■感想など■

2009年08月10日

第15章「獰猛な欲望」

■■【6】■■
「風邪!?」
「そ。センコーがそう言ってた」
 翌日の金曜日の1時間目が終わった休み時間、桂は「教室棟I」の1階から2階へと昇る階段の踊場で、見知ったE組の生徒を捕まえ、健司が教室にいるかどうかを聞いた。
 その答えが、これである。
 やせぎすで神経質そうな顔立ちの彼の話によれば、昨日の午後から、健司はどこかだるそうにしていたらしい。
『アイツ……そんなこと一言も……』
 1階の渡り廊下のすぐそばにある水呑場にもたれて、桂は心の中でひとりごちた。昨日の帰りは水泳部のミーティングがあるとかで、健司とは一緒に帰る事が出来なかった。最後に見たのは、職員室の前で玲奈と話しているところに鉢合わせた時だ。
 ひょっとしたら、その時にはもう具合が悪かったのだろうか……。
『せっかく…………顔見てやろうって……思ったのに……』
 昨日と打って変わって、今日は体も過敏ではなく、ほんの少し“じわじわ”とした“痺れ”を感じるくらいで、おおむねいつも通りに感じた。だから、彼に別段用は無かったけれど顔が見たくて、E組の生徒を捕まえて健司が教室にいたら呼んで来てもらおうかと思ったのだ。ちなみに、自分からE組に赴かなかったのは、“あの”河野内と顔を合わせたくなかったから……だった。
『なんだ……休みなのか…………ちぇっ……』
 桂はポケットから、蜂蜜色の錠剤が入った半透明のピルケースを取り出し、カチャカチャと振りながら、もんのすごくつまんなさそうに空を仰いだ。夏の陽射しは容赦無く降り注ぎ、渡り廊下の影になっていなければ、ここに立っているだけで汗だくになっていたかもしれない。
 そんな太陽の強い日差しにピルケースを透かしてみると、錠剤は琥珀色に輝いて、桂は口元をへの字にちょっと歪めた。
『「ネクタル」……』
 昨日、母が飲ませてくれた『ネクタル』が、桂の性的な刺激に過敏になり過ぎた快楽中枢を沈静化してくれたのは確かだった。
 この錠剤は、その『ネクタル』を凝縮して固形化したものだ……と、今朝、母から説明と共に受け取ったものなのである。
 錠剤に出来るのなら最初からそうして渡して欲しかったというのが桂の本音だったけれど、凝縮する際の成分調整が思ったよりも難しく、桂の2度目の生理が訪れてから急いで作って、今朝ようやく6錠だけ完成したらしい。

 今日の昼には、ソラ先生に生殖器…………早い話が「外陰部」と「膣」と「子宮」などを検査してもらう事になっている。
 検査するだけだから当然、麻酔とかそういうものはしない。だから、きっと意識がある状態でソラ先生の前で脚を開いて見せなければならないのだ。
「ううう……」
 思わず声が漏れる。
 『ネクタル』で、この体の『疼き』が治まるのであれば、何も恥ずかしい思いをしてアソコをソラ先生に検査してもらう必要も無いのではないか? と思わなくも無い桂だった。
 そう、彼女が母に言うと、
「本当は……『ネクタル』は常飲していいものじゃないの。強過ぎる薬は毒にも薬にもなるから。
 それに、今回のことには気休めにしかならないわ。
 根本的な処置方法がわからないと、これを常用することで別の問題が起こるかもしれないし……」
 と、ちょっと表情を曇らせながら答えてくれた。
 「常用していいものじゃない」という部分で、桂は安易ではあるけれど「麻薬」とか「覚醒剤」の類を思い浮かべてしまう。
 何度も飲んでいるけれど、実はあれは結構キケンなものだったのだろうか?
「……あれって……麻薬みたいなもんなの?」
「常習性は無いわ。……でも、そうね……これに依存して、無いと普通の生活が出来なくなる……というのは、困るわね。
 だから、出来ればこれは、どうしようもなくなったら……その時に1回2錠だけ飲んでね。それでちゃんと効くと思うから。
 それと、みっちゃんの検査は絶対に受けること。
 今後も生理が来るたびに“スゴイこと”になったりしたら、ヤでしょ?」
 母の“スゴイこと”という言葉が、昨日の夜の“あの状態”の事を示しているのは明らかだった。確かに、あんなにも情欲に飢えて、濡れて、泣いて、誰かれ構わず“求める”ようになる……というのは、考えただけでゾッとする。ましてや、学校にいる時にあんな状態になったりしたら……。
「あ……」
 そんな事を思っていると、心なしか体の奥の方から“うずっ”としたものが湧き出してきたように思えた。
 6錠あって1回2錠だとすると、
『3回分……かぁ……』
 太陽に翳してそのキラキラとした蜂蜜色の輝きを見ながら、桂は小さく溜息を吐く。
 効果の持続時間は、そんなに長くないらしい。
 あくまで「どうしようもない状態」を乗り越えるためのもので、飲んだからといって、新たな刺激を受けてしまえば効果は切れてしまうのだという。
 そういう意味では、健司に逢ってちょっとでも体に触れられたら……いや、あの『ぽややん』とした笑顔で見つめられたら、それだけで効果は切れてしまいそうだった。
 その証拠に、
「……んっ……」
 健司の手の感触や、あの笑顔を思い出しただけで、桂の腰のあたりにもやもやとしたものがわだかまり始めていた。
「やば……」
 慌ててピルケースを開けようとして、そこで思い留まる。

 ――昼まではまだ長い。

 それに、昼の検査が済んですぐに処置してもえらえるとは限らないし、しかもそれで完全に治まるとも限らない。
 もちろん、今日の午後、桂が学校にいる間に父と母は日本を発つと言っていたけれど、夜にはあと8錠くらい出来上がるとも聞いている。母の言葉を信じるのなら、出来るだけ飲まずに済むのなら飲まずに済ませたい。
『――我慢……出来る……かな……』
 昼の検査が終わりさえすれば、恥かしいけれど、トイレで自慰をして治めるという手もあるのだ。
『やだなぁ…………どんどんエッチになってく…………』
 顔が火照って、桂は思わず両手をほっぺたにあてて“ぎゅっ”と目を閉じた。彼女は今では、そんないかにも「女の子っぽい」仕草さえ、意識しないでしてしまうようになっていた。
 水呑場から見える1階の廊下は、1年生のE組の前の廊下だ。2時間目は特別教室なのか、それとも体育なのか、人影はほとんど無く、水呑場に立つ桂に気を留める者もいない。
 彼女は小さく溜息を吐くと、ピルケースを水呑場の上に置き、蛇口を捻ってちょっと乱暴に“ばしゃばしゃ”と顔を洗った。生温かった水もしばらくするとひんやりとした冷たい水になり、顔を洗っているうちに体の中の“嵐”も、少しずつ治まっていくような気がする。
『もうすぐ休み時間も終わるなぁ……』
 月曜日は「古典」「英語W(ライティング)」「国語II」「世界史」「体育」「英語」の5時間だ。
 昼まではあと3時間。
 しかもずっと教室の授業だ。
『……なんとかなるかもな……』
 男子との無闇な接触や、トイレなどでの女子の「おっぱい揉み揉み攻撃」さえ避ければ、なんとかなりそうだった。
 クラスの女子や、時には後輩にまで乳房を触られる……というのは、ハッキリ言って迷惑だった。けれど、一度それで後輩を怒鳴ったら泣いてしまった事があって、それ以来、桂は「なるべく出会わない方向で」そんな危機的状況を避け続けているのだ。
『……ホント……人のおっぱいで遊ぶの、いい加減にしてくんないかなぁ……』
 ……と、彼女がそんな事を考えていると、
「けーちゃんさ、どっか悪いのか?」

 ――びっくりした。

 “ぎょっ!?”として慌てて手で顔の水を拭い、目をパチパチさせて声の主を見上げた。
「……オ、オマエ……」
 桂のすぐ隣には、今、一番会いたくない男が立っていた。
「河野内だよ。名前くらい覚えて欲しいなぁ」
 小学校時代、『圭介』と何かにつけて争った薮本に似ている男は、ひどく人好きの良さそうな顔でにっこりと笑って言った。
 桂は濡れた顔をハンカチで拭きながら彼に背中を向け、“すたすた”と歩き出す。
「無視かよ。傷つくなぁ」
 言葉とは裏腹に、どこか笑いを含んだその声は、桂を妙にイライラさせる。
 体を嘗めるように眺め回したあの視線を思い出すと、それだけで不快になってくるのだ。
「コレ、いらねーの?」
 カチャカチャカチャ……という音に“ハッ”として振り返ると、河野内の手の中には、水呑場の上に置きっぱなしにしていたピルケースが握られている。桂は「ちっ」と舌打ちすると、一瞬迷って、その場で彼に向かって手を伸ばした。
「返せ」
「なあ、どっか悪いのか?」
「返せ」
「教えてくれてもいーじゃん」
「か・え・せ」
 桂の険悪な声音に、河野内は小さく溜息を吐くと、いきなり振りかぶって背後に右腕を大きく振った。
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 桂は河野内が投げた先を目で追おうと“だだだだっ!”と駆け寄り、
「うっそ」
 ぺろっと舌を出して右手の中のピルケースを振ってみせた河野内の向うずねを思い切り蹴り上げた。
 それを彼は“ひょいっ”と避ける。
「わっ」
 バランスを崩した桂が転びそうになるのを、河野内は片足を上げたまま器用に抱き止めた。
 身長差のあり過ぎる2人は、そうしていると「大学生のおにーちゃんと幼い妹」……といった感じにさえ見える。
 桂にとっては屈辱的な状況ではあったけれど。
「っとと……投げるわけねーじゃん。けーちゃんの大事なものなんだろ?」
「返せっ!」
「だからさ、教えてっての。これって薬? どっか悪いのか?」
「オマエにかんけーねーだろ!?」
 桂は、河野内に左手で腰を抱かれながらも、ぴょんぴょんと飛んで上に上げた彼の右手を掴もうとする。そんな彼女は、自分のたっぷりと重たくてやーらかくて“たぷたぷ”なおっぱいが、河野内の下腹で“もにもに”“ぷりゅぷりゅ”と押し付けられ、形を変え、ひしゃげて、彼に至福の感触を与えてしまっている事に気付かなかった。
「そんなに大事なもん?」
「オマエが知る必要ねーだろ!?」
「じゃあ捨ててもいいよな?」
「なんでそーなんるんだよっ!?」
「大事な薬じゃないんだろ?」
「大事な……もんだ!」
「へえ……じゃあ透明だからビタミン剤か何か?」
「……オマエに……かんけー…………」
 ぴょんぴょんと飛び跳ねていた桂が不意に黙り込み、左手を上に伸ばしたまま、全身を震わせた。
「どーした? もうおしまい?」
「…………っ…………」
 脚に力が入らない。でもそれを知られたくなくて、“キッ”と河野内を睨み付けた。
 原因はわかっている。

 ――匂い。

 夏の熱気の中で汗ばんだ河野内のシャツ。
 体臭。
 埃と整髪料の匂い。

 「オトコ」の匂い。

 ――――「オス」の匂い。

「〜〜〜ッ…………」
 ガクガクガク……と膝が笑う。
 体の中を抑えきれない獰猛な“嵐”が不意に吹き荒れる。
 河野内の体臭が、桂の体に泣きたくなるくらいの“震え”を生み出していた。
『なんで…………』
 桂は愕然として河野内の腕の中でもがいた。
 これが健司の匂いならば、まだ、わかる。
 陶然となり、体の芯に“ぽっ”と火が灯って、じわじわと全身にあったかいものが広がる。
 そして、濡れる。
 心が、体が、濡れる。
 それが、健司の体臭が桂に与えるもの。

 でも。

 でも、他の男は違う。
 気持ちが悪い。
 吐き気がする。
 全身をナメクジが這い回るような不快感と、触れた部分を掻き毟りたくなるような嫌悪感しか感じない。
 その筈だった。

 なのに。

「……っ……だ…………ぁ…………」
 河野内のカッターシャツを両手で握って、桂はぶるぶると震えた。
「お、おい、どうした?」
「……はっ…………ぅ……」
 “とろり”と、体の奥をねっとりとしたものが下りてゆくのを自覚する。
『濡れ……た……』
 信じられなかった。

 どうして?
 どういうこと?
 男なんて、気持ち悪いだけなのに。
 健司以外のヤツなんて、鳥肌が立つくらいイヤなのに。

 パニックになり、涙が滲んだ。
 腰にあてられた河野内のゴツゴツと節くれだった手がとても熱く、その感覚がダイレクトに下腹の奥……子宮とそれに繋がる器官を“きゅんきゅん”と刺激した。
 おかしい。
 体がヘンになってる。

 抱いて欲しくて欲しくてたまらない。

 めちゃめちゃにしてほしくてたまらない。

『ちがうっ……! そんなんじゃないっ!!』
 ボクはちょっと前まで本当の男だった。
 そのボクが女になってから、男の中で唯一心を許せるのは健司だけで、
 健司だけがボクをおかしくさせてよくて、
 それは健司が女であるボクと対になる男だからじゃなくて健司だから、
 健司は健司だから、
 だからボクは好きで、
 女である自分をちょっとは好きになって、
 健司以外の男はボクにとって「ただの男」でしかなくて、
 だから

 ――ボクに触れていいのは健司だけなんだ。

「……っ……ひ……」
 河野内の下腹に押し付けられたままの乳房が熱を持って張り詰め、先端の果実が硬く屹立して痛いほどの自己主張を示すと、桂の鼓動が激しくなり、顔が火照ってうっすらと汗が滲み、呼吸が浅く荒くなって、甘く芳しい吐息が河野内の胸に吹きかかった。
 こんな状況で健司の事を思い浮かべてしまった自分を呪う。
 感覚の鋭敏化が加速してゆく。

 ――健司じゃない男の体に、反応してしまう。

「……は……はな……せ……」
 もがけばもがくほどに河野内の体臭を強く感じて、その匂いに自分の汗と体臭とが混じり合い、立ち昇って、甘く香った。
 河野内のシャツを握り締めていた両手を広げ、硬い腹筋に当ててぐいぐいと強く押すけれど、彼にとってその行為は、ひどく弱々しいものとしか感じられなかった。
 むしろ、「どうしようもなく惹きつけられてしまうのに離れなければと理性の力だけで離れようとしている」ような。
 心と体が分離しているような、そんな感じに見えたのだ。
「……ぁ……はっ…………」
「…………お前…………」
 河野内がハッとしたような顔をして、次の瞬間にはその顔が、急に合点がいった……とでもいうように笑み崩れた。
 ピルケースを握った右手を下ろし、河野内は桂の背中でそれを左手に持ち変える。彼を見上げたまま、薄く水の膜が張ったように潤んだ瞳を、そわそわと落ち着きなく揺らしている桂は、望みのものが自分の背中にあるとは気付いていないようだった。
 そして河野内は不意打ちのように、彼女のセミロングの髪へ右手をさし込み、隠された可愛らしい耳に“さわっ”と触れた。
「……んぅっ! ……」
 桂は“きゅんっ”と首を竦め、“びくり”と体を震わせる。そのまま彼が、赤く染まって熱を持った耳たぶを指でくすぐると、桂は目を“ぎゅっ”と瞑って可愛らしい唇を薄く開いたまま真珠のように綺麗な前歯をちらりと覗かせた。
『ふ……ん……』
 河野内の笑みが深くなる。その瞳は、草むらに潜む野ウサギを見つけた時の、オオカミのような色を浮かべていた。

 ――目の前の少女は、明らかに「欲情」している。

 それを、知ったからだ。
 腰で抱いた少女のやわらかい体は熱く火照って、ブラウス越しにもしっとりと湿っているのがわかる。がくがくと震える足は、立っているだけでも辛そうだった。
「よお。2時間目、フケねぇ?」
「……ぁ…………あっ……」
 屈み込み、さらさらとしてリンスの香りが心地良い彼女の耳元に、軽く息を吹きかけるようにしながら囁くだけで、少女の華奢な体が“びくびく”と震えた。
『なに言ってんだコイツ?』
 桂には、そう思うヒマも無かった。
 あっという間に、河野内がぐいぐいと桂の体を引っ張ってゆく。
 小学生みたいにちっちゃい体は、河野内にとっては、まるで重さを感じさせないほどの体重でしかなかった。
「来いよ。満足させてやるから」
 彼の言葉が頭に浸透して、桂は“ふらふら”とした体を強引に引き寄せられながら、自分より頭一つ分以上上にある浅黒い彼の顔を見上げた。

 ――ゾッとした。

 言葉より何より、河野内の顔が醜いくらい情欲に彩られていたからだ。

 満足?

 満足ってなんだ?

 満足させるって、なにをするつもりなんだ?

「……や……やめぅっ……」
 知らぬ間に「教室棟I」をぐるりとまわり、視聴覚室や音楽室、美術室などの特別教室がある「教室棟II」の横を通り過ぎようとしていた。左手のテニスコートには、今は人影は無く、「教室棟II」横には健司と由香と3人で、よく一緒に昼食をとるベンチがある。そしてテニスコートを間にしてそのベンチの向かいには、古びた旧テニス部部室があった。
『まさか……』
 桂の霞んだ意識に、冷たいものが刺し込まれた。
 学校の裏山に面して、敷地内のフェンスギリギリに立てられている古びた旧テニス部部室。
 今はテニス部も他の運動部と同じくクラブハウス(運動部室練)に部室を構えていて、そこは掃除道具やグラウンド整備品、催しの時に使う机などが仕舞われ、倉庫代わりにしか使われていない。
 いや。
 「しか」というのは少し語弊があった。
 そこはラブホ代が出せない生徒が時々使う「ヤリ部屋」として使用されている……という、嘘か本当かわからない噂がある場所なのだ。
「は……はなせっ…………」
「おとなしくしろっての」
 河野内に“ぐいっ”と引かれた拍子に顔を汗ばんで湿ったシャツに押し付けられ、吐き気をもよおすような脇のツンとした匂いにむせた。けれどそれと同時に、頭を揺さぶられるような衝撃的な官能が全身を襲って、一瞬、本気で“くらっ”と意識が飛ぶ。
『なんだ……!? ……な……なんで…………』
 桂は、女になった今でも、男を性の対象にはどうしても見る事は出来ない。
 健司に「感じて」しまうのは、健司が「男」である前にまず「健司」だからだ。
 桂は「男である健司」を好きになったのではなく「ただの健司」を好きになったからだ。
 たとえきっかけが、桂の肉体が「友情」を「愛情」と“錯覚”したことが原因だとしても、精神・肉体の両面において「非常に好ましい」と判断した肉体が彼の持つ遺伝子を欲するが故に「女性化」したのだとしても。
 桂には健司以外の男など考えられないし、考えたくも無い。
 自分が健司以外の男を受け入れるなど、絶対に思えないからだ。
 なのに。
『……力……はいらない……』
 踏ん張ろうとする桂の意志に逆らって、彼女の脚はバランスを保つ為に前後に動くだけだ。
 人が歩くためにとる仕組みは、バランスを崩す事から始る。「歩行」という動作は、すなわち前傾して崩れたバランスを勢いにして、両脚を前へ前へと運ぶ行為を指すのだ。
 今の桂は、多少ふらつきながらではあったけれど、彼女の意志とは関係無く、河野内が引き寄せるままに、まるで仲睦まじく寄り添うように彼と共に歩いていた。
 そう。
 まるで、愛し合う恋人達がぴたりと体を寄せ合い、これからの行為を思い描きながら睦み合い、ラブホテルへと向かうかのように。
「はなせっ……は…………はなせっ!! ……」
 全身に“ぶあっ”と汗が吹き出て、桂は自由にならない体で精一杯もがいた。けれどそれは、河野内の動きを留めるまでには少しも及ばない。
「うるせえな」
 それでも、校舎の影から出てテニスコートを横切ろうと周囲の様子を探っていた河野内は、桂のもがきに顔をしかめてコンクリートの壁面に彼女を押し付けた。
「ひんっ!!!」
 “びくんっ”と桂の体が硬直し、すぐに“びくびくびくっ”と電気に触れたかのように震えた。
 不意に河野内が、左手で腰を強引に引き寄せながら、右手で桂の股間をスカートごと掴んだのだ。
「……ひっ……っ……くっ……」
 壁際に身を寄せ、第三者から桂の存在を隠すかのように、その大きな体で覆い被さりながら、河野内は、まるで軟膏を擦り込むように親指と小指以外の3本の指で、リズミカルに桂の股間を捏ね回した。
「ひっ……あっ! ……」
「なんだよ。ぐちゃぐちゃじゃねーか……」
「……やっ……やめっ……ぁっ…………やっ……やめ……ろぉ…………」
 乱暴だった。
 やわらかく、デリケートで、複雑な造形の股間のものが、まとめて荒々しく捏ねられる。
 恥骨をぐりぐりと捏ねまわされ、クリトリスも陰唇も押し潰すようにして撫でられた。

 痛い。

 苦しい。

 気持ち悪くて吐きそうだった。

 けれど、それと同じくらい強い感覚で抗い難い快感があった。
 信じられない。
 こんなに乱暴にされているのに。
 いや、乱暴にされていることで、痛みの中の“快感”がより際立つ。
 “ずきんずきん”と、痛みなのか快感なのかわからないほどの強い刺激が、脊髄を駆け登って脳を掻き回す。
「やっ……やめ……」
「どの口が言ってんだ?」
「ひっ……」
 壁に押し付けられ、改めてミニスカートの中に手を突っ込まれた。
 “くちくちくち……”と粘液質な音が耳に届き、桂の顔が激しい羞恥で真っ赤に染まる。
「や……」
 大切な場所をいいように弄りまわす河野内の手を押し戻す事も出来ずに、桂の両手は彼の下腹に添えられ、わずかばかりの抵抗を示した。けれど、つま先立ちになり、少しでも痛みから遠ざかろうとしながらも、腰がもっと触って欲しげに前にせり出し、ひとりでにうねる。
「ほ……腰が動いてるぜ」
「ちがっ……ちっ……だっ……や……」
 涙が滲み、景色が歪む。

 ――犯される。

 このまま学校の中で、力ずくでおもちゃのようにいじくられ、レイプされる。
 体だけではなく心まで“侵され”る。
 そんな最悪な想像が、最悪な結末を導こうとしていた。
「やだ……やだ…………」
 いくら相手が男だろうとも、自分だとてかつては男の端くれだったのだ。むざむざ犯されなどしないし、いざとなったらキンタマ蹴り上げてでも逃げてやる。
 そう思っていた。
 ずっとそう思っていた。
 自分の身は自分で護れると、そう思っていた。
 どこか、そう本気で信じていた。
 なのに、いざその場面になってみるとどうだ。
 何一つ自分の思い通りにはならず、こんな最悪な男にいいように遊ばれ、嬲られ、弄くられている。

 ――惨めだった。

 たとえようもないほど、惨めだった。
 自分は、何を根拠にして男を相手に「なんとでもなる」などと思っていたのだろう。
 体は心を裏切り、脚は震えて力も入らず、手も相手を殴りつけるどころか硬い腹筋を押し返すことすら出来ない。
 自分はなんて非力で、なんて情けない存在なのだろう。
「やだ……けん……けんじ…………けんじ…………」
「残念。谷口は風邪でお休みだよ。風邪でな」
 河野内が左手で引き寄せ、抱き留めるままに、桂は“くたっ……”と力を無くして彼の体に寄りかかった。視線の高さに上げられた彼の右手が滲んだ視界に入り、その指先は確かに濡れているように見える。パンツの上からでも指が濡れてしまうくらい、あそこが水浸しということなのだろうか?
『ちくしょう……ちくしょう……ちくしょう……』
 諦めたくない。
 こんな男に抱かれるのは、死んでもイヤだった。
 けれど、ダメなのだ。
 体は桂を完全に裏切って、抵抗をやめてしまった。荒い息の下、ぐったりと河野内のシャツに頬をつけて、身を任せてしまっている。
 声を張り上げようとしても、消え入るような、弱々しい声しか出なかった。
「ち……しょう…………くしょう…………」
「すぐに気持ち良くしてやるよ。オレに感謝するくらいにさ」
「……ろしてやる……ぜ……たい……殺してやるから……な……」
「おーおー……怖いねぇ。けど、すぐにお前の方が『死ぬぅ』って言うぜ? きっとな」
 河野内の左手が腰から下がり、ミニスカートの上からなめらかでやわらかな丸い尻を撫でる。“ぞわり”とした嫌悪感とは別に明確な快感を感じて、桂の口から吐息のような甘い声が漏れた。
「へえ……いい声出すじゃん」
「ちっ……ちがっ…………」
 顔を背け、河野内の視線から逃げる桂の、その細い顎を彼の右手が強引に掴み、顔を上向かせた。
 はっとして目を見開くと、浅黒い肌の、左頬にニキビのある、耳が柔道部員特有の形に潰れている、大嫌いな男の顔が迫ってくる。
『キスなんかしてみろ……舌を噛み切ってやるっ!!』
 それでも、口付けされてしまうのは避けようが無いと思えた。
 顔を背けようとしても、河野内の右手がまるで万力のように固定して、それを許さなかったのだ。
『……健司…………ごめん…………』
 なぜ謝るのか?

 どうしてこんなにも彼に済まない気持ちになるのか?

 諦めないのではなかったのか?

 負けないのではなかったのか?

『……健司……健司…………』
 幼馴染みの、あったかい笑みが瞼の裏に浮かぶ。
 生臭い河野内の息を頬に感じながら、桂はいつしかポロポロと大粒の涙を零していた。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/31101922

この記事へのトラックバック

★足跡代わりにポチッとしてってくださいな★