■感想など■

2009年08月21日

第17章「切り裂かれたココロ」

■■【3】■■
 夏休み直前の繁華街を制服で歩けば、いくら人ごみにまぎれ目立たないようにしていても、それはかなり無理のある話だ。
 そのため、気休め程度ではあるものの“何もしないよりはいくらかマシ”……という認識の上で、水泳部の連中は持ち合わせていた学校指定のTシャツに着替え、桂と由香は駅前のモールで安い綿シャツを買って、揃って駅のトイレで着替えた。
 そして、カバンなどと一緒に駅のロッカーに突っ込む。
 もちろん桂と由香は、3〜4人で300円の大きいロッカーにまとめて押し込めている男子達とは、別のロッカーに入れた。ちょっと代金がもったいなかったけれど、それも当然と言えた。塩素と汗の匂いがたっぷりと濃密にこもる、彼らと同じロッカーにカバンを入れたりしたら、後でぜったいに後悔するだろうからだ。

「とりあえず、なんか食うか」
 準備が整い、一息ついたところで、そんな亮の一言をきっかけに駅前モスへと入った一同は、2階の比較的空いた一角に陣取り、合同練習後の空腹をそれぞれ適度に満たした。
 せっかくカラオケボックスでは“食べ飲み放題”なのだから、そのまま直行しても良かったのだけれど、どんなメニューがあるのかわからなかったし(脂っこいものとか辛いものとか、甘いお菓子とかジュースとか、そういうものばっかりだったとしても、栄養バランスが色々気になる運動選手としては、それを食事代わりに食べるわけにもいかないからだ)、それに用意周到にも既に7時半に予約を入れてあって、どこか他の場所で時間を潰すにしろ、同じ建物内にあるゲームセンターで時間を潰すにしろ、さっきからハデに空腹を訴える水泳部員達の腹がおとなしく待てるとも思えなかったのだ。

 桂と由香以外はみんな運動部だけあって、揃いも揃ってよく食べた。
 さすがの桂も、「適度に空腹を満たす」という当初の目的を完全に無視している気がした。いや、ひょっとしたら彼らは、カラオケボックスに行ったら行ったで、また同じように注文するつもりなのかもしれない(何が「栄養バランス」か!)。
 そして、桂と健司の前では平気でぱくぱくと健啖ぶりを示して見せたりなんかする由香も、他校の生徒の前ではさすがに遠慮するのか、テリヤキチキンバーガーとモスチーズバーガーとフレンチフライポテトとカフェラテ……という、いつもの食事量と比較すると微妙に控え目な…………けれど“男子生徒を前にした年頃の女の子”としては、ちっとも控えめじゃないラインナップを眼前に並べている。

 そんな由香は、モスチーズを両手で持ちながらパクついて、ちっちゃい唇の端にソースをつけながら、隣で懸命に明るく元気に振る舞っている桂をそれとなく見ていた。
 まだ桂が男として暮らしていた頃には、よくこんな風に明るく話し、笑っていたのを見ていたけれど、女として学校に通うようになってからは、ここまでの明るさを見せる事はちょっと少なくなっていたため、今はその元気さが、かえって笑みの内側にひそむ虚しさを浮き立たせ、それがただのカラ元気でしかないように見えてしまうのだ。
 空虚な心を隠すための、偽りの元気。
 それは由香にとって、あまりにも痛々しく思えた。
「どうしたの? けーちゃん」
「え? どうしたの……って、何が?」
「なんか、無理してるみたい……」
「無理なんかしてないよ。あ、ほら、ソースついてる」
「え? ……あ、うん……」
「だらしないなぁ。ほら、こっち向いて」
 桂は最近、こんな事はしなくなっていた。
 以前はこうして拭いてくれたりもしたのだけれど、プールのシャワールームで「えっちなこと」をしてして以来、妙に意識してしまって、ソースが由香の口についていても「ほら、そこ。ソースついてるぞ」とか言うだけで、近頃はこんな風に紙ナプキンで拭ってくれるような事はしなくなっていたのだ。
 それだけに、由香には目の前の少女が、心に深い傷を負っているのではないか? ……と、どうしても思えて仕方が無かった。
 人は時に、自分が傷付いている時ほど、人に優しく出来るものだからだ。
 少なくとも由香にとって桂という少女は、そうであった。

 ……もちろん、いつもそうだとは限らないわけだけど。

「……ん……ありがと」
「『女の子チェック』の由香先生が、そんなんでいいのか?」
 そう言っていぢわるな笑みを浮かべるものの、彼女の瞳にいつもの力は無い。
 そしてそんな桂の前には、カプチーノとフレンチポテトしか無く、しかもポテトにもほとんど手をつけていなかった。
 “さっき”の健司の言葉が与えたショックに、食欲も無いのだろうか?
「ねぇ……けーちゃん……私達、もう帰ろう?」
「なんで? まだボックスにも入ってないのに」
「もうカラオケはいいよぅ……ほら、外も暗くなってきたしぃ……」
「……じゃあ、オマエだけ帰れば?」
「けーちゃん……」
「ボクは行く。なんかムシャクシャしてるんだ。唄ってスッキリしたい」
 斜め前に座る健司に聞こえるのを承知で、桂は唇を歪めながら挑戦的に言った。

 嫌な笑みだ。

 由香は思う。
 こんなの、けーちゃんじゃない。
 こんな風に嫌な笑みを浮かべて健司くんに当てこするなんて、私の好きなけーちゃんじゃない。
 私の知ってるけーちゃんじゃ、ない。
「けーちゃん」
「うるさいなぁ……いいだろ? もう夏休みなんだから」
「けーちゃん……」
 袖を引く由香を振り解き、桂は豊かな胸を“ゆさり”と揺らしながら立ち上がると、水泳部員達に声をかけてさっさと階下へと降りていってしまった。
 残された由香は慌てて“パクパク”と残ったモスチーズを口に押し込み、リスのようにほっぺたをぱんぱんに膨らませ租借すると、あっけにとられる健司をよそに、口内のものを強引にカフェラテで流し込む。
 そうして、手を付けていないテリヤキキチキンバーガーとフレンチフライポテトを健司のトレイに乗せて「あげる」と言いつつ桂を追った。
「ダメだようけーちゃん!」
 店を出ると、桂は前の歩道のガードレールにもたれ、なんだか泣き出しそうな顔をしているように見えた。
「なんだよ。帰れって言ってんだろ?」
「けーちゃん」
「うるさい」
 桂のちっちゃい鼻の頭にシワが寄る。
 まるで威嚇する子猫のように、さらりとした前髪の下からくりくりとした目で“じろり”と由香を睨みつけていた。
「いいかげんしつこいぞ!?」
 桂には、由香のおせっかいが鬱陶しかった。
 この悲しみも苦しみも痛みも、由香には到底分かるはずがないと思う。
 男が普通に男に対して抱く「友情」という情念に対して、『星人』の因子が発現した肉体が『誤解』し、勝手に「女」になってしまった……「されて」しまった人間の苦しみなど、しょせん、生まれてからずっとごく当たり前に「女をやってきた」由香には、理解(わか)るわけがないのだ。
 「女」という器を与えられ、男のメンタリティと記憶を持ったまま無意識という自覚もしない心の奥底に生まれた「想い」に引き摺られ、健司を好きになり、愛し、愛されたいと願うようになった自分の葛藤や戸惑いは、この世界の誰にも理解などされないに違いない。
 そう強く強く思うのだ。

 それでも、まだその想いが叶えられたならそれでもよかった。
 想いが伝わったのなら、「女になった」ことを「良し」と思えたかもしれなかった。

 “人を好きになるということ”がどういうことかわかった今ならば。

 でも。

 ――――その想いは、拒絶された。

 「オマエなんかいらない」と言われた。

 「昔のオマエの方が良かった」と言われた。

 ならば、どうする?
 どうすればいい?
 もう「女として生きていく」と決意したあの日の想いは崩れてしまった。
 女としてアイツに愛されるために「自分らしくありながら女として生きていく」という想いは、破れてしまった。

『でも今のけーちゃんはカッコワルイよ。
 ものすごくカッコワルイ。
 悪いけど、今のけーちゃんは好きになれないね』

 今の自分は「嫌い」だと、言われたのだ。

 それでもまだこうしてアイツと同じ場所に行こうとしている。
 アイツのそばにいようとしている。

 まだ、愛されたい?

 想いを受け止めてもらいたい?

 違う。
 これは未練なんかじゃない。

 ――意地だ。

 それが女のものか男のものかわからないけれど、これは『桂』という一人の人間の意地なのだ。
 今ここから逃げたら、今までの自分の想いが全て無駄になってしまうような気がしたから。
 嫌いと言われて逃げるような、そんな情けない真似なんか出来ないと思ったから。
「――ッ…………」
「けーちゃん……」
 不意に顔を歪めて背中を向けた桂に、由香が手を伸ばす。けれど、その手は彼女の小さな背中に触れる事も出来ずに“きゅ”と握り締められ、力無く下ろされた。
 道行く人々が、道端の少女2人にちらりと視線を走らせる。
 興味本位の視線が、今の桂と由香には、ぜんぶ自分達を憐れんでいるような気がして……だから。

 だから。
 言葉も無いまま2人してガードレールにもたれ、その間、桂は由香の顔を一度も見なかった。


 しばらくしてモスから出てきた健司は、ふてくされたような桂を見て小さく溜息を吐くと、こちらを縋るように見つめる由香にゆっくりと近付いた。
「じゃあ、行こうぜ!」
 健司のその動きに反応するように、桂は弾かれたように腰を上げ、亮を始めとする水泳部員達のの元へと駆けて行く。
 そんな桂の行動を見て、少し傷付いたかのように、健司はちょっとだけ唇を歪めた。
「けーちゃん……もうっ…………」
「……大丈夫、けーちゃんは俺が見てるから。由香ちゃんは、遅くなるから先に帰って?」
「健司くん…………でも……」
「大丈夫だよ」
 どこまでも心配そうに桂の背中を見つめる由香に、健司は優しく……けれど力強く微笑んでみせた。
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