■感想など■

2009年07月30日

第14章「君は俺が護るから」

■■【2】■■
 桂の、7月6日の朝は、久しぶりの“あの”感覚から始まった。

 ベッドからのろのろと起き上がると、朝日が射し込む明るい部屋の中で、気まずい想いをしながら“ぶるるっ”と全身を震わせた。
「あ〜……」
 思わず声が漏れる。
 彼女は、しばらく見ていなかったあの淫夢を、久しぶりに見てしまったのだ。
 しかも、前に見た淫夢と、非常に良く似ていた気がする。
 たった一つ違うところといえば、相手の顔がハッキリと見えたことだ。

 知っている顔だった。

 知り過ぎるほど知っている顔だった。
 桂はその相手に、
 ぎゅっと抱き締められ、
 キスされ、
 おっぱいを揉まれて、
 吸われて、
 ぺろぺろと嘗められて、
 そして嬉しそうに頬を染めながら脚を開いてみせた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ……」
 思い出しただけで、体の奥の一番深いところにあるモノが“ぬるっ”と動くのがわかる。

 嬉しくて嬉しくてたまらない。

 あなたにこうしてもらえるのが、涙が出るくらい嬉しいの。

 言葉に出来ないそんな想いを、夢の中の桂はしっとりとしたキスで応え、重たく揺れるおっぱいを捧げ、罠に掛かった小鹿のように震える両脚の間に『彼』を迎い入れることで示そうと躍起になっていた。

 『彼』の逞しい胸板に頬を埋め、芳しい体臭を思い切り吸うだけでくらくらした。
 『彼』の腕にぎゅっと抱かれ、体温を体全体で感じるだけで、頬が熱く火照った。
 『彼』の唇が肌をなぞるだけで、泣き出しそうなほど心細げな声が、唇を割った。
 『彼』の舌が口内を蹂躙しただけで、腰が震えて立っていられないくらいだった。
 『彼』の大きな手がおっぱいを壊れ物でも扱うように揉んだだけで、涙が零れた。
 『彼』の太い指が硬く勃起して屹立した乳首を摘んだだけで、濡れた声が迸った。

 どこを見られても、どこを触れられても、どこを口付けされても揺らされても嘗められてもしゃぶられても弄られても、
 熱く熱く熟しきったあそこが、とろとろの『蜜』を滲み出させながら『彼』の訪れを今か今かと請い求めた。
 そしてとうとう『彼』が仰臥する桂の体に覆い被さるように影を落とした時、桂は砂糖をまぶしたかのような甘い甘い恋焦がれた切なさの滲んだ歓喜の声を上げ、『彼』の名を呼んだのだ。

「健司……」
 思わず呟いて、ベッドの上でもじもじと腰を揺すった。
 触らなくてもわかる。
 “そこ”が、夢の中と同じに“とろとろ”に濡れて、溢れて、滴っている。
 恥ずかしさに、全身が震え、火照り、桂は自分で自分の体を“ぎゅっ”と抱き締めた。

 一度溢れ出した「スキ」という気持ちは、自分でもどうしようもなかった。

 自覚してしまったのだから。
 プールのシャワールームで、由香を相手に告白してしまったのだから。
「健司…………ボクは…………」
 声になるかならないか。
 吐息のようなかすかな声が、震える唇を割って紡がれ、朝日の満ちる部屋に消える。
 そして。

 涙が、ぽろりとこぼれ、ベッドのシーツに染みを一つ、つくっていた。

         §         §         §

 その日の放課後、桂は一人の男子から告白された。

 以前、男だった時に“男としての”付き合いがあったE組の男子から、「俺の親友に会ってやってくれ」と、土下座でもしかねないイキオイで懇願されては、さすがの桂も断る事など出来なかった。
 もちろん、だからといって、告白を受け入れる事も、付き合う事も考えられない。男から愛を囁かれると考えただけで鳥肌が立つし、吐き気さえするのだ。もしイキオイにのって手なんて握られたら、きっと蹴り飛ばして踏んづけて、脱兎の如く逃げ出してしまうだろう。
 断る事を前提に告白を聞く……というのは、なんだか不誠実な気もしたけれど、それでも義理は果たさないといけない。こういう妙に義理堅いところは、女になった後でもちっとも変わっていなかった。
 だからこそ、わざわざ夕日の射し込む特別教室まで出向いて、E組の、あまり顔も覚えていない男子生徒と会った。
 案の定…………というか、「このシチュエーションではそれしかないだろう」とでもいうように告白を受けた。
「俺と付き合ってくれ」
「やだ」

 当然、キッパリと断った。

 即答した。

 取り付く島も無かった。

 けれど、「好きな人がいるのか?」と聞く男に、桂は言い淀んで、すぐには応える事が出来なかった。
 そんな桂の様子に、どうしてだか元気を取り戻した男は「いないんなら、まだ俺にもチャンスはあるわけだよな?」と、彼女に迫る勢いで口走ったけれど、桂は思わず後退りながら、
「無い! 全然無い! これっぽっちも無い! 諦めろ!」
 と引き攣った顔で言い放ち、扉を開けてその場から逃げ出した。

 別にそいつの事が嫌いというわけではない。
 男だった時には好きなアーティストのCDを借りたりした事もあるし、少人数でカラオケに行った事だってある。
 でも、それだけだ。
 友人は友人でしかなく、それ以上には決して見る事など出来ない。
 男だった自分が、彼を好きになるなんて事は、絶対に、未来永劫、無いと思うのだ。
 それに、彼の視線が自分の顔や首筋や、夕日で陰影が濃くなり、より立体感の増した豊かなおっぱいに留まるたび、言いようの無い不快感が全身を嘗めた。
 自分が彼に「性的な対象」に見られている事実に気付いた時、吐き気さえ覚えたのだ。

 これから女として生きていく事を受け入れ始めていた桂にとって、それはちょっとしたショックだった。
「ボクはもう、健司しか受け入れられない……」
 桂は、そう思い至ってしまったからだ。
 もちろんそれが、世界が狭い学生時代の、単なる思い込みに過ぎないのだ……と、大人は断定してしまうかもしれない。いや、してしまうだろう。けれど今の桂にとっては、「それ」が、自分に示されたただ一つの真理のように思えて仕方なかった。
 それを責める事が出来る者は、たぶん、一人もいないに違いない。

         §         §         §

「けーちゃん、なに? 話って」
 部活が終わったら屋上に来るように……という、桂からのメイルを受けて、健司は教員用スリッパをペタペタと鳴らしながらやってきた。生徒は学校指定である靴型の白い上履きが普通なので、健司がそれを履いているのはちょっと変なのだけれど、桂はそれには気付かず、
「あ、うん……ちょっとな」
 ……と、屋上のフェンスにもたれかかり、夕焼けの残照が残る空を見上げながらポツリと呟いた。
 その様子に健司は少し首を傾げ、ペタペタと彼女に近付く。けれど、あと10メートルほどのところで何を思ったか不意に立ち止まり、小さく息をついた。
「……由香ちゃん待ってるよ?」
「わかってる」
「早く行かないと、また遅くなっちゃうし」
「わかってる」
「けーちゃん?」
「わかってるって言ってるだろ!?」
「……ごめん」
 イライラとして噛み付くように怒鳴った桂は、不意に気まずそうに顔を反らし、眼下に広がる校庭を見つめた。
 グラウンドでは、部活動を終えてクラブハウス(運動部室練)から出て来る生徒達が、笑いながら歩いている。黒いズボンにカッターシャツの男子生徒と、白いブラウスにチェックのミニスカートの女子生徒は、それぞれ互いに無関心を装いながら、その実、互いにバッチリと意識しまくっているのがここからだと良くわかった。
『アホくさ……』
 世界は愛だとか恋だとか、そんな色恋だけで成り立っているわけではない。貴重な青春時代をそれだけのために浪費するなんて馬鹿げている。
 ……そう思うのだけれど、若い精神に時として吹き荒れる『衝動』は、ひどく効し難くてもどかしい。
 自分の心なのに、どうしてこうもままならないのか。
 桂はそれが、ものすごくイヤだった。
「あのな……」
 桂はフェンスに両手を着いて、一度大きく息を吸い込んだ。重たい乳房が前後に揺れ、ブラのストラップが肩を締め付ける。夏の風がミニスカートを揺らしブラウスの中にまで滑り込んでくるけれど、湿気を多く含んだ風はちっとも爽やかなんかじゃなかった。考えてみれば、屋上に来るのは「女になってから」初めてだな、と桂は思う。以前は、ここからの眺めが結構好きで、時々やってきていたものだったのだけれど。
「今日さ、告白された」
 桂は思い切ったように目を瞑ると、くるりと健司を振り返ってフェンスに背中を預けた。
「え?」
 間の抜けた健司の声が苛立たしくて、でもそう思ってしまう自分がなんだかイヤで、桂は顔にかかった髪を右手で掻き揚げながら顔を顰めながら彼を見る。
 逆光気味の健司の顔は、薄闇にまぎれてちっとも見えなかった。
『あ……』
 今朝の淫夢がちらりと脳裏をよぎり、“ずくんっ”と胸が苦しくなった。
 あの夢ではコイツは恥かしくなってしまうくらい優しくて…………だからこそ、今の健司がひどく遠く感じてしまう。
『……何か……言う事は無いのかよ……』
 ずっと待ってても健司は何も言わないので、桂は痺れを切らし、自分から口を開く。
「好きって言われた。
 付き合ってくれって。
 相手は女じゃないぞ?
 当たり前かもしんないけど、男だ。
 参っちゃうよな。ほら、ボクって、たった一月前まで男で通ってたんだぜ?
 それが告白だってさ。
 馬鹿みたいだよな」
 早口気味にそう言って、桂は自嘲するように口を歪めたけれど、健司の顔は陰になって、どんな顔をしているのか彼女にはわからなかった。
 こんな時、屋上にも明かりがあればいいのに……と、桂は思う。けれど、明かりが無いからこそ、女子の間で恋人との逢瀬や秘密会議などで重宝されている……という事に思い至り、小さく溜息をついた。
「そうかな?」
「なにが?」
「……ん……と……」
「いいよ。言えよ」
「うん。あのね、馬鹿みたいなんかじゃないよ。そんな事ない。俺から見ても、けーちゃん可愛いから」
 桂のもたれたフェンス側に2脚あるベンチへと健司は歩み寄り、深く腰掛けて、たぶん17歳の高校生としては、異性に対してとても言いにくい事をさらりと口にした。
 こういう言葉を何の衒(てら)いもなくさらりと言ってしまえる……というのは、一種の才能に違いない……なんてことを桂はちらりと思う。きっとホストだってやっていけるような気がするけれど、健司が他の女性に対してこういう言葉を囁いている図……というのは、想像するだけで桂をひどくムカムカさせたから慌てて打ち消した。
「そ……そんな事言われても嬉しくない。
 相手は男だぞ?
 オマエの知ってるヤツだぞ?」
「関係無いよ。だってけーちゃん、女の子でしょ?」
「……ま……まあ……その…………うん……」
 『女の子でしょ?』という言葉を、もし他の男が口にしたなら、きっと全身に鳥肌が立ってぞわぞわしてしまうに違いない。
 けれど、健司が口にするとそれは『魔法の言葉』のように“じわじわ”と体中に満ちてゆく。
 それはあったかくて、“ふくふく”として、そして泣きたくなるくらい気持ちよかった。

「けーちゃんの彼氏になる人って、どんな人かな?」

 健司が、そう口にするまでは。
「……え? ……」
 あったかかった体が、急速に冷えてゆく。呼吸が乱れて、『ひゅうっ』と息を吸い込んだ。
 健司の言葉には「俺は含まれていない」という意味が込められている気がしたのだ。
 それでも桂は唇を可愛らしいピンク色の舌で“ちろり”と嘗め、薄闇に紛れた健司の顔を伺うように見やった。
「き…………気になるか? 誰に告白……されたのか」
「…………そういう事は、俺に話すような事じゃないでしょ?」
「そ……そうだ……よな」
 拒絶されたような気がして、鼻の奥がツンとした。
「でも一応聞いとく。俺の知ってる奴なんだよね?」
「…………うん」
「誰?」
「……オ、オマエに話すような事じゃない」
 声が自然と硬くなってしまうのを止められない。
 桂の言葉に、健司は溜息を吐く。その背中が、哀しくなるくらいの丸みを描いていた。
「…………そうだね」
「E組の房田」
 ベンチから立ち上がろうとした健司が恐くて、話を打ち切ろうとするようなその行動が恐くて、桂は慌てて相手の男の名前を口にした。そう仕向けたのは自分なのに、まるで遊園地で両親に置いてきぼりにされた、ちっちゃい女の子みたいな顔になっている事に、桂は自分でもちっとも気が付いていなかった。
「誰って?」
「え? ふ……房田。……あの、前にオマエとカラオケ行ったことの」
「断った!?」
「え?」
「断ったんだよね?」
「う……うん……」
 不意に声を上げてこちらに歩み寄る健司にぎょっとして、桂は体を震わせてお腹の前で両手を握り締めた。変質者ににじり寄られたか弱い乙女のような仕草だけれど、今はそんな事に構っていられる場合なんかじゃなかった。

 健司の目が、すごく、恐かったのだ。

「けーちゃん、E組の奴に告白されても、絶対にOKしちゃダメだよ?」
 一瞬、健司が何を言っているのかわからなくて“ぽかん”としてしまった。
 「もしかして嫉妬してくれているのだろうか?」と、ちらりと思ったけれど、健司の目はもっと逼迫(ひっぱく)した何かを秘めていた。
「……ど、どうして?」
「どうしても! いい?」
 健司の“らしくない”剣幕に、桂はゆるゆると理性を取り戻す。
 彼の頭の後に広がる紫色の雲の間を、飛行機の主翼の赤い光が北に向かって流れていくのが見えた。
「どうしてだよ? 理由を言え」
「俺の言うこと聞いてよ。告白されてもOKしちゃダメだからね? それと、2人きりで会ってもダメ」
「…………なんで……」
「なんででも」
 ぐっと両肩を掴まれた。
 健司にこんな事をされたのも初めてなら、こんな風に恐い顔で睨まれたのも初めてだった。
「理由…………」
「いいから、うんって言って」
「い……いたっ……」
「けーちゃん、E組の連中は、けーちゃんをからかってるだけなんだ。クラスメイトを悪く言うのはイヤだけど、嫌な気持ちになるのはけーちゃんだから、だから……」
「いたいって!」
 どんっと健司を突き飛ばし、桂は彼を睨みつけた。
「気になるなら気になるって正直に言えばいーじゃんか! なんだよ男らしくないな!」
「え?」
 すぐ側にいる健司が、今はすごく遠くに見える。
 コイツの事なら何もかも知っていると思っていた自分が、今までの自分が、ひどく滑稽に思えた。
「相手の男の悪口言うなんてサイテーだぞ!?」
「俺はそんなつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもりだよ」
「それは……」
 言い澱んで目を反らす健司が、ひどく悲しかった。
「……あ、あ〜あ、ガッカリだな。小学校からの親友が、そんなこと言うヤツだったなんてさ」
「けーちゃん……」
 胸が苦しくて、哀しくて、痛かった。
 こんなヤツなのに、まだ泣きたくなるくらい好きなのが自分でもわかるから、だから苦しかった。
 他の男と同じように強引で、人の気持ちなんて考えないヤツだとわかったのに、でも愛しかった。
『ばか……』
 ただ、一言だけで良かったのに。
『ちゃんと断った?』
 そう言ったら、そうしたら話したのに。

 どうして断ったのか。

 その男では、どうしてダメだったのか。

『けーちゃん、他に好きな人がいるの?』
 もしその言葉を健司の口から聞く事が出来たなら、自分は乗り越えられると思った。
 元男で、男の心を持っていても、
『オマエだよ。ばーか』
 くらいの軽い調子で、この気持ちを伝える事が出来たかもしない。
 そう思っていたのに。
「けーちゃん」
「知らねー。ボク、帰る。じゃあな」
「あ、由香ちゃんは」
「一人で帰る。上手く言っといてよ」
 後ろも見ずに、階下へと下りる階段を目指した。
 景色が歪み、鼻の奥がツンとした。

 泣いてなんかやるもんか。

 そう思った。

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