■感想など■

2009年07月17日

第12章「お母さんになれるということ」

■■【8】■■

 ――――ショックを受けて“気が遠くなる”…………という感覚を実際に経験したのは、実を言うと今日が初めてかもしれなかった。

 小さい頃、近所で事故があった時、その事故現場を見た事がある。
 普通の幹線道路から細い横道に入ろうとした中型バイクが縁石に乗り上げ、転倒。
 速度を十分に落としていなかったのか、横転したバイクに引き摺られるようにしてライダーがアスファルトの上で大根のように「おろされ」て、血や肉や衣服の切れ端を道路にこびり付かせた。
 子供心にも、その現場は凄惨なものだった。ライダーに意識があり、救急車が来るまで「痛い、痛い」と呻いていた事も、その凄惨さに拍車をかけていた。
 そんな事故現場を目の当たりにしながらも、幼い圭介は気が遠くなったりなんか、しなかった。

 ――――で、トイレの中だった。

 生臭い血の匂いの充満する中、真っ白な便器の素肌で“べっとり”と花開いた赤黒い大輪の花に、圭介は今にも卒倒しそうになっていた。
 つい数秒前のことだった。
 股間から伸びる白い紐を引っ張って、血を吸ってぶくぶくに膨らんだタンポンを膣内から引っ張り出したら、“ぽたっ”と垂れ落ちたものがあった。
 見れば、それは生のレバーにそっくりな血のカタマリで、親指ほどのソレが血溜の中、ずるずると便器を滑り落ちて行くのを、圭介は呆然と見ているしかなかった。
 「大抵、2日目の方がすげーんだ。重いし痛いし血がどばーっ! だ。覚悟しとけ」と言ったソラ先生の言葉に、ワケも無く納得する。
 するしかない。
 目の前に現実を見せられれば。
「うう〜〜〜……う〜〜…………」
 下腹部を引き絞られるような痛みは、昨日よりずっとひどい。さっき飲んだ生理痛の薬は「空腹時には避けて」……と書いてあったけれど、ホントに、マジで、心の底から、そんなものを律儀に守っていられるような状況じゃあ、なかった。リビングの薬箱に入っていたその生理痛の薬(よく考えたら母には生理など無いはずなのに、しっかり用意されていた)を飲んでからは、もうずっと一刻も早くこの苦しみから解放される事ばかり考えている。
「けーちゃん、だいじょーぶ?」
 トイレのドアをノックしながら、いつものように迎えに来てくれた由香が心配そうに声をかけてくるけれど、
「だいじょーぶ……じゃー……な……いー…………」
 うめき声なんだか悲鳴なんだかわからない声で返すのが精一杯だった。

 他の女性が同じかどうかはわからないけれど、圭介の場合、腰が重たく、じんわりと鈍く痛い。まるでグラウンドの草むしりを中腰のまま数時間こなした後の筋肉痛……みたいな感じだ。
 内臓からは、カキ氷を5杯くらい一気に食べて、電光石火のイキオイで下痢ピーになり、しかも近くにトイレが無くて1時間ばかり耐え忍んでいたような痛みが“しくしく”と、“ずくんずくん”と押し寄せてくる。
 ただ、下痢のように流便を出してしまえば一応は収まるのとは違い、出血は下痢のように自分でコントロールは出来ないし、今だって不意に“ぬるっ”とお腹の中から垂れ落ちてくる感覚は、とてもとても居心地が悪かった。
「そんなに重いんなら、やっぱり今日は休む?」
「…………いくぅ…………」
「……ほんとーに、だいじょーぶ?」
「だい……あぅ…………んっ…………ぁあ〜…………」
「…………け……けーちゃぁん……なーんか、声がえっちだよぉ?」
 笑ってやがる。
「ばっ…………おまっ…………」
「はいはい。落ち着いたら出て来てね?」
 まるで子供をあしらうような由香の言葉に、言い返せないのが悔しい。けれど向こうは生理痛の大先輩(?)なのだ。人生の終わりみたいな情けない声を出している新米生理痛女の言い分など、聞いてくれないに違いない。
「……これからは毎月あるんだから、今からそんなんじゃ困っちゃうよ?」
 ……ほら、呆れてる。
「呆れてるんじゃないの。心配してるの」
「なんで……」
「“なんでボクの思ってる事がわかったの? ”って言いたいんでしょ? わかるよぉそれくらい。
 誰でも初めての時は不安で心細いもん。
 もう生理が来てる子には馬鹿にされるんじゃないか? とか、まだの子からは何大袈裟にしてるの? って呆れられたりするんじゃないか? って。私だって、いろいろ困ったり不安だったりしたもん」
「そん……」
「そんな風には見えなかった、でしょ? けーちゃんや健司くんみたいな男の子といっつも一緒にいるとね、それなりにいろいろ見えない努力しなくちゃいけないから大変なの。これからはけーちゃんが努力しなくちゃいけないから、私がいろいろ教えてあげるね?」
「…………うん……」
「いい返事。素直なけーちゃんって可愛いよ?」
「ばか」
「出来るだけ早くしてね? あと20分以内に出ないと遅刻確定だから」
 圭介は、まだパジャマも着替えていないのだ。早くトイレから出て着替えないと、本当に遅刻してしまう。
 はるかちゃんに「生理痛で遅れました」なんて、口が裂けても言えるはずが無い。
 ウォシュレットのビデで股間を洗い流すと、ピンク色の水が便器に流れて赤い花を押し流してゆく。煮凝(にこご)りのような赤茶色い血のカタマリを見ないようにしながら、パンツに新しい「ふつう用」ナプキンを貼り付けた。

         §         §         §

 結局、昨日は家に帰り着く頃には、夜の11時をすっかり過ぎていた。
 家に帰ると父親が満面の笑みを浮かべながら待ち構えていて、ドアを開けた途端クラッカーを3つも同時に鳴らした上、親子の熱い抱擁を所望したのでそのまま顔面に鞄を叩き込んでブチ倒しておいた。生理痛でさえなければ思い切り力を込めたチョークスリーパーホールドで“落として”いるところだったけれど、それでもたぶん数分後には何も無かったかのようにテーブルでビールをぐびぐび飲んでいただろうから、無理をおしてまでしなくて良かったのは確かだろう。

 案の定、食卓では、いつになくハイになっている父親が「これからは女として」だの「近所の人たちに」だの「名前もいつまでも『圭介』じゃマズイかもなぁ」だの……散々好き勝手言いながらビールをぐいぐいとやりつつガハハと笑うものだから、すっかり毒気を抜かれてなんだかもうどーでも良くなってしまったのは確かだ。
 ところで、母が両手いっぱいに持っていた赤飯はどうなったか? というと、とりあえず1つだけ開けて家族3人で食べた。圭介は気分がすぐれなくてあまり食べたくなかったけれど、母に「縁起物だから」と言われ、それでも茶碗に半分弱だけもそもそと食べたのだ。
 一箱で4人分は優にある箱が全部で10箱もあったけれど、余った赤飯を見た圭介が
「それ、どうするの?」
 と聞くと、なんと母は実に嬉しそうに微笑みながら
「近所に配るの」
 と、のたまった。
 圭介は半分泣きそうになりながら「頼むからやめて」と睨みつけたけれど、あの母親がどこまで真剣に聞いてくれていたかは甚だ疑問だった。たぶんきっと、いや必ず、圭介が学校に行っている隙を突いて、『御報告』がてら近所に配りまくるに違いない。
 そして圭介が学校から帰る頃には、最近「彼女」だった事が公になったばかりの「彼」に、今度はめでたく生理がやってきた事を、町内では誰も彼も当然のように知っているに違いないのだ。
『うわ、いやだ』
 トイレの中で頭を抱えて圭介はうめいた。
 そんな事になったら、公私共にすっかり「女」として認知されてしまい、もう男に戻る道は完全に塞がれてしまう気がする(もし男に戻ったら、引っ越さないといけないのだろうか?)。
 とはいえ、あの大量の赤飯を母が配る前にさっさと隠してしまおう……と思ったものの、敵もさる者、一体どこに隠したのか、今朝を迎えた時には既に大量の赤飯箱の姿は、杳(よう)として知れなかった。

 圭介は溜息を吐(つ)きながら、手にした新しいパンツにナプキンを貼り付けると、今度は初心者用のミニサイズタンポンを手に取った。
 処女膜が無い……というのはどうやら本当の事のようで、ミニサイズとはいえ、アプリケーターを苦労して挿し込んでみても(「濡れてない」ことによる、引き連れたような痛み以外は)それほど痛みも抵抗も無く、驚くほどすんなりと装着(?)が完了してしまった。
 「体内に異物を入れる」という事に関して、指を入れる事すら抵抗があるのに、自分でもよく決心がついたものだと圭介は思う。
 ナプキンとタンポンの併用を提案したのは母だったけれど、ナプキンが1時間から2時間で替えなければならないのに対して、タンポンは6時間前後も交換が不要……というのが一番の理由かもしれない。
 ナプキンはそれなりに楽だけれど、やっぱり横漏れとか匂いとか、パンツにシミがつく恐れがどうしても拭えなかったし、いくら気をつけてもパンツからはがす時に“べりべり”と音がするので、どうにも恥ずかしい気がしたのだ。学校では、当然トイレで替える事態になるわけで、そうなれば同性とはいえ赤の他人に「今、ナプキン替えてます」と言いふらすみたいな気恥ずかしさがある。だから、出来る事なら、替える回数は少なければ少ないほどいい……と思ったのだ。

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