■感想など■

2009年08月14日

第16章「欲しがるカラダ」

■■【2】■■
 その夜、桂は両親の寝室にある母の鏡台の前で、セミロングの艶やかな黒髪をブラッシングしながら考えていた。

 わざわざ母の鏡台を使っているのは、母が“旅行”へと出掛ける前、桂に告げた「いつまでもあんな小さな鏡だと不便でしょ?」という言葉に甘えた結果なのだけれど、確かに、鏡が三面あるといろんな角度から自分の髪を確認出来るから便利だった。
 桂の部屋にも姿見はあるけれど、あれは本当に、立って身だしなみを確認するためのもので、髪とか化粧とかを直すには少し勝手が悪かった。そういう意味で、今まで髪をブラッシングする時や化粧する時は、机の上に置いた小さな卓上鏡だけだったから、母の申し出はちょっぴり複雑で、結構嬉しい桂だったりしたのだった。
 そして今は、のんびりとした風呂上りの体に、洗いたてのライムグリーンのパジャマを身に着け、火照った肌にスキンケア用の保水液を塗り込んだところだった。

 学校から帰ってから、ここのところずっと桂を悩ませていた体の中の“嵐”は、ウソのように沈静化していた。
 確かに、まだ乳首とかあそことか脇腹とかに触れると“ぴりっ”……というか“じんっ”とした甘い痺れのようなものが体を走るけれど、それでも体中が切なくて苦しくてウズウズする……なんてことよりも、ずっといい。
『……結局…………“ウズウズ”したらオナニーするしか手が無いなんて……』
 鏡の中で困ったような、どこか怒ったような、そんな曖昧な表情で髪にブラシをかけている少女に、
 桂は、
「オマエ…………えっちだゾ」
 と、小さな声で呟いてみた。

 “あの”後、さすがに疲労困憊してしまい、5時間目の体育は休んだけれど、6時間目の英語には出席する事が出来た。
 ソラ先生は、このまま帰ってもいいぞ……と言ってくれたけれど、心配している由香を放って帰るわけにもいかず、最後の1時間だけでも授業に出る事にしたのだ。もちろん、ソラ先生と「えっち」な事をしてしまったことは秘密にしてある。
 当然だ。
 あんなこと、たとえ由香相手でも言えるわけがない。
 ソラ先生の前であんなに声を出してあんなに何度もイッてしまった事を“ちら”とでも思い出すだけで、たちまちのうちに顔が火照って、すぐにでもベッドに上がり込み毛布を頭から引っ被ってそのまま寝てしまいたくなってしまう。
 桂だとて、診察だけのはずが、まさか由香に続いてソラ先生とも「えっち」な事してしまうハメになるとは、さすがに思わなかったのだ。
 けれど、ソラ先生に優しく腰をテーブル下ろされた後、体がどうしようもなく「満足」しているのが自分でもわかったから、無闇に彼女を責めるわけにもいかなかったのである。
『こんな風に女ばっかり相手にしてたら、ある日突然、男に戻ったりして……』
 それを考えると、ちょっとだけ恐い桂だった。
 本当は喜ぶべき事なのかもしれない。
『……でも……』
 ブラシを鏡台に置き、鏡に映った背の低い……けれどひどく肉感的な体の少女を見つめた。
『今は、これがボクなんだ』
 今の自分を受け入れると決めて、自分の気持ちに素直になろうと決意した。
 その気持ちは、今もこの胸の奥に、ある。


 ふと、桂は保健室での会話を思い出していた。
「で、まあ、結論を言うと、だ」
 カーテンを締め切った学生相談室の中、まるで、「することして満足し、煙草を一服始めた男」みたいな笑みを浮かべながら、美智子はテーブルに腰掛けつつ、まだ息の荒い桂の髪をさらさらと撫でた。
 何もかも美智子に暴かれてしまった桂は、顔を真っ赤にしながら仰向けのまま“もぞもぞ”と身じろぎし、Tシャツを引き下ろして大きく盛り上がったメロンおっぱいを隠す。そして『蜜』で“ぬるぬる”に濡れた股間を、両脚をぴたりと閉じる事で隠しながら、美智子の視線から顔を逸らしていた。
「お前のその体の過剰反応を抑えるのは、ムリ」
「は?」
 お尻まで垂れ落ちた愛液に自分の体の「だらしなさ」を見たような気がして、改めて頬を赤らめた桂の頭が、一気に真っ白になった。
「ちょ……ちょ……ちょ……」
「ん。もうちいっと聞け」
 慌てて何か言いかけた桂の“ぷるっ”とした唇を、人差し指で“ついっ”と塞ぎ、美智子は大きく息を吐く。
「ムリ……というか…………ん…………まあでも、お前のその状態は一時的なもので、長期に渡るものじゃないのは、たぶん、確かだ」
「……どっちだよ」
「意図的に抑える事は無理だけど、いずれ治まるものだってこと。
 お前のその過敏な生理反応は、“今の”お前の肉体に必要なものだからだ。
 もちろん、それは副次的なものではある」
「どういうこと?」
「お前の体が受胎を要求している事が、まず先にあるのさ」
「……受胎を要求?」
「簡単に言えば、だ。
 お前の体が排卵日に合わせて、男の性衝動を誘発し、妊娠する事を強烈に渇望している……ってこった」
「妊娠……」
 複雑な顔をして、桂は滑らかな下腹に手を当てた。
 心の中を戸惑いが満ちる。
 当然と言えば当然だ。桂の意志を完全に無視して、桂の体が妊娠を求めている……と聞かされたからだ。
「男は、発情した女が目の前にいると、すぐに臨戦体勢に入ることの出来る動物だ。
 たぶん、お前の排卵が停止し、男に対してサインを送る必要が無くなれば、その過剰な反応もおさまるだろうな」
「“サインを送る必要”……原因……それが……妊娠の……渇望……? ……」
「そう」
「そんな! ……そんなの……困る……」
 だれかれ構わずサインを出しまくっているという状態では、健司以外の男までも引き寄せてしまうかもしれないではないか。
 相手が健司だけならまだしも、学校という場は数十人、数百人の男がひしめいているのだ。
 そんなところに、自らも発情して、その数百人相手にサインを送りまくる女がいたら……そのうちの何人かは、桂の体が求めるままに「精液を流し込む」事を至上の目的として迫ってきてしまうかもしれない。

 そんなの、考えただけで吐き気がする。

「というわけだから、薬物投与も、快楽中枢その他の感覚器官の鈍化または限定遮断そのものも、まず出来ない。
 例えば排卵抑止剤などを使用したとしても、効果があるかは疑わしいし、さらにそれで生理機能が狂ったら、今度はいったいどんな弊害を起こすかまったくわからないんだ。
 同様の理由で、生理機能を阻害するような要因は極力避けないといけないから、『ネクタル』の錠剤も、我慢できるギリギリまで使わない事だな」
「そ……そんな……」
 青褪め、口元を抑えて、桂はテーブルに起き上がって縁から両脚を垂らした。
 お尻の下で水溜りになっていた愛液が“ぬるり”と塗り広がり、テーブル表面をぬめらせてしまった事にも気付かない。
「そもそもお前の生理不順自体、女に変体して以降の急激なシステム構築と、立て続けに起こった乳房の異常なほどの発育の影響によるもんだと思うぞ」
 白衣を脱ぎ、桂の体に着せてやりながら、美智子は、前傾してTシャツの下でより大きく重たげに揺れ動く彼女のメロンおっぱいを見た。
「異常……」
「昨日言ったよな?
 お前の体が精神的、肉体的な刺激に敏感になっているのは、もともと不安定だったホルモンバランスが、オナニーのし過ぎでさらに崩れ、生体機能が一時的にブーストアップし、快楽中枢が刺激に対して過剰反応しているからだ……って」
「う……うん……」
 何度耳にしても「オナニーのし過ぎ」というフレーズは、やっぱり恥ずかしかった。
「ただ、卵子が成熟し、排卵が近付く事でこの状態が引き起こされるのだから、排卵そのものが止まれば、これからお前がこの状態に悩まされる事も無くなる。となると、妊娠するのが一番なんだが……こればっかりは相手がいるもんだから、そう簡単にはいかない」
「…………う……ん……」
「もう、肉体が完全に女性に固定化してもいいって、言ってたよな?」
「…………そう……だっけ?」
「いまさら誤魔化すのか?」
「言いました」
 何もかも……体の全てを見られ、愛されてしまった後では、もうとぼける事も出来ない。
「なら、次の生理を迎えて肉体が完全固定化すれば、そもそも生理機能が安定せずホルモンバランスが不安定だった事が原因なんだから、それで肉体の生理機能も安定し、ホルモン分泌も正常化して、排卵期の肉体からの過剰な受胎要求のサインも出なくなる……はずだ。
 さっきの検査で、お前の卵子は排卵直前まで成熟していたから、ここ2〜4日の間にも排卵されるだろうな」
「…………次の生理は……」
「生理不順で前みたいに早く来るような事が無ければ、あと2週間程度だ。
 お前の過剰な肉体反応は、たぶん排卵日を境に前後2・3日……ってとこだろう。だから、まあ、少なくとも、あと4・5日は今の状態が続くだろうな」
「えぇ〜〜〜〜〜…………」
「そんな顔するな。まあ、手が無いわけじゃないんだ」
「どっ……どうすれば……」
「マスかけ」
「…………は?」
「オナニーしろってことだ」
「…………なんでそんな…………」
 絶句した桂の前にイスを持ってきて、美智子は腰を下ろした。
 そして、目の前にある桂の膝小僧を両手で持つと、いきなり“ぱかっ”と押し開いた。
「んにゃっ!」
 テーブルの上で脚を広げ、バランスを崩して、桂は後に両手をつく。そうしてから、自分が下着を身に着けていなかった事に気付いて慌てて左手で股間を隠した。
「せっ! 先生っ!」
「今、どうだ?」
「え? ちょ……ちょっと!!」
 まるでストリップ劇場での、ストリップ嬢と客を見ているような光景だった。
 桂は右手で体を支え、広げられた両脚の間の翳りを左手で隠しながら、逃れようと懸命に腰を動かしているけれど、それがますます淫猥さを増している。左脚の膝裏に右手を入れられて上に向かって広げられているため、不安定な上半身が揺れて、乾きかけのTシャツに隠されたおっぱいが、“ゆさゆさ”と重たそうに揺れ動いていた。
「や、やめてってばっ!」
「すっきりしてるだろう?」
「……え? ……そ…………そんな……」
「してないのか?」
 真面目な顔で覗き込む美智子の吐息で、濃厚なオンナの香りが立ち昇る桂の股間の『茂み』がそよぎ、まだ残っている「余韻」で、体がぶるるっと震えた。
「して……る……」
「だろう?」
 桂を解放し、イスに深く腰掛けた美智子は、そそくさと脚を閉じてこれ以上恥ずかしい事をされないように彼女から距離を取った桂を見て失笑した。
 まるで子供に悪戯された猫のような反応だ。
「もうしないよ」
「うそ」
「しない。ホント」
「…………じゃあ、いいけど……さ」
 ほっぺたをふくらませ、唇を突き出しながら、桂は白衣の前を合わせて白い肌を美智子の目から隠した。その姿は淫猥でありながらも微笑ましくさえある。
「とにかく、少しでも体が疼いたら、トイレでもどこでもいいから人目につかないところでオナニーしろ。
 それでその場はしのげるはずだ」
 保健室へ続く扉のロックを外しながら、美智子はとんでもない結論を告げた。
 思わず桂は“ぽかん”と馬鹿みたいに口を開けて、隣室へ消えた保健教諭の言葉を反芻してしまう。
『いま、なんて言った?』
 つまり?

 自宅は言うに及ばず、学校でも駅でも街でも、発情したら自慰しろ――――。

『……ってこと?』

 ――ムチャクチャ言ってる。

 それではまるで痴女だ。
 変態だ。
 桂は世にも情けない顔をして自分の体を見下ろす。
 背丈150センチも無い、まるで○学生みたいにちっちゃな体には、とても似つかわしくないサイズの、“むちむち”としてやわらかく揺れるでっかいおっぱいが、足元を隠すように“どーん”と張り出していた。
 桂のおっぱいがここまででっかくなったのは、『おっぱい星人』である健司に好かれるように、彼の嗜好に合わせて肉体が変化したものだと、かつてソラ先生は言った。
 そして今、急激に肉体が変化した結果、今度は「早くえっちしろ」「早くせーしを受けろ」と、とんでもない要求を突きつけてきた。
 それはもはや、相手が健司であろうがなかろうが、どちらでも構わないとでも言うかのようなイキオイだった。
『でも……』
 桂は両手で重たいおっぱいを掬い上げるようにして持ち上げ、“たぷたぷ”と揺すってみた。

 ――今は、この体が健司のためだけに存在することを、強く認識する。

 正確には、健司の健康な遺伝子を受けるために存在するのだと認識する。
 健司に抱かれるためにこそ存在するのだ……と、認識する。
 だからこそ、人格とか人権とか、そういう桂の“自由意志”を無視した生理現象と言えるにも関わらず、
 どうしても桂は、体からの要求を、

 嫌だ――――とは、思えなかった。

 いやむしろ。
 “健司のためだけの体”になったという事実に対して、狂おしいまでの幸福(しあわせ)を感じてしまう。
 体全体が健司という存在を欲し、体全体が健司に必要とされたがっている。

 ――求められたいと願っている。

 それを、至上の幸福と感じてしまうカラダ…………。
『あ……』
 “じゅんっ”と、ただそれだけでお腹の中で新たな潤いが下りてくるのを感じ、“ふるるっ”と全身が震え、心地良いものが体中に満ちた。
 健司のことを考えるだけでキモチイイ。
 そうなってしまった。
 そういう“条件付け”をされてしまった。
 誰に?

 他ならぬ、自分自身に……。

「んっ……んっ……んっ……」
 体の奥深くから“ひたひた”と押し寄せる波をゆっくりと味わうように目を瞑ると、Tシャツをはちきれんばかりに押し上げている豊かなおっぱいの先が“きゅううん”と尖り、密やかな声が可愛らしい鼻腔から漏れる。
「ぁ……」
 パンツを履いていない白い内腿を、“つ……”と粘性の低い愛液が垂れ落ちるのを感じて、桂は慌てて股間を押さえた。男で言えば、とんでもなくえっちな妄想をしてしまって陰茎が勃起し、先端から先走り液が滲んでしまった状態……に近かったかもしれない。
『こんな……簡単に…………』
 『健司に抱かれる』事を想っただけで、あっという間に、体が「あとちょっと触れてくれたらいつでもおっけー」な状態にシフトしてしまったのだ。

 これではまるで、本当にパブロフの犬だ。

 ……もっとも、桑園『エロエロ大魔神』京香に言わせれば「好きな男を抱きたい、抱かれたいって思って、その場面を思い描いておまんこ濡らさない女はいない。いるとしたら、そいつは自分にもウソがつける正真正銘のウソつきね」……だ、そうだけど。
『ボクの体は……これからどうなっちゃうんだろう……』
 昨日までは、それがすごく恐かった。
 健司の事を想うたび、そしてオナニーしてしまうたび、自分がどんどん引き返せなくなっていく気がして、恐かった。
 快楽を知り、快楽を貪り、快楽に溺れた体が、もっと激しい刺激を求めていくような気がして怖かった。
 そしてそのうち、

 ――健司以外の男までも求め始めてしまいそうで、恐かった。

 でも今日、“オナニーする事で、逆に健司以外の男までも求めてしまおうとする体の過剰反応を抑えられるのならば、むしろオナニーしてしまうべきなのだ”と、知った。
 それは「自分が自分でなくなる恐怖を打ち砕くために、あえて淫らであってもいいのだ」という“姑息な理由付け”をされた“免罪符”にも近かった。
 自分の身体が自分で自由にならない恐怖を、コントロールするための術なのだから、いいのだと。
 仕方ないのだ、と。
『ボクは変態だ』

 どうしよう。

 どうすればいい?
 それでもいいのだと、むしろそうしろと、言われてしまった自分は。
 淫らな自分を、淫乱な自分を、変態でどこでもいやらしく、すぐにでもあそこをとろとろに濡らしてしまう自分を、それでもいいのだと言われてしまった自分は。
 まさかこんな日が来るとは、ひと月半前には夢にも思わなかった。
 幼馴染みで弟分で親友な、あの健司に、

 ココロもカラダも、こんなにとろとろに濡らしてしまうなんて。

「オナニーする時には、これを必ず身につける事を忘れるな」
 自分の考えに没入してしまっていた桂は、学生相談室から出て行って2・3分後、美智子が替えの下着と体操服と一緒に、3センチくらいの大きさの、白金(プラチナ)色の立方体(キューブ)を手に戻ってくると、慌てて濡れた股間を白衣で隠した。
『……あとでトイレで……』
 “ぬるっ”とした股間に火照りを感じながら、桂は真面目ぶった目で美智子を見上げる。
 頭の中ではものすごくいやらしい事を考えながら、それでもそんな顔の出来る自分を思うと、桂は妙に可笑しかった。
「これは?」
 桂は手渡された立方体(キューブ)を光に翳し、そのキラキラした表面に目を奪われながら聞いてみる。
「これは……まあ、その、なんだ……お前が発情した時に体から出るサインを……消す力がある」
「!? ……こんな便利なものがあるなら」
「最後まで聞け。こいつの力そのものは、あんまり強くないんだ。
 お前が発情した時の力にはどうしても勝てないから、オナニーしてある程度疼きを抑えないと効果が無い。
 だから、本当は出来ればいつも身につけているのが一番いいんだが……こいつはこの形状じゃないと効果を発揮しないんだ」
「……ちょっと大きいよね……」
「まあ、仕方ない」
「なんか、ポケットに入れるとゴリゴリしそう……」
「……我慢しろ」
「もっと持ちやすい形にならないの?」
「…………嫌なら返せ」
「これでいいです」
 押し殺した美智子の声に、桂は真面目な顔で慌てて後ろ手にキューブを隠し、一歩だけ彼女から離れた。
「来週の火曜で一学期も終わる。
 夏休みに入れば学校(ここ)みたいに強制的に長時間、男と一緒にいる時間も無くなるからな。
 次の生理が来るまで、自宅でゆっくりするといい。
 さっきも言ったが、完全に女性に固定化してしまえば、生理機能も安定して全てが上手くいくようになる。
 少なくとも今はそう思うことだな」
「今は……って……」
「悩んでも仕方ないことは考えるな。
 そういうストレスもホルモンバランスの変調に繋がるんだぞ?
 とにかく、あと2週間は待て。
 生理が過ぎたら、後は健司に告白するなり迫って押し倒してみるなり、好きにするといい」
「せっ……先生っ!」
「照れるな照れるな。私としては、それでお前が身篭ってくれるなら、むしろ大歓迎だ」
「も……もうっ!」
 生まれた時から普通の女の子だったかのように、拗ねてふくれて“ぷいっ”とそっぽを向いた桂を、美智子は果てしなく優しい……そして、どこか切なげな瞳で見つめていた。

         §         §         §

 保健室の会話を思い返していた桂は、鏡台の前に並んでいる色とりどりの小瓶やチューブやケースを眺めた。

 それらは、自分の部屋から持ち込んで、鏡台の前に並べた化粧品の数々だ。
 その中から一本の小瓶を取る手が、ふと一瞬だけ止まる。
 こうして改めて見ると、化粧品も増えたなぁ……と、桂は思う。
 思いながらも、手馴れた動きでコットンパフに化粧水を染み込ませ、顔に馴染ませるようにしながら軽くはたき、次に、10円玉大に手の平に落とした乳液を右手の中指で“ちょんちょんちょん”と、おでこ、こめかみ、眉間、鼻の頭、頬、唇横、顎……とつけてゆく。
 寝る前のスキンケア。

 ――もう、それが『当たり前』になっている生活。

 今まで見たことも聞いたことも無いようないろんなメーカーのいろんな試供品だって増えたし、最初に買った化粧水はもう使い切って、駅前の商店街で自分一人で買ったのはつい先日の事だ。

 2階にある自分の部屋の中だって、いわゆる「女の子っぽいもの」が増えた。
 桂だとて別に「女の子だから」とか「女の子らしく」とか、いまどき真面目に言えば時代遅れとか言われそうな、そんな大時代的な事を特に意識して……というわけではない。
 ただ、由香やクラスメイトの女子とかと、放課後などに駅前やデパートに行く機会も増えて、“そういうもの”に抵抗が無くなった事も大きいと思っている。
 ほんのちょっと前まで、小学校の時と同じ勉強机の横にはサッカー選手のポスターが貼ってあったし、額縁に入れた杉林先輩の絵とか、好きな画家の絵のポストカードとかが貼ってあった。本棚には漫画の本や絵画の本、それにフィギュア模型の本とかがあって、カラーボックスにはいつもブリスターパックのフィギュアが乗っかっていたものだ。フィギュアといっても、ディープでコアな病的偏執趣味の人みたいに、アニメやゲームの女の子のフィギュアには興味が無く、集めているのはもっぱらアメコミの不気味なフィギュアばかりだったけれど。
 それが今では、アクセサリーを入れておくガラスの器とか、カラフルな色彩の小物入れだとか、本棚には化粧品や下着のカタログだとか、由香が置いていったティーンの女性雑誌とかが並んでいるし、果ては、“ぽやぽや”な顔した牛のぬいぐるみ……なんてものが当たり前のように鎮座していたりするものだからわからない。
 そのぬいぐるみは、クラスメイトとデパートに行った時、その場の空気で自分も何か買わないといけないような雰囲気になった時、健司になんとなく感じが似てるから……という理由だけで購入したものだった。そしてなぜか…………というか、なるべくしてなったというか……今では桂のお気に入りになっている。
 体が半分溶けかかったモンスターのフィギュアの横にぬいぐるみがある風景というのは、結構シュールな感じがしないでもなかったけれど。

 そして変化は、何も部屋ばかりではなかった。

 メリハリの有り過ぎる体を、まるで嘗めるようにして動き回る男の視線は、まだちょっとイヤだったけれど、近所のちっちゃい女の子とかに「お姉ちゃん」と言われるのにはもう慣れて、今では「なあに?」なんてにっこり微笑んでみせたりも出来るようになった。
 「なんだよ?」でも「ああ?」でもなく、やわらかい声音が自然に出てくるようになったのだ。
 それはある意味、進歩でもあった。
 最初の頃は気持ち悪いとか言ってあんなにも拒否反応を示した、あの「まー坊」だって、最近はぶっきらぼうにだけれど「おす」とか言って挨拶らしきものをしてくれるようにもなっていた。
 意外に早く『圭介』が女になったショックから立ち直ったみたいだったけれど、それでもまだその事実を認めるまでには至っていないようなのが、少し寂しいと思う。
 まー坊が「ケイにーちゃん!」と、明るい笑顔で慕ってくれた頃が懐かしい。
 だけど、桂は今はもう「女」で、「女の子」で、ただの「恋する少女」なのだ。
 それを強く強く自覚する。

 そして一方で、
『でも――』
 と、桂は思うのだ。

 ――でも、自分は本当に男だったのだろうか?

 彼女は、そう、鏡の中の自分に問い掛けてみる。
 こうしていると、自分が「かつては男だった」という事実が、遥か遠い…………遠い遠い昔の出来事のように思えてくる。
 邪魔なくらい大きくて重たくて、何かにつけて男の視線を引き寄せてしまうおっぱいの存在も、今では完全に自分の体の一部としてごく普通に感じているし、男よりずっと力が弱くて華奢でやわらかい体も、まるでずっと昔からそうであったかのように馴染んでいた。
 そう。
 まるで生まれた時から本当は自分は女で、男だった事は夢の中の出来事なのではないか?
 そんなふうに思えてきたりすることも、あるのだ。

 人の記憶は曖昧だ。

 不確かで、何一つ変わらぬものなどない。

 そして人は、その不確かさゆえに変動する物事にもゆるやかに順応していけるのだ。
 今では、教師もクラスメイトも近所の人達も、駅前商店街の人たちでさえ、桂がかつては男だった事を忘れてしまったかのように、ごく当たり前に「女として」接してくれる。
 ……まるで、男だった桂など最初からいなかったかのように。
『…………そして、それをボクは、受け入れようとしている…………』

 過去の自分との決別。

 完全な女性固定化というのは、つまりはそういうことなのだ。
 記憶を無理に封じ込めるのでも、抹消するのでもなく、ただ、“沈める”。
 過去と現在の繋がりを絶ち、記憶の奥底に沈めて、人も、自分も、触れないようになる。
 “忘れてしまってもいい記憶”に、なる。
 たとえ健司に受け入れられなくても、これから一生、女として生きていく。
 それはつまり、こういうことなのだ。
『ボクは…………ワタシは…………』
 桂は、鏡台の前に座ったまま、ライムグリーンのパジャマの、前のボタンを一つ一つ外してゆく。
 夜用ブラのホックを手馴れた手付きで外し、カップを喉元まで押し上げた。
 自分の小さな手ではとても掴みきれないほどのおっぱいが“たぷん”と跳ね、天井の電灯の明かりの下で子ウサギのように震えている。

 「女」を自覚し、「女」を感じた。

 そして、愛しい「男」を思い浮かべ、瞳を閉じ、ゆったりと感覚を“開放”する。
 “きゅんっ”……と、お腹の中の奥にある臓器が、切なさに啼く。
 お腹の前で軽く合わせた両手が汗ばみ、じわじわとお尻の方から背中を伝って“波”が這い登ってくる。
「……んっ……」
 “きゅううう……”とおっぱいの先端に血が集まるのがわかる。
 “じんじん”している。
 硬くしこり、勃起し始めている。
 見なくても触れなくても、それが、わかる。
 自分の体だから。
 自分のおっぱいだから。
『あぁ……そうだ……』
 不意に、

 ――次の生理を迎えて、完全に女性化したら、そうしたら健司に告白しよう。

 そう思った。
 肉体的にも社会的にも女になり、精神的にも、もうほとんど女になりつつある。
 そして肉体的な変化が決定的となり、生理機能が安定したなら、健司に告白し、そして、


       抱いてもらうのだ。


「んうっ……」
 考えただけで、体が震えた。
 それは期待と愉悦に濡れた、悦びの震えだった。
 “ぷっくり”とした唇が笑みの形を結んでいた。
 “ぴくんぴくん”と腹筋が収縮し、その震えが腰に刺激を伝える。
 “とろり”としたものが、下に向かって溢れようとしているのが、わかった。
「あぁ……」
 熱くて濡れた吐息が、唇を割って漏れる。

 桂の体は、もう、どうしようもないほどに「女」だった。

 しかも、いやらしい。
 多淫的なほどのいやらしさだ。
 おっぱいにもあそこにも触れないのに、ただ想っただけで濡れてしまう。
 目を開ければ、“どきんどきん”と大きく鼓動する心臓の動きに合わせて震えているおっぱいの先端が、色を濃くして“つん”と尖り、“はやくさわって!”と自己主張している。
『健司……』
 学校を出る前に電話した時に聞いた、今日、学校を風邪で休んだ幼馴染みの声を思い出す。
「ぁ……」
 それだけで、“ぶるるっ”と全身が震える。
 彼は、最近ずっと体調が悪かったのは、たぶん風邪のせい……と、しゃがれた声で言った。
 今から見舞いに行こうか? と言うと、感染す(うつ)るといけないから、来ちゃだめと言われた。
 なんとなく寂しくて、切なくて、彼の家の豆腐屋まで行ってみたけれど、結局、逢えなかった。
 「今、眠ってるから」と、まるで樽みたいに恰幅の良い腹を揺らしながら彼の母親にそう言われ、それでも顔だけは見たかったけれど起こしたりしたら可哀想だったので、我慢して帰った。
 本当に本心では、月曜まで逢えないのは…………あの牧歌的で、見てるだけで“ぽわぽわ”“ふくふく”してくるような顔を見られないのは、すごく、寂しい。
『明日……』
 見舞いに行こう……と、“じんじん”とあったかくなった腰周りと、マグマのように煮立ったあそこを自覚しながら、桂は思う。
 もちろん、行く前にたっぷり自慰をして、体を慰めて鎮めて顔を見ただけで濡れたりなんかしないようにして。
「んっ……」
 “じわっ”とパンツに染みが広がり始めたのを自覚して、桂は両親の寝室を出た。彼女以外誰もいない家の中は、ひっそりと静まり返っている。桂はパジャマを半分はだけたまま、体を駆け巡る甘美な震えに“じわり”と涙ぐみながら、階段を下りてトイレに入る。
 どうして、トイレにきたのか。

 決まっている。

 ――ここなら、ウォシュレットで後始末が簡単だから。

 ズボンをパンツごと引き下ろし便座に座った桂は、誰に憚る事も無く両脚を広げ、まるでそうする事が当然とでもいうような自然な動きで、おっぱいとあそこへと両手を這わせていった。
『そういえば……』

 ――ボクが発情した時に出るサインって、なんだろう?

 そんな事をちらりと考えたりもしたけれど、彼女の意識はすぐに、強い快美感に翻弄され、その答えが出る事はついに無かった。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/31103137

この記事へのトラックバック

★足跡代わりにポチッとしてってくださいな★