■感想など■

2009年08月08日

第15章「獰猛な欲望」

■■【4】■■
 後ろ手に保健室の扉を閉め、桂は“ほうっ……”と吐息を吐いた。
 自然と両手で体を抱き、“ぶるっ”と身を震わせる。体の芯が“じんじん”として、熱っぽさがちっとも抜けなかった。

 ――体が熱い。

 しゃがみ込みそうになるほどでは無いけれど、それでも脚に力が入らなくて、廊下の窓に手をかけて体を支えた。
『明日まで……』
 この“じんじん”と痺れるような、浮遊感にも似た「高ぶり」を我慢しなければならない。
「んっ……」
 意識しないように……と努めても、硬く立ち上がった乳首はブラの裏地と擦れるだけで刺激となったし、パンツの内側に“念のため”と貼り付けたおりものシートも、刺激を増しこそすれ抑えてくれはしない。
 たっぷりと濡れ、火照り、痺れる。
 まるで生理中のようにおっぱいが張って、少し揺れるだけで“ぴくり”と肩が震えた。
 さっきは、ソラ先生に軽く首筋を撫でられただけで、全身を電気みたいに“びりびり”と快美感が走り抜けた。
 確かに、こんな状態で、ボディラインがハッキリと出てしまう薄い水着のままプールで泳ぐなんてのは、ある意味で自殺行為かもしれない。一月半前まで男として接してきた級友達の、それまでとはまるで違うギラギラとした嘗めるようないやらしい視線に晒されながら泳がなければならないというのは、拷問に近い気がした。
『またちょっと……濡れちゃった……かな……』
 周りをきょろきょろと見回して、誰もいない事を確かめると、桂は窓辺に寄って外から見えないようにしつつ、「外の景色見てます」という何気ない顔をしながら、そっとスカートの中に手を入れた。
 パンツの布地に中指の腹を当てると、布地越しのおりものシートの感触と、しっとりと蒸れたような湿気を感じる。
「ぁ……」
 思わず、このままあそこを擦り上げてしまいたくなるのをかろうじて我慢した。
『授業……始まっちゃう……』
 桂は、腰に纏わりつく鈍くもやもやとした甘い感覚を振り切って、ふらつきながらも2階に続く階段を、わざと一気に駆け上った。

 教室に向かうには、2階に上がって職員室前の渡り廊下を渡っていく方が教室に近い。
 力の入らない脚を強引に動かし、スカートを翻して2段飛ばしに階段を駆け上がると、桂は不意に聞こえた声に思わず最上段を踏みしめたまま立ち止まってしまった。そのまま、そろそろと曲がり角から顔を出す。
 果たして、左側突き当たりにある職員室から、なにやら深刻そうな顔の健司と彼の従姉の玲奈がちょうど出てきたところだった。
 玲奈さんは明るいショートボブの似合う相変わらずの美人で、出るところは思い切り出て、引っ込むところは思い切り引っ込んでいるモデル体型のスーパー高校生だった。樽型体型の健司の母の姉の娘で、顔付きから何から健司の母とはまるで違う。本当に血が繋がっているのかDNA鑑定でもして確かめた方がいいと思うものの、さすがにそんな失礼なことを言わないだけの分別は、いくら桂でも持ち合わせていた。
『なんで?』
 慌てて曲がり角に頭を引っ込めて、2人の様子に聞き耳を立てる。「なぜ隠れなければならないのか」とか、「もうすぐ5時間目が始まる」とか、そんな事は桂の頭から綺麗サッパリ無くなっていた。
『何話してるんだ?』
 2人は職員室の前で立ち止まったまま、ぼそぼそと話し込んでいる。
 小さな声のためか、2人がどんな事を話しているのか、ここからではわからない。ただ、健司が少し暗い顔で玲奈を見つめ、玲奈がすがるように彼の左手を掴んでいるのだけが見えた。
 従姉なのだから、何か親族だけの話があったのかもしれないし、玲奈は女子水泳部の部長で、7月からは水泳部全体のマネージャー的役割をしているのだから、水泳部期待のホープである健司と一緒にいたってなんら問題は無い……はずだった。
『…………なんだよあれ……』
 ちょっとだけ、胸に黒い炎が灯る。
 『嫉妬』…………とは思いたくなかったけれど、どうにもそうとしか言いようの無い感情だった。
 なにせ、従姉は結婚できるのである。
 つまり恋人にもなれるし、あんなことやこんなことだってしても、誰にも文句言われないのである。
 しかも、桂は健司が、実は両親と血の繋がった親子ではないと知っている。
 ということは、だ。
 玲奈とも血が繋がっていなくて、従姉とはいっても本当の従姉ではないのだから、ただ精神的に近いだけの男と女……ということなのである。

 玲奈は、健司が好きだ。

 それは、女になって健司に「恋」してしまった桂だからこそ感じる「同じ男を見ている女としてのシンパシー」なのかもしれなかった。
 けれど玲奈のそれが「弟」としてなのか「男」としてなのかは、桂にもわからない。
 ひょっとしたら、玲奈にもわかっていないのかもしれない。健司に向ける玲奈の瞳には、他の男子に向けるようなものとは全く違うやわらかで優しくて、どこか熱っぽい光が見える…………気がするのだ。
 そして、健司もまた、玲奈の事は単に「従姉」や「学校の先輩」というだけではない、何か親密なものを抱いている。
 でなければ、高校生にもなって「健ちゃん」「玲ちゃん」と呼び合うはずが無い。
 桂は、自分も健司や由香から「けーちゃん」と呼ばれている事を棚に上げて、階段の隅から2人の様子をちらちらと盗み見ていた。
 けれど。
『あ〜〜〜……もうっ! なんだよボクらしくないっ!』
 こんなところでうじうじと眺めているのは性分ではない。
 すぐに桂はそう思い、さりげない風を装って廊下に出た。
「でも健ちゃん……それじゃあ……あなたが……」
「いいんだ。俺がそう決めたんだから」
「よっ……何話してんの?」
 「ちょっと通りかかっただけです」という仮面を貼り付けて、左手をスカートのポケットに突っ込んだりして、上履きを“ぱたぱた”させながら桂が近付くと、健司と玲奈は“ぎょっ”としたように彼女を見た。
「……! ……けーちゃん……」
「なんだよ、驚いた顔して」
「だって、そりゃ、びっくりするよ」
「ボクはオバケかなんかか?」
 努めて能天気に微笑み、健司の背中を“ばしん”と叩く。
 ふと、刺すような視線を感じて隣に立つ玲奈を見ると、彼女はものすごい目で桂を睨んでいた。
「……え?」
 思わず鼻白み、腰が引けてしまう。
 どうして彼女が自分を睨むのか、視線で人が殺せるのなら今すぐ殺してあげたい……とでもいうくらいの表情で自分を睨み付けるのか、桂にはさっぱり心当たりが無く、どうしたらいいかわからなくて一瞬、パニックに陥ったのだ。
 顔を強張らせて固まった桂に、玲奈は一歩近付いて「彼女にもこんな声が出せたのか」と思うほど低く暗い声で言った。
「いい気なものね。あなたのせいで」
「玲ちゃん」
「…………っ……」
 けれど、玲奈が何か言おうとする前に健司が声を上げると、彼女は顔を背け、悔しそうな顔で口を噤んだ。
「授業が始まるわ」
 スカートを翻し、素晴らしく長く美しい形の脚をひらめかせて、玲奈は3階に続く階段を上って行った。
「…………っ……はぁ……」
 桂は、彼女の白い足が視界から消えるまで身を強張らせて見送り、消えると同時に溜めていた息を吐き出した。
 汗がどっと出る。
 あんなに迫力のある玲奈は初めて見た気がした。
「玲奈さん……どうしたんだ?」
「なにも?」
「なにもって事は無いだろ? だって玲奈さん、さっき……」
「……うーん……ちょっと受験の事で先生に相談受けてたんだけど、俺じゃ答えられないし」
「で、でも」

『いい気なものね。あなたのせいで』

 彼女は、確かにそう言ったのだ。
「けーちゃんが気にする事は無いよ。きっとけーちゃんがあんまり“ぽやぽや”してるから、受験生としては気に障ったんじゃないかな?」
「ぽやぽや……」
 じっと健司の目を見る。
 ノリをぺたりと貼り付けたような太くて濃い眉の下、どんぐりみたいにくいくりとした目が、澄んだ色でまっすぐに見下ろしてきていた。
「受験でイライラしてるんだと思う。来年の今頃は、俺達もそうなってるかもしんないよ?」
「…………」
 納得いかないけれど、健司は何も後ろ暗い事を言ってはいない。
 彼の柔和な目には、桂を騙そうとか、誤魔化そうとか、そういうネガティブな色はカケラも見えなかった。
 その時、5時間目の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「帰ろう?」
 健司の手が、背中を押す。
 彼のちょっと困ったような笑顔が、胸に熱かった。
 彼の笑顔を見ていると、どうでもよくなってくるのだ。
 このままずっと触れていて欲しくなるくらい、“ぽわわ〜ん”となるのだ。
『あ……』
 むず……として、うず……として、そして
『あぁ…………』

 ――とろとろだった。

 ここまで刺激に敏感だとは、思わなかった。
 健司に軽く背中を触れられただけで、下腹部が熱くなり動機がして頭が“ぽ〜〜っ”となった。
 ただ背中に触れられただけなのに、それを桂の体は「性的刺激」として処理しているのだ。
 体の「中」を、とろとろとした「果汁」が熟れ切った果実から滴り落ちてくる。
 “くちゅくちゅ”で、“とろとろ”で、ぬるぬる”だった。
『明日の昼まで…………ボク……だいじょうぶ……かなぁ……』
 毎日のようにオナニーをしていて、体が快美感に開発されている。
 ふあふあと、まるで雲の上を歩いているような現実感の乏しい感覚の中、前を歩く健司の広い背中だけが、桂を導くたったひとつの確かなミチシルベだった。

 もう戻れない。

 男には戻れない。

 男になんて……戻りたくない……。

 この全身を駆け巡る快美感と幸福感を知ってしまった、
 今となっては。

         §         §         §

 ベージュ色のカーテンを通して、昼の強い日差しが保健室の中を明るく照らしている。
 通常は室温が30度を越えない限り入らないようになっている冷房も、保健室は管理者の美智子の判断で自由に入れる事が出来るため、陽射しが強いのにも関わらず窓はぴったりと閉め切られ、カーテンで外からも見えないようになっていた。
 モニターの表面では、数種類の色が流れて、それと同期するように地球上のどこの国のものでもない文字が、めまぐるしく動き回っていた。
『……全ては順調………………か……』
 美智子は保健室の机の上に、薄いシートのようなものを広げて、そこに映し出されたものに見入っていた。事務用のシートにも見えるけれど、その表面はアクリルでも塩化ビニールでもない奇妙にツルツルとした質感を持っている。
 今は5時間目の真っ最中であり、保健室には美智子以外人影は無い。このシートも、非アクティブ状態にしてしまえば事務用透明シートと、ちょっと見ただけでは区別がつかなくなるものだから、たとえ不意に誰かが入って来たとしても、慌てる事は無い……はずだった。

 ――ただし、モノには全て例外がある。

「ふ〜ん……数値的に、かなりいい状態ね」
「うわびっくりしたっ!!」
 突然耳元で囁かれた言葉に、美智子は飛び上がらんばかりに驚いた。
 ……実際、本当にイスから数ミリ飛び上がっていた事は、彼女自身も自覚していなかったけれど。
「やあねぇ……みっちゃんってば。驚き過ぎよ?」
 肩越しに振り返ると、そこにはさらさらなロングの黒髪を首の後でまとめた、“とりあえず”世間ではクールなイメージで通っている、歌手であり女優でもある美しい女性が自然体で立っていた。目を見張るほど豊かでたっぷりと重たそうな乳房が、彼女が「はぁい」と手を振った拍子にダークグリーンのブラウスの下で“たゆんっ”と揺れ動く。
「涼子さま…………来られるのなら事前にちゃんと連絡を…………」
 モニターに視線を転じれば、そこには『窓』(空間と空間を“繋げた”際に出来る双方向転位のための穴)を開いた時に出来る空間の歪みを探知したメッセージが表示されていた。どうも、考えに没頭して彼女はその表示を見落としてしまっていたらしい。
「……ごめんねぇ……」
 美智子の咎めるような声に、世界で一番高齢で、一番若々しく、一番ワガママで一番過保護な『星人』のリーダーである桂の母親は、痛みを堪えるように陰のある笑みを浮かべた。
「……っ…………御悪いんですか!?」
 微笑む涼子の顔色に美智子は慌てて立ち上がり、一見いつもと変わらないように見える彼女の顔を見つめた。
 注意深く見なければわからないかもしれないけれど、肌が荒れ、目の下にはうっすらと隈が出来ているのが美智子にはハッキリとわかる。
「ああ……いいのいいの。いつもの事だから」
 そう言いながら、桂の母親は保健室の安っぽいパイプベッドに腰を下ろす。
 メディアでも有名な美人女優がお尻を乗せたベッドだ……と知ったら、こんなチャチでギシギシと音のするパイプベッドでも、きっと男子生徒達は先を争うようにやってきて我先にと寝たがるに違いない。涼子は「母親」にも「歳の離れた姉」にも「年上の恋人」にも、どんなタイプの女性も演じ分ける事の出来る女優として、広い年齢層に人気があるのだ。
 けれど今、テレビの中ではいつも輝かんばかりの美貌をたたえているその顔に、生気は無かった。
「どうせ、もうちょっとしたら調整槽(コクーン)に入る時間だから」
「…………間隔が……短くなってきていますね」
 ここ数ヶ月、ずっと“ある目的”のために、涼子はコクーンと呼ばれる生体管理調整槽に入り、『システム』と度重なる物理的接続を繰り返している。
 桂には家を留守にするために、撮影だとか善二郎に逢いに行くだとか、色々と理由をつけて誤魔化しているようだけれど、その間隔が短くなっているということは、目的を果たす時期も近いという事だろう。
 けれど、善二郎と逢っているのは確かだけれど、その目的は決してロマンチックなものなどではないのだ。
 それを知っているがゆえに、美智子の表情は暗い。
「うん。善ちゃんが言うには、あと2・3回じゃないかって」
「急ぎ過ぎじゃ……ありませんか? 今はまだ、涼子様の御体も安定していますし……」
「安定してるから、よ。今出来る事を、今しておくの」
「でも……」
「いいから。ね? 私達には…………私には時間が無いの。けーちゃんの決断の全てを、私は見守ってあげたいのよ。
 私はそうしなければならないし、そうする権利がある。
 こればっかりは、もう誰にも邪魔はさせない。
 そうでしょ? みっちゃん」
 あたたかくやわらかな微笑みを浮かべる涼子に、美智子はただ曖昧な笑みを返すしか出来なかった。
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