■感想など■

2009年08月01日

第14章「君は俺が護るから」

■■【4】■■
 目を真っ赤にして教室に帰った桂は、クラスの女子に色々聞かれたけれど、話すとちょっと面倒な事になりそうだったので「風で砂埃が目に入った」とかなんとか、適当な理由を告げて早々に退散した。
 楡崎に会った事とか、彼に言われた事とか、もし女子に話したら、そのままA組に直談判しそうなイキオイだったからだ。
 「あたしたちのけーちゃんに!」というキモチから……らしいけれども、別に何かひどいことをされたわけでもないので、逆にそういう過保護気味な事をされると恥ずかしいだけなのだ。
 とかく女子は多数で物事を推し進めようとするきらいがあり、そういうところは、桂もまだ馴染めなかったし、馴染もうとも思わなかった。数に物を言わせて自分の意見を通すだなんて、そういうのは弱虫のする事で、少なくとも桂は、自分で自分の事を弱虫だと認める気は無かったからだ。
 ……そりゃあ、確かに少し涙もろくは……なったけれど。

 トイレに緊急退避した桂は、教室にいた女子達がそれぞれ自分の部活に向かった頃を見計らって、再び教室へと戻った。扉の覗き窓から誰もいない事を確かめると、自分の鞄を持ち出して今度はE組へと向かう。健司に昨日の話をして、できれば自分から謝ろうとしたのだ。
 けれど桂は、E組の覗き窓から中を覗き、誰もいない事を知るとガッカリしながらも、少しホッとして肩の力が抜ける自分を感じていた。
『健司の机は……』
 目が、自然と幼馴染みの机を探してしまう。
 彼の机は、6月いっぱいは廊下側だったけれど、今は7月の始めに席替えが行われたため、窓から2列目の前から5番目だった。
 ちゃんと覚えている。
 健司のことなら、大抵は知っている。
 昨日までは確かにそう思っていたし、今だってそう思いたかった。
『あ、カバンあるや……』
 夕日のオレンジ色の光がいっぱいに満ちる教室を目当ての席まで歩き、その机の表面に右手を付いた。周りの机の上板は落書きとかで色々汚れているのに、健司の机だけが不思議なくらい……まるで、たった今掃除したみたいに綺麗だった。
『健司らしい……かな』
 知らず、“くすり”と笑みが零れる。
『部活じゃないよな……サブバッグあるもんな……』
 机の横に、カバンと一緒にぶら下がっているボストンバッグを見て、桂は唇を“むにむに”と動かした。
「どこ行ってんだよ……」
 ブツブツと呟きながらイスを引き出し、座ろうとして、やめる。
 なんだか、いやらしい気がしたから。
『ナニ意識してんだよ……ばっかじゃないの?』
 「ふんっ」と鼻息も荒く引き出したイスを再び押し込み、かといって立ち去るのもなんなので、このままここで待つ事にする。
「あ〜あ…………」
 立っているのもつまらなくて、かといって他のクラスのイスに座るのも違う気がして、桂はそのまま、健司の机に身を任せてみた。
「……んっ……」
 声が漏れる。
 ちょうど机の角が、下腹部に“くにっ”と当たったのだ。
 痺れるような甘い波が、お尻の上のところに一旦わだかまってから“つるつるつる”と滑るように腰から背中を一気に這い上がる。
 桂は慌てて周囲を見回し、誰もいない事を確認してしまった。教室で性的な感覚を得てしまう事に、罪悪感……というか、淫猥で淫らな感じがしたのだ。
 教室の前と後の扉は閉まっていて、小さな覗き穴があるだけ。廊下側の窓も全部閉まっていて、大きな窓ガラスは下半分が磨りガラス状になっているから廊下を歩いただけでは教室の中を窺い知る事は出来ないようになっていた。
『誰も見てない……』
 “こくん”と喉を鳴らす。
 自分以外誰も無い教室……というシチュエーションが、桂の心の箍(たが)を緩めてしまった。
 そして「してはいけないこと」を「してしまう」背徳感が、それを後押しする。

 きもちよかった。

 どうしよう。

 ここで?

 でも。

 ――誰もいないよ。

 不意に「わるいかんがえ」が、イヴを唆(そそのか)した狡猾な蛇のように、桂の心を羽毛のソフトさで優しく撫でた。
『……誰か来ても、すぐに机から離れれば……』
 そんな事を考えてしまっては、もうダメだった。
 “うずうず”して、我慢、出来なかった。
 かといって、指で慰める事など出来やしない。
 少しだけ。
 少しだけだ。
 ほんのちょっと、机の端っこを借りるだけ。
 健司のいつも使っている机を、借りるだけ。
「…………っ……ん……」
 爪先立ちになり、スカートの上から健司の机の角に股間を擦り付けた。
 “びくんっ”と腰が震え、思わず声が漏れそうになる。机に両手を着き、体を支えて、おずおずと控え目に腰をくねらせる。
 始めは遠慮がちに。
 けれど、少しずつ少しずつ、その動きは大胆になってゆく……。
 血液が乳房に、そしてその先端にみるみる集まって、硬く屹立して尖って自己主張する。
 私に触って! とブラの中で泣き狂う。
『あぁ…………』
 こんなにも気持ちがいいことがあっていいのか。
 よりにもよって、誰もいない健司の教室に入り込み、アイツの机にあそこを擦り付けているなんて。
 でも。
「ぁあ…………」
 熱い吐息が、唇を割る。

 ――キモチイイ。

 どうしよう。

『どうしよう……』
 どうすればいい?
 決まってる。
 今すぐやめて、教室から出て、いつものように由香と健司を待つだけだ。
 それだけだ。
『でも』
 でも。
 キモチイイ。

 切ない。

 狂おしい。

 あそこが…………子宮が、求める。

 愛しいから。
 欲しいから。
 切ないから。
 苦しいから。

 啼いてしまう。

 あそこが、求めて、啼いてしまう。

 なにを?

『けんじ……?』

 そうだ。

『あつい…………あつくて……』

 とろとろに。

『とろとろ……』

 ――とろとろだろう?

『あぁ……うん……とろとろ……』

 ――恥ずかしいな。

『うん……恥ずかしい…………こんな…………恥ずかしい……』

 ――でも、やめられない。

『……やめたくない』

 ――そうだ。やめたくない。
 ――イキたいんだ。

『イク…………』

 ――イキたいんだろう?

『うん……そう……イキたい……』

 ――健司の机で。

『健司の…………ぁあ…………イク……イク…………』
 机に置いた両手が“ぎゅうう”と握り締められる。
 こんなに簡単にイクなんて。
 いいんだろうか?
 いいわけがない。
 もう、戻れなくなる。
 どんどんインランなカラダになってゆく……。

 健司だけが欲しくなる……。

『あぁ……ああ…………ああ…………』
 目を瞑り、唇を「あ」の形に開けたまま快美感を手探りで弄(まさぐ)る。
 “ぴくりぴくり”と肩が震え、次いで“ぶるぶる”と全身が震え、じわじわと熱いものが意識を焼いてゆく。
 真っ白になる。

 ……と。

「けーちゃん?」
 “びくり”と全身が震えた。
 思わず硬直した体を必死の思いで机から引き離し、ふらつく脚で振り返った。

 ――――そこに。

『あああぁっ……!!』
 瞬間的に、全身が沸騰したかと思った。
 顔が、胸が、お腹の中が、火照り、熱を持ち、うねり、そして震えた。
 “びくりびくり”と腰がはじけ、ぬるりとした“いやらしい器官”がはしたなくも涙を流す。
 びしょびしょに、下着を、濡らす。

 ――――――そう。

 それは涙だった。
 目の前にいるこの男が欲しくて欲しくてたまらない。
 愛して欲しくて切なくて、ただそれを願うだけの自分が哀しくて苦しくて、だからこそ流してしまう熱望の涙だった。
 それはもはや「渇望」と言っても良かった。
 満たして欲しい。
 カラダの奥底にぽっかりと開いた、他の誰にも決して塞ぐ事の出来ないこの穴を。
 魂の奥底までも赤裸々に晒してしまいながら、ただ一人を待ち続けている場所を。
 けれど桂は、まるでそうすれば全てを隠し通せるとでも思っているかのように、火照る両頬を両手で包み、瞬きもせず目の前の幼馴染みを見つめた。
「けーちゃん……?」
 どういうわけかは知らないけれど、ジャージ姿でいる健司が、不思議そうな顔をしながら近付く。
 桂は制止の言葉を、やっとの思いで搾り出した。
「健司……く……くるな……」
「え?」
「きたら……だめだって……」
 じんじんとした痺れにも似た甘い快美感が、体中を駆け巡っている。今、健司に触れられたら、もし体臭を感じ彼の「オトコ」を感じてしまったら……。
 自分はきっと――――。

         §         §         §

 健司は混乱していた。
 教室の扉を開くと、そこには小さな女の子がいた。
 自分の席の所に立ち、机に身を預けている。
 後姿だけで、すぐにそれが桂だとわかった。
 でも、何かおかしかった。

 だから、声をかけた。

 その途端、彼女は面白いくらいに“びくん”と全身を震わせて、まるで悪戯が見つかったちっちゃな子のように、泣き出しそうな顔で振り返った。
「けーちゃん……?」
 声を、かけた。
 声をかけながら、一歩踏み出した。
「健司……く……くるな……」
「え?」
 制止の声が、震えている。
 けれど、脚は止まらなかった。
 ――あと数歩。
 あと数歩で桂の側に到達する。
 その瞬間、健司の鼻腔を嗅ぎ慣れない「匂い」が刺激した。

 それは「オンナ」の匂いだった。

 隠そうとしても隠し切れない、発情した「メス」の匂いだった。
 濃厚な、愛欲の猛りを誘発する、オンナの香りだった。
「きたら……だめだって……」
 桂が震え、涙ぐみ、そして身を翻し、逃げようとする。
 健司は咄嗟に桂の右腕を捕まえ、引き寄せ、そして。

         §         §         §

「ひあっ!?」
 抱き締められたと桂が気付くまで、3秒かかった。
 逞しい腕に掴まれ、そのまま“ぐいっ”と力強く引き寄せられて、成す術も無く胸に掻き抱かれた。
 制服ではなくジャージの、その少しざらりとした布地が熱く火照る“ぷくぷく”としたほっぺたに当たり、そして濃密な「オス」の匂いが鼻腔に入り込み、のぼせた頭を更に痺れさせる。
 その匂い。
 それは、
『ああ……汗…………汗の……匂い……』
 他の男子の汗の匂いを嗅ぐのは、絶対に、イヤだった。臭くてべとべとして、そして不潔っぽい。
 なのに。
『だめだ……だめ…………だめ…………』
 体が動かない。
 吐き気を催すはずの「オトコの体臭」が、こんなにも甘く陶然と感じてしまうなんて、それが健司の“もの”なら「そうなってしまう」と知っていたはずなのに、それでもここまでとは思いもしなかった。頭の芯が痺れるように揺らぎ、視界が眩んだ。呆然として、今起こっていることを、何一つ正確に把握出来ない自分がいる。
 ただ、あたたかく、やさしく、力強いものに包まれている事だけを認識(りかい)していた
 “ぎゅう”と、痛いくらいに力強く捕えられている事だけを、感じていた。

 女の体となり、もう自分がきっと永遠に失ってしまったものが、ここにある。

 弱いいきものを護るための全てのものが、ここにある。

 弱い自分を護ってくれる全てが、ここに。

 強張った体が、徐々に力を失ってゆく。
 このまま身を任せてしまいたかった。

 流されてしまう。

 どこまでも、どこまでも。
 たっぷりと重たい乳房が、ブラに包まれたまま健司の硬い腹筋に押し付けられ、形を変え、尖った乳首を刺激した。
 身じろぎすればその刺激が甘く甘く乳房全体に広がり、たちまち意識をとろかす。
『あぁ…………』
 じわっ……と体内に波が滲むのを自覚しながら、おずおずと健司の背中に両腕をまわし、桂はとうとう自分から彼の体を抱き……

どんっ……

「え?」
 急に抱擁は解かれ、突き飛ばされるようにして桂は机にもたれかかった。
 見上げれば、健司は夢から覚めたような顔をして、そしてすぐに痛そうな、苦しそうな、苦悶の表情を浮かべた。
「け……けん……」
「ご、ごめんっ!」
 ――後を、追えなかった。
 ただ、彼が机からカバンとサブバッグをひったくるようにして手に持ち、逃げるように教室を出てゆこうとしているのだけが、わかった。
 そしてその時初めて、桂は廊下を“ぺたぺた”と歩く足音に気付いたのだった。
「健司くん!?」
 教室の後の扉が開くと、すぐに廊下で彼を呼ぶ声が聞こえた。

 由香の声だった。

 桂の両足から途端に力が抜け、ずるずるっ……と腰が落ちた。
「けーちゃん……?」
 床にぺたんと座り込んでしまった桂に、教室の前の扉から由香が声をかける。びっくりして駆け寄って、「どうしたの? 何があったの?」と問う由香に、桂は何も答えられなかった。
 ただ、涙が零れた。
 哀しかったからではない。
 驚いたからではない。
 いや、その両方なのかもしれなかった。
 頭がぐちゃぐちゃで、何も考えられなくて、感情が飽和して“それ”が溢れてくる。その時の桂の涙は、「混沌とした感情」そのものなのかもしれなかった。
「けーちゃん……」
 由香は、なんとなく何があったのかわかってしまったけれど、でも、何も言わなかった。
 言えなかった。
「うっ…………うぅ……うー…………うぁうぅー…………」
 ただ、声を殺してぽろぽろと涙で床を濡らし続ける桂を、ぎゅ……と抱き締めてあげることしか、出来なかったから。

         §         §         §

 泣きじゃくる桂をなんとか宥めて、由香は薄闇迫る通学路を、彼女と2人きりで帰宅した。
 いつも待ち合わせに使うベンチに健司の姿は無く、桂はそれを知ると、どこかホッとした雰囲気を漂わせた。
 2人とも、言葉は無い。
 手を繋いで歩く2人の間には、ただ沈黙だけが満ちていた。
 田舎道には昼間の熱気の残滓が漂い、草いきれがじんわりと肌を取り巻く。風があまり無いのが、不快感を増していた。
 由香は、隣を俯きながら歩く可愛らしい少女の顔を何とはなしに見ながら、ひっそりと思う。

 桂と健司、2人の間に何かあったのは間違いない。

 そしてきっとそれは、停滞し澱んだ2人の関係を、良い悪いはともかく攪拌(かくはん)するような出来事に違いない。
 ただの喧嘩などではないだろう。
 桂の様子は、健康診断の時、保健室の前で泣き出してしまった彼女に、とても良く似ているからだ。
 健司に、また何か「見られた」のかもしれない。
 健司のあの様子から、ひょっとしたら、何か「された」のかもしれない。
 もちろん、健司が桂を傷付けるような事をするはずが無いのは、由香も良くわかっている。
 けれど時として人は、敵意ではない想いにも傷付く事があるのだ。
 健司が、桂を想うが故にしてしまった事が、桂の心を深く傷つけたとしたら。
 それはきっと……。
「由香……先輩の…………」
 言いかけて、やめる。
 桂の顔を見れば、唇を震わせた彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 由香は繋いだ彼女の手を“きゅ”と握り締めて、
「うん。わかってる。今日は遠慮しとくんでしょ?」
「…………うん」
 ずっ……と鼻を啜り、桂は子供のように“こくり”と頷いた。


 帰宅してすぐの7時頃、桂は杉林先輩の家に、夕食会への断りと謝罪の電話を入れた。
 電話に出たのは先輩のお母さんで、白いものが大分混じった上品な老婦人の柔和な顔が残念そうに沈むのが、桂には目に見えるようだった。以前に遊びに行った時、桂は彼女のお気に入りになってしまって、先輩が着られなくなった洋服を何着か頂いたりしてしまったから、今日はそのお礼も兼ねて御邪魔させて頂くつもりだったのだ。
 お礼をするのに再び御呼ばれしてしまう……というのは奇妙な話ではあるのだけれど、「貴女が来てくれる事が、何よりの御礼よ」と言われては断る理由も無かった。

 でも、それを断ってしまった。

 すごく残念そうな声音が、桂の胸を締め付けた。
 歳をとってから家に篭りがちで、体も弱いから来客も滅多に無いというから、桂と由香の来訪を心から楽しみにしてくれていただろうに。
 ――でも、ダメなのだ。
 今日はもう、人の前で笑えない気がしたから。

 今日は母も父も留守で、家の中は桂一人だった。
 食欲が無いので朝のパンの残りを牛乳で流し込み、歯を磨いて軽くシャワーだけ浴びると、桂はゆっくりと階段を上って自分の部屋へと向かった。何をする気も起きなくて、化粧水と保湿クリームを顔に塗り込むと、部屋の電気を消して、パジャマに着替える。
 窓ガラスに映る自分の裸の上半身を見て、そのまま、大きく盛り上がった重たい右の乳房に手を置いた。同年代の女の子には有り得ないような、とんでもなくでっかい乳房だ。強烈に「オンナ」を感じさせる、柔肉のカタマリだった。
 戯れに乳首を摘んで捻ると、それだけでお腹の奥の器官が“きゅん”と反応する。
 まだ、教室での余韻が、体の奥で燻ってる気がした。

 女である自分の体が……すごく悲しかった。

 自由にならない自分の体が、悔しかった。

 でも、あの時、健司の腕に抱かれたあの瞬間、自分は今まで感じた事も無いような幸福感と安心感に包まれた。
 涙が滲み、自分が「女」になった事を、「女」になってしまった事を、初めて心の底から「嬉しい」と想った。
 それを否定する事なんて、もう出来ない。
 桂は、のろのろと夜用のブラを身に付け、パジャマを着てベッドに潜り込み、目を閉じた。
 健司の、あの、痛そうな、苦しそうな、苦悶の表情が脳裏に浮かんだ。

『ご、ごめんっ!』

 あの言葉は、あの謝罪の言葉は、いったいどういう意味なんだろう?
 深呼吸するように大きく息を吸い込んで目を開き、天井を見つめ、そして窓から射し込む街の灯のゆらめきを見つめた。
 住宅街を走る、車のヘッドライトの光が天井を嘗めるのを見た。
 じっと耳を澄ますと、遠くで啼く犬の鳴き声が聞こえた。人の話し声や車のクラクション、電車の走る音も聞こえる。
 世界はざわめきで満ちていて、自分はひとりぼっちなんかじゃないと信じられる。

 だのに、どうしてこんなにも心細いのか。

 どうしてこんなにも胸が苦しく、こんなにも泣きたくなるのか。

 わかっている。
 それは、想いが迷子になっているからだ。
 どこにも行き場の無い想いが、胸の奥で小さく身を縮こまらせて、震えているからだ。
「…………っ…………」
 止めようと思う間もなく、涙が滲んで、目尻から枕へと零れ落ちた。
 弱くて、泣き虫で、自分の想いすら満足に伝えられない、情けない自分に、本気でイヤになった。

         §         §         §

 明け方になった頃、桂はまどろみから不意に覚め、身を起こした。そうしてベッドから下りて、きょろきょろと周囲を見回し、ティッシュを2・3枚取り出すと、パジャマの前をパンツごと引っ張って股間に当てる。しばらくそうしておいてから目の前に取り出したティッシュは、明かりの無い部屋では、真黒に染まって見えた。
『血…………生理…………? …………なんで…………』
 とろりと体内を垂れ落ちてくる感覚に、慌てて買い置きのタンポンとナプキンを手に持って階下のトイレに行き、手馴れた動作で処理をすると、便器の水を流して溜息混じりに階段を上がる。
 やっぱり、生理だった。
 でも、おかしい。
 ついこの前……初潮は先月の19日に来たばかりだった。
 大体生理は28日周期のはずだから、問題無ければ次は17日前後にくるはずだ。
 七夕では10日も早い。
 考えられるのは、生理不順……だろうか。
 思春期の体は、ちょっとした事で生理機能が変調してしまうと、ソラ先生は言った。それは、『星人』のハーフである桂も例外ではないらしい。
 溜息が出る。
 これでまた数日間、あの痛みに悩まされるのだ。

『あと、2ヶ月だ』

 不意にソラ先生の言葉が甦る。
『あと2回、生理がきたら、たぶんお前は、もう一生女のままだ』
 あれは、時間的に2ヶ月という意味なのか、時間とは関係無く生理が2回来たら……という意味なのか……。

 今日、その一回が来てしまった。

 もし生理が2回という事ならば、自分にはあと28日前後…………いや、今回みたいに生理不順が続けば、それよりもっと短い期間で、完全に女性に固定化してしまう……。
 しくしくと、鈍く、重たい感覚が広がり始めた下腹部を感じながら、桂はベッドに横になり、天井を見上げた。

 しんしんと満ちてゆく、“わたし”のからだ。

「わたし……」
 言葉に出して言ってみる。
「私、健司くんが、好きです……」
 言ってみてから、不意に可笑しくなって笑ってしまった。
 笑いながら、涙が出た。
 泣きながら、笑った。
 どうみても、ギャグにしかならない。
 どう繕っても、自分は本当のオンナノコの「プロ」にはなれない。

 薄闇の中、ベッドの中で下腹部に両手をあてた。
 その奥にひっそりと在るオンナの臓器を思った。

 ふと視線を巡らせば、ゆっくり射し込む朝日の眩しい光が、窓の向かいの白い壁を切り裂くように照らしている。
 朝が、来ていた。
 再びベッドから下りて、カーテンを開ける。
 窓から見える早朝の空は、どこまでも澄んで青く、高く、そして広い。
 窓を開けると、暖まる前の空気が体を包み込む。
 しくしくとした下腹部の痛みに手を当て、桂は目を伏せた。

 好きな人の命を紡げる体。

 そう思えば、この痛みにも我慢出来る。
『そうなんだ……』
 体中が、あたたかくなってくる。
 オンナのコのプロにはなれないけれど、自分は、『母親』には……なれるのだ。
『ボクは……』

 ワタシは……

 大きくてやさしくて逞しい、あの健司の子が、欲しい……。

 言葉にすればたったこれだけの事に思い至るまで、ものすごく遠回りをした気がした。
 普通の17歳の女子高生がこんな事を考えるかどうかなんて、そんな事は知らない。
 どうでも良かった。
 普通の高校生の男が、とか、女が、とか。
 そういうのは、脳の活動が停滞して自分の価値観を守る事に精一杯な大人にでも任せておけばいい。
 自分は、今ほんとうに自分が望む事を願えばいいのだ。
 求めればいいのだ。
 それが叶うとか、叶わないとか、そういう事は、後から考えればいいのだ。

 健司の子供が欲しい。

 健司の子供を産みたい。

 その欲求は、心の奥底から沸き起こってくるものだった。
 ソラ先生に言われたからではなく、『星人』の希望とかそんなんじゃなく。
 ただ自分の心が、そう思うのだ。
 健司でなければ、ダメなのだ。
 楡崎要が言うように、ひょっとしたら視野が狭いのかもしれない。
 でも、いい。
 余計な御世話だ。
『ボクは……健司に愛されたい…………』
 そして、アイツの子供を、この“しくしく”と自己主張を繰り返す小さな臓器に宿したいのだ。
 突き詰めれば、それは「健司との確実な絆が欲しい」という事でもあるのだけれど、まだそこまでは、桂も思い至らない。
 「絆を結ぶ」には「子供を作る」以外にも、まだ方法は存在するはずなのだけれど。
「ふあ…………」
 思い悩み過ぎてオーバーヒートを起こした脳が、可及的速やかな休息を必要としていた。
 今は、この生理欲求に従う事にする。
 桂は再び小さく欠伸をすると、もぞもぞとベッドへと潜り込み、5分もしない内に静かな寝息を立て始めた。

 その寝顔は、ここしばらく無かったほど、安らかに見えた。
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