■感想など■

2009年08月11日

第15章「獰猛な欲望」

■■【7】■■
 生徒達に「ソラ先生」と呼ばれている保険教諭の空山美智子は、保健室の机の上に行儀悪く両脚を投げ出して、昨日の事をぼんやりと考えていた。
 昨日。
 山中桂の母親であり、美智子をはじめとする『星人』のリーダーでもある山中涼子と、この保健室で交わした会話の事を。

         §         §         §

 涼子の寿命が尽きかけている事に、『星人』の中でも一番最初に気付いたのは、他ならぬ美智子だった。

 『星人』のコミュニティを作り上げ、『ネットワーク』を構築し、『ナーシャス』を復活させた『星人』の現リーダーは、桂をこの世に産み出した時、自分の大切なものを分けた与えたがために、本来は不死にも近い命を極端に縮めてしまったのだ。

 ――涼子は、子宮を使って桂を産み出したわけではない。

 桂は……『圭介』は、『星人』の“船”の遺産である『システム』によって、涼子と善二郎の遺伝子を基本として融合組成して作られた、いわば「デザイナーズ・チャイルド」(遺伝子操作児)だった。膨大で複雑な、涼子を含めた『星人』と善二郎、多種族の遺伝子情報を、塩基どころか分子レベルで解析し、融合し、紡ぎ上げて作られた命の螺旋は、失敗の許されない最後のチャンスの賜物だった。
 解析された遺伝子情報を保存しておくためのシステムそのものが、永い年月に耐えられずに限界を迎え始めていたからだ。

 今は亡き、善二郎の母親から提供され凍結保存された16個の卵子に、融合した遺伝子を組み込んだ「核」が埋め込まれた。
 けれど、『星人』の『システム』の管理の元であっても卵割まで漕ぎ着けたのは、たったの7個であり、他の9個は卵割さえせずに死んだ。
 原因は、わからなかった。
 涼子も美智子も、そして他の『星人』達も、あらゆる手を尽くした。
 それでも、ようやく初期胎児に至ったのは7個のうちのたった3個だけだった。
 そして、それと時を同じくして、遺伝子情報を紡ぎ上げ、22対の常染色体と2本の性染色体を作り上げた『システム』が主機能を完全に停止した。
 それにより、『星人』と地球人の「完全融合体」を作ることは、2度と出来なくなったのである。

 結果、残った3体の胎児は、『星人』達にとって、まさしく希望の子らとなったのだ。

 ところが、3体の初期胎児のうちの1体が、8ヶ月を過ぎる頃に突然遺伝子異常を起こし、細胞がガン化して、羊水の中でボール状の肉塊に成り果てるに至って、『星人』の中にはこの“プロジェクト”そのものを諦める者まで現れた。
 その時の涼子の嘆きようを、美智子は今でも鮮明に思い出す事が出来る。いつも“ちゃらんぽらん”で“ぽやぽや”してて、大事な会合の途中に平気でケーキを作り始めるような彼女からは、とても想像出来ないほどの荒れた姿だった。
 あの頃から……では、なかっただろうか。

 彼女が、味覚を全く感じなくなっていったのは。

 「子供」が産まれたら、地球で覚えた様々な土地の様々な料理を、手ずから作って食べさせてあげるのだと言っていた。
 それが、出来なくなってしまったのである。
 地球人の「味覚」は、単に味を楽しむためにものではない。食物に含まれるものや食物そのものの状態を、イオン信号として受け取ったものが「味覚」である。大概において、「味覚」とは体内に入れてもいいものかどうかの判断基準ともなっているのだ。
 それが全く効かないという事は、子供の肉体の基本的な資質を地球人に寄せている以上、体力も免疫力も普通の地球人並みでしかないだろう生まれ来る彼らに、彼女は料理を作ってやる事が出来ない……ということを意味する。

 それでも、涼子はたった2体残った胎児を、毎日毎日、いとおしむように眺め、人工子宮代わりのメディカルカプセルの半透明な表面を擦り切れるのではないかと思うほどに何度も撫でて、“我が子たち”に一日中話しかけ続けていた。
 美智子が注意しても、善二郎が何を言おうとも、涼子は決してカプセルから離れようとしなかったのである。
 それはまさしく、生命力を削るような日々だったに違いない。
 ひょっとしたら涼子は、この地球の「神」に祈っていたのかもしれない。
 「自分の命を捧げるから、この子達は助けて欲しい」……と。
 それを証明するかのように、涼子の生体機能は目に見えて衰え、地球上で生活するために調整した肉体が仇となって、もはや『星人』の不死性は失われたに等しかった。

 ――そして数ヶ月が過ぎた。

 残った胎児は順調に成長を続け、あと一ヶ月で羊水から出す事が出来る。
 彼女に協力する『星人』の誰もが喜び、安堵し、そして涼子を称え、新たな命の誕生を祝った。

 ……けれど、地球の「神」は最後に無慈悲な結果をもたらした。

 赤ん坊は一体しか、生まれなかったのだ。
 2体の胎児は、男の子と、女の子……だった。
 その2体の胎児は、カプセルから出る事の出来る、たった2日前に、
 一方を残して、その生命活動を停止させた。

 ――何が悪かったのか?

 ――全てがいけなかったのか?

 この星で異邦人たる『星人』は、「命」を創り出してはいけないと、この星の「神」が拒絶したのか?

 それとも、埋め込まれたマトリクス・スフィアが、地球人の遺伝形質に拒絶されたのか?

 それを確かめるためのシステムは既に失われ、それを知る手立てはもう無かった。
 ただ、2体の胎児の運命を決定付けたのは、涼子が体内プラントで合成した医療用合成微細素子……地球では“ナノマシン”という呼称でひとまとめにされる、特定の働きをするために作り出された、タンパク質組成の擬似生命だという事だけは確かだった。
 1人は、もう手遅れだった。
 けれど、もう1人は、まだ助かる可能性があった。
 その可能性にかけて、涼子は美智子の協力の元、体内でナノマシンを強引に合成し、命の灯の消えかけた胎児――『圭介』に注ぎ込んだ。
 結果、『圭介』の命は助かり、強引なナノプラント精製は、逆に涼子の体を、修復不可能なまでに痛めつけてしまった。
 それでも彼女は、『圭介』が一命を取り留めた事だけを喜び、地球の「神」に感謝した。

 その反動……だろうか。
 後の、涼子の赤ん坊に対する溺愛ぶりは、傍から見ても凄まじいものがあった。
 肉体的に問題が無いと美智子が断定するまで、涼子は赤ん坊…………圭介のそばを、決して離れなかった。その行為が、彼女の命をますます縮めてしまうのだと知っていながら。
 彼女の『愛情』には、「果て」というものが無かった。
 『圭介』の成長に、行動に、言葉に、一喜一憂し、『圭介』の「教育」にどっぷりはまった涼子は、『星人』である自分の「使命」すら忘れてしまったかのような様子だったのだ。
 6月の始めに『圭介』が倒れた時の会話を、美智子は思い出す。それなりに自我に目覚め、親と自分は違う人間なのだと認識してから数年、『圭介』は普通の家庭とは微妙に異なるものの、しっかりと反抗期を乗り越えてきていた。親に過剰に期待せず、過度な干渉を嫌い、自分の好きなように行動する権利を主張する。涼子にしてみれば、それは寂しい事この上も無いことに違いなかっただろう。
 『圭介』が高校に入学する頃には、感覚の喪失は「触覚」「嗅覚」にまで及び、それと正比例するように『圭介』を抱き締め、キスする頻度も上がったと聞いている。

 つくづく、今まで、よくもったものだ……と、美智子は思う。

 『圭介』が産まれた直後は、涼子の肉体は7公転周期まで持てばいい……とまで思うくらいだったのだ。
 それが、『圭介』が17歳になり、『変体』を起こして恋に落ち、そして初めての「愛」を知ろうとする今日まで持ちこたえている。しかも、桂が子供を宿すのを、「気長に待つ」とさえ言ってのけているのだ。
 それまで、彼女は生きるつもりなのだ。
 死なないつもりなのだ。
 おそらく彼女は、桂の子供……自分の「孫」をその手に抱く事を夢見ていたに違いない。

 けれど。

 時は、来た。

 “それ”は、避けようの無い運命だった。

「決心は……変わらないみたいですね」
 保健室の安っぽいキャスター付きのイスに座って、桂の「母親」であり、美智子の従うべき『星人』のリーダーでもある山中涼子に向かって、美智子は押し殺したような声を漏らした。
「変わらないわ」
「本当に“それ”でいいんですか?」
 保健室のベッドに腰を下ろし、洗いたてのシーツに右手を滑らせながら、涼子はたっぷりと豊かな乳房を突き出すようにして胸を反らした。
「うん。言ったでしょ? もう決めたって」
「桂が……哀しみますよ?」
「あの子はわかってくれるわ。きっと。それに、心配しなくてもまたすぐに逢えるし」
「桂がそれを選ばなくても?」
「私達は一本の樹なの。選ばなくても、そこに至る道は同じ」
「…………後悔したり」
「しないわよぉ。そりゃ確かに、もう、この手にけーちゃんの赤ちゃんを抱く事は出来なくなるけれど、でも、これからもずっと見守る事は出来るようになるわ。そのための『融合』だもの」
「涼子さま……」
「善ちゃんも、頑張ってくれてるのよ? 正直、善ちゃんの協力が無かったら、絶対に無理だったと思うもの。そりゃ確かに一週間に数回しか家に帰れない……ってのは寂しいって、私も善ちゃんも思ってたけど……」
 桂が知ったらどう思うだろう……と、美智子はちらりと思った。
 彼女はきっと、『出張』で家を留守にしがちな善二郎の事を、「実は遊び歩いてるだけなんじゃないか?」と思っているに違いないからだ。母親の涼子も、本当に女優業で忙しいのだと、思っているに違いないからだ。
「ファンはどうするんですか? 涼子さんを応援する人達は……」
「う〜ん……それを言われると辛いけど、でも、もう決めたの。
 ねえ、みっちゃん。私、前に言った事があるよね?
 私達はしょせん、この星にとって仮初(かりそめ)の客(まろうど)なの。
 この地球に文明が生まれて、その歴史にちょっとだけ住まわせてもらっただけの、通りすがりの稀人(まれびと)だって」
「もう15年以上前の話ですね」
「まだ、たった15年前の話よ。
 私達は、いずれこの星から消えてゆく。留まる事は許されないから。
 でも、彼らに混じり、その血の中で生きてゆく事は出来る。けーちゃんの子供が結婚して、その子供がまた結婚して、そうして続いてゆく流れの中に、私達の生きた証が残る。それは、とても素晴らしいことだと思うの。
 いつかこの星の人々が銀河中枢文明に接触した時、その中に私達の子孫がいれば、彼らはこの星の人々を『仲間』として受け入れてくれるわ。そのための“キー”でもあるの」
 現在、地球上に存在する純血の『星人』の中で、種族は15存在し、その内、遺伝形質が掛け離れているものを省けば8種族。さらに、その中で銀河中枢文明の中でも上位に位置する種族は2つ。
 美智子はその2つのうちの1人であり、桂に受け継がれたマトリクス・スフィア(恒久的遺伝情報)の中には2つの種族の「キー」が埋め込まれていた。
「でも、涼子さんは本当にそれでいいんですか? 満足なんですか?
 融合を果たしたとしても、貴女の自我が残るとは限らない。
 もう2度と…………2度と……」
 『善二郎(あのバカ)にも桂にも逢えなくなるかもしれないんですよ?』
 かろうじてその言葉を飲み込んだ美智子は、椅子に座ったまま不意に抱き締められ、涼子のヴォリュームたっぷりでやわらかい乳房に顔を埋めた。
「満足よ?」
「……どうして……」
 あたたかい乳房のその奥の、地球人と何ら変わらない心臓の鼓動は、今は哀しくなるくらいに弱々しかった。
「だって、私は、永い永い永い……ひたすら永い時の末に、善ちゃんって『人』に逢えた。
 愛し合えた。
 そして、けーちゃんっていう、自分の分身とも言える子供まで授かる事が出来た。
 銀河の辺境に流れ着いて、このまま滅び、尽きてゆくしかない私達『流浪の民』が、ようやく見つけた『楽園』。
 私達は、この地に骨を埋めるの。それはもうずっとずっと昔に決めたこと。
 あの時……タキオンの飛び交う絶対零度の暗黒で、誰にも知られず霧散していたかもしれない事を思えば、これ以上、何を望むの?」
「でも……『システム』と融合するなんてこと…………」
「死ぬわけじゃないわ。むしろ、死なないために、そうするの」

 ――じゃあ、どうして貴女はそんなに寂しそうに笑うのですか?

 美智子はその言葉を、ぎゅっと唇を噛み締める事で押さえ込んだ。

         §         §         §

 結局、美智子に彼女を止める権利は無いし、その力も無いのだ。
 涼子は今日、『窓(位相空間ゲート)』を通って、彼ら『星人』の遺産である、今はもう飛ぶ事の出来ない半壊した恒星間航行用大型船へと向かうはずだ。そして、彼女の種族だけが持つ権利(キー)を使って、『システム』にアクセスし、「融合」する。
 それは、有機体から無機体への情報融合。
 生体脳には多大な負荷がかかり、ニューロンネットワークを基としたこの星の人類種と同様の肉体を持つ今の涼子は、その負荷に耐えられないかもしれない。
 耐えられなければ、情報は永遠に失われ、彼女の自我は崩壊し、2度と再び戻る事は無い。
『ホント……ムチャなとこは昔とちっとも変わっていない……』
 正直、成功する確率は高くは無いのだ。
 けれど、成功すれば涼子は『船』になる。
 『船』に残された『システム』と融合し、『船』の頭脳となって、インターフェイスの基本人格となる。

 それは、彼女が望んだ道だった。

 この星の人々が、いつか銀河文明の一員に迎えられる時まで見守りたいという、その夢のために。
『でも…………桂はいずれ知る。昨日の夜が、母親との“最後の夜”だった事を』
 その時、彼女は自分を許してくれるだろうか?
 口止めされていたとはいえ、美智子は涼子の成そうする事を全て知っていた上で、桂には黙っていた……黙っているのだから。
「ふう……」
 溜息を漏らし、キャスター付きのイスに体重を預けて“ギシギシ”と軋ませた。
 その時だった。
「先生」
 保健室のドアの向こうで、中年の男性教師の、途方に暮れた声が聞こえたのは。
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