■感想など■

2009年07月18日

第12章「お母さんになれるということ」

■■【9】■■
 昨日の大雨がウソだったかのように、今日は朝から快晴だった。
 梅雨時ではあったけれど、さすがに神様もそうそう意地悪ばかりするわけでも無いらしい。
 しっとり濡れた土の匂いと、青々と茂る草花についた輝く雫だけが、昨日の雨の名残を見せている。雲は大きく、白く、ちょっとだけ流れが早い。それでも空は青く、空気は湿り気を帯びてなお清々しかった。

 登校中、何度も鼻をひくつかせたりスカートの奥を気にしたりする圭介を、由香はずっと微笑ましい気分で見つめていた。
 「気になる?」と問えば「……うん」と小さく気弱に頷く幼馴染みが、たまらなく可愛いと思うのだ。
 けれど同時に、ひどく複雑な気分でもあった。
 かりにも彼は由香の「初恋の人」だったわけで、「実は女の子だった」と知った今でも、その「好き」という気持ちにあんまり変化は無かったからだ。それどころか、「頭撫でてあげたい」とか「ぎゅってしてあげたい」とか、「ぷくぷくしたほっぺたにちゅーしてあげたい」だとか、なんだか「私って実はヘンタイさん!?」と自分でも思ってしまうくらい「好き」のベクトルが以前より直線的で直接的になった気がする。
 今だって、不安そうな彼女のちっちゃな手を「きゅ」と握って、まるで幼稚園か小学校の生徒みたいに並んで歩いていると、胸の奥が“ふくふく”とあったかくなってくるのだ。
 貧血気味なのか、ちょっと青褪めた顔の彼女が心細げに手を握り返してくると、
「たとえ世界が全て敵にまわっても私だけはけーちゃんの味方だからね!」
 なんて気分になってくるから、ひょっとしたらこの気持ちは『妹に対するお姉さん気分』だったり『ちっちゃい女の子に対するお母さん気分』に近いものかもしれない。
 いや、誤解を恐れずに言ってしまえば、姫様を守る、騎士道精神溢れるファンタジーのヒーローみたいな気分……だろうか?
 けれど、由香自身が彼女にあげたフレグランスの香りが、そよ風になぶられた彼女の身体からほんのり漂ってくると、制服の下に隠されたあの白くて華奢で、赤ちゃんみたいにすべすべの肌の…………でもおっぱいはすっごくでっかいアンバランスな身体が瞼の裏に鮮やかに甦ってしまって、なぜかドキドキしてしまうから、純粋に母性本能とか保護欲とか、そーゆーものだけで片付けられるものでもない気がした。
 それは、以前の自分からは考えられないくらい“男性的な欲望”のように思える。
 「初恋の人」だった男の子が、ちっちゃくてか弱い女の子になってしまった……というのは、すごくすごく複雑な気持ちで、髪は“さらさら”だし、胸は「何か中に入れてる? メロン? スイカ?」なんて言いたくなるくらい“ゆさゆさ”揺れてるけれど。
『そうなんだよ……ねぇ……』
 小学校の時は、この「少年」の背中ばかり見てた気がする。
 そして、それからもうずっとずっと、自分はこの「少年」に守ってもらっていた気がするのだ。

 もちろん、気の強さはあの頃とちっとも変わっていないし、由香が馬鹿な事を言ったりちょっとトロかったりしてると相変わらず
 『ばかだなぁ』とか
 『トロイなぁ』とか
 『仕方ないなぁ』とか
 『ぐずぐずすんなよぉ』とか、言う。
 けれど、それでも「女の子のキモチ」がわかったからなのか、以前よりもキツくない気がするのだ。
 それに何より、由香が「女の子チェック」の「先生」をするようになり、女の子のことについて教えている時などは、以前より比べようも無いくらい素直に「うん」とか返事するようになった。
 一緒に御飯を食べたり、トイレに行ったり、登下校したり、買い物したりするのは、他の女の子の友達とだってしたけれど、髪を梳かしてあげたり、生理用品とかコスメ(cosmetic:化粧品)の買い物を一緒にしたり、こうして手を繋いで歩いたりするのは、圭介とが一番楽しかった。

 初恋の男の子だった「彼」と、今の「彼女」。

 自分にとって、どっちの「けーちゃん」が好きなんだろう? と考える時もある。
 「彼女」になってしまった「彼」に、今でも「恋心」を抱いているのだろうか? と真面目に考えてしまう事もある。
 もし「恋心」なら、由香は女に恋する女……“ホモセクシャル(同性愛者)”とか“バイセクシャル(両性愛者)”とか形容される、“セクシャルマイノリティ(Sexualminority:性的少数派)”に分類される事になってしまうのだろうか?

 「女の子」が好きなわけではない。

 「けーちゃん」が、好きなのだ。

 「男」だった人が、たまたま(……滅多に無い……というか「そうそうあってたまるものか」な事態だけれど)「女」になってしまった……という事だけで、「けーちゃん」は「けーちゃん」に違いないのだ。
「へへへー……」
 由香は、明るい日差しの中で手を繋いだ圭介の顔を見て、「にこぉ」と笑った。
 学校へと続く花咲く道を、大好きな「けーちゃん」と手を繋いで歩ける……という、その事実だけを胸に浮かべれば、こんなに幸せな事は無いのだ。
 そんな由香の心を知ってか知らずか、圭介は笑う由香の顔を訝しげに見つめて、
「なんだよ気持ち悪いな」
 と、男の子みたいにいぢわるでデリカシーの無い言葉を、言った。

         §         §         §

 ホームルームが始まるギリギリになって教室へ飛び込んだ圭介と由香は、入った途端、一斉にクラス中の女子の視線が集まるのを感じた。それは「敵意」とか「嘲笑」とかいうものでは決してなかったけれど、どこか「同情」とか「憐憫」とか、そーゆー……どこか“なまあたたかい”視線だった。
 「血の匂い」でもするのだろうか?
 圭介は一瞬そう思って焦ったけれど、どうもそうではなかったらしい。
 ……というのも、はるかちゃんが来てホームルームが始まり、5分ほどした頃、バイブ設定にしてあったケータイに、桑園京香からメールが来たからだ。
 それには、
【一時間目の休み時間にトイレ ブッチしたらコロス ( ̄ー ̄)ニヤリ】
 とだけ打たれていた。
 圭介の「女暦」が短い事を察して、女子高生特有の隠語や造語を使用しないでくれたのはありがたかったけれど、いきなり「コロス」というのは物騒だなぁ……と圭介は思った。

 ホームルームが終わり、そのまま一時間目の数学になると、圭介は座り続けている事が段々と億劫になってきた。薬を飲んでいる……とはいえ、腰の辺りの“重たい感じ”は全て払拭されたわけではないのだ。タンポンのおかげで、お腹の中を経血が下りてくる妙な感覚は無かったけれど、それでも生々しい血の匂いを近くの男子に気付かれてしまうかもしれない……というのは、もはや「恐怖」に近かった。
 もぞ……と腰を動かすだけでもナプキンを感じ、お尻(括約筋)に力を入れるだけでも、膣内に在るタンポンの存在を意識してしまう。下腹部の重たい感覚とそれらの“異物を当て、挿入している”感覚が、圭介に「決して男には在り得ない」「生理中」であるということを、どうしても忘れさせてくれなかった。

 そんな居心地の悪い思いをしながらようやく一時間目を終え、由香を置いて一人でトイレに行くと、そこでは既に京香が「ニヤリ」とした笑みを浮かべながら待ち構えていて、
 開口一番に、
「ねえ、けーちゃん。生理来たってホント?」
 ……と、単刀直入を“絵で描いて額縁に入れて展覧会に出品した”みたいな事をのたまった。
「ちょっ! ちょちょちょ……」
 思わず“かっ”と一気に顔が熱くなり、圭介はきれいにピンク色に染まった首筋のまま、京香の手を引いてトイレの奥まで引っ張って行く。幸い、トイレの中には数人しかいない上、奥の方の個室は空だったため、コレ幸いとついでに京香を一番奥の個室へと引っ張り込んだ。
「あら、いきなり? ずいぶんダイタンね? 乱暴にしちゃイヤよ?」
「何言ってんだよ馬鹿っあたまおかしーんじゃねーのっ?」
 声を潜めて、圭介は“羞恥”なんだか“怒り”なんだかわからない色に染まった顔を京香に向けて、まくしたてるようにして早口に言う。ところが京香はそれには全く構わず、まるでサラリーマンが酔っ払った時などに同僚へするがごとく、馴れ馴れしくも圭介の華奢な肩に手を回した上、顔を至近距離まで“ぐぐぐぐっ”と近づけて、
「で? どうなの? 来たの?」
 と、内通者に銀行のセキュリティシステムの穴を聞き出そうとする犯罪者のような神妙な顔で、圭介を問い詰めた。
「だっ…………ぅ…………」
 京香の甘い匂いと“ふにょん”としたやわらかい体に密着されて、圭介は途端にイキオイを無くし、視線を泳がせ唇を拗ねたみたいに突き出した。
 彼は、そんな仕草が京香の嗜虐心を煽っている事に気付いていない。視線を合わせようとしない圭介を見て、京香は“にやぁ……”と極めていぢわるっぽい目をした。
 それはほら、「可愛い子ほどいぢめたくなる」という、アレである。
「……んなこと……人に言うもんじゃないだろ……?」
「いいから言いなさい」
「……なんで命令……」
「言わないと、このまま襲うわよ?」
「襲う……って……」
「ちゅーする」
 ぐっ……と圭介の細い肩を抱く京香の手に、さらに“ぐぐっ”と力がこもり、彼女の“清楚なお嬢様”然とした淑やかな顔が近付く。さらりとしてキューティクルがキラキラした黒髪が、京香の肩を“するり”と滑り、自分とも由香とも違うシャンプーの匂いが圭介の鼻に“ふあっ”と香った。
「ちょ! やっ……やめっ……あっ……だっ…………」
 トイレの中だというのに、ひどく心をざわつかせる“いーにおい”を嗅いで、圭介はひとたまりもなくうろたえ、パニックを起こし、空気を求めて水面に顔を出した魚みたいに“ぱくぱく”と口を開く。
 その反応は高校生というよりも、むしろ中学生とか小学生の反応に近い。
 性に対する免疫があまりにも無さ過ぎる反応だった。
「ほれ言え。今言え。すぐ言え」
「やっ……だっ……あっ…………」
 京香の芳しい吐息が、熱くなったほっぺたに吹きかかる。
 “どきんどきん”と圭介の心臓が早鐘を打ち、唇がわななくように震えた。
「ん〜〜〜〜〜……」
「言うー! 言ういういう言うーーーっ!!」
 『ほっぺた』まで数ミリ……というところで、圭介は降参し無条件降伏した。
「最初から素直にそー言えばいいのよ」
 あからさまに「ちょっと残念」といった顔をしながら腰に手を当てて仁王立ちする京香に対して、圭介はぐったりとした様子で蓋が下りたままの便座へと座り込む。

 ――――いろんな意味で疲れ切っていた。

「それで? どうなの? 来たの?」
「…………来た」
 顔を真っ赤にして俯いたまま“ぽちょぽちょ”と呟いた圭介に、
「えー? よぉく聞こえないわぁ」
 わざと間延びした声を出しながら左耳に手を当てて見せる京香が、もんのすごく憎たらしい。
 圭介は「コノヤロー」とか思いながら息を吸って、“男らしく”断言してみせる。
「来た」
 相変わらず俯いたまま、トイレの床タイルから目が離せなかったけれど。
「え?」
「来た! って言ってんだろ!? 何度も言わせるなよ!」
「……だって。どう? 私の言った通りでしょ?」
 顔を上げれば、いつの間にか京香の手には赤いメタリックな折り畳み式のケータイが握られていて、喜色満面の京香が得意になってソレに話し掛けてた。音がしないようにストラップが一つもついてない事から、実は最初から通話状態でポケットに忍ばせておいて、タイミングを見計らって取り出したようだ。
 ポカンとした顔で見上げる圭介に向かってバッチリ決まった魅惑的なウィンクを寄越した京香は、実に楽しそうに、嬉しそうに、面白そうに、ツヤツヤとグロスの光る唇で会話を続ける。
「そう…………うん……うんそう…………やだ、ホント? …………うん……うん……あ、じゃあねー」
「…………なにソレ……」
「喜んでけーちゃん! 今日は私が奢ってあげる! 何がいい? プチケーキ? パフェ? 餡蜜? タコヤキ? マック? モス? 何でもいーわよ?」
 一人だけ蚊帳の外に置いてけぼりにされ陰気な目付きで自分を見上げる圭介の両手を取って、京香は、まるでスターに会ったファンのように胸躍らせる笑顔で振りたくる。
「…………だから、何の話だっての」
 ガクガクと体を揺すられながらも、圭介の目はちょっと恐かった。
「いやん。そんな恐い顔。可愛いけーちゃんには似合わないわ。じゃ、また後でね? 愛してるっ!」
 パチンとケータイを折り畳んでウキウキと個室を出てゆく京香の後姿を見送って、圭介は気が抜けたみたいに個室のドアを見つめた。
 それから、難しい顔をして“じっ……”と宙を見ていたかと思うと、
「賭けしやがったなコノヤロー!!!」
 突然、女子トイレ一杯に圭介のものすごく悔しそうな声が響き渡る。
 心配になって様子を見に来た由香は、個室から聞こえてきたそんな声に思わず苦笑いを隠せなかった。
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