■感想など■

2009年08月12日

第15章「獰猛な欲望」

■■【8】■■

 “その時”、彼女は『絶望』の中にいた。

 背後は壁。
 前はびくともしなさそうな厚い胸板。
 そして迫る浅黒くむさ苦しい男の顔。
 「進退窮まる」というのはこういう事を言うのだ。
 もう何分も前にチャイムは鳴り終わり、周囲に人影は一つも無い。授業の見回りや敷地内の移動などで学校関係者の一人でもいそうなものなのに、見事なまでに誰もいなかった。

 ――もう諦めるしか、ないのか。

 体の中では“じんじん”とした獰猛な嵐が吹き荒れ、腕は鉛でも流し込まれたかのように重かった。体全体が“ぽっぽっ”と火が灯ったかのように熱っぽく、視界はぼんやりとして現実感に乏しい。キツく掴まれたままの顎の痛みさえなければ、「これは夢の中の出来事です」と誰かに言われたら、そのまま、サンタを信じる3歳の女の子みたいに頷いてしまいそうだった。
 男――河野内の、生臭くて奇妙に熱い吐息が、桂の“さらり”とした前髪を揺らし、リンゴのように真っ赤に染まったほっぺたを“ぞわっ”と撫でる。
 気持ち悪くて、吐きそうで、脂の浮いた彼の鼻の頭が桂のそれと触れ合った時、彼女はそのまま嘔吐してしまうかと思った。
 あと3ミリ。
 あと3ミリでたっぷりと唾液で湿らせた河野内の唇が、ぷっくりと瑞々しく可愛らしい桂の唇に重なる。

 ――はずだった。

 けれど河野内は、この期に及んで決定的な間違いを犯したのだ。
 つまり、
「……オレのモノにしてやるよ」
 と、キスの直前、そう呟いたのである。
 その瞬間、桂の体に自分でも信じられない力が宿った。
 一瞬で頭が沸騰し、油断しきった河野内に向かって右膝を跳ね上げたのだ。
「へぐっ!?」
 この時の、河野内の浅黒い顔がたちまちのうちに様々な色に変化する様は、まさに見物だった。あっという間に赤くなり、そして青くなり、そして最後には白くなって股間を押さえ、両膝を地面につき崩れ落ちたのだ。
「ボクは誰のものでもねぇっ!! ボクはボクのもんだっ!」
 桂の叫ぶような声が、初夏の空を鮮烈に切り裂いた。
 脚はまだ“がくがく”としていたけれど、
 体はまだ“じんじん”としていたけれど、
 壁にもたれて今にも崩れ落ちてしまいそうだったけれど、
 瞳に宿った光は、何者にも負けないくらい、強く輝いていた。
「もしボクが誰かのモノになるとしたら、それはボクがそれを選んだ時だけだ!
 そんな事があるとすれば、それは相手が健司の時だけだ!
 少なくともオマエじゃねぇよっ!!」
 置き土産にうずくまる河野内のガッシリとした肩を蹴り上げ、背中を踏みつけた。
 震える体では体重を乗せられなかったのは残念だったけれど、今の状態ではそれが精一杯だった。
 今は一刻も早くここから……この人目につきにくい校舎の陰から逃げ出したかったのだ。

 けれどそれさえも、今この状況ではすべきではなかった。

「待てよっ」
「わっ!」
 不意に右足首を掴まれ、桂はひとたまりもなく転倒した。
 顔を庇ってとっさにコンクリートについた両手の平の皮が擦り剥け、膝小僧が“じゃりっ”と砂で擦れた。
「このまま行かせるかよっ!」
「テ……テメッ! 離せっ!」
 しがみつく河野内を“げし! げし! げし!”と足蹴にする桂は、スカートがめくれシンプルな黒いパンツがすっかり見えてしまうのも構わず、そのまま力の入らない腕で必死に逃げようとする。
 逆上した河野内はそんな桂にのしかかり、
「人のキンタマ蹴り上げてそのまま逃げられると思うんじゃねーよっ!
 ここでヤッてやる!
 男女(オトコオンナ)のマンコがどうなってんのか、オレが確かめてやるっ!!」
 そう唾を飛ばして叫ぶと、強引にスカートの中へ右手を突っ込んで下着に手をかけた。
 さすが元柔道部員というべきか、寝技を応用でもしているのか、のしかかられた桂は身じろぎすら出来ないというのに、河野内の右手は、まるで蛇のように隙間を縫うようにしてスカートの中を好き勝手にまさぐってくる。
『マジかよっ!?』
 すべすべした太股にべたべたと触れる節くれ立った男の手に、桂の体が慄(おのの)き、鳥肌が立った。
 眼前に迫る河野内の目は充血し、歪んだ唇からは唾液に濡れた犬歯が覗いている。

 ――完全に頭に血が上っていた。

「やめろっ!」
 手をついたときに手首を痛めたのか、桂の手は河野内の腕を上手く掴む事が出来なかった。何度も掴み、振り払われ、叩き落とされる。
 そうこうするうち、河野内はむちゃくちゃに暴れる桂の両手をまとめて捻り上げ、両脚を尻の下に敷いて、彼女のパンツを強引に太腿まで引き下ろした。
 河野内の体重とゴリゴリする地面の感触のため、腰を捩ることすら出来なかった。
「あっ!!」
 パンツの裏側は白っぽくねっとりとした粘液と、乾きかけたカスのような恥垢でぐちゃぐちゃに汚れている。それを見て、河野内は唇を歪めて『へっ』と桂を嘲笑した。
「うへぇ汚ねぇっ……べとべとのくちゃぐちゃだよ」
「こっ……テ……メエッ!!!」
 激しい屈辱と羞恥と怒りで、桂の顔に“カッ”と血が上る。
 綺麗に生え揃って楚々とした茂みを見せている桂の股間は、たっぷりと濡れた陰唇をその間から覗かせて空気に触れた。左の白い太股には、無理矢理にパンツを引き下ろす時つけたのだろう河野内の爪の後が、みるみるうちにミミズ腫れとなって赤く浮き上がりはじめていた。
「へっ…………」
 シミ一つ、ホクロ一つ無い桂の脚に走ったその赤い筋は、最悪な事に河野内の嗜虐的な官能を更に刺激したようだった。舌なめずりをして唇を湿らせ、ついでに右手の指をべろべろと嘗めて唾液をたっぷりとまぶした。
「おとなしくしろよ。感じてたんだろ? なあ、良かったんだろ? オレの指でこうされてよぉ……」
「ふっ……ふざけんなバ……ッ……くうっ!!!」
 捩じ込むようにして、桂の太股の間に、目をギラギラとさせた河野内の指が差し込まれる。“ぬるっ”とした白っぽい粘液と匂いのキツい恥垢が指に絡みつき、欲情して男を求めるメスの匂いが“ふあっ”と立ち昇った。
「いっ……」
 快楽など毛ほども混じらない純粋で強烈な痛みが、桂の股間から脳まで一気に駆け上る。まるであそこを目の粗い紙ヤスリで擦られているかのようだ。
「へっ……へへっ……ぬるぬるだぜ?」
 遠慮の無い彼は嗜虐に顔を歪め、桂の『蜜液』で濡れた指を“そこ”で何度も往復させた。
「……っ……!!」
 泣き叫びたくなるような強烈な痛みと屈辱に、桂はかろうじて悲鳴を上げる事だけは抑えた。
「キモチイイんだろ? そうなんだろ? パンツまでぐちゃぐちゃにしてるクセによ……お前の方から誘ったんじゃねーか……おとなしくしてろよ」
 ブツブツと呟きながらどろどろに濡れた股間を夢中で指で捏ねくりまわす河野内に、桂は両手首を纏めて掴まれながら背筋に冷たいものが走り抜けるのを感じた。
 河野内の目の色が異常だった。
 どこか、おかしい。
 いくらなんでも、学校で、しかも校舎の陰とはいえ、いつ人が来るかわからないような場所でこんな風にレイプしようとするなんて正常じゃない。
「ま……待てっ……ひっ……だっ……くぅっ!!」
 突然、河野内の指が、包皮の上からクリトリスを中指と人差し指で強引に挟み、摘み潰すようにしてぐりぐりと圧迫した。
「いっ! いてっ! ばかっ! いてぇっ!! いてぇってのっ!!!」
 脚が閉じられているために腿より下にはパンツが引き下ろされず、結果として河野内の手の進入をある程度抑えている。けれど、そのためにデリケートな桂の「オンナノコ」が、より強引で強硬な男の「嬲り」に晒されようとしていた。
「邪魔……なんだっよっ!」
 “ビビッ”と生地の裂ける音がして、桂のパンツに裂け目が出来る。けれど下着や衣服が、男の手とはいえ、それだけでビリビリに破れるなどという事は無い。そんなのは漫画やアニメの中だけの話だ。
 それでも、引っ張られ、裂けながら伸び切った下着は、桂の太股でキツく擦れて赤い筋を作り、彼女に新たな痛みを与えていた。
 けれどなによりショックだったのは、その下着が今日おろしたばかりの“おニュー”だった事だ。「健司に女として好きになってもらう」ために努力しようと小さ…………大きな胸に誓い、それでも可愛らしい下着を身に着ける事に抵抗があった桂が、今朝、由香の手を借りずに選んだ、真っ赤になりながら最大限譲歩した結果の、シンプルだけれどちょっとだけ可愛い刺繍の入ったパンツだったのだ。
「いっ……このっ……」
 桂は目に涙を溜めながら、必死に拘束から抜け出そうとする。そしてそれが叶わないと知ると、カラカラに乾いた口内で、それでも唾を溜め、河野内に向かって“ぺっ!”と吐きかけた。
 とても女の子らしくない行為だったけれど、背に腹は代えられない。これで河野内に隙が出来れば結果オーライだ。
 けれど白く濁った唾は彼の顔にかかる事無く、シャツの胸元をべっとりと濡らしただけだった。
「…………なんだよ…………なにしてんだよ…………」
 不意に手を止め、さらに赤黒くなった顔で、河野内が無表情に桂を見下ろした。
 その瞬間、ひどく嫌な予感が桂の頭をかすめる。
「…………きたねー……だろ!?」

パンッ!!

 一瞬目の前が真暗になり、チカチカと火花が散って、すぐに頬が熱くなった。鼻の奥がツンとして鉄の錆びたような匂いが満ち、喉の奥をねっとりとしたものが滑り落ちる。
 右の頬を張られたのだ、と気付くまで、たっぷり3秒はかかった。
 けれど、その3秒で河野内は次の行動を起こしていた。
 桂の山のように大きく盛り上がった胸元の、白いブラウスのボタンの間に両手の指をこじ入れ、一息に左右へと開いたのだ。
 ブチブチとボタンが引きちぎれ、透き通るような白い肌の、たっぷりと重たげな乳房がハーフカップのベージュのブラに包まれて“ふるふる”と揺れながら光の元へとまろび出る。
「あっ」
 と桂が小さく叫び、息を呑んだ。
「へへっ……」
 すぐに河野内の手がブラを強引に捲り上げ、血の色の、唇の色の可愛らしい乳首が、縮こまったまま鮮やかに彼の血走った目に焼き付いた。そして間を置かず、“たぷんっ”と跳ねるように揺れてこぼれ出た重たい豊乳を、武骨な右手で鷲掴みにする。
「いっ……」
 彼の大きな手にも余る量感溢れた乳肉が、太い指の間から“むにゅっ”と盛り上がり溢れ出る。河野内の手の中で、吸い付くような肌の柔肉は自由に“ぐにゅり”と歪み、形を変え、彼を楽しませた。
「いっ……いてっ! ……いてぇっ!!」
「黙れよ。握り潰すぞ」
「なっ……」
「うるせぇ」
「いっ……ひっ……」
 “ぎゅうううう……”と力強く握り込まれた乳房に、桂は青褪めた顔でしゃくりあげるように声を飲み込んだ。
 お前のやわらかい乳房など簡単に“ぐちゃぐちゃ”に握り潰してしまえるのだ……と、河野内の目が本気で告げていたからだ。
 桂に抵抗の意志が無いと知るや、河野内は嘲るように口元を歪め、両手で思うさま彼女の乳肉を掴み、揉み込む。
「なんだ。ホンモノかよ」
 大きく、それでいて張りのある健康的な乳房の触感に、河野内が呟いた。
「急にデカくなったから、シリコンでも入れてんのかと思ったぜ」
 いったい、人の乳房を何だと思っているのだろう。
 河野内は、デリケートな女の乳房を、まるで揉み潰さんばかりに“ぎゅっぎゅっ”と力を込める。
 地面に仰臥した桂の小さな体が、そのたびにかわいそうなほど“ゆさゆさ”と前後に揺れた。
「いっ……っ……ぅ……い……」
 両手の手首で目を隠し、顔を隠し、桂は溢れ出る涙を必死に堪えた。“健司ではない男”の無骨な手によって好き勝手に揉みしだかれる乳房が、熱を持って腫れあがったように、ひどく痛む。
 快感などこれっぽっちも無かった。
 ただ痛かった。
 痛くて、苦しくて、そして…………恐かった。
 男だった自分が、喧嘩だって平気でしていた自分が、殴ったり殴られたりなんてしょっちゅうしていた自分が、今はただ河野内の「暴力」に、無力な子供のように脅えていた。
 泣いてなんてやるもんか。
 そう思うのに、涙が自分の意志とは無関係にぼろぼろと零れる。
 そんな桂の震えて泣く様子を満足そうに見下ろしていた河野内は、いまさらのように周囲を見回し、気付いた者がいないか確かめた。そうしてから、捏ねまわしてた桂の乳房から急に両手を離して、彼女を引き摺り上げるようにして強引に立たせる。
 痛々しく真っ赤に充血し、河野内の大きな手の跡がくっきりと残った大きな乳房が、重たげに“ゆさっ”と揺れ、嗜虐にまみれた彼の目を楽しませた。
「行くぞ」
 有無を言わせず腕を引っ張られた桂は、“ハッ”としたように両脚を突っ張った。俯いた彼女の視線の先で河野内の股間のモノが、これ以上無いくらいハッキリと硬く盛り上がっていたからだ。

 彼は全然諦めていない。

 絶対に桂を犯すつもりなのだ。
「や……やだっ! やだっ!」
 たちまち軽いパニックに襲われ、桂は河野内の手を振り解こうと腕を振る。
 もう、プライドなんて無かった。
 涙と鼻血混じりの鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、オモチャコーナーで大好きな魔法少女グッズをねだるワガママな幼女のように、ひたすらにイヤイヤと首を振る。まるでそうすれば彼が許してくれるとでもいうかのように。
 それでも彼が強引に引き摺って行こうとすると、桂は左手の爪で、右手を握り締めた河野内の二の腕を引っ掻いた。
「いてぇ……なっ!」

パンッ!!

 振り上げられた手に脅え、“ひっ”と息を飲み身を竦める桂の、今度は左の頬を、河野内の手が的確に張る。
 涙と鼻血が地面に飛び散り、一発で意識が軽く飛んで景色がぐらぐらと揺れた。
 ふらっ……とよろけ、そこを河野内の腕が強引に引き寄せると、“また引っ叩かれるのか”と、桂はひとたまりもなく脅え、体を硬直させた。
 男だった時にはこれくらいの張り手など平気だった。けれど、今の桂の骨格や筋力、それに2ヶ月近くの女としての生活が、それを自分が到底敵うべくも無い、とてつもなく獰猛で凶暴で、血も涙も無い暴力なのだと感じさせていた。

 実際、いくら力が強いからといって、女に平気で暴力を振るえるような凶暴性を持つ生徒は、この学校には少ない。
 年齢が若いからという事もあるだろうけれど、何より、女は暴力で言うことを聞かせるに限る……などといった腐った思考を容認するような土地柄ではなかったからだ。
 桂も、男だった時に女子に対して手を上げた事など全くと言っていいほど無い。
 由香に対してするあれは、2人にとっては、いわばコミュニケーションの一つであり、互いの“立ち位置”の再確認の手段でもあった。
 純粋な「暴力」に関して言えば、クラスの三馬鹿の一人の吉崎でさえ、女になった『圭介』に対しては一度も手を上げていない。どんなに桂か叩いたり蹴倒したりしても……だ。
 確かに桂も、一度彼をボコボコにして職員室ではるかちゃんに“お説教”されて以来、もう男子が自分に対して手を上げる事は無いとわかった上で、引っ叩いたり蹴倒したりしていた部分もあった。
 それは決して「ずるい」行為ではなかったけれど、「ずるい」と言われても仕方の無い事ではあった。なにしろ、桂が蹴倒したり殴ったりする相手というのは、すべからく彼女が大なり小なり心許した(?)相手であり、そういう意味では、時に彼らは彼女に乱暴される事を喜んでいた節もあったからだ。もちろんその時の男子ときたら完全無抵抗で、逃げたり時々桂のおっぱいを触ったりもしたけれど、決して反撃したりする事も無かった。
 結局、女になったからというもの、桂が男子に暴力を振るう事はあっても、その逆は決して有り得なかった……というのが現実だったのである。
 でも、河野内は違った。
 少なくとも、今この時の彼は。

 ――殺されるかと、思った。

 引っ叩かれた頬が腫れ、熱く火照って痛んだ。顎が“がくがく”として、歯がぐらぐらになってしまったのではないか? とさえ思う。
 女の骨格の脆さを、桂は痛感せずにはいられなかった。
 今まで男子を殴った事はあっても、ここまで無遠慮な「暴力」に晒された事の無い桂は、自分の体の弱さを痛感した上で振り下ろされる手の平に、ただ脅えるしかなかった。
「だ……だれかっ……誰が助け……ぐれっ……げんじ……ゆがっ……が……があざんっ…………母ざんっ!!」
 叫ぼうとしても、喉がかすれて上手く声が出ない。ようやく出ても、それは老婆のようにしわがれて枯れた声だった。

パンッ!!

 今度は右の頬が思い切り引っ叩かれた。
 右、左、右……と、交互に頬を張られている。河野内は、怒りに任せているようで実は「遊んでいる」のではないか? と思えた。
 嗜虐に醜く歪んだ笑みが、「面白くて仕方ない」とでも言うようにいっそう色濃くなる。
 桂の顎から鼻血が滴り、白いブラウスを赤く染めた。
 どうして自分はこんなにも無力なのか。
 ほんのちょっと男に引っ叩かれただけで、なぜこんなにも容易く心が折れてしまうのか。
 自分は、もともとこんなに情けない人間だったのだろうか。

 ――いや、違うはずだ。

 小学校の時だって、あの憎たらしい薮本に対しても自分が正しいと思った喧嘩では絶対に引かなかった。
 健司だって言ってたではないか。
 “あの時”の事を健司だって言ってたじゃないか。
『あの時のけーちゃん。カッコ良かった』
 そう、言ってたじゃないか。
 もう忘れてしまおうと思っていた男の時の自分が、今はひどくいとおしい。
 あの頃の自分が今の自分の中にまだ残っているのなら、河野内の理不尽な暴力にも屈する事など無かっただろうに。
 でも、あの頃の自分は、もういない。

 いないのだ。

「う……うぅ……」
 恐怖と痛みと悔しさで涙が零れ、しゃくりあげるあまり過呼吸気味に喉の奥が「ぜひっ」と鳴った。
 ぬるりとして鉄臭い血の味が口の中いっぱいに広がった。けれど、それが口の中に入った鼻血なのか、それとも口の中をどこか切ってしまったからなのかまでは、わからなかった。
「来い」
「や……やだっ……だれかっ……だれかっ」
「黙れ」
 むずがる赤ん坊のような桂に、河野内が再び手を振り上げる。
 桂は咄嗟に顔を伏せて引っ叩かれまいとした。

ごっ……

 ――頭に、火にかけたヤカンを押し付けられた気がした。
 “ガチッ”と歯が鳴り、“ぐわんっ”と景色が歪み、耳が“きんっ”と鳴った。
 頭の中で“だくんだくん”と太い血管が脈打ってるような気がする。
 彼の、でかくて硬くて大きな拳で思い切り殴られたのだ……と気付いたのは、意識が真っ暗な闇の中へと沈み始めた、まさにその時の事だった。
『うそ…………うそだろ……? …………こんな簡単に……気絶って……するもの……なのか…………?』
 このまま犯されるのだろうか?
 このまま、誰にも知られることなく好き勝手されてしまうのだろうか?
『けんじ…………けんじ…………』

 答えてくれるひとは、ここには、いない。

 いなかった。

         §         §         §

 河野内は、ぐったりとした桂を抱え込み、なかば引き摺るようにして旧テニス部部室へと向かっていた。
 もう、周囲のものは何も目に入らない。
 目の前の薄汚れた小屋に桂を連れ込み、制服を脱がせ、乳房を嘗め乳首をしゃぶり滑らかな肌に舌をべろべろと這わせながらその胎内にたっぷりと自分の精液を流し込む事しか考えられなかった。
 ふと、自分はここで何をしているのだろう? と思わなくもない。今は確か授業中で、次に問題を起こしたら今度こそ停学処分、もしくは退学などとも言われていたような気がする。
 でも
『ああ……』
 手の平いっぱいに感じる、このでかくてやわらかくて力を込めるたびに“たぷたぷ”“ぐにぐに”と美味しそうに形を変える乳肉の前には、そんな事は些細な問題でしかなかった。
 桂の小さい頭に顔を近づけて首筋や背中や脇から香る甘い匂いを思い切り肺一杯に吸い込むと、体中に力が満ちて自分が「強いオス」である事をいつも以上に感じ、強烈な誇りすら感じてしまう。今の彼は、この世に「オス」として生まれ落ちたからには「メス」に精を注ぎ込み孕ませる事が何ものにも優先される至上の使命なのだ……と、あたかも心から信じ込んででもいるかのようだった。

 それを理解しないからこいつは痛い目にあったのだ。

 河野内はそう断定すると、意識を無くし、ぐったりと彼に身を預けた桂の胸元に右手を差し入れて、揺れ動く剥き出しの乳房を“たぷたぷ”と重さをはかるようにして弄んだ。左手で抱えながらでは、やわらかくあたたかな乳肉は、さほど自由に揉みしだく事が出来ず、彼は目の前の小屋へ一秒でも早く入る事しか考えないように、意識を集中する。けれど、これからすぐ迎えるだろう甘美な時間を思えば、口元が涎で汚れてしまうのも仕方ないというものだ。
『そうさ……』
 オレだとて鬼ではないのだから、おとなしくしていれば殴ったりしないし、たっぷり気持ち良くさせて楽しませて、もうオレ無しではいられなくしてやったのに。
 オレの精子を腹に注ぎ込まれることにこれ以上無いくらいの幸せを感じるようになるまで何度も何度も何度も何度もたっぷりと可愛がって注ぎ込んでやったのに。
『だから』
 そしてオレの子を孕め。
 オレの子を産み落とせ。
 何度も何度もオレが抱いてやる。何度も何度も注ぎ込んでやる。何度も何度も子供を産ませてやる何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
「可哀想に……けーちゃんの『香気』にあてられたねぇ?」
 旧テニス部部室に桂を引き摺り込んで扉を閉めた河野内は、薄暗い中でかけられた声に“びくんっ”と身を震わせ、呆けたように部屋の奥を見た。
 人の気配は無かったはずだ。
 ここはまだ、今日は誰も「使って」いないはずだった。
「彼女の『香気』は強烈だからねぇ……本来ならたった一人のためにブレンドされた特別製なんだけど、やっぱり体調が悪いと出ちゃうんだねぇイロイロと」
 掃除道具やグラウンド整備品に埋もれるように、催しの時に使う机が積まれている。
「それで、刺激しなくていい相手までも、どうしても刺激してしまう……」
 その一つに一人の青年が座り、白い顔でにこりと微笑んだ。
「キミは特に相性が良かったみたいだねぇ」
 背が高く、黒髪を短く刈り込んで、その上ツンツンとした針山状態に固めた線の細い男子だった。すらりとした体躯の上には「ハンサム」と言って良い顔がのっていて、それが入り口のところで呆けたように彼を見つめる河野内に向けられている。
「いや、良過ぎた…………かな?」
 河野内が脇に抱えた桂の、重たげな二つの乳房が、パパイヤか椰子の実のように、伏せた体の下で砲弾状に垂れ下がり、ゆらゆらと揺れている。もちろん、「垂れ下がる」と言っても決してだらしの無い形ではない。充実した乳肉の量感溢れる感じは、中身がみっちりと詰まって若々しさに満ちているのだ。
「キミさ、そのままだとヤバイよ?」
 青年は机に座ったまま“にっ”と笑うと、突然飛んできたブロックを、首を少し傾けるだけで避ける。頭にあたっていたら頭蓋骨骨折か脳挫傷でも起こしそうなスピードのブロックは、奥に立ててあったベニア板に穴を開けて盛大な音を立てた。
「……ふ……ん…………もう理性も無い……か……」
 片手で桂を抱えながらブロックを放るなど、まるで『キングコング』や『マイティ・ジョー』などの巨大猿人系パニック映画を思い起こさせる。河野内が猫背気味に立ち、青年に対して体を横に向けながら顔だけ捻るようにしてこちらを向いているためか、その印象はますます強くなっていた。
 河野内は、呟いた青年に視線を合わせたまま、まるで荷物でも放るみたいに桂を床に転がした。
 その無造作な行為に、青年が顔を顰める。河野内の足元で仰向けになった桂の胸では、破かれ、開かれたブラウスから、すっかり露わになった「マスクメロンか小ぶりな椰子の実か」というくらい大きな乳房が、ツンと乳首を天に向けてふるふると揺れていた。乳肉自体の重みですそ野が広がり、もったりとしたイメージで呼吸に合わせ揺れ動く様は、ひどく扇情的な光景だ。しかも、パンツが太腿まで下げられ、スカートもすっかり捲くれ上がっているため、つるりとした滑らかな下腹が薄暗がりの中で白く浮き上がっていた。
 けれど、数分前までは可愛らしくもどこか凛々しかったその顔は、今では河野内の非道な行為によって両方の頬が真っ赤に腫れ、まるでおたふく風邪かひどい虫歯でもあるように痛々しく見える。
「ホントはキミなんてこの世界から消してあげたいとこだけど…………助けてあげるよ。一応、それも役目だし」
 か弱く可愛らしい少女の、一応の無事を確かめると、青年は机を下りて首を“こきこき”と鳴らした。
「もっとも、ボクにとっちゃ、けーちゃん以外の人間なんて、誰だってどーでもいいんだけどね」
 面倒臭そうに言う青年の、その目は鋭い。
 それでも、ううう……と呻(うめ)きながらこちらを睨み付ける河野内に、青年はゆっくりと微笑んだ。
「もうオレの言葉もわかんないかもしんないけど、一応言っとくよ。
 けーちゃんを抱いていいのは、けーちゃんが認めた男だけなんだよ。
 それはキミじゃない。
 もちろん…………オレでもないけどね」
 その微笑みはどこか苦しそうで、辛そうで、そして、とてもとても寂しそうだった。

         §         §         §

 3分もかからなかった。

 飛びかかる河野内の背中に風のように回り込んで、その首筋に1センチほどの細い針を差し込んだ。
 それで、終わりだった。
 足元に桂が横たわっている上、周囲には雑多な物が散乱し、机なども積み上げられているために、実際に動けるスペースは半径2メートルも無いだろう。河野内が腕を振り回せば、どんなにスピードに優れた人間だろうと容易く捕まえてしまえるような狭さだった。
 それを、まるで野の花を飛び回る蝶のように、水面を時折触れながら飛び去るオニヤンマのように、河野内の手の間を擦り抜け全てを終わらせたのだ。
 確かにその青年は、人間だった。
 人間に、見えた。
 それも、少し頼りなさそうで、軽薄そうで、女の子が大好きで仕方なさそうな、そんな人間に。
「……もうちょっと早く気付いてあげられたら良かったのにねぇ…………」
 青年は、埃っぽい床に崩れ落ちた河野内をもう忘れてしまったかのような表情で、横たわる桂の傍らに無造作にしゃがみ込んだ。
「けーちゃんが本当にオレのものだったらなぁ……」
 小さな少女の、赤く腫れ上がったほっぺたにかかる、乱れたさらさらの髪を指で梳いた。
 涙と、汗と、鼻血と、鼻水と……とにかくもうぐちゃぐちゃでめちゃめちゃな顔だったけれど、青年にとっては世界で一番大切な『女の子』だった。

 “目覚めた”のは、つい最近だった。

 でも彼は、彼女のために生まれて、彼女のために今まで生きてきた。
 誰に聞いたわけでもなく、そう自覚した。
 “目覚め”てから初めてこの少女に出会った途端、そうハッキリと認識したのだ。
 ひょっとしたら、少女が「少年」から「変体」した事が、彼のスイッチを入れる直接の原因だったのかもしれない。
 最初からそう、仕組まれていたのかもしれない。
「けーちゃんがオレの事を好きになってくれたら、
 そうしたらオレ、キミを傷つけたりなんか、絶対にしないのに」
 そう言いながら、破かれ、捲り上げられ、ボタンの契れ飛んだブラウスを直して、河野内に好き勝手に揉まれ、赤く充血したおっぱいに指で軽く触れた。“ふるん”とやわらかく揺れ、“ぷるん”で“たぷん”で“たゆん”なおっぱいは、瑞々しさこそ失っていないものの、内出血で腫れ、熱っぽく火照り、そしてその熱は青年をひどく哀しくさせた。
 やがて青年は、桂の体に覆い被さるようにして彼女の両脇に両手をつき、強く香る彼女自身の『香気』に晒されながら濃いピンクに染まったおっぱいに顔を寄せる。
「アイツなんかじゃなくて、このオレの事を好きになってくれたら、そうしたら毎日毎日可愛がって、綺麗にしてあげて、可愛い服とか綺麗な服とかいっぱい買って着せてあげて、『女になってよかった』って心から思えるくらい幸せをあげられるのに。
 こんな目になんて、絶対にあわせないのに」
 泣きそうな顔で舌を伸ばし、青年は桂の剥き出しのおっぱいを嘗めた。。
 舌先から伝わる彼女の体温は、やはり乱暴な、愛撫とも言えない愛撫によってカッカッと熱くなっていた。
 そのまま青年は、犬や猫がそうするように、舌を平べったくしておっぱいを嘗め続ける。
 ひと嘗めごとに“てろんてろん”とおっぱいが揺れ、萎縮した乳首が大きく軌跡を描いた。熱く火照る肌の熱を鎮めるかのように、丁寧に丁寧に、産毛の1本1本までも立ち上げるように嘗め続ける。
 青年が一心に舌を動かし、やがて唾液でおっぱいが“てらてら”と濡れ光る頃には、さっきまで真っ赤に染まっていた痛々しい肌の色が元の白く透き通るような肌へと変化していった。
 青年は、桂のあられもない痴態に欲情し、河野内がしようとしていた事と変わらぬ行為を欲したのではなかった。
 それがどんな理屈によるものなのかは知れないけれど、確かに青年が唾液を塗りつけ、塗り込む事で、桂の傷付けられた体は急速に治癒していったからだ。

 額にうっすらと汗を浮かべ、ひたすらに桂のたっぷりとしたやわらかなおっぱいを嘗め続けた青年は、続いて、剥き出しの腰と太股についた河野内の爪の後を嘗め始める。黒の、ちょっとだけ可愛らしい下着を太股まで引き下ろされているため、楚々と茂る“若草”も、わずかに顔を覗かせる濡れた“蜜唇”さえもすっかり外に晒されているけれど、青年は一度それらにちらりと視線を向けただけで、後はひたすらに傷を丁寧に嘗め続けた。
『……さすがに強烈……だなぁ…………オレでも勃(た)っちゃうよ』
 桂の股間から“むっ”とした濃い「オンナノコ」の匂いが立ち昇り、それが青年の肉体に強烈な性的興奮を誘う。けれど彼は、抗し得ない『香気』の誘惑に勃起して硬くなった自分の股間のものを無視して、ただ癒すためだけに舌を滑らせ続ける。
 やがて、気を失いながらも萎縮し緊張していた少女の体躯が、その張り詰めたものを徐々に解いていく頃には、ひどいミミズ腫れとなってた白い太股の内出血も治まり、後にはわずかに赤い線が残るだけとなった。
 ついでに……と、手の平と膝小僧の擦り傷も嘗め、癒すと、ようやく青年は身を起こして、洒落たデザインの黒い腕時計に目を走らせた。
「……ふう…………もうすぐ2時間目も終わっちゃうなぁ……」
 誰とも無くそう呟き、小さく溜息を吐く。
 結局、青年は夢中で30分以上も嘗め続けていたのだ。
 彼は桂の額の汗を拭い、酷使し続けた舌を口内で労わるように動かすと、
「…………ホント……女の子の顔を殴るなんてねぇ…………やっぱり消しとこうかな?」
 赤く腫れ上がった桂の顔に指で軽く触れて、青年はいまだにピクリとも動かない河野内を見た。
「ディスポーザー(disposer)で細かく砕いて下水に流してやりたい気分だけど、キミが特別に悪いわけじゃないしね……」
 桂の顔は、河野内がまるで手加減をしなかったのか、赤い手の跡がくっきりと残って、さっきよりも更に腫れてきているように見える。このままにしておくと、いずれは紫色の痣になってしまうかもしれない。
 こんなになるくらい強く女の子の顔を引っ叩くような男は「死んで良い」とさえ青年は思うし、ましてやそれが、彼の世界で一番大切な『女の子』に対しての行為だと思うと、それをした河野内は生きたままミリ単位に刻んでやっても、まだ飽き足らないとさえ思う。
 涙に濡れ、鼻血を垂らし、激しい暴力に晒されながら、少女はどんなに恐ろしかったことだろう。
 たとえ元は男だったとしても、自分の肉体の脆弱さを心に刻み付けられた17歳の少女が、自分自身に降りかかる暴力に対してどこまでも無関心でいられるほど、この国はまだ無法ではなく、日々が暴力で染められているわけではないのだ。
 そんな少女の頬に、青年はすぐに舌を這わせるのではなく、一度だけ軽く“そっ……”と口付けた。
 その唇に、少女の頬は燃えるように熱かった。
「すぐ、元通り綺麗にしてあげるよ」
 そうして、主人に対して忠犬がそうするように、愛しさをこめながら“ぺろぺろ”と熱を持ったほっぺたを嘗める。おっぱいにしたのと同じように、汗も、涙も、鼻血も、鼻水も、埃も、すべて綺麗に嘗めとって、唾液を塗り込んでゆく。
 青年の唾液は粘性が全く無く、まるで水のようだ。普通の人の唾液と違って、乾いても何の匂いも発しないところも、不純物の一切混じらない蒸留水のようだった。けれど、その無味無臭の液体に、桂の体を癒し、修復し、治癒させる力が秘められているのは事実だった。
「ん〜〜……いろんな女の子の顔を嘗めたけど、やっぱりけーちゃんの顔がイチバン“美味しい”ねぇ」
 聞きようによっては『食人趣味(カニバリズム:cannibalism)』を思わせなくもない異様な台詞だけれど、青年の顔はいたって真面目だった。むしろ、慈愛といたわりに満ちて、心から桂を愛しいと思っているように見える。
 それにしても「いろんな女の子の顔を嘗めた」とは、どういうことなのか。
「……ん…………」
 わずかに眉を寄せ“ぴくん”と身を震わせる桂に、青年は動きを止め、じっと彼女の様子を伺った。その視線に、桂が目覚める事を危惧した色は無い。
「もうちょっと眠っててね」
 そう言って、腫れの引き始めたほっぺたをさらに熱心に嘗めたくった。青年の唾液に治癒力だけでなく、鎮静作用や睡眠誘導作用でもあるのか、桂の表情が安らかなものへと変化してゆく。
 うっすらと開いて真珠のような前歯を除かせた少女のピンク色の唇に、
「眠ってるといいよ。お姫様」
 そう言ってキスしようとしようとして…………直前で思いとどまり、彼女の“さらり”とした前髪を分けると、そのつるりとした滑らかなおでこに“ちゅ”と口付ける。
「キミのナイト(騎士)は――本当のナイトは、いったい何をしてるんだろうね?」
 深い暗闇に沈み込み、ぐったりと全身の力を抜いて横たわる桂に、彼の言葉は届く筈も無かった。

         §         §         §

「桂を見失った?」
 保健室のドアの向こうから聞こえた中年男性の言葉に、美智子は思わず腰を浮かしかけた。
「どういう」
 続けて『どういうことだ』という言葉を発しかけ、思い直して再び椅子に腰を落とす。

 桂の生体データは常にモニターされ、『星人』のコミュニティには、彼女の現在の身体機能や生理機能を含めた微細なデータが絶えず送られ続けている。しかし、この街を含めて周辺50キロに及ぶ地域はエリアごとに分けられ、そのエリアに対しての彼女の位置情報は把握出来るものの、彼女のプライバシーも考慮に入れ、完全に詳細な位置は特定出来ないようになっていた。例えてみればそれは、学校の2Aのクラスにいる事はわかったとしても、その教室内の、どの席に座っているかまではわからないというように。
 もちろん、桂の『医療担当』である美智子は、独自の権限を使用する事で、桂の現在位置をセンチ単位で把握出来るようにもなってはいるけれど、少女の体に生命の危険が及ばない限りは現行のシステムに則った監視体制に委ねてあった。

 そのシステムは現在の地球上のテクノロジーでは妨害する事も遮蔽する事も出来ない。もしそれが出来るとすれば、同じ『星人』のテクノロジーを行使する相手か、または『星人』自身という事になる。
『いや、それはない』
 美智子は『桂が星人の力に完全に目覚めたのではないか?』と思いかけたものの、即座にそれを否定する。『ナーシャス(深きもの)』(『星人』達の精神ネットワークへのアクセス端末とでもいうべきもの)の発現傾向は、ここ数時間の間には見られなかったし、そもそも桂が力に目覚めたのであれば、同じ『星人』である美智子に認識出来ないはずが無いからだ。
 と、すれば、同じ『星人』のテクノロジーを行使する相手……となるのだけれど、桂の現在地を示す生体ビーコン(beacon)を完全に遮蔽しコミュニティから隠してしまえる力は、
『あいつか……』
 美智子は頭に浮かんだ、性格的にはひどく問題のある『保険』の顔に、小さく溜息を吐いた。

 “彼”は本来、桂の『相手』として地球人類の遺伝子を元に調整され、育成された男女のうちの一人だった。
 けれど、資質の問題か“彼”の血に眠る問題のためか、桂の相手としては「相応しくない」と涼子によって判断され、最近までは普通の高校生として“自分に本来与えられるはずだった役割”など思い出す事も無く日常の中で“眠って”いたのだ。何も無ければ、死ぬまで覚醒する事もなく、コミュニティに属する地球人夫婦の「多少身体能力の秀でた一人息子」として、ごく普通の一生を終えただろう。
 “彼”の意図しない覚醒のきっかけが一体何だったのか、コミュニティの方でも正確には把握していないけれど、おそらく桂が女性化した事が“彼”の生命活動に何らかの影響を与え、覚醒を促したのだ……と、美智子は考えている。
『桂が女性化し、完全固定化が進む事で、あの子の周囲を取り巻く事態は急速に変化し始めている…………』
 美智子は椅子の背もたれに体を預け、白い天井を見上げた。
 『涼子の決意』『ガーディアンの存在』『“保険”の発現』…………“本当の嘘”が暴かれるのは、まだまだこれからだ。
 自分は決して許されないだろう……と、美智子は思う。
 桂にも、そして、信じてなどいないこの星の「神」にも。

 この学校内にも、『星人』の類たる教師は紛れ込んでいる。
 美智子に桂の存在をロスト(喪失)した事を告げた中年教師も、その一人だ。
 桂のためだけに“整備”された街であり、桂のためだけに創られたこの学校ではあったけれど、常時身を置いている純然たる『星人』は、今のところ美智子だけだ。
 けれど、『星人』の流れを汲み、その因子をわずかにも持った者は、それよりも遥かに多い。
 彼等は、メディアに流された涼子の『メッセージ』を受け取り、自分が『星人』の末裔である事を自覚したその時から、『星人』のために生き、『星人』のために死ぬことを魂の一番深いところ……抗し得ない本能として心に刻み込まれた。この街には、確かに元から住んでいる土着の人々もいるけれど、今では、この街の70パーセント以上を、日本全国から時間をかけて集まり、何らかの形で『星人』のコミュニティに関わって『星人』に仕える事を至上の幸福としている人々で構成されているのだ。
 もちろん、その自覚の無い者もいるし、むしろ、そんな人々の方が多いかもしれない。
 けれど、彼らは『星人』に対して敵意や殺意、その他のネガティブな感情を持たない。

 いや、“持てない”のだ。

 この街で8年間生きてきた中で、様々な局面において自分に対して向けられた「無条件な好意」が、実は桂(圭介)の性格や行動や容姿だけではなく、もっと深い部分……“ただ『星人』のハーフである”というだけの事で持ち得たものなのだと桂が知った時、彼女は絶望するだろうか? それとも、怒りを抱くだろうか?
 それを思うと、美智子は暗い気持ちにならなくもない。
 けれど、美智子は既にいくつものウソを重ね、いくつもの裏切りを犯している。

 いまさら桂に嫌われることを恐れては、何も出来ないのだ。

『学校周辺の住人は、ほぼ全てが「星人」に連なる者達だ。彼らからの報告は無いから、桂はまだ校内にいるはず……』
 美智子は、まだドアの外で彼女の言葉を待っている人影を見た。
「いい。あんたは通常の職務に戻ってくれ」
「し、しかし……」
「見当はついてる。心配はいらんよ」
 少しの間、逡巡するようにドアの外に留まっていた影は、やがて来た時と同じくらい唐突に消えた。
 それを確かめてから、美智子はポケットからケータイを取り出し、リダイアルを検索する。
 相手は、2回目のコールの途中で応答した。
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