■感想など■

2009年07月22日

第13章「覚悟と決意」

■■【2】■■

 結局、圭介は名前を変える事に同意した。

 新しい名前は、いろいろあったけれど、とりあえず「桂」の一文字にしておこう……と思った。
 あまり女の子っぽい名前は、ちょっと馴染めなかったし、だからといって「圭介」の「圭」という文字にも(母ではないけれど)未練があったから、「介」と画数が同じ「木」をヘンにして「桂」。
 「かつら」と読ませてもいいか……と思わなくもなかったけれど、親しい人たちは「けーちゃん」とか「ケイちゃん」とか呼ぶのだから「けい」のままだ。

 そして、一夜明けて月曜日の朝の事だった。
 試験が近いため、どこかそわそわした教室で、担任のはるかちゃんの声が響く。
「……というわけで、山中クンは『山中 桂(けい)』になります。手続き上、公的に使用されるのは一週間後から――――」
 壇上で一瞬難しい顔をしたはるかちゃんは、ホームルームの教室内をぐるりと見回して圭介の顔を見つけると、ちょっとだけ首を傾げて再び手に持った出席簿に目を落とした。
「一週間後からですけど、このクラスでは早くみんなにも慣れてもらうために、今日から新しい名前でいくことにします。
 じゃあ山中クン――じゃなかった、山中サン、何かひとこと」
 突然話を振られ、圭介は目をパチクリさせたままはるかちゃんを見た。
「けーちゃん、ほら立って立って」
 少し離れたところから、由香が無責任に笑って言う。
 彼女には今朝、名前を変える事を打ち明けてあった。その時の彼女の反応は微妙で、ちょっと顔を顰めて何かを考えるような顔をした後、
『でも、けーちゃんはけーちゃんだね』
 と言ったので、幼馴染みの名前が変わった事に対して、さほど気にしていない感じでは、あった。
 「名前は本人を示す記号であるけれど、決してそのものではない」という考えらしい。要は、圭介が圭介でありさえすれば、後はどう変わろうが、由香にとっての圭介が変わるわけではない……という事なのだ。
「はやくはやく」
 京香までがニヤニヤと笑いながら見ている。
 ……コイツは本気で面白がっていた。
「あ――――え……で、でも……何言えばいいんだよ……?」
「何でもいい。よろしくでも恋人募集中でも。まあ、けじめだ。けじめ」
 隣で、どこからどこまでも「四角い」男が無表情のまま言った。角刈りにした髪と横幅のある身体が、長靴を履いて歩いていたら、そのまま漁師か魚河岸のオヤジに見られそうな感じだ。
 脂肪より筋肉の方がはるかに多い身体のくせに、茶道部の副部長を立派に勤めている浜崎伸吾だった。杉林先輩に無理矢理茶道部に連れられて行った時、その厳粛な居住まいと鮮やかな手付きに、「こいつ本当に高校生か?」と思ったのは秘密だった。
「けじめ……」
「ほら、けーちゃん」
 京香が、思い切り面白がっている顔で見ている。
 こういう場がトコトン苦手な圭介は、顔を赤くしたままおずおずと立ち上がり、周囲を見る事も出来ずに“こくっ”と唾を飲み込んだ。
「あ、あの……」
「けーちゃんかわいー!」
 吉崎が手を叩いて囃し立てるのを、“ギロリ”と睨み付けて黙らせ…………ようとしたけれど、唇を突き出して睨む顔は、ちょっと拗ねているようにしか見えなくて、その可愛らしさに周りの男子までがうるさくなってしまった。
「はいはい、静かにー。さ、山中ク……サン、どうぞ」
 シ……ン……と静まり返った教室で、クラス中の視線が圭介に集まる。
「あの、“桂”……になりました。…………えと、その、これから、も、よろしく……」
 それだけ言って、ぺこりと頭を下げる。
 まるで、転校してきたみたいな口調と“さらり”と流れる黒髪に、クラスの男子の口元がゆるむ。全員、“桂”が「男」だった時の姿を知っているし、一緒に着替えたり体育の授業を受けたりトイレで隣になったりしていたのだけれど、この時の“桂”は文句無く、『転校してきて緊張しまくっている可愛らしい美少女』なんてものに見えたのだ。
 女子は女子でにやにやと笑っているから、また妙な事でも考えているのだろう。とうとう圭介も、名前も変え、完全に「女」として生きていくのだと宣言したようなものだから、きっとこれからもっと「女のイロイロな事」を教えてやろう……とでも思っているに違いない。
 そんな中、冷や汗をかきながらそそくさと席に座り、机におでこをくっつけるようにして突っ伏した“彼女”は、
 ――――もしこの場から逃げ出せるなら、どんな悪魔の誘いだろうが嬉々として乗ってやるのに――。
 ……と、ひっそりと思っていた。

         §         §         §

 ところで、単に名前を変えるだけなら、何も超法規的な力や『星人』のコミュニティの力を借りるべくも無く、正当な手続きさえすれば誰でも出来る……と思われるかもしれないけれど、現在の日本の法律では、それはおそらく…………いや、絶対に無理である。

 たとえば(圭介とは判例が違うけれど)、「性同一性障害」のために改名する場合、まず、以下のような『司法手続き』が必要となる。

 一番最初は、改名の許可申請をする事だ。
 その許可申請の提出先は、本人の住所地を管轄する家庭裁判所であり、そこにまず『名の変更許可申立書』と関係必要書類を合わせて提出する事となる。
 関係必要書類には、「収入印紙」「郵便切手」「戸籍謄本」「住民票」「写真」「精神科の医師による性同一性障害の診断書」「産婦人科または形成外科の医師による去勢済みの診断書」「新しい名の利用実績を明らかにする書類」「親の同意書」などが必要であり、さらには「払込用紙や、日付が記載された公共料金の領収書」「消印が明記された郵便物・日付が明記された宅配便や通信販売などの受領書」、それに、働いている場合には「職場で使用している名刺」「職場で着用しているネームプレート」「発行日が明記された職場や趣味などの名簿類」「発行日が記載された薬局やスポーツクラブ等の会員カード」「電子メールやインターネットによる予約や物品購入などの使用実績を、日付を印字した上で出力したもの」……などが求められる。
 それらを不備無く提出すると、家庭裁判所から審判期日の通知が郵送されてくるので、審判日に、申立人本人の他に、家事審判官、参与員、家庭裁判所書記官の3名が同席して、審判室で審議が行われる事となる。
 これだけでもうんざりな上、審議では微に入り細に入り事細かに様々な事を聞かれ、やっとの事で審議を終えると、改名の申し立てについて「正当な事由」があると家事審判官が判断した場合にのみ、改名許可の審判がなされ、そしてようやく3ヶ月程度経った頃に、本人宛に家庭裁判所の書記官から審判書の謄本が郵送されてくる…………という流れだ。

 ――長い。

 しかも、現在の日本では「性同一性障害」を理由とした申立が、必ずしも認められるわけではなく、その上、裁判所に却下された場合は、原告が同じ内容で同じ家庭裁判所に申立をすることができないため、とても現実的とは言えなかった。
 圭介の場合は「性同一性障害」ではあるものの、精神的なものより肉体的な変異である「女性仮性半陰陽」としているため、さらにややこしい。当然、「女性仮性半陰陽」とはいってもウソである以上、診断書の提出や審判員からの質問などに答えられるわけもないから、それらは当然「したこと」になっているのだけれど、結果的にそれを無理矢理可能にした上、たった一週間に縮めてしまうのだから、彼の父親や母親が、地球の一国家の定めた法を軽く飛び越えてしまう存在だと言うことが良くわかる。
 ハッキリ言ってムチャクチャだ。
 法もモラルもあったものじゃない。

 先ほどはるかちゃんが「一週間」というところで一瞬考え込んだのは、
『こんなに短く名前って変えられるものなのかしらん?』
 という疑問が、公務員ならば当然あるだろう「公的文書に対しての受理期間の知識」が浮かんだから……なのだけれど、結局のところつまりは
『ま、いいか』
 で済ましてしまったところが、なんというか、すごく、はるかちゃん“らしい”と言えば、らしい。
 もちろんそこには、圭介の母、涼子が女優兼歌手業を利用してメディアに乗せた“メッセージ”によって、圭介に関する事に対して必要以上に疑問を抱かないよう、深層心理へブレーキが掛かっているから……ということもあるのだけれど。

 そんなわけで、圭介の改名には、表に出てこない組織の動きが存在し、けれどその存在を知るものは一般には無く、それ故に驚くほどスムーズに済んでしまったのである。

         §         §         §

 そして、6月27日の火曜日から、6月30日の金曜日まで実施された期末考査も、特に問題も無く終わった。

 『星人』の因子が発現した“桂”は、こと記憶力や応用力に関しては、すでに軽く高校レベルを超えている。
 そのまま解答していれば、学年一位も夢ではなく、冗談ヌキで本当に取れてしまいそうだったから、以前と同じくらいの順位を目安に、ちょっとだけ正解率を上げ、後は適当に間違える必要があった。
 そしてそれは、普通に解答するよりもずっとずっと大変な事だと、“桂”は思い知ったのだった。
 健司や由香とした試験勉強会の時も、自分の記憶力が人並み外れてしまった事を気付かれないようにするのは大変だったけれど、何も“桂”は、超人レベルの頭脳になったわけでも、見たもの聞いたものを片っ端から覚えてしまうわけでもなく、そこには一定の法則があるようだった。
 つまり、ある程度集中した時だけ記憶に留める事が出来るらしく、相変わらず興味の無いものは、一時的に記憶する事は出来ても、それを定着させる事は出来ずに、すぐに“忘れてしまえる”……という事だ。初めて下着を買いに行った時、絡んできた馬鹿中学生の名前を、聞いたような気がしながらちっとも思い出せなかったのは、『覚える必要なんかこれっぽっちも無い』と脳が判断したからなのだろう。
 「忘れられない」という事は、「覚えられない」事よりもずっと苦痛であり、「記憶の選択」が出来なければ、今頃さすがの“桂”もいろんな意味で精神的にヤラレてしまっていたに違いない。
 勉強会をして勉強に集中してしまうと、テスト範囲を全て記憶してしまい、自動的にその応用問題すらもクリアになってしまう。以前と同じくらいの順位をキープするためには、“どの程度まで覚えている事が望ましいか”という事を考えなければならず、“桂”にとってはそれこそが“普通に解答するよりもずっとずっと大変な事”だった。


「けーいちゃんっ! かっえりっましょ!」
 テスト最終日の6月30日の昼、席で心無しか少しぐったりとしながら鞄に筆記用具を入れていた“桂”の元へ、由香が、なんとなくウキウキした感じでやってきた。
 そんな由香を、“彼女”は半眼のまま“じとり”と見る。
 試験の間中、以前にも増してべたべたと纏わりついてくるようになった由香だったけれど、それが、“彼女”に対してアプローチしようとする男子を“牽制”しているからなのだ……と気付かない“桂”では無かった。それでも、まるで小学生が近所の友達を遊びに誘うみたいな声を出しながら近付いてくる彼女を見ると、「高校生なのだからもうちょっと精神年齢を引き上げてもいいのではないか?」と、ついいらない事まで思ってしまうのだ。
「なんだよ」
「あ、忘れた? 今日、水着買いに行くって約束したじゃない」
「…………う……」
「忘れてた?」
「忘れたかった」
「なんで?」
「…………だって…………」
 ぐるりと突然周囲を見回す。
 周りの男子が、慌てて顔をそむけた。
『カンベンしてくれよ……』
 ここ数日の彼らは、“桂”の一挙一動をいつも気にしている。由香との会話に耳を側立たせ、時には“彼女”の身体の、いろんなところを盗み見るようにしてジロジロと見る事さえするのだ。顔ならまだしも、たっぷりと豊かに重たげに実った乳房や、ぱんっと張ったまあるい肉厚のお尻、そして下腹部や引き締まった太股を無遠慮に見られれば、いくら“桂”でも不快に思わないわけがない。
 女は、「男が自分の身体のどこを見ているか」……なんてのは、ちゃーんとわかっているのだ。
 そしてそれは、“桂”だって例外ではない。
 クラスメイトに対して無闇やたらと邪険にするわけにもいかないので、“彼女”はあえて無視しているけれど、他のクラスの男子から見れば、同じクラスにいる分だけ「まだまだ全然アドバンテージ(優位)を握っている」……と思い込んでいる彼らが、“桂”に『交際』などを申し込んで来るのも、そう遠くないように思えた。
 けれど“桂”にとっては、自分がもう「完全な女」である事を認めてしまった今でも、自分が男友達に交際を申し込まれる図……というのは、ハッキリ言って、想像するだけで気持ちが悪い。
 誤解を恐れずに言うならば…………いや、誤解されたっていいから言いたいのは、
『ボクは男が嫌いだ!』
 というたった一言だった。
「気にしない気にしない。むしろ喜んだら?」
「なにが」
 教室を出て廊下を歩きながら、2人はまっすぐ昇降口に向かう。
「それだけけーちゃんが女の子として認知されたって事だもの」
「されなくていい」
「でも事実でしょ?」
「そりゃ! ……そうだけど……」
 声を上げかけて、慌てて潜める。
 些細な事でも注目を浴びてしまう……というのは、どうにも神経が磨り減る。
『やっぱり早まったかなぁ……』
 と、溜息を吐(つ)いてしまうその姿さえ、擦れ違う男子生徒の視線を惹き付けてしまうのが、今の“桂”なのだ。
この記事へのコメント
ようやく読んだことがない続編を読められるんですね!期待しています。
Posted by at 2009年07月22日 01:19
 はじめてさんですか?こんにちは。
 この頃でしたか? 公民館に移ったのは。もう、よく覚えていないのですが。
 お楽しみ下さい。
Posted by 推力 at 2009年07月22日 14:59
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