■感想など■

2009年07月16日

第12章「お母さんになれるということ」

■■【7】■■
 圭介の母――涼子が、テレビ番組の収録を終えて学校にやってきたのは、それから20分も経っていない頃だった。
 どこで買ってきたのか、両手には赤飯の入ったスチロール製の箱がいっぱいに入った、全国でも有名なデパートの袋を下げている。そのデパートはこの季節、午後8時には閉店してしまうため、おそらく連絡が行ってすぐにマネージャーか誰かに買いに行ってもらったのかもしれない。
 それにしても……と、出迎えた美智子はなんとも言えない気分になった。
 なにしろ、黙っていればクールな美人で通る顔が、まるで初めて飼ったペットの子猫に御土産を持って帰る一人暮しのOLみたいにデレデレに笑み崩れていたからだ。
「どう?」
 おすそわけ……と、満面の笑みを浮かべながら箱の一つを保健室の机の上に置いたビニール袋の中から取り出し、それから涼子はスキップでもしそうな足取りでベッドに近付いた。
「今、寝入ったところです」
 声を潜め、「起こしますか?」と口の動きだけで伝えた美智子を、涼子は手で押さえるようにして制した。そのまま左手の指を紅い口元に立てて、「し〜〜……」と静かに囁くと、空き巣に入る泥棒のような足取りで、そろそろとベッドのカーテンを開き、中をそっと覗き込む。
 涼子の溺愛する息子…………いや『娘』は、こちら側へ身体を向けて横になり、ちょっと首を傾げたような形で静かな寝息を立てていた。ぷくぷくしたほっぺたを思わず突付いてあげたくなるくらい、ひどくあどけない表情をしている。
 ぷっくりとした瑞々しい唇はうっすらと開き、その隙間からは並びの良い真珠のような白い前歯が楚々と覗いていた。時々、可愛らしい鼻がぴくぴくと動いて、それは“おっぱいをたっぷりと吸って食後の眠りを貪る子猫”そのもののように見える。
 涼子は“そ〜〜〜……”っとカーテンから身を引くと、目をぎゅっ! と瞑ったまま、美智子に向かって「たはぁ〜〜〜〜っ」とか言いながら両手を“ぶんぶん! ”と体の前で小刻みに振ってみせた。ブラウスを下から押し上げている、目を見張るほど豊かな乳房が“ゆさゆさぷるぷる”と盛大に震えるのを見ると、美智子は『やっぱり重たいんだろうなぁ』などと、この場に全く関係無いことをぼんやりと思ってしまう。
「……なんとなく想像はつきますけど一応聞いてみます。……どうしたんですか?」
「〜〜〜〜〜〜っ……か〜〜〜〜わ〜〜〜いぃ〜〜〜〜〜〜っ…………」
 声を潜めて身悶えする己の…………『星人』のコミュニティ全体を束ねる“リーダー”を見て、美智子は『やっぱり…………』と、小さく溜息をついた。

 ようやく落ち着いた涼子が、紅潮した顔をふにふにとゆるめながらキャスター付きの丸椅子に座ると、美智子は「コホン」と咳払いをして隣の学生相談室へ移動するようにジェスチェアしてみせた。『心話』で話してもいいのだけれど、カチューシャを外した今の圭介の側では、しない方が良い……という判断だ。自分でコントロールする術を持たない圭介は、たとえ睡眠下であっても、『心話』を無防備な心で感じ取ってしまう恐れがあるからだった。
「で、どうだった?」
 防音された部屋に入って椅子に座ると、美智子が扉を閉めるか閉めないか……のタイミングで、涼子はなんとなく“わくわく”したような顔付きで目を輝かせながら聞いた。
「限られた機器だけでの検査ですから、確定は出来ませんが…………恐いくらい順調です。
 急激な成長ではありましたが、乳房の乳腺も十分に発達し、卵巣も子宮も、完全に女性体の機能を有しています。
 女性ホルモンを始めとする各ホルモン分泌も申し分無く、脳下垂体や黄体の働きにも何ら異常はありません。
 マトリクス・スフィアも正常かつスムーズに移行し…………今後、段階を経た上で、それなりの身体機能調整が必要ですが、地球人類の男性体からの『精子注入』で自然受胎は十分可能かと考えられます」
「…………ふぅ……ん…………」
 手に何も持たず、美智子はすらすらと調査結果を告げてゆく。その報告を聞くにつれて、涼子の瞳が真剣味を増していった。
 その目は、いつもの“ぽやぽや”とした子煩悩な母親の目ではなく、長きに渡って『星人』をまとめてきたリーダーの目だった。
「なお、女性への『変体』によって……その……若干ですが記憶の混乱・欠損・補完が認められます。
 ……ですがそれは、自我の保護機能反応の予想範囲内であり、今後の生活においては、何ら問題は無いでしょう」
「御苦労様」
「…………出来れば、その……」
 言い淀む美智子へ、涼子は無言で促す。
「彼……彼女の卵子と子宮内膜のサンプルが欲しいのですが……」
「今は……それはダメ。もう少しけーちゃんが心身共に落ち着いたら、そしたら考えましょ?」
 真剣な目付きの涼子は、ちょっと恐い。心の底まで見抜かれてしまいそうな、闇を塗り込めた漆黒の瞳だった。
 美智子は慌てて唇を舌で湿らせると、
「しかし、このままの状態では、たとえ排卵期に十分な回数だけ性交を行っても、正常に受胎可能かどうかの確定は出来ませんよ?」
「もう……みっちゃんったらせっかちね。何も、けーちゃんだって今すぐえっちする……ってわけじゃないんだし。もっと気長に構えてもいいんじゃないかしら?」
 予想出来た答えに、美智子は心の中で嘆息してしまう。
 涼子の「気長に」というのは、この星での数年間だ。
 けれど、今の圭介に必要なのは、それこそまさに「今、この時」なのだ。
 そしてそれは、他ならぬ涼子にとってもそうであるはず。
 それがわからない涼子でもあるまいに…………と思いながら、美智子は隣室のベッドで眠る『姫君』を思う。
 『王子』である事よりも『姫君』であることを選んだ「彼」の身体は、眠りを覚ましてくれる『王子』をじっと待っている……。
 気が熟した時に「それ」を受け入れる自覚が無ければ、また、自覚があっても身体の準備が整っていなければ、『姫君』の身体は再び多大な負担をこうむる事となる。
 地球人類のマトリクスを半分受け継いでいる「彼」が、「変体」時に受ける肉体的なダメージは計り知れない。下手をすれば次代に継ぐべきマトリクスそのものが、修復不可能なほど破損してしまうかもしれないのだ。
「そんなに気になるんだったら…………そうね、もう少し“刺激”を強めてもいいかもしれないわよ?」
「“彼女”からのアプローチを強めろ……と?」
「みっちゃんがそう判断するのなら。学校ではみっちゃんに全て任せてあるんだし」
「それは……そうですが……ただ……」
「ただ?」
 言い淀む美智子を促し、涼子は一転してどこまでも澄んだ瞳で彼女を見つめる。
 美智子は、先ほど圭介が言った言葉を、そのまま彼女へと伝えた。
「……そう……。けーちゃん……そんな事を……。じゃあ、なおさら急ぐ必要は無いわね。
 けーちゃんの気持ちがきちんと落ち着いて、納得して…………そうじゃなくちゃ、健康で元気な赤ちゃんなんて望めないわ」
「……そういうもんですか?」
「そういうもんよ。自然妊娠の期間は、5/6公転周期にも及ぶんだから。みっちゃんも、生徒に教えてるんだから知ってるはずでしょ?」
「それは……そうですが…………知識だけです。実感はありませんから」
「けーちゃんの『相手』は、やっぱり“あの”健司君よね?」
 涼子は「あの」のところで、妙にアクセントをつけて言った。
「…………そうですね」
「適正は?」
「予想はしていましたが、この間の健康診断でサンプリングした血液から……十分にあります」
「……まあ……当然……といえば当然よね。なにしろ彼は」
「涼子さま」
 美智子は、涼子の目に一瞬だけ暝(くら)い色が過(よ)ぎるのを見止めた。
 彼女の危惧するのはまさにそこなのである。ある意味、圭介と健司には時間が残されていないからだ。気長に待っていたら、叶うものも叶わなくなってしまうだろう。
 そんな美智子の思惑など気付かないかのように、涼子は不意に“にこっ”と笑ってさらさらとした長い黒髪を掻き揚げた。
「みっちゃんも、赤ちゃん産んでみたい?」
「…………私はいいです。その資格もありませんから、もう諦めてます」
 『星人』の『システム』に組み込まれた『プログラム』が美智子の因子をはじいてしまうため、美智子は涼子とは違い、自分の遺伝因子を地球人のものと掛け合わせる事が出来ない。完全な“子”を作る事が出来るのは、涼子ただひとりなのだ。
 それを知っていてなお彼女が、『プログラム』へのアクセス権限が無い美智子にあえて「子供を作りたいか?」と聞くのは、涼子の美智子に対する意思確認のためかもしれない。
「圭介を自分の子のように考えてくれているか?」
 という、『母親』としての彼女が言わせた言葉なのだ……と、美智子は思っている。
 それはとりもなおさず、自分と美智子の越える事の出来ない立場の違いを、暗に提示している言葉でもあった。
「そう? ………………そう、ね。でも、みっちゃんならいいお母さんになれそうなんだけどな」
「やめてくださいよ。…………それになんですか? さっきからその『みっちゃん』っての」
「可愛くていいじゃない?」
「可愛くなくていいです」
 美智子は、ホストクラブで海千山千の大得意様に弄ばれる新人みたいな、どうにも情けない顔を涼子に向けた。
「じゃあ、『みーたん』」
 “んふっ”と、人差し指を立てて首を竦めながら、コケティッシュ微笑んでみせる姿……というのは、「ナイスバディ&クールなイメージで売っている歌手兼女優」であるところの、外見年齢30歳を越えた妙齢な女性がするようなポーズではない……のかもしれない。けれど涼子には、そんな姿でさえも妙にマッチしてしまうようなところがあった。
 そんな涼子を、美智子はなんとも言えないような顔で見た。
「…………私、この身体になる前は一応『雄体』だったんですよ?」
 美智子が、かつて野犬の身体を模して創った肉体は、「雄体(オス)」だった。彼女が人間の女性体になってからも今ひとつ「女性らしくなれない」のは、その「雄体」が環境に左右された時に同時に取得した性質のためかもしれない。
 少なくとも美智子自身はそう思っていた。
「でも今は女の子でしょ? だからみっちゃん。はい、決まり」
「…………も、いいです。好きに呼んで下さい……」
 両手を“ぽん”と胸の前で合わせてにっこり笑う涼子に、美智子はぐったりと疲れたように笑った。

         §         §         §

 圭介が目を覚ました時、傍らには母がいた。
 母は、何も言わず…………ただ“にこり”と微笑んで、彼の汗ばんだおでこに張り付いた艶やかな黒髪を指で除けて整え、そのまま頭に手を置いて、優しく優しく……まるでガラス細工を愛でるように“なでなで”といとおしげに撫でた。
 もぞ……と体を動かせば、パンツの中のナプキンが生み出す“どうしようもない違和感”が、圭介に「とうとう生理が来た」という愕然としてもいいくらいのショックな事実を、抗いようの無い『現実』として突きつける。そして腰を動かすと、そのたびに“しくっ……”と下腹部が重く、引き攣るように痛み、不自由でままならない「オンナの生理機能」を圭介に意識させた。
 けれど、なでなで……と、優しく慈愛に満ちた母の手の動きに、小波(さざなみ)が立つかと思われた心が、ゆっくりと凪(なぎ)を見せてゆく。
 お尻の後から経血が漏れてしまうかもしれない……という恐れから、仰向けになるのは抵抗があったけれど、パンツの中身が「後漏れ無しのスーパー(……なんとか)」という夜用ナプキンだった事を思い出して、圭介はゆっくりと体を仰向かせた。
 自己主張激しいたっぷりと重たい乳房が、体の上で“ゆさっ”と揺れる。濡れてしまったブラは外してしまっているため、なんだかいつもよりも胸が重たく感じた。
 その乳房が、少し張っているように感じる。シャツの裏地に擦れる乳首も、いつもよりずっと敏感になっていて、少しだけ“ちりちり”とした刺激がしつこくわだかまっていた。
 ――――溜息が出る。

 完全に『女』になってしまった。

 改めてそれを思う。
 17年間男として育ち、生きてきて、心に積み重ねられた記憶とアイデンティティ。それがどんどん揺らぎ、薄れ、そして春風に吹き散らかされる雲のように拡散してゆく……。
 たった3週間の間に起こった出来事が、母に頭を撫でられながら次々に脳裏に浮かんでは消えた。
 体が変化し、他の女子に混じって学校生活を送るうちに、アイデンティティの根幹をさらに揺さぶるかの如くいやらしい夢を、数日間立て続けに見て、「女の快感」にどんどん目覚めていった。目覚めたくて目覚めたわけではないものの、その「男とは全く違う快美感」に体を、意識を、じわじわと「侵され」て「受け入れて」しまったのは、紛う事なき事実だった。
 そして更なる肉体の変化…………乳房が(体のサイズからすれば)異常なほど膨らみ、より「オンナ」を意識させる体となった。
 不自由で、どうしようもなく羞恥を喚起する重たい乳房をなんとかしたくて、由香と共に下着を購入しに出掛けたのも、「オンナの意識化」を促進させた一因だろう事は間違い無い。
 そして、あの電車中で男達にイメージで散々に犯し抜かれた事が、自分は「女なのだ」という認識を強く強く刷り込んだ。

 オンナの身体で、

 オンナの下着を身に着け、

 オンナの化粧をして、

 オンナの快美感に酔い、

 オンナの中で生活する。

 「男だった自分」を思い出させるものが乏しい生活が毎日続き、それでも「女には出来て男には絶対に出来ない事」……つまり「子を孕み、産む」という、“女の女たる体機能”の、その兆候がまるで無い事だけが、圭介を「かつて自分は正真正銘の男だった」という失われつつある事実を記憶に留めさせていた。
 それが、とうとう今日…………最後の「糸」が切れてしまった。
 「男だった自分」と「今(オンナ)の自分」を辛うじて繋ぎとめていたものが、“ぶつり”と音を立てて断ち切れてしまった。

 ――――――ボクはこれから…………。

『どうすればいいんだろう…………どうするべきなんだろう…………』
 保健室の白い天井を見ながら、圭介はどんどん視界がぼやけ、滲んでいくのを、まるで他人事のように感じていた。
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