■感想など■

2009年07月29日

第14章「君は俺が護るから」

■■【1】■■

 けーちゃんは、可愛い。

 たぶんこれは、今日、彼女の水着姿を見た全ての男子が抱いた共通の認識じゃないかな? と健司は思う。
 もともと、成長しきらない少年の中性を色濃く残した――良く言えば『幼い』、悪く言えば『女みたいな』――顔付きだった幼馴染みは、『女性仮性半陰陽』だという、とてもとても珍しい病気だということが判明して『女の子』になってから、本当に……どんどん可愛くなっていった。
 真黒な髪なんてさらさらのツヤツヤで、顔も手もちっちゃくって可愛くて、ぎゅっと抱いたりなんかしたら折れてしまいそうで、なのにおっぱいだけ何かの冗談みたいに“ぼいーん”とでっかくて、それこそ、そんじょそこらの巨乳アイドルなんて束になっても敵わないほど可愛らしい。それは、まっすぐに人を見つめてくる、綺麗な瞳に宿った『命の力』があるからなのだろう……とも思う。
 そして、そんな少年の強さとしなやかさを宿しながら、強烈に少女のエロスを感じさせる体は、クラスメイトの男子達をどよめかせるに十分な力を持っていた。
 今の圭介…………いや、桂は、ハッキリ言って健司のタイプだった。
 それも“ど真ん中”だ。
 “ずきゅーん”で“どぎゃーん”で“ががががーん!”だった。
 健司は、あの雨の日の雨宿りの時、自分が桂に抱いてしまった強い衝動を覚えている。
 「親友」であるはずの「少女」に抱いてしまった、抗いようのない欲望を覚えている。
 そして、惹かれてゆく。
 心が奪われ、掻き乱される。

 ――抱きたい。

 “ぎゅっ”としたい。
 キスしたい。
 おっぱいにさわりたい。
 もっともっとエッチなこと、したい。
 心の奥の一番深いところに身を横たえたまま、表層の意識で創られた硬い理性の岩盤を打ち破ろうと『ケモノ』が啼く。
 それはまるで、銀に輝く蒼夜の月に、ただひたすらひしりあげるように啼くオオカミのよう。

 ――――でも。

『けーちゃんはけーちゃんだ』
 ずっと前から、そして今も、きっとこれからも、「彼女」は健司の「幼馴染み」で「親友」で「兄貴分」で「目標」なのだ。
 そうでなければ、ならないのだ。
 そう思うからこそ、健司は自分の中に生まれ日々大きくふくらんでゆく欲望を、必死の思いで押し込めていた。

 サムソンに指導を受けていてプールから出るのが遅れた健司は、一人、そんな事を考えながら更衣室に入った。
 そして入った途端、「そこ」に集まっていた、授業を終えたばかりのC組とD組の男子と、これから授業を受けるE組とF組の男子生徒の雰囲気に、とてつもなく不審なものを感じた。
 彼が入ってきた途端、“ざわっ”とざわめいて、急に話題を変えたように思えたのだ。
 けれど、その時の健司は“それ”を気のせいだと思った。そんなことに関わっているヒマなど、無かったから。

 今は、保健室にいるだろう桂の事が、一番気に掛かっていたから。

         §         §         §

 『圭介』という『少年』は、一ヶ月の間に魅力的な『少女』へと姿を変えた。

 それは本来、とても「異常」なことであり、『彼』の“ごく普通の高校生活”を一変させるには、充分過ぎるほどの威力を持っていた。そしてその「威力」は、『圭介』本人だけではなく、その周囲の状況さえもたった一ヶ月で、確実に変化させていったのである。

 今では「桂」という人間として認識されている『少女』が、元は『少年』として自他共に認知されていたという事実は、もちろん以前から「彼女」を知る者の中では誰一人として忘れた者はいない。しかしだからこそ、『女性仮性半陰陽』という症例により“女性”として認識されるようになった当初は、混乱もあったのである。

 「性」というものが、生来のものだけではなく後天的な教育や生活環境によっても“どうとでもなってしまう”という「現実」は、多感な時期にある学生達の不安定なメンタリティとアイデンティティを揺さぶり、「男とは?」「女とは?」という、有史以来、学会に留まらず文壇でも連綿と問い続けられてきた課題を、ここに至って冷然と、彼らに対して新たに提示する事となった。
 そして、硬直化してフレキシブルな思考の出来なくなった教師や父兄とは異なり、良くも悪くも人間の根源的な欲求――すなわち欲望に支配されがちな高校生である彼らの中には、今となっては肉体的にも社会的にも「女性」として認知された「桂」を、“かつて男として認識した上で付き合っていた”にも関わらず「性対象」として見てしまえる者まで、現れていた。
 そこに、「桂」自身が「女性的な精神」を持ち合わせているかどうか……など、全く考慮されることは無い。それは、グラビアアイドルやAV女優に人格など必要は無く、ただ「魅力的な肉体を持った女であればいい」という、生殖行動に基づく、ひどく動物的な衝動にも似ていた。

 そして、今年初めての水泳授業を終えた、その日の放課後の事だった。
 それを明確に示唆する事柄を、他ならぬ健司は目にする事になる。

 「それ」とはつまり――――桂が、他の男子生徒にとっては、充分「抵抗無く」「単なる性対象として成立する」「女」だと認識されている……という、その事実である。

         §         §         §

 部活を終えて、いつものように桂と由香と校門に近い体育館横のベンチで待ち合わせをしていた健司は、教室に忘れ物をした事に気付いてプールから直接、教室へと引き返していた。
 時刻は、もう6時50分を過ぎようとしている。
 約束の時間は50分だから、これはもう遅刻確定だ。
 健司は、きっとほっぺたをふくらませて睨み付けてくるだろう幼馴染みの顔を思い浮かべて、つい笑みがこぼれるのを感じていた。
 ほっぺたをふくらませて拗ねるようになったのは、「彼」が「彼女」になってから顕著になってきた仕草の一つだったけれど、健司はそれを「可愛い」と思う。男として認識していた幼馴染みに抱くような感情ではないのかもしれないけれど、やっぱり可愛いものを可愛いと思ってしまうのは、どうにも止められなかった。

「やっべ! コレ、C組の山中だろ?!」
 E組の教室の、後の引き戸を開けようとした彼は、中から聞こえた声に思わず戸にかけた左手を離し、身を屈めて中を伺った。
『え? けーちゃん……?? ……』
 夕日の残照の残る空をバックに、教室の後の窓側の机周辺で、クラスの男子が数人固まっているのが見える。
 窓からの逆光のため、そして教室の照明を点けずにいる事で生まれる薄闇のため、全ての生徒の顔は確認出来ないけれど、その中心にいる生徒の顔はかろうじて見る事が出来た。

 それは、E組の中でも比較的発言力のある、元柔道部の男で、名前は河野内(こうのうち)といった。
 彼は先月、喫煙を理由に部活動停止を言い渡されたのだけれど、噂では喫煙どころではなく、飲酒も暴行も強請(ゆす)りも常習で、繁華街のチンピラと親しげに談笑していた……という証言もある、ちょっと後ろ暗いところのある男だった。にもかかわらず、大した問題にもならないのは、その一見ひとあたりの良い態度と、兄貴風な気性によって彼を慕う者も少なくないからだろう。
 もっとも、健司は彼とそんなに親しいわけでもないし、かといって敵対しているわけでもない。外見的なものが、小学校の時に健司をいじめていた薮本康史(やぶもと やすし)に似ているため、自分から進んで仲良くなろうとは今ひとつ思えなかったけれど、世界は敵と味方しかいないか? と問われれば決してそんな事は無い……という認識が出来るくらいには分別がついていた。
 だいたいにして、誰とでもそつなく付き合う健司には、特にクラスで敵などいようはずも無かった。
 それは小学校の時にいぢめに合っていた経験からくる処世術のようなものではあったけれど、かといってそれを意識して行う事など健司には出来ようはずも無い。そのせいか、決して八方美人……というわけでもないのだけれど、このクラスには敵対するような人物もいないかわり、『圭介』に並ぶほどの友人もいない……というのが、健司の今の状況だった。

 健司は咄嗟に隠れてしまった自分をおかしく思いながら、なんとなく彼らをドアの隙間から見た。
 廊下に身を屈めて教室内を伺っている……なんてのは、傍から見たら怪しいことこの上も無いけれど、部活動の時間も随分と過ぎて、校舎にはもうほとんど生徒も残っていないはずだった。見咎められて訝しげな顔をされる事も、声高に注意される事も、安心は出来ないけれどたぶん無いと思える。

 では、人のほとんどいなくなったそんな校舎内の教室で、彼らは何をしているのか?

 彼らの会話に耳を傾けた健司は、その内容に愕然として目を見開いた。
「うおっ!? 乳でけー!!」
「マジマジマジ? ナニコレ? スイカ? メロン?」
「ウソ乳だろこれ」
「違うって、バカ、マジ、ゲロホント」
「日本語おかしーよオマエ」
「何食ったらこんなんなるんだよ?」
「それにしてでけーチチだな!」
「揉みてー!」
「男の気持ちがわかるんだから、頼めばイッパツやらしてくれんじゃねーの?」
「力は弱くなってんだろ? 強引にヤッちまえばいーじゃんか」
「まだゴーカン魔にゃあ、なりたくねーよ」
 少年達は口々に下品な事を言いながら、ゲラゲラと笑った。
『…………何の話を…………』
 健司は、クラスメイトの見せる野卑な一面に、どこか裏切られたような気持ちを抱きながら唾を飲み込んだ。

 ――――『C組の山中』といえば、山中桂しかいない。

 健司は引き戸をもう少しだけ開けて、彼らを見た。
 河野内の横に背の低い少年がいて、その少年の顔が、手に持っているものからの光で下から照らされていた。少年は、いつも河野内に使い走りみたいな感じに使われている、どこかオタクの匂いのする気弱な少年だった。手に持っているのはデジカメらしく、彼らは、そのデジカメの液晶画面に映し出されているモノに、全員で見入っていたのだった。

 では、今、彼らが見ているものは……。

         §         §         §

 少年達は、小型ではあるものの液晶画面の大きなデジカメを手にとり、代わる代わる、そこに映し出される光景に見入っていた。
 “それ”は、一人の『少女』の姿を映したものだった。
 『少女』の笑った顔、怒った顔、泣きそうな顔、真っ赤な顔、そして教室で授業中の姿や体育の時のものもある。
 屈伸運動で脚を大きく開き、ショートパンツの裾からその奥が見えそうになっているものや、バレーのコートで飛び上がり、豊かなおっぱいが大きく跳ね上がっているものもある。弁当を幸せそうに食べている、微笑ましくも可愛いらしいものや、無防備にスカートのまま脚を組んでパンツがすっかり見えているものもあれば、どうあっても“普通の方法では撮れそうにもない”ものまで混じっていた。
 それは、女子トイレの個室から出て来る姿であり、ハンカチを口に咥えながら泣きそうな顔で手を洗っている姿であり、クラスメイトの女子に寄ってたかって『たぷんたぷんの極上巨乳』を揉まれている姿であったり、した。

 そしてその中には、今日撮影されたばかりに違いない、プールでの水着姿のものまであった。

 女子更衣室の中のものまであるのは、おそらく隠しカメラなどではなく、その写真を欲した「彼女」か、または「言う事を無条件に聞くような女子」に撮らせたものに違いない。写真の中には、カメラアングルが一定ではない上に、時々ひどくブレているものまであるからだ。
 『少女』の姿は、更衣室に入って来る姿に始まり、周囲をきょろきょろと見ながら部屋の隅に行く姿、なんとか制服を脱がないで水着に着替えようと苦心している姿、それを見つかっていきなり上半身を剥かれた姿、そして集まってきた女子に哀れにもナマチチを揉まれまくる姿まで写真に収められていた。蛍光灯の青い光の下、剥き出しの白い乳房はひどく淫靡に見え、それが何人もの女子の細い手でもみくちゃにされる姿というのは、少年達の劣情をどうしようもなく刺激した。
「……すげー乳…………」
 ゴクッ……と誰かが喉を鳴らせば、ひそかに勃起した股間のものをポケットに突っ込んだ手で撫でている者までいる。
 デジカメの液晶画面には、巨大なおっぱいにしては小さめな“ぷっくり”とした唇色の乳首が、後から回された女子の細い指で摘まれている姿が映し出されている。感じてしまっているのか、単に痛がっているのか、『少女』は“きゅん”と首を竦めてその綺麗な形の眉をハの字にして薄く唇を開いていた。真珠のような白い歯がその可愛らしい唇から覗いている図に、それを注視する少年達の一人の口元が、まるでキスをするかのように突き出されていた。
「とても一ヶ月前まで男だったとは思えねーよな……」
「もともと女だったんだろ? 前から、高校生にしては声変わりしたと思えねーような声だったし」
「男にしちゃあ、チビだったしな」
「半陰陽だっけ?」
「女性仮性半陰陽」
「そう、それ」
「でもよ、なんで急にこんなデカチチになってんのよ?」
「髪も急に伸びたしな」
「無理あるよなぁ……」
「ありえねー」
 少年達は口々にそう言った。
 その言葉を、教室の外の健司は息を潜めて聞いていた。
 彼も、実はそう思わなくも無かったのだ。いくら元々「女だった」としても、あの劇的な肉体の変化はあまりに急激過ぎる。
 それでもその疑問を桂本人にぶつけなかったのは、何より桂自身が混乱しているであろうことを慮(おもんぱか)っての事だった。
「いや、あるんじゃねぇ? 俺さ、にーちゃんに聞いたんだけど、仮性半陰陽の治療には、女性ホルモンを投与する事があるんだと」
「それを大量に投与したら」
「髪が伸びてチチが膨らんで」
「こうなる?」
「んなバカな」
 ゲラゲラと声を上げて男達は笑った。
「でも俺さ、トイレであいつのチンポ見たコトあんぜ?」
 ひとしきり笑いがさざめくと、そのうち、不意に一人が“ポツリ”と呟く。
「マジかよ」
「マジマジ。ちゃんと男のチンポだった。ポークビッツみてぇなちっちぇーヤツが」
「小指大かよ!」
「キンタマはあったのか?」
「わかんねぇ。男のチンポを観察するよーなシュミはねーよ。ただ本当に男かどうか確認しただけだからな」
「まあ、そりゃそうだ」
「……なあ……女のクリトリスってのは、男のチンポと元は同じなんだろ?」
「らしいな」
「じゃあデカクリかよっ!! 最悪ッ!!」
「そーゆーことになるな」
「男のチンチンなら極ミニで、女のクリなら極デカ」
「まあ、それは置いといて」
 自分が、さも凄く洒落た事を言ったような顔をしている男を、誰もがスルーした。
「でもよ、水着の時はそんなふくらみなんて無かったぜ?」
「病院の治療とかで女性ホルモンを大量に投下して、あそこは手術かなんかで上手い事やったんじゃねーの?」
「上手い事……って、どう上手くやったんだよ」
「んな事俺が知るかよ」
「…………そーいや、3日くらい学校休んでたよな。アイツ」
「ずっと治療を受けてたのかもな」
「そうか、ならあり得るな」
「女性ホルモンの投与と外科手術ってとこだな」
「ありえるありえる」

 ――どう考えても、無理がある。

 けれども、現実的に有り得ない事を、その是非に対してほとんど考える事無く“鵜呑みにした他人の言動”と“聞きかじりの不完全な知識”のみで自己を納得させてしまうのが、「これ以上理解しようとしても無駄な物事」に対しての、子供たる高校生の、普通の対応だとも言える。もっともそれは、純然たる「思考停止」であり、「面倒な事は考えたくない」という“極めて幼児性の高い精神錬度の低さ”の発露と言えた。
『――でも』
 少年達の「あまりの頭の悪さ」を目の当たりにしながら、健司自身、彼らと同じように思考停止して桂の現在を受け入れていた事を改めて知り、けれども、それはそれで人として、友人としては、“あっていいこと”なのではないか? ……とも、思い始めている自分を自覚していた。
 もしそうでなければ、今現在のように、桂と以前と変わらぬ関係を続けていられなかったかもしれないのだから。
「で、山中のアソコってどうなってんのかな」
「見てみりゃいーじゃん」
「アホ。捕まえて裸に剥いてみるか? やだよオレ」
「メチャクチャに暴れそうだよな」
「けどよ、元がどうあれ、今は女なんだろ? じゃあ男と付き合うんだろ?」
「どーゆー意味だ?」
「好きになった男には股も開くって事だよ」
「はあ?」
「誰か付き合ってみろってこった。グダグダ言ってるより、ヤッてみりゃわかんじゃん」
「おまんこかよ」
「……まあ、興味はあるわな」
「へっ……チンポ入るアナがあればいーけどな」
「生理が来たっつーじゃねーか。じゃあ、あるに決まってるよ」
「なんにせよ、あの乳は触ってみてーな」
 すっかり薄暗くなった窓に、男が両手を“にぎにぎ”と開いたり閉じたりを繰り返し、桂のおっぱいを揉みたくる仕草を示した。
「そーだなぁ……この学校でもレアだもんな、あの乳わ」
「そうそう」
「揉みまくって…………嘗めてみてぇ」
「マジかよ……桂ってあの圭介だぜ?」
「乳に性別はねぇ」
「いや、あるだろ」
「吸ったら乳が出そうだよな」
「ミルクタンクか?」
「乳牛だろ」
「ホルスタインか」
「うしちち娘だな」
 口々に好き放題言い放った男達が、気分が悪くなるほど野卑な笑い声を上げた。
『…………こいつら……』
 大切な幼馴染みが、『彼女』の事を何も知らない男達に“汚されて”ゆく。
 健司は、普段滅多に感じる事の無い、腹の底から沸き起こるようなどす黒い怒りの衝動を自覚し始めていた。
 ……本当に滅多に無い事だ。

 こんなにも、心から誰かを傷付けてしまいたくなるなんて……!!

「じゃあよ、こン中で『勇者』がいたら告白してみろよ」
「どーすんだよ」
「好きだっつって、その気になったらデートに誘ってヤッちまおうぜ」
 河野内(こうのうち)がニヤニヤと笑いながら言った。
 “ヤる”という言葉に、健司の頭に“カッ”と血が上る。
 河野内は、恥知らずにも桂を「犯してしまおう」と言っているのだ。
「みんなでか?」
「最初は『勇者』に任せるさ」
「強姦はやだぜ?」
「バカ。誘いにのるって事は、その時点で和姦に決まってんだろ? 女なんてのはヤッて欲しいから、いつも誘って欲しくてウズウズしてんだしな」
「おい、桂は元男だぞ? 女と同じに考えるのはどーかと思うぜ?」
「遺伝的には元々女だ。性転換したワケじゃねーんだから、そこんとこ間違えるなよキショク悪い」
「オマエら、朱に交われば赤くなるって言葉、知らねーのか? 女に混じってる今のあいつ見てみろよ。どっからどう見ても女じゃねーか」
「そーいや、谷口を見る目が、なんかもう『乙女チックモード』だもんな」
「なんだよ? アイツって健司の事好きなのか?」
 不意に自分の名前が男達の口から漏れて、健司はドアの外で“びくり”と身を震わせた。
 名を呼ばれた事よりも何より、その内容に驚愕してしまう。
『けーちゃんが……俺の事を…………??』
 全身が、“かあああ……”と熱くなり、知らず、鼓動が早く激しく打ち始めた。
「おいおいおい、見ててわかんねーのかよ? ラブラブだぜ? なんかもー“いつでもヤッて下さい”って感じだぞ?」
「知らんかった」
『知らなかった』
 河野内(こうのうち)の言葉に、健司さえもが愕然と胸の内で呟いてしまう。
 そうしておいて今度は、その言葉を吐いたのが他ならぬ河野内だということに気付き、その信頼性の低さに顔を顰めた。
 一瞬でも彼の言動に惑わされた自分が恥かしかった。
「じゃあ告白しても無理じゃねーの?」
「それはわかんねーぞ? 健司って桂に興味無さそうじゃん?」
「いっつも一緒にいるのにか?」
「『女として』ってハナシだろ? 幼馴染みで男としてダチ付き合いしてきて、今さら異性として見られないって事なんじゃねーの?」
 つい最近までは、そうだった。
 否定はしない。

 けれど今は……。

「まあ確かに……ある日突然『実は女でした』と言われて、それで『そうですか。俺も好きです』ってのは無いよな」
「もしあったら、そりゃアレだ。ホモだ」
「なんでだ?」
「だってそうだろ? 性別が変わっただけで好きになるなんてのはあるわけがねー。それはアレだ。男だった時から好きだったって事じゃねーか。だからホモだ」
 自分達の葛藤も苦悩も知らずに好き勝手言う男達の言葉を、健司は眩暈にも似た怒りを感じながら聞いていた。
 いや、知らないからこそ、ここまで勝手な事を吐けるのだろう。
 男達にとって、退屈な日常に変化を与えてくれるのものであれば、それが何であろうと構わないのだ。自分達に直接被害が及ばない限りは、たとえそれが殺人事件であろうと、戦争であろうとも。
 それにしても『性別が変わっただけで』とは、良く言えたものだ。彼らは『性別が変わる』というのは、本人にとっても、そしてその人物に近しい人間にとっても、大変なパワーを必要とする事象なのだと、想像する事すら出来ないらしい。
 「起こってしまったことを受け止める」パワー。
 「起こってしまったことに対処するための」パワー。
 そのパワーは、十数年育ててきたアイデンティティの根幹をも揺るがす力を、充分持ち合わせている。

 その力技の「現実対応」の努力を、した事も、そしてこれからだってするつもりも無い人間だから。
 だからこそ、吐く事の出来る無責任な言葉なのだろう。
 もちろんそれは、当然と言えば当然なのかもしれない。
 彼らは当事者でも無ければ、直接関与する近しい人間でも無いのだから、責任そのものが発生しない。だからと言って、そういう無責任な言葉を無思慮に発していい「権利」があるわけではないのだけれど。

「まあ、自分を女に見てくれない男を好きでいるより、女って生き物は自分を好きでいてくれる男の方がいいって思うもんなんだよ。こん中で何人かがずっと『好き』って言い続けてれば、そのうちアイツも『女として見てくれない健司をずっと好きでいるよりいいかな?』なんて思っちまうに決まってる」
 桂が聞いたら鼻で笑ってしまうような事を、河野内は何もかもわかっているかのように語る。
 根本的に「馬鹿」なのだろう。
 そこには短慮で無思慮な、相手の人格を無視した知能の低い事を口にしている……という自覚は無い。
「そんじゃ、俺がまず行ってみるわ」
「お、『勇者』登場だな」
「告白はやっぱ手紙か? 最近、あいつはメールとか着信拒否にしてるらしいしな」
「手紙はヤバくねぇ? キモすぎんぞいまどき」
「ばっか! だからいいんじゃねーか」
 ざわざわと、桂に「接近」し誘い出し、どうやって「犯す」か……ということを、まるでどこかに出掛ける相談でもしているかのような口調で話している男達に、健司は全身の力が抜けて行くのを感じた。
『けーちゃん……』
 健司は廊下に座り込み、壁に背中を預けて幼馴染みの『少女』を想った。
 ずっと見てきた、馴染み過ぎるほど目に馴染んだ顔を想った。
 すっかり「女らしく」になり、以前よりも遥かに「女性」を感じさせる体躯を想った。

 可愛らしい……と、想う。

 ――――でも。

『けーちゃんはけーちゃんだ』
 ずっと前から、そして今も、きっとこれからも、「彼女」は健司の「幼馴染み」で「親友」で「兄貴分」で「目標」なのだ。
 そうでなければ、ならないのだ。

 そう………………想っていた。

 けれど今、ここに、その幼馴染みを面白半分に汚そうとしている男達がいる。
 しかも、自分のクラスメイト達だ。
 今日、忘れ物を取りにここに来なければ、彼らの邪な思惑に気付かなかったかもしれないと想うと“ゾッ”とする。
 クラスメイトでありながら、彼等がこんなにも淀んだ欲望を抱いていたことに気付けなかった、その自分自身に吐き気さえ感じてしまう。
『俺は……』
 健司は思う。
 俺は、いつもいつもけーちゃんに護ってもらっていた。
 本当は「女」である、…………「女」であった、あの「少年」に。
 小学校の時も、中学の時も。

 だから。

 だから今度は。

 自然と笑みがこぼれた。
 目の前にいる彼らが、まともに“お願い”して、それで聞いてくれるような人間ではない事は、さすがの健司にもよくわかっている。
 それでも真正面から彼らに向き合おうとする自分は、たぶん“馬鹿”なのだろう。
 “そういう動きがある”と担任に言うなり、それなりの立場の“大人”に相談するべきなのかもしれない。いや、いっそ桂本人に、見聞きした事実を打ち明けて“彼女”自身の注意を促すべきなのかもしれない。
 けれどそれは、健司にとっては“してはいけないこと”だった。
 彼が『男』なら、“すべきではないこと”だった。
 だから“馬鹿”なのだろう。
 愚かなのだろう。

 でも。

『今度は俺が、けーちゃんを護る』
 健司はそう心の奥深く――――魂に一番近い部分で、強く強く、そう思いながら。

 ――――立ち上がった。

         §         §         §

 待ち合わせの、校門に近い体育館横のベンチで由香と一緒に健司を待っていた桂は、約束の時間を30分も遅れてやってきた健司を見ると“むうっ”と唇を突き出して睨みつけた。そして睨み付けるだけでは飽き足らず、ベンチから立ち上がって健司を見上げ、地の底から響くような声で“ぼそり”と呟く。
「遅い」
「ごめん」
「今、何分だ」
「えと……7時23分?」
「7時23分? ……じゃねぇ。ナニやってたんだよバカ」
「ごめん」
 すっかり日も落ち、帰る生徒ももういない。傍らの外灯には虫が集まり、蛾やコガネムシや正体不明の羽虫などが盛んにタックルを繰り返している。虫除けのスプレーを吹いても集まってくる蚊と悪戦苦闘を繰り返しながら待っていた幼馴染みに対する言葉が、「ごめん」のたった一言だけでは到底割に合わない感じだ。
 これはもう、何か奢ってもらわなければいけない。
 もちろん缶ジュースなどでは誤魔化されはしないのだ。
 できれば、そう、もうすぐ無くなる油絵の具を買いに街に行く時に付き合ってもらうくらいでないと。
「遅くなるなら遅くなるって連絡しろ。ケータイ持ってんだろ? メールくらい打てるだろ?」
「うん。ごめん」
 由香にはそんな桂の様子が、旦那の帰りが遅くてずっと心配してたのにそれを素直に出せなくてついつい拗ねて怒ってみせてしまう『新妻』みたいだ…………と思えてしまったものの、もちろんそれは心の奥底へと厳重に押しこめて、決して口には出さない事にしておく事を忘れなかった。
「けーちゃん、ずっと“そわそわ”しながら待ってたんだよ?」
 でも言ってしまった。
「座って待ってれば? って何度も言うのに、ずっとベンチの前を“うろうろそわそわ”しながら歩きまわってたんだから」
「なっ!?」
 街灯の下、それでも桂の顔が一瞬で“ぼんっ”と赤く染まったのがわかった。
「あんまり遅いとベンチの周りを心配してぐるぐる回ってバターになっちゃうから」
「なっおまっばっ……」
 あうあうあう……と赤い顔をして口をパクパクしながら由香の“ほにゃにゃ〜ん”とした顔を睨み付ける桂を、健司はなんだかものすごくあったかいものを見るような目で見つめていた。
「あれ? 健司くん、それどうしたの?」
 ふと、由香が健司の鼻の下にある汚れを指差して言った。よく見れば、彼の上着やズボンもなんとなく汚れているように見える。
「鼻血じゃないのか? それ」
「あ、うん……ちょっと転んじゃって……」
 “ははは”と笑う健司を、桂は少し白けたような目で眺め、おもむろに溜息をついてみせた。
 そうしてから、不意に“ばしん!”と彼の背中を叩き、
「いたっ」
「しっかりしろよオマエ。ボクだっていつまでもオマエを見てやれるわけじゃねーんだからさ。
 大会前に怪我でもしたら、いくらボクでも面倒見きれないぞ?」
 ……と、さも自分がいつもいつも健司の面倒をみてやっているのだとでもいうかのように言った。
「うわ、けーちゃん、えっらそー」
「うっせ! 結局コイツはボクがいなくちゃダメなんだから」
 健司はそんな桂を、ただいつものように「ほにゃ」と笑いながら眺めていた。
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