■感想など■

2009年08月02日

第14章「君は俺が護るから」

■■【5】■■
 ……とは言うものの、気持ちの上では一応スッキリとしたカタチに落ち着いたけれど、体調の方はそうもいかなかった。

 「生理は病気ではない」のだけれど、その痛みと体の熱っぽさ、だるさ、重たい感じは、気分を容易に陰鬱にさせる。昨日、あんな事をしたというのに、健司からは何の音沙汰も無い……というのも、桂の心を再び出口の無い迷宮に追いやる一因となっていた。

 今日が土曜日で学校が休みだったのは、果たして桂にとっては良かったのか悪かったのか。
 明け方に眠りに入った彼女が、窓を叩く土砂降りの雨の雨音の中で目を覚ましたのは、午後2時を13分も回った頃で、しかも自分から目覚めたわけではなく、昨日は結局家に帰ってこなかった母からのラヴ・コール(!)のおかげだった……というのも、桂の気持ちを“ずうん……”と暗くしていた。母は京都へ、次回の出演映画の舞台になる場所の下見に行っている……らしいけれど、実際はどこにいて、何をしているのか…………本当のところは知れたものではない。実際、彼女が現在、ちゃんと女優業をしているのかどうかも、桂は怪しいものだと思っている。もっとも、それを確かめる術は無いのだから、疑ったからといってどうするわけでもないのだけれど。

         §         §         §

 「愛してるわ」を5回も6回も耳にして、いささか疲れた顔で受話器を置くと、桂は裸足のまま「ぺたぺた」と浴室に向かって軽くシャワーを浴び、経血で汚れた体を洗う。思ったより血で汚れていた下着は、捨ててしまったほうがいいのではないか? と思ったりもしたけれど、さすがにそれは忍びなくて、浴室に入る前に軽く水で揉み洗いしてから冷蔵庫に入っていた大根を薄切りにし、それを布地の表と裏に当てておいた。あとは、大根で布地を叩くようにして汚れを落とし、中性洗剤で普通に洗えばいい……らしい。
 これは由香から聞いた「衣服についた血液の落とし方」で、彼女はどうしてだかこういう“おばさんくさい”知識が時々出て来る妙な頭をしているのだ。きっとお母さんから伝授された方法だろうけれど、由香に似て「ほにゃにゃにゃ〜ん」とした童顔の母親が、おばあちゃんの知恵袋的知識を溜め込んでいる……というのも、ちょっと想像がつかない。

 ともあれ、学校が休みだということと、家に誰もいないということと、朝方はあんなにいい天気だったのに12時頃から急に天気が土砂降りになったことが重なって、時間だけはたっぷりありそうだった。
 そのためか、ふかした肉まんみたいにホカホカと湯気を立てながらパンツ一枚で脱衣所から出てきた彼女は、ガシガシとタオルで髪をいささか乱暴に拭きつつ、シャワーを浴びながら悶々と考えていた事を、まだまだずうっと考え続けていた。
 他に、特にやる事が無いのだから、どうしても思考のスパイラルに入り込みがちになる。これはもう、女になってから自分を見つめ直す事が多くなった桂の、性癖みたいなものだった。

 そんな桂は、喉の渇きを癒すため、ぺたぺたと裸足のままキッチンに入って冷蔵庫へ向かう。
『……健司……オマエ……どうしてボクを抱き締めたりなんか、したんだ?』
 心の中で、牧歌的微笑みを浮かべる呑気な幼馴染みに話しかけながら、桂は冷蔵庫から牛乳のパックを取り出し、リビングのガラステーブルに置いたコップに並々と注いだ。
「あ」
 ……ちょっとこぼしてしまった。
『そうだよ……オマエにとってのボクとオマエは、親友のはずだろ? どうして、抱き締めたりなんか……したんだよ……』
 テーブルを拭くと、ぼ〜〜……っとした、どこか気の抜けたような顔で深く溜息をつき、ソファに“ぼすっ”と体を預ける。温まって綺麗なピンクに染まった白い肌が、濃いブルーのソファに良く映えていた。
 たっぷりと重たい乳房がゆらゆらと揺れて裾野がもったりと広がり、今はやわらかい乳首が、生理中のためか濃い唇色になった10円玉大の乳輪の中で、凍えたようにふるふると震えていた。
『どうして……何も言わないんだ? どうして何も言ってきてくれないんだ?』
 顔を上げて、視線の先の、壁際のサイドテーブルに載った白い電話機を見た。
 もちろん、今すぐ受話器を手に取り、もう何度もかけてすっかり覚えてしまっている健司のケータイの番号をプッシュするのは簡単だ。けれど桂は、彼からの言葉を、待っているのだ。健司の方から、桂を引き止め、そして抱き締めた理由を言ってくれるのを、ずっと期待しているのだ。
『…………好きになっても、いいんだな? ボクがオマエを本当に……本気で好きになっても…………それでも…………』
 健司が何も言わないのは、言って来ないのは、「言わなくてもわかるからだ」と彼が思っているから…………などと、桂はなにも、都合の良い事ばかり考えているわけではない。それでも、沈黙はイコール肯定なのだと信じてしまいたくなっているのが、今の彼女なのだった。もちろんその時点で、実はもう、どうしようもないくらい「本気」になってしまっているのだけれど、自分ではまだセーブ出来ていると思い込んでいるのだ。
 でありながら桂は、こうも思っている。
『もし許されるなら……』

 昨日のようにまた“ぎゅっ”として欲しいと思う。

 ウソでもいいから「好きだよ」と言って欲しいと思う。

 健司が望むのであれば、その先だって許せると思う。して欲しいと思う。

 キスや、愛撫や、それに…………それに……………………セックスだって。

『昼間っからナニ考えてんだろ……』
 生理で少し張って、いつもより大きく感じられる乳房をタオルで拭き、敏感な乳首の“ちりちり”とした感覚に眉を寄せる。頭を振ってその感覚を振り払おうとするものの、一度灯った“乳肉を内側からじわじわと炙られるような熱い感覚”は、容易に消え去る事は無かった。それを無理矢理無視しながら左右の乳房を“ぐっ”と持ち上げて、下に溜まった汗をタオルで拭うと、ことさらに溜息を吐いてソファに身を委ねた。
 「えっちな考え」にすぐ移行してしまいそうになるのは、生理中だからなのかもしれない。体の奥が“うずうず”として、肌もいつもよりずっと敏感になっているのがわかるからだ。
『ここに…………』
 ソファに深く腰掛けながら、両脚を少しだけ広げて空色のパンツを“すり……”と撫でた。クロッチとナプキンの“ガード”で阻まれて、デリケートで敏感なクリトリスにまで指の動きは伝わらない。それでも、どの位置に「なに」があるか、慣れ親しんでしまった女の体だから、よくわかる。

 ――――この奥に、男性器を迎い入れるための場所がある。

 男だった頃には、裏ビデオでしか目にした事の無かった部分だった。
 その頃は、女のアソコは「男が気持ち良くなるための場所」であり、「愛する人との子を得るための場所」などではなかった。
 けれどこうして女の体となり、日々女として生きるようになると、この場所は「性を楽しむため」だけではなく、その先にある受胎・出産という「性を次代に継ぐ」プロセスを、嫌でも感じさせるようになった。
 女になったばかりの頃、ここに男のモノが入るだなんて、考えるだけで吐き気がした。
 だのに、今はたった一人の男のモノを迎い入れたくて、包んであげたくて、抱いてあげたくて、考えるだけで胸がドキドキする。
『…………なんだかなぁ……』
 男の記憶とアイデンティティを持ち、メンタルな部分でも男性的な部分を残しながら、それでも男に男根を体内に挿入して欲しいと願うのは、きっとヘンなのだろうな……と思う。
 でも、それに関して思い悩む事は、もうやめたのだ。誰にとってヘンで、誰にとってヘンでなければいいのか。そんな事は、もう関係が無いと思う。誰に何を言われようと、自分は健司が好きだし、健司と結ばれたいと思う。出来れば健司の子供を授かりたいと願っている。
 ただ、結婚…………までは、まだ考えられない。自分の特殊な生まれや境遇を思えば、幸せな結婚生活を送れると考えるのは、あまりにも都合が良すぎるからだ。
『そうか…………』
 ふと、桂は思う。
 自分は、「健司とは結婚出来ない」と心の底ではわかっているから、だから結婚に代わる「確かな絆」が欲しいんだ。
 法的なものではない、世間的に認められたものではない、「絆」……。
『ボクがアイツを好きになって…………あ、愛した…………絆……が……』
 アイツの子供を宿し、産み、育てる事で、アイツをいつも身近に感じたいと、そう思っているのかもしれない。
 では、もし結婚出来れば、子供は必要無いか? と問われれば、それもまた違う気がする。
 結婚して、その上で子供を授かったら、きっともっともっと幸せに感じるに違いない……と、思えるからだ。
『普通の女として生まれていたら……たぶんこんな風に悩む事も無く…………』
 もちろん、男として出会い、友情を育んできたからこそ起こってしまった事なのだ……という事実を、忘れたわけではない。
 けれど、もっと早い時期…………男と女の違いをハッキリと意識する前に女に変体していたら? という疑問を拭いきれないでいるのもまた、確かなのだ。
『ボクが最初から女として…………そしたら…………アイツも当たり前に女として好きに…………』
 知らず、鼻の奥がツンとして目頭が熱くなりかけてしまう。
『泣くな馬鹿ッ!』
 桂は“ぶるるっ”と頭を振ってほっぺたを両手で“ぱんっ”と叩き、立ち上がると、泣き出しそうになってしまった自分の弱い心を叱咤した。桂はなにも、男として生きた17年という年月を否定してしまうわけではないし、忘れたいと思っているわけでもないのだ。
 でも、もしも。
 もしも、最初から女として健司と出会っていたら。
 素直に自分と向き合った桂は、そう考えられずにいられないほど、健司を求めてしまうようになっていたのだった。

         §         §         §

 4時頃になって由香がやってきたのは、本人は言わないけれど昨日の事で心配になったからだろう……と桂は思った。
 こういう色恋絡みの悩みは、一人で考えたくはあるけれど、一人でずっと考えていると気が滅入ってくる事を知っているから、だから桂が落ち着くだろう今頃になってやってきたに違いない。
 こんな時、幼馴染というのは鬱陶しくもあり、ありがたくもあり……。
「え? なに? じゃあホントに“ぎゅっ”てされたんだ?」
「う……うん…………」
 由香はキッチンのテーブルでホットのオレンジペコを飲みながら「へぇ〜……あの健司くんがねぇ〜……」と、まるで昼下がりの奥様集会に参加した近所の“世話好きおばちゃん”みたいな声を上げた。
 紅茶を入れたのは、他ならぬ由香自身だ。
 客人が自分でお茶を入れるのはどうかと思うけれど、そこは勝手知ったる他人の家。由香は桂の家のキッチンに何があるか、桂自身よりも性格に把握している節がある。そのうち、母から財布まで預かってしまうのでは……と、桂としては心中穏やかでないのだけれど、それはまた別の話。
「ね、ね、ね、ね」
 由香はカップをテーブルに置くと、席を立って桂の隣のイスに腰を下ろし、“にまぁ”と笑って彼女のほっぺたを突付いた。
 今の桂は上下共に、いささか色気の無いグレーのスウェットを身に着け、ほんわかと石鹸の匂いをさせている。肌はツヤツヤで、ぽってりもっちりしっとりしてて、触ってるだけでキモチが良い。
「キスは?」
「は?」
 ほっぺたを突付く由香の指を避けながら、桂は水を掛けられた猫みたいな顔をして身を引いた。くりくりとした目をいっぱいに見開いているところなど、子猫みたいに可愛らしい。
「キスされなかった?」
「な、なんで?」
「なんで……って……」
 なにせ、健司が逃げるように出て行った後、桂は床にぺたんと腰を落として泣きじゃくっていたのだから、抱き締められた以上の事をされたに違いないのだ。少なくとも由香は、今の今までそう思っていたのだけれど、
「キスなんか…………ぎゅってされただけだよ」
 の彼女の言葉に、彼女は思わず
「うそだぁ」
 と声を上げた。

 “ぎゅっ”とされた時にお尻を触られたとか、おっぱいを触られたとか、何か「それ以上」の事をされたような取り乱しようだったのに、本当に抱き締められただけなのだ……と知った由香は、桂のあまりにあまりな「免疫力の無さ」に呆れかえるより、まず健司に同情してしまった。
 確かに、健司がいつ誰が来るかもしれない教室で桂の体をべたべたと触った……なんて、そこまで思ってはいない。けれど、桂がこれから告白して、出来ればキスとかペッティングとか、さらにさらにその先まで「オトナの階段」を駆け上ってゆく事を期待せずにいられない乙女心(老婆心……?)としては、その反応は過剰過ぎた。いまどき、男の子に抱き締められただけで泣き出してしまう女の子なんて…………由香の知る範囲では一人もいない。
「だから、別にぎゅってされただけで泣いちゃったわけじゃ……ないってば……」
 顔を真っ赤にしながら、桂は体を捩るようにして由香の追及をかわそうとする。
「違うの?」
「いや、それは、その、そうなんだけど……」
「どっち?」
「だから…………」
 “むうぅ”とほっぺたを膨らませて桂の顔をじぃぃと見ると、彼女はもじもじと体を揺すって立ち上がった。
「……トイレ」
「あ、逃げた」
「違うってば。もうっ」
 首筋まで綺麗なピンク色に染めて、まるでプロボクサーの2回戦ボーイがそうするようなファイティングポーズにも似た動きで両手をぶんぶんと上下に振る姿に、由香は「ぷっ」と吹き出して肩を竦めた。
 最近、富みに桂の仕草そのものが「女の子」らしくなってきている気がしていたけれど、どうやらそれは、決して気のせいなどではないようだ。自分の「恋心」を自覚して、桂の中にしっかり生まれつつある「女の子ハート」が、彼女に自然と女の子っぽい仕草を取らせているのだろう。
 たぶんきっと、本人に自覚は無いに違いない。
 そもそも、一ヶ月まで、桂が……『圭介』が、顔を真っ赤にしてほっぺたをふくらませながら「もうっ」と拗ねてみせた事があっただろうか?
『無い無い』
 とたとたとた……とトイレに向かう桂の可愛い後姿を見ながら、由香の口から、知らず、“くすくすくす”と、堪えきれない笑みがこぼれた。

 トイレから帰ってきた桂に対して、由香はことさらに追求はしなかった。
 ただ黙ってお茶を飲み、買い置きのクッキーを食べ、学校のこと、夏休みのこと、プールのこと、海のこと、コスメや服のことなどを話した。
 追求が続くと思っていた桂は、なんだか肩透かしを食らったような気持ちで由香の話に相槌を打っていたけれど、会話がふと途切れた時、今度は桂自身の方から、ぽつぽつと話し始めていた。
「わからないんだ」
「……何が?」
「健司の…………キモチ」
「うん?」
「健司がボクの事を、前みたいに……前と同じように見てくれようとしてるのはわかってる」
「女の子として、じゃなくて?」
「……うん。圭介だったボクと今のボクは、やっぱり同じ一人の人間で…………だから男とか女とか、そういう区別無しに友達……として」
 紅茶で唇を湿らせカップを置くと、桂はイスの背もたれに体を預けて「ふう」と溜息のような吐息を吐いた。
「でも、ぎゅってされた」
「うん…………だから、わからないんだ。健司がどういうつもりでだ……だき…………その“ぎゅっ”てしたのか」
 うっすらと頬を染めながら、目を閉じてテーブルの上で両手の指を“くにくに”と絡ませる桂を、由香は黙ったままじっと見つめる。
「それに、由香が来た時、足音を聞いてアイツはボクから離れて、なんだかすごく苦しそうな顔で『ごめん』って……言ったんだ」
「ごめん?」
「うん」
 桂は目を開けて、窓の外を見つめ、今度は正真正銘の溜息を吐いた。
「…………なあ…………謝るって、どういう事なのかな?」
 ポツリと漏らす言葉に、どこか湿った響きがあるように感じられて、由香は桂の目元を見た。けれど涙が溜まっているかと思えた目元に、雫は見えない。
「ね、けーちゃん…………健司くんって、突然“ぎゅっ”って、したの?」
「どういうこと?」
「何かきっかけが無かった?」
「きっかけ?」
「たとえば……けーちゃんが健司くんに『好き』みたいなニュアンスの事を言った……とか」
「そ、そんなの、無いよ」
 たちまち、桂の顔が“かああああぁっ”とタコみたいに赤く染まる。
「そう?」
「そうに決まってるだろ? …………でも…………あ…………」
「なに?」
 何を思い出したのか、桂は由香の見る前でますます赤くなり、小さく体を縮こまらせて、ぽちょりと言った。
「……なんでもない」
「はあ?」
「いいよ。もう」
「何が? 言いかけた事言わないと、けーちゃん、ひどいよ?」
「由香…………顔が恐いよ」
「恐くしてるんですぅ。ね、ちゃんと全部話して。じゃないと何もわかんないし、どうしたらいいのかアドバイスも出来ないよ?」
「……いつからここは悩み相談室になったんだ?」
「私がいるところは、いつもいつでもどこででも、『由香ちゃんの恋愛相談室』なんですぅ」
「なんだよそれ」
「話して」
「……だ……う…………」
 桂は、由香の「にこやかな笑顔」に声を詰まらせ、放課後に楡崎 要(にれさき かなめ)という男子生徒にからかわれたこと、彼の口にしたことが悔しくて哀しくて、気持ちが高ぶったまま健司の教室に行ったら、つい健司の机で“もにょもにょ”してしまい、それを当の健司に見られてしまった事などを白状した。
「……なに? その“もにょもにょ”って」
「……そ……それは…………」
 由香の厳しくも容赦無い追及に、桂は視線を外してもごもごと言葉を濁らせる。いくら由香でも、話せない事はある。
 そういうつもりでサインを送ったのだけれど、由香は真顔でこう言った。

「オナニーしたの?」

 ――――本当に容赦無かった。
「ばっばかっ! ハッキリゆーなっ!」
 小学生みたいな桂の反応に、由香は微笑ましい想いでいっぱいになったけれど、もしそうであるなら、健司の行動も仕方ないかな? ……と思わなくもない。
 普段はとてもそうは見えないけれど、健司だって17歳の性を持て余す、普通の男子高校生なのだ。それが、桂みたいな可愛くも“えっち”な女の子が自分の机で「ヘンなこと」していて、もしそれに気付かないとしても「その顔」を見てしまったら、きっと我慢なんて出来ないに違いのだ。
 きっと桂のつぶらな瞳は涙で“うるうる”してただろうし、ほっぺたはリンゴみたいな真っ赤になってただろうし、見られて恥ずかしくて唇なんてうっすらと開いたまま“わなわな”と震えていただろうし、そんな、誰がどう見ても「えっちなキモチ」になってる“護ってあげたくなるような雰囲気の少女”を、黙って見過ごせる男がいるとは思えない。
『少なくとも私は襲っちゃうな。うん。たぶん。きっと』
 由香がそう思って“くすっ”と笑みを漏らすと、桂は笑われたと思って口を引き結び、貝のように黙り込んでしまった。
「けーちゃん?」
 由香が話し掛けても、“むうっ”と唇を突き出したまま答えやしない。のみならず、立ち上がってリビングの方へと行ってしまった。その背中からは、「由香が言えってゆーから言ったのに、笑うなんてひどい。もう話してなんかやんない」というオーラが立ち昇っているようにすら見える。
「もう……子供っぽいんだから。別に、机でオナニーした事、笑ったんじゃないよ?」
 由香がそう言っても、桂はクッションを抱え込み、背中に大きく『断固拒絶』と見えない極太マジックで書き殴ったまま、桂はリビングにあるテレビのリモコンスイッチを入れた。
 やれやれ……と由香は思う。
 頑固で、一度こうと思ったらなかなか態度を軟化してくれないところは、ちっとも変わってない。
 由香はそろそろとイスから立ち上がり、ソファに近付くと、
「たあっ」
 と言いながら桂の体にフライング・ボディプレスをぶちかました。

 ――めちゃくちゃだ。

「うわびっくりしたっ!!」
 桂はクッションを放り投げて、横から急に飛び出してきた由香を慌てて受け止めた。仰向けになって彼女のやわらかい体を抱きとめると、優しく芳しい香りが鼻腔をくすぐり、つい、あのプールのシャワー室での事を思い出してしまう。
「……あ、あぶないだろっ? ナニやってんだよっ!」
「怒った?」
「……怒ってない」
「ほんと?」
「ホント」
「ふふふ」
 何度も確かめると、由香は桂の驚くほど豊かな胸に顔を埋(うず)めて、そのやわらかさをたっぷりと堪能する。
「やーらかい♪」
 スウェットの下にブラは無く、自分には無い弾力に富んだ肉厚のクッションに、彼女は“すりすり”と頬を摺り寄せた。
 しばらくそうして“ぷにぷに”“ぽにぽに”“たゆんたゆん”と遊んでいると、
「もういいいだろ?」
 と、いささかうんざりしたような声で桂の溜息が降ってくる。
「やだ。もうちょっと」
「ゆーかー……」
「えいっ」
「ふあっ……」
 由香は“ぐりっ”と顎で乳首のあたりを中心にして桂のおっぱいを捏ねてみせた。そして彼女が目を瞑り、“きゅん”と首を竦めてしまうと、その反応に「にんまり」と笑う。
 ものすご〜く、いぢわるっぽい笑みだった。
「感度良好だね」
「ば……ばかっ」
 なんとも言えない顔で桂は呟き、そして呆れたように「ふう……」と重たい息を吐き出した。
「ばかってゆった」
「え?」
「けーちゃん、私のこと、すぐにばかってゆーね」
「だってばかだもん」
「私はけーちゃんの先生なんだけどなぁ」
「『女の子チェック』限定だろ?」
「それでも先生には変わりないもん」
「由香のくせにぃっ」
 それは、“耳の無い猫のカタチをした万能未来型ロボットが活躍するアニメで、殺人破壊音波を好んで吐き散らかす町のガキ大将がいじめられっ子であるところの主人公に向かってよく言い放つ口調”に、ひじょーに良く似ていた。
「あ、そーゆーこと言う子には、おしおきしちゃうけどいい?」
「な……なんだよ」
「ん〜〜〜〜〜〜〜……」
「ばっ……ばかっやめっ…………やっ…………」
 ぐぐぐっと首を伸ばし、由香がタコチューみたいな唇で迫ってくる。桂はじたばたと暴れるものの、いくらちっちゃい女の子とはいえ、桂自身もちっちゃい以上、人一人の重さで圧し掛かられては如何ともし難かった。
「や……」
 桂は思わず目をぎゅっと瞑り、“その時”を覚悟する。けれどいつまでたっても、唇にあのやーらかい感触は訪れなかった。
「?」
 目を開けると、由香が目の前数センチのところで“にやぁ”と笑っている。
「ふふっ……なあに? キスされると思った?」
「だ……だって……」
「しないよ? だってそれは、健司くんの役目だもん」
「役目って…………ふぅあっ……」
 言葉が終わる前に、たっぷりと重たい2つのおっぱいを、由香のちっちゃい両手が“もにゅ”“たぷっ”と寄せて揉み上げた。
「だから今は、こうしてけーちゃんのおっぱいだけにしとく」
「な……なんだよぉそれぇ……」
 くすぐったそうに首を竦めながら困った顔で抗議する桂がなんだか可笑しくて、由香はくすくすと笑いながら、“こてん”と彼女の胸に頭を預け、キモチ良さそうに吐息を吐いた。
「けーちゃんのおっぱい…………キモチイイね……」
 由香の言葉に、桂はわざと大きく息を吸う。
 おっぱいが由香の頭を載せて上下し、その重さが不思議と桂の心を落ち着かせた。
『……あったかい……』
 由香の、細い髪を右手で“さらっ”と撫でてみる。
 人の体温を胸に感じるというのは、ここまで人を安らかにさせるのだ……と、彼女は再発見した。
「…………女の子の胸には……さ、ヒーリング効果があるんだって」
「ヒーリング?」
「うん……多恵さんが………………多恵さんって……覚えている? 初めて下着を買いに行ったデパートの」
「下着売り場のお姉さんの?」
「うん。その人がさ、言ったんだ」

『それはね、「あーこの人に元気をあげたいな。私の心の中の元気な部分をあげたいな」って思ったり、「この人を“ぎゅっ”ってしたら私も元気になるかな。もっともっとこの人に元気をあげられるくらい、元気になるかな」って思うからなの』

 更衣室の中で2人っきりになった時の、彼女の言葉を思い出す。

『ケイちゃんのおっぱいはね、ケイちゃんが「元気をあげたい」って思った時に、それが出来るようにおっきくなったんだよ。
 ケイちゃんが「癒してあげたいな」って思った時にそれが出来るように、ここまでおっきくなったんだよ。
 だからそれを嫌だって思ったり、恥ずかしいって思う事は無いの。ケイちゃんが「元気をあげたい」「癒してあげたい」って思う相手以外にどう思われても、それは関係無いし、その相手に必要とされる事に比べたら、そんなのはなんでもないって、きっと思えるようになる。
 これはホントだよ?
 だから、胸の大きな自分を嫌いにならないで。自分の体の一部を否定しないで欲しいの。少しずつでいいわ。少しずつでいいから、ケイちゃんには自分の体を好きになってあげて欲しい』

 思えば、あれがきっかけだった気がする。
 女になった…………女になってしまった自分の体を、それまでとは違ったカタチで見始めたのは。
 単に忌むだけではない視点を、桂の凝り固まった心に与えてくれたのだ。
「けーちゃんは、“ぎゅっ”てされたいけど、それよりもっと“ぎゅっ”てしてあげたいのかな」
 “とくん……とくん……”と落ち着いた鼓動を聞きながら、由香がポツリと言う。
「…………誰を?」
 声は平静を装っているけれど、鼓動は少し早くなった。
「わかってるくせに」
「…………わかんない……」
「わかってるでしょ?」
「そうじゃなくて…………愛されるよりまず、愛したいのか…………愛してるから愛されたいのか…………そーゆー話」
 顔を上げれば、桂は難しい顔をして天井を見つめている。
「『愛』だってぇ! もうっけーちゃんってダイタンだねっ」
「茶化すなよ。でも、そういう事なんだろ?」
「違うよ」
 あっさり言った。
「愛したいか愛されたいかって問題じゃないの。それぞれを別々に考えるからヘンなんだよ。
 愛する事と愛されたいと願う事は、おんなじなの。
 愛する方が愛されるより尊いとか、愛される方が愛するより幸せかとか、そんなのは勝手な後付けの理由でしかないんだよ」
「……そうなの?」
「そうなの」
「ホント…………オマエって時々、難しい事ゆーのな」
「ふふっ」
 由香は謎めいた笑みを浮かべると、再び“ぽふっ”と、桂の大きく盛り上がったおっぱいに頭を預けた。
「けーちゃんは健司くんを癒してあげたいんだね」
 桂は何も言わない。
 けれど鼓動が全てを語っている。
「健司くんは、けーちゃんのこと、好きだと思うよ?」
「……うん……わかってる」
 桂は、健司の「好意」を疑った事は無い。けれどそれが「異性として」のものかどうか……という話になると、また別だ。

 抱き締める事は出来ても、キスは出来ない関係というものがある。
 また、キスは出来てもペッティングの出来ない関係だって、ある。

 前者は主に友人関係であり、後者は主に家族関係だ。
 もちろん、「抱き締める」にも「キスをする」にも、国や世代や習慣によってその方法も程度も千差万別だし、全てがするとも限らない。
 健司が桂を抱き締めたのも、それだけを見れば、友人としては……多少親密過ぎるきらいはあるけれど、特に異常とも言えないものだ。確かに、普通の状態の時に同級生と無闇やたらと抱擁する男子高校生などいないし、いたとしても気持ち悪いだけだろう。けれど、感極まった場合には、普段友人と抱擁など気持ち悪いと思っていても、つい、してしまえるものだからだ
「それがけーちゃんの望む『好き』じゃないとしても、健司くんはきっとずうっっとけーちゃんのことが好きだと思う。私だってそうなんだから、健司くんはもっとそうだと思う」
 「どうしてわかる?」とは聞かない。
 その代わり、桂は言った。
「ボクはさ……ヘンかもしれないけど、その……健司の赤ちゃんが欲しいんだ」
「あ……赤ちゃん?」
 ぎょっとした顔で由香が顔を上げた。
 その驚きに見開かれた瞳を、桂は真正面から見つめる。
「やっぱりヘンかな?」
「…………う……うーん…………ヘンじゃないと思うけど…………」
「で、さ…………」
 鼓動が、“どきどき”が、大きく、早くなった。
「ボクはやっぱりボクでしかないし、ボクが今さら女の子っぽくなろうとしても無理だってわかってるから、ボクはボクのままで健司に『好き』って言ってもらえるように努力する事にした」
 「んふー」と鼻息も荒く言い放つ桂は、なんだかすごく逞しく見えた。
「あ〜〜……でも、健司くんにイキナリ『赤ちゃん欲しい』って言わない方がいいと思うよ」
「なんで?」
「なんで……って…………そーゆーのは…………たぶん引くと思う……」
「引く?」
「うん。引く」
「……そうかなぁ……」
「だって、考えてみてよぉ。イキナリ好きって言われて、それで『あなたの子供が欲しいの』って言われたら、男の人ってたぶん『もう結婚の事まで考えてるのか!?』って思うに決まってるもん。正直、ウザイと思う」
「ウ……ウザイ……?」
「だってね、大抵の男の人にとって、子供を作るイコール結婚なんだもん。そうなるといろんな事を考えちゃって、めんどくさいって思うかもしんない」
 桂は、自分が男だった時もそうだっただろうか? ……と考えてみたものの、そもそも女の子から「子供が欲しい」と言われるシチュエーションに遭遇したことからして無いのだから、考えたとしても答えなど出ようはずも無い。
 そして女の身になった今となっては、男の肉体での思考をなぞってみようとしても、もう……上手くいかなかった。どうしても、「産ませる側」ではなく「子供を宿せる臓器」を強く意識するがゆえに、自然と「産む側」の思考になってしまうのだ。
「健司も……かな?」
「健司くんはどうかわからないけど…………やっぱり大抵の男の人はそうなんじゃないかなぁ? それに、子供子供って言ってると、『けーちゃんは俺の事が好きだから子供が欲しいのか、ただ単に子供が欲しくて俺に好きだって言ったのかどっちなんだ?』って思われちゃうよ?」
「う……それは……やだなぁ」
 もし健司にそんな風に言われたら、たぶん泣きたくなるくらい哀しい……と、桂は思う。
 「好きな人」だから、「好きな人の子供が欲しい」と思うのに、「相手は誰でもいい」から「子供が欲しい」と思われるのは、好きな人に「愛情」を信じてもらえないという事だ。
 『あなたの子供だから欲しい』という大前提をわかってもらえていないという事だ。

 それは、とても…………哀しい。

「でしょ?」
「……うん」
「まず、健司くんの事が好きだって事を伝えなくちゃ」
「う……うん……」
「健司くんの事が好きで好きでたまんないって」
「う……………………うん………………」
「健司くんの事が寝てても起きてても頭から離れなくて、早くいっぱい“ぎゅっ”ってして欲しいって」
「………………う…………」
「健司くんとキスしてえっちして一緒に起きて一緒に御飯食べて一緒にお風呂入って、それから……」
「…………オマエ…………楽しんでるだろ」
「うん」
 茹でダコみたいになった桂に「にぱぁ」と笑って、由香はやーらかいおっぱいに“すりすり”と頬擦りした。

         §         §         §

 「善は急げ」とばかりに、由香はさっそく健司のケータイに電話して彼を捕まえると、明日の日曜日、久しぶりに3人で映画を観に行く約束を取り付けた。健司は渋ったけれど、「性格変わっただろ」と桂が思うくらい強引になった最近の由香に、“あの”健司が敵うはずも無かった。
 それにしても……と、桂は思う。
 由香の頭には「急いては事を仕損じる」とか「急がば回れ」とかいう言葉は無いらしい。
「幼馴染みが『好き』って言うのには、タイミングが大事なの。これってすごく難しいんだよ?」
「そう?」
「そう。だって私がそうだったもん」
「あ〜〜…………」
 桂はぽりぽりとほっぺたを人差し指で掻きながら、あさっての方を見た。
 シャワールームで、由香にキスされた後に聞かされた告白を、鮮やかに思い出してしまったからだ。
『――ね、知ってた?
 私、ずっとずっとずうううっと、けーちゃんが好きだったの。
 ちゃんと男の子として、大好きだったの』
 ずっと好きだったのに、告白出来なかった由香は、そう言いながら……泣いていた。
「けーちゃんには、私みたいになってほしくないもん」
「だからって……」
 いきなり明日は無いだろう?
 生理だって始ったばっかりで、今日なんて体が重たくてたまんないのに……。
 そう言おうとした桂は、由香の次の言葉に息を飲んだ。
「でね? 私は行かないから」
「へっ?」
 頭が真っ白になって、ぽかんと口を開けた桂に、由香がわざと“にっこり”笑う。
「待ち合わせの公園には、けーちゃんだけが行くの」
「な…………ななななな…………なんで? なんで?」
 ひとたまりもなく慌てふためいて、思わず由香の左手に迷子の子供みたく縋り付いた桂に、彼女は「決まってるじゃない」とでも言いたそうに目を細め、
「保護者同伴で告白する人なんて、いないでしょ?」
 と、とても女の子らしくないことを、
 言った。
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