■感想など■

2009年08月03日

第14章「君は俺が護るから」

■■【6】■■
 3人で一緒に映画を見て、適当に話をして、それで気まずさが取れたら、そしたらタイミングを見計らって健司と2人きりにしてくれるものだとばかり、思っていた。
「はぁ……」
 溜息しか出ない。
「ホントに言う…………のかぁ……?」
 桂は公園のベンチに座って目の前の噴水を眺めながら、昨日の事を思い出していた。


「ボ……ボクに健司と2人っきりで逢えってゆーのか!?」
「当たり前じゃない」
 由香は、いとし子を見つめる慈母にも、魂を差し出す堕落者を見つめる悪魔にも見える、微妙にこわい微笑みを浮かべながら、キッパリと桂の抗議を切り捨てる。

 ハッキリ言って、これっぽっちも容赦無かった。

 桂にしてみれば、どこか裏切られたような気分だ。
 金曜日にあんなことがあってから、まだ一度も健司と顔を合わせていないのだ。
 なのにこの「極悪非道の人でなし」は、健司と2人きりで逢えと言う。
 逢って、「好きです」と想いを告白しろと言う。
 きっとこれは、彼女の想いにずっと気付かなかった桂への、ささやかな復讐に違いない。
 …………と、桂が心の中で思ってしまうくらい、容赦の無い仕打ちだった。
「こ、こういう時、女の子って友達の告白にもついてってあげるものなんじゃないの!?」
「ないの」
 取り付く島も無い。
「だ、だってこの前だって、クラスの子に京香が付き添い頼まれてただろ?」
「そうだね」
「じゃ、じゃあ由香も」
「よそよそ。うちはうち」

 ――どこの家の家庭事情ですか。

「なあ、由香……その……せめて公園まで……」
「けーちゃん?」
「はいっ」
「往生際が悪い」

 …………完敗である。

 そして残酷にも…………と言っていいのかどうかわからないけれど、7月9日の日曜日は、朝から快晴だった。
 待ち合わせの時間は午前10時で、場所は近所の公園……という、あまりにもあまりにベタなシチュエーションだ。
 “雨だったらやめておこう今回は機会が悪いそうしようきっと神様が今はまだ早いって言ってるんだ”…………などと、寝る直前まで往生際の悪い事をぐるぐると思っていた桂のへなちょこ決意を、完膚無きまでに叩き潰す見事な天気だった。


 結局、今朝は緊張のあまり桂は朝7時に目を覚まし、“ぼ〜〜〜っ”としたままパジャマを脱いでパンツ一枚で浴室に向かって、そこでパンツを脱いでタンポンをティッシュで包んでゴミ箱に投げ入れた。シャワーを浴びて出てくると、今度はそのまま洗面台の前で裸のまま歯を磨いたのは乙女としてはあまりにあまりな無頓着さ。途中、あそこから経血が垂れ落ちてきた際に、ティッシュを丸めて股間に挟むに至っては、とても他人には見せられない姿だった(あたりまえだ)。
 歯を磨き終えてからシャツを身に着けると、次にタンポンとナプキンと下ろしたばかりの新しいパンツを手にトイレに篭り、キッカリ6分で出てきた。
 目玉焼きとトーストとホットミルクという、ごくごく簡単な朝御飯を用意したのはそれから10分後。そしてその朝御飯を食べて、それからまた歯を磨いた。朝御飯を食べる前に歯を磨いた事など、この時点で忘れている。ついでに言えば、朝御飯のトーストにジャムを付けたか付けなかったのか、食べ終わった時点でもう思い出せなかった。
 頭の中では起きてからずっと、今日これから起こるだろう一世一代の大勝負の事ばかり考えていて、している事は全てが全自動。
 意識と無意識を行ったり来たりしている、実に特殊な技能っぽかった。

 朝御飯を食べて胃が活動を再開すると、多少なりとも意識はハッキリとしてくる。
 そこで桂は、顔を洗って2階に上がり、部屋に入ってシャツとパンツのままぐるぐると部屋を一周してみた。落ち着かないのでもう二・三周してみたけれどやっぱり落ち着かなかった。
 あたりまえだ。
 こんなに緊張したのは始めてだ。
 高校入試の時なんて、てんでメじゃなかった。

 まるで人権保護団体が強引に内容を変えてしまった黒人少年の物語に出て来る虎のように、部屋の中をバターになりそうなくらいぐるぐると歩き回る桂だったけれど、3分ほどするとようやく決心がついたのか、ベッドに上がりこみ、布団を引っかぶって目を瞑った。
 ――――どうやら、「ごめん寝過ごした」作戦を強行するつもりらしい。
 時刻はこの時点で8時10分過ぎ。あと2時間半もすれば約束の時間を程好く過ぎて、健司だって諦めて帰るだろう。

 ――――――帰ってどうする。

 そんな風に、果てしなく後ろ向きになりながらベッドの中でうとうとし始めた頃、桂は階段を“とたとた”と音を立てて上がってくる誰かの存在に気付いた。
 部屋の扉が開いた。
 ……ような気がした次の瞬間、
「たあっ」
 と言いながら、いきなりやーらかくて重くていいにおいの物体が“落ちて”きた。
「ぐえっ」
「けーちゃんあさだよーーーー!!」

 ――由香だった。

 情け容赦無い鬼教官は、朝まで情け容赦無かった。

         §         §         §

 服を選ぶのに、20分かかった。

 化粧するのに40分かかった。
 1度濃くし過ぎてオバケみたいになったから、自主的に全部一からやり直した。
 まあまあ見られるかな? という程度になった桂の顔を見て、由香は無慈悲にダメ出しをし、クレンジングクリームを塗りたくって全部きれいさっぱり落としてしまった。
 結局、化粧は3回もして、由香のOKが出たのは9時を40分も過ぎた頃だった。
 時間が無いから髪も適当に梳いただけだったけれど、由香の『女の子チェック』で作られた桂の『オンナノコ』な顔は、それはもう可愛らしかった。服は、『オンナノコ』な服――つまり、清潔なイメージですっきりとしたシルエットのワンピース――を、どうしても桂が嫌がったため、仕方なく由香はスカートを断念した。

 「女の子として最低限のたしなみ」をクリアするだけなら、もっと簡単に手早く済ませてしまえるのに、いざ「気合を入れる」となるとこんなにも時間がかかるのか…………。
 桂はそう思って溜息をついたけれど、由香はそんな桂を見て、
「違うよ。まだけーちゃんが慣れてないだけ。慣れれば、もっともっと時間かかんないよ」
 と言った。


 公園は、家から数分の所にある、少し広い緑地公園だった。
 低潅木と雑木林がよく茂っていて、この辺りの住宅街に住む人々の憩いの場となっている。由香の家と小学校との、丁度中間辺りに位置しているここは、よく学校帰りに健司と由香と3人で遊んだ、いわば思い出の場所だった。
 3人だけで遊ぶ時もあり、誰かが加わって数人で遊ぶ時もあった。
 基本の「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」、「三角ベース」や「ドロジュン(泥棒巡査?)」、「Sの字(Sケン)」や「5の字」や「たかたか鬼」…………昆虫採集や夏休みの写生も、この公園でした覚えがある。

 敷地は南北に細長く、北寄りに小さな貯水池があり、ほぼ中央にそんなに大きくない噴水がある。直径は5メートルほどで、高さは3メートルも無い。その噴水の周りには、2人掛けのベンチや、そこそこに広い芝生区画があって、今もちらほらと数人の人影が休日の陽射しを浴びて楽しんでいた。
 時刻は9時54分。
 空は抜けるように高く、青く、見上げているだけでくらくらする。
 ベンチが木陰になかったら、ちょっと辛かったかもしれない。3日目(正確には8日の朝方にきたのだから、2日目になるのだけれど)を迎えた生理は、2回目とはいえ初潮の時と同じくらい痛くて、重くて、そしてその血の匂いとナプキンの感触が気になった。
 健司に気付かれたら恥ずかしいな……と思う自分を自覚する。
 そう思いながら、やっぱり今日くらいはスカートを履いてきてもよかったかも……と思っている自分をも、自覚せずにはいられなかった。

         §         §         §

 結局、桂は最後までスカートを履く事に抵抗し、今履いているのは、明るいオレンジのキュロットだった。
 どうしてもスカートを履かせたい由香と、学校の制服以外ではまだまだどうしても恥ずかしくて履きたくなんかない桂の、徹底交戦の末に協議された結果生まれた、最大公約数的譲歩の賜(たまもの)だった。

 もともと「キュロット」というのは、フランス語で「半ズボン」とか「小さなお尻」とかいう意味らしく、現代では半ズボンをスカート風にデザインした「パンツ型スカート」……と思えばいいようだ(パンツなのにスカート……というのも、これはまたヘンな話ではあるけれど)。
 古くは17世紀後半から18世紀の終りまで着用された貴族の男子の標準的な服装であり、ベルトで腰位置に支えるという近代的な半ズボンで、同時期にフランスの宮廷を中心として男性の間で好んで着られた「ジュストコール(Justaucorps)」(「ピッタリ身体にあった」という意味の、襟なし、前開きで膝丈でコート状の、胴のくびれたタイトフィットな上衣)と一緒に着用されたらしい。

 とまあ、“キュロットの歴史的背景”なんてものは実際のところ桂にとってはどうでもいい事であり、スカートに見えなくもないシルエットでありながら、風が吹いてもパンツがそうそう見えないキュロットは、桂にしてみれば「いずれ履く事になるだろう」スカートへの序章……としては妥当な線と言えた。

 ともあれ、背がちっちゃくて、でもお化粧でものすごく可愛らしくなった少女が、白い半袖のシャツを下から思い切りよく押し上げる“ぱっつんぱっつん”のおっぱいと、“きゅん”と引き締まったお尻を包む短いキュロットから、これまた“すらり”と伸びる白い生脚を晒して歩く姿は、どうしても道行く人々の視線を集めずにはいられなかった。
 「桂ちゃん、今日はどうしたの? デート?」と、あからさまに聞いてくる近所のおばちゃんはいいとしても、ブラをしてても歩くたびに“ゆっさゆっさ”と揺れるおっぱいを見て、ニヤニヤとした表情を隠そうともしない高校生らしい男の子とか、ケータイでいきなりお尻の写真を撮る頭の悪そうなフリーター風味の脱色男とかは、正直カンベンして欲しいと桂は思った。
 中にはキュロット姿を見て、わざと聞こえるように「ちっ……ミニスカートじゃねーのか」と口にする馬鹿もいたけれど、そもそもキュロットに対して「色気が無い」だの「スカートかズボンかハッキリして欲しい」だの言う男は「死んでいい」とさえ思う。
 さらには「情緒が無い」などと、どう考えてもおかしな事を言う、『“女子社員へのセクハラ”や“サラリーマン御用達低俗週刊誌のグラビアページ”しか楽しみが無いようなエロボケオヤジ』がいるけれど、結局のところ、彼らは色々理由をつけてはいるものの、要はスカートのように「パンツが見えそうで見えない……でも時々見えてしまったりする」状態にならないのが嫌なだけで、それを「情緒」などという曖昧な言葉でイロイロ誤魔化しているだけの話だ。

 だいたい、そんなにスカートが好きなら一度自分が履いてみればいいのだ。

 そう、桂は少々憤慨しながら思う。
 パンツを空気に晒して歩くというのが、どんなに恥ずかしい事か、5分もあればすぐにわかるから。
 制服はなんとか慣れた。
 でも、私服はダメだ。これはいけない。制服は、なんというか、つまり、完全防御なのである。いわば戦闘服であり、「かかってこいやオラァ」なのである。
 でも、私服はいけない。
 自分の“全て”を見られている気がしてしまう。
 制服なら他の女子に混じってしまえば外敵に襲われる事も無いけれど、私服では簡単にターゲットロックオンされてしまうからだ(いや、そもそも「外敵」って……なんだ??)。
 スカートというのは、そんな「危機的状況」をさらにさらに悪化させてしまう力を持っている。
 それは、桂が男だったからこそわかる事でもあった。
 それほどまでにスカートというのは、男の視線を引き寄せてしまうものなのである。

 そもそも学校という一種の閉鎖空間ではミニスカートといえども数十人が一度に群れれば、ことさらに注目される事は無い。
 でも街中でスカートを履いていると、その注目度はぐんと上がってしまうのだ。
 ならばロングにすればいいのではないか? という声もあるだろうけれど、ロングは何かあった時に走りにくく、その上蒸れやすいので生理中の桂にとって最初から選択肢には入っていなかった。
 だから、ジーンズや綿パンツを由香によって強固に否定された桂にとって、キュロットというのは最大の譲歩なのである。

         §         §         §

 で、ありながら、本日この時、今までおっぱいが目立つ服をあれだけ嫌がってたのに、“ぱっつんぱっつん”に目立ちまくる白の半袖ブラウスを身に着けているのは、桂の心に生まれ始めた、ささやかな「オトメゴコロ」がそうさせたのかもしれない。
 そして何より、健司が『おっぱい大好き』な人だということを、由香も知っていたからなのだ。
 由香にまでハッキリバッチリ知られてしまっている健司の『おっぱい星人』ぶりもどうかと思うけれど、きっと本人は、由香にだけはバレていないとか思っているに違いない。そういうところを、桂は「可愛い」と思う。
 そう思った時、桂は
『可愛い? …………アイツのことを? …………男を?』
 自分の心の動きに、自分で驚いてしまった。
 けれど由香は、そんな桂にこう言ったのだ。
「私も、けーちゃんのこと可愛いなぁって思った事、あったよ? もちろん、けーちゃんが女の子だってわかる前から」
「悪かったな全然成長しなくて。童顔で、声変わりしなくてっ」
「ちがうよ。そんなんじゃなくて、ここ」
「…………おっぱい?」
「ちがう。なにそれ」
 由香は無情にも「ばかじゃない?」という目をした。
 あのプールでの一件以来、由香は時々こういう容赦の無い目をする。それは以前のような、どこか甘えた感じのある目ではなくて、同じ目線の「友達」としての目だった。
「ココロだよ。ココロ。ハート」
「ハート……」
「うん。けーちゃんはね、ハートが可愛いの。強くて……優しくて……いぢわるでずるくてちょっと乱暴で…………でも、だからこそ、すっごく可愛い」
「ムチャクチャ言うな」
「素直って言ってるの」
「素直?」
「うん。人に素直。それでいて自分に正直」
「…………子供っぽいってこと?」
「そうとも言う」
 そういう論理で言うのなら、健司は「子供っぽい」のだろう。
 でも、そんな健司を「可愛い」と思ってしまう桂は、果たして「大人っぽい」のだろうか?
『それも違う気がするな……』
 もし本当にオトナだったら、こんなにわかりやすい「エサ」を目の前にぶら下げたりしないだろう……と桂は思うのだ。
 そして「スカートにしても良かったかも」と思うのは、それを桂に強く意識させてしまう。
 つまり、
 こんなにおっぱいの大きさやカタチがハッキリとわかってしまうようなブラウスを着てきたのだから、下もミニスカートでも履いてアピールを最大限に発揮すれば、健司も男だった時の自分を意識せずに、女として見てくれるかもしれない。
 一人の女として、答えを返してくれるかもしれない。
 そんな打算が無かったか? と言われれば、とても否定出来ない……ということだ。
 何より、桂が健司に「女として見て欲しい」と思っているのは事実であるし、健司に「愛して欲しい」と思っているのは、事実だったから……。

 でもそれは、胸の奥に秘めておくことで、こうしてあからさまにしてしまうのは、本当のオトナがやる事ではない……と思う。
 オトナというのは、もっと…………
「けーちゃん?」
 少々、考えに没頭してしまっていたようだ。
 いつの間にか目の前には背の高い牧歌的微笑みの幼馴染みが突っ立っていて、その大型草食動物みたいな柔和な瞳が、こちらを見下ろしていた。
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