪を優しく撫でているのだけは、わかった。
「……夢の中で誰かにいぢめられたか? 泣いてたぞお前」
「……せん…………せ? ……」
 口の中が粘っこい。カラカラに乾いた口内で集めた唾液を飲み込み、ひりついた喉を少しだけ癒す。
「水が欲しいか?」
「……これ…………夢……?」
「は?」
 訝しげに眉を顰めるソラ先生の顔を見て、圭介はようやく理解した。そして、掛けられた毛布の中でそろそろと右手を動かし、股間に手を当てる。そこには男のアイデンティティを担う肉の屹立など無く、ただのっぺりとした布地の手触りだけがあった。
『…………さっきのが…………夢…………』
 男に戻ったのではない。
 その認識に圭介は小さく息を吐(つ)き、そしてそれが安堵の吐息なのか落胆の吐息なのか、自分でもわからなくなって下唇を嘗めた。
「おめでとう…………と言うべきかな?」
「…………え?」
「ようやく不安定期は脱したようだ。もうお前は肉体的には完璧な女だよ」
 …………ショックは、無かった。
 ただ、「ああ、そうなんだ」とだけ、ぼんやりと思った。
「もう“男には戻れない”……ってこと、ですか?」
 彼がそう聞くと、ソラ先生は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま苦虫を噛み潰したような顔をして、
「…………いや、そうでもない…………かもしれなくはないような気がしないでもない」
 ……なかなかに判別の難しい表現で答えた。
「……どっちですか……」
「……すまん。お前は、私達『星人』とも純粋な地球人とも、微妙に肉体形質が異なるからな。正直…………わからん」
 『星人』でも地球人でもないとしたら、ボクはいったい何者なんだろう?
 ふと圭介はそう思ったけれど、口には出さずにおいた。
「ただ、不安定だった生体機能が安定したのは確かだ。でなければ生理など来んよ」
「……やっぱり生理…………ですか……」
 じっとりと身体が汗ばんでいる。気がつくと、ソラ先生がタオルで額の汗を拭ってくれていた。
「お前の両親には連絡したが、涼子さんは収録が長引いたとかで、ここに来られるのは10時を過ぎるそうだ。くれぐれもよろしく頼むって何度も何度もしつこいくらいに念を押されちまったよ」
 ソラ先生の言葉が、頭の中を素通りしていく。
『生理…………か……』
 実感が無かった。
 自分に“そんなもの”が来ただなんて、ごく普通の男だった3週間前の自分が知ったら、「冗談言うな。ばーか」とでも言って鼻で笑いそうな話だ。
 けれど、下腹部に感じる違和感と“しくしく”とした痛みは現実だ。しかも、少し前から“おりもの”だってあったのだから、いずれ必ず来る事はわかっていたはずだ。それでも実感がわかないのは、圭介自身がその事実から目を逸らしていたからに違いない。
『…………なんか、下痢ピーでうんち我慢してるみてー……』
 痛みを感じる部位は腸ではないはずなのだけれど、子宮とは位置が近いため、そう思う(錯覚する)のかもしれなかった。
『下痢の時と生理の時に働く痛点って、実は同じだったりして……』
 圭介は、生理と下痢をいっしょくたにする……なんていう、狂信的フェミニストや女性信奉者などに噛み付かれそうな事を思いながら自分の下腹部を撫でた。心なしか、おっぱいもなんだか張っているような気がする。どんよりとした、ちょっとだるいような気分は、何も起きたばかりだから……というわけでもないのだろう。
「どうした?」
「あ……いえ……」
「乳房が張ってるのか?」
「……どうしてわかるんです?」
 圭介の問いに、彼女は口元を右端だけ少し引き上げて笑う事で答えた。考えてみれば、保健体育の授業の時の担当はソラ先生なのだ。生理の時に女性の身体がどんな風になるのか……なんていうのは、知識としてはわかり過ぎるほどにわかっているのだろう。圭介はそう思った。
 本人には、生理も…………いや、ひょっとしたら子宮も、卵巣すらも無いかもしれないというのに。
「生理になった全員が全員、そうなるとは限らないんだが…………どれ、ちょっと見せてみろ」
 そう言いながらソラ先生は、遠慮無く圭介の身体に掛かった毛布を捲り上げた。汗を吸った服が、気化熱で“すうっ”と冷えた気がする。
「起きられるか?」
「……はい」
 下腹部が“しくっ”と痛んだような感じがしたものの、激痛……というほどでもない。鈍く、腰周り全体が重たくなったような感じの方が強い。
「…………これ……」
 圭介はベッドの上で身を起こすと、自分が制服を着ていない事に気付いた。学校指定のジャージを、ファスナーまでしっかりと閉めて着ていたのだ。
「あ? ……ああ、雨で濡れてたから、着替えさせたんだ」
「先生が?」
「健司が」
「は?」
「冗談だ」
「…………悪い冗談です」
 “かああ……”と全身が熱くなる。きっと顔もトマトのように赤くなっているだろう。そう思うと、圭介はソラ先生の顔がまともに見られなかった。
「んぅあっ?」
 “ジッ”とファスナーを手早く下ろされ、そのイキオイのまま不意に“ぺろん”と汗を吸ったシャツを捲り上げられた。
「ひゃぅ……」
 ぶるんっとまろび出た乳房は、ブラには包まれていなかった。
 圭介は思わず、両手で揺れ動く重たい乳房を抱えるようにしてソラ先生の視線から隠す。胸が急に大きくなった時、彼女には触診までされ、そしてバストサイズを測ってもらったりもした以上、恥ずかしがる必要は無いはずなのだけれど、あの時とはまた事情が違う。今日はなんだか、裸の胸を他人の視線に晒す事が、ものすごく恥ずかしいのだ。
「……可愛い声出すな。……襲いたくなっちまう」
「冗談でしょ?」
「だと思うか?」
 ぷにぷにとしたほっぺたを真っ赤にして上半身を傾け、両手でいっしょうけんめい乳房を隠そうとしている姿は、同性(?)である彼女から見ても、ちょっと“クる”感じだ。
 世界を股にかけて飛びまわる世紀の大怪盗の三代目なら、「ふぅじこちゃあぁ〜〜ん!」などと言いながら脱出系パフォーマーの女性ですら驚きそうな脱衣をしつつベッドにダイブするところだ。
 …………もちろん、美智子(ソラ先生)にそんな特技があるはずも無いが。
「ほれ、手をどけろって」
「あっ……」
 圭介の体を“ぐいっ”と強引に起こし、両手を掴んで体の横に押しつける。そして「動くなよ?」と言いながら“ぷるぷる”と動く白い肌の乳房を“ゆさり”と両手で包み込んだ。
「んっ……」
 乳首が敏感になっている。
 ソラ先生の手が触れただけで体内を走った、“ぴりっ”とする電気のような刺激で、圭介はそれを実感した。
“もにゅ”
“たぷっ”
“ぽにゅ”
 ……と、ソラ先生の細い指が圭介の重たい乳房をゆっくり優しく捏ねる。圭介は時折“ぞくり”と走る甘い痺れに耐えるように、唇を噛んで彼女とは反対側に顔を逸らし、目を瞑った。
『…………十分、“満ちて”いるな』
 触感と、乳暈の濃い色、ぽってりとした厚み、それに圭介の体から届く芳しい“香り”に、彼女は満足そうに目を細めた。
 ホルモン分泌は正常に行われ、卵巣も活動を活発化させている。乳腺の発達も申し分無いし、健康状態も良好だった。特に問題らしい問題も無く、いや、むしろ十分過ぎるくらいに、圭介の体は完全に女性としての機能を成していた。
『出来る事なら卵子のサンプルも欲しいし、外陰部と膣腔も観察したいところだが…………』
 彼女の指の動きに、耳どころか首筋まで綺麗なピンク色に染めながらいちいち反応する圭介の横顔を見て、彼女は彼に聞こえないように「くすっ」と笑った。
『これじゃ、ムリだな』
 服を脱がせ、経血を拭き、それなりの処置はしたものの、その時は川野辺由香が側にいたため、ゆっくりと観察も膣内粘膜サンプルも取れなかった。眠っている間に摂取しようかとも思ったけれど、今はまだ経血サンプルが手に入っただけでも良しとすべきだ……と、彼女は思う事にしたのだった。
『まあ……いざとなれば、いつでも摘出は出来るしな』
 卵子摘出するだけなら、眠らせ、本人がそれと気付かぬ間にしてしまう事は可能だ。
『…………涼子さまが許してくれたら……だけど』
 圭介を溺愛している女性の顔を思い浮かべて、彼女は小さく肩をすくめた。
 彼女の事だ、自宅には『窓』(空間と空間を“繋げた”際に出来る双方向転位のための穴)が開けないようにフィールド(不可視物理防護壁)を張り巡らせているだろうし、第一、彼女の許可を得ずにそんなことをすれば、どんな“お仕置き”をされるか。
『ネズミに意識を繋がれて、生きたまま猫に食べられるのはもうイヤだしなぁ……』
 あの時の事を思うと、ぶるるっと体が震える。
「あの……」
「ん?」
「…………いつまで…………」
 ほっとくといつまでも“もにゅもにゅ”と乳房を揉んでいそうなソラ先生に、圭介はちょっとだけ息を乱しながら問いかけた。
 目が潤んで、心臓の鼓動がいつもよりずっと激しく打っている。
「あ、ああ、すまんすまん」
「…………それで……なにかわかりました?」
「は?」
「…………は? ……じゃなくて」
「ん?」
「…………あの…………胸……触ったのって……」
「いや、久しぶりにちょっと触ってみたかっただけだ」
 圭介は“ぺしっ”と彼女の両手を乳房から払うと、“ぶすっ”とした顔でさっさとシャツを引き下ろし、御丁寧にジャージのファスナーを首まで引き上げてみせた。
「ところで先生」
「ん?」
「ひとつ聞いてもいいですか?」
 ふう……と一息吐いてから、圭介は、にやにやと笑うソラ先生の顔をなんとも言えない顔で見やる。まるで人生の全てに絶望したような、はたまた、みんなが薦めるインディーズCDを期待を込めて聞いてみたらとんでもないハズレだった…………とでもいうような、そんな顔だ。
「なんだ?」
「どうしてボク、ブルマ履いてるんですか?」

 しかも赤だった。
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