■感想など■

2009年08月25日

第18章「ラヴ・セックス」

■■【1】■■
 そのホテルは、繁華街の外れにあった。
 そこは、いくつものホテルが密集して立ち並んでいる、青少年は決して近付いてはいけないと言われているような怪しげな一帯でもあり、桂や健司にとっては未知の領域であり、前人未到の人外魔境よりもっともっと攻略困難なエリアに見えた。
 もっとも、そう考えていたのは彼等くらいのもので、午前1時近くになると平日という事もあって人通りも寂しいくらいパッタリと途絶え、誰にも見られずに中に入るのは、遅刻したホームルーム中の教室よりも、ずっと簡単だった。
 ただ……正面玄関からではなく、よくドラマとかで見る車用の通用口から入ってしまい、ちょうど車のキーをチャラチャラさせながら出てきたところの“オトナなカップル”と鉢合わせしてしまったのは失敗で、驚きと好奇心に見開かれたカップルの顔が、あまりにも初々しい健司達の反応に、たちまち「頑張ってね」と言わんばかりの、慈愛に溢れた表情になったのには、彼等もただただ顔を赤くしてそそくさとその場を立ち去るしか無かった。
 とはいえ、2人ともこんなところに入るのは生まれて初めてなのだから、それくらいの失敗は目を瞑ってもらってもいいと思う。
 …………誰に目を瞑ってもらうか……なんてことは、当の桂達にも答えようが無かったけれど。

 2人して、まるでオバケ屋敷に足を踏み入れたカップルさながらにへっぴり腰のまま正面玄関ホールに足を踏み入れ、ずらりと部屋の写真が並んでいるパネルを見上げたところで、再び難問が持ち上がった。
 どれが良くてどれが良くない部屋か……なんて、ラブホ初心者の2人にはさっぱりわからなかったのだ。
 それでも、どうにか手持ちのお金で入れるレベルから桂が適当に部屋を選び、そのパネル横のスロットから出てきたカードを受け取って、エレベーターで3階に上り、目の前でナンバーの書かれたパネルが何かの冗談のように“チッカチッカ”と点灯している302号室に逃げ込む様にして入った2人は、ホテルに入ってからずっと、終始無言だった。
 2人とも、喉がカラカラに乾いていた。
 建物に入るだけでこんなに緊張したのは、高校入試以来かもしれない。
 そしてその間、二人は一度も互いに触れたりしなかった。
 もっとも、桂は一度だけ、心細くなってエレベーターの中でふと触れた健司の手を握りたくなったけれど、なんだか子供っぽく思われるかもしれない気がして、我慢したのだった。

 自分が何かとんでもない事をしようとしているのではないか?

 本当は、すべきではない事をしようとしているのではないか?

 そう恐れおののく心とは別に、これこそが待ち望んだ時なのだと高揚と興奮と歓喜に打ち震える心があり、その2つがせめぎ合いながら桂の体を武者震いのように震わせて、緊張を極限まで高めていた。
 その張り詰めた緊張の糸が“プツン”と切れたのは、クツを脱いでスリッパに履き替え、一歩、部屋に入った時だった。

 ――何もかもが珍しい。

 “ラブホテル”という名称には、どこか淫靡で淫猥で猥雑で、後ろ暗いイメージを抱かせるものがある……と、桂は男だった頃、ずっと思っていた。
 オトナになった男女が一緒に入って誰はばかる事無くセックスする場所で、時には生徒と教師とか、部下と上司とか、不倫とか、奴隷とか、女王様とか、SMとか、とにかくなんだかすごく「イケナイコト」ばかりに直結しているような気がしていたのだ。
 いささか偏った知識なのは、クラスで回し読みしたりしたオトナ雑誌とか、エロ本の影響が大きい。
 けれど、いざホテルの部屋に入ってみると、照明は明るいし、壁紙は落ち着いて清楚なイメージすら感じさせるし、絨毯はふかふかだし、簡単だけど洒落たテーブルとチェア2脚の一式セットまである。
 ベッドは大きくて、ローズピンクのベッドガヴァー柄も、どこかオシャレだ。
 とても、ここで毎日何組ものカップルが愛欲にまみれているとは思えなかった。
「すげー……」
 スリッパが大きくて、歩きにくくて、桂はすぐに裸足になって靴下をチェアに引っ掛けると、濡れた綿シャツのままベッドにダイビングしたり、いろんな場所の照明を点けたり消したりしてみたり、空調を色々弄ったりしてみせた。
 まるで子供のようにはしゃいでいても、決して緊張していないわけではない。
 むしろ、心臓がさっきから“バクバク”と馬鹿みたいに跳ね回ってるし、体が熱くて顔が熱くて、脚なんか床についていないみたいに“ふあふあ”してた。
 緊張し過ぎて許容量を越えたため、一時的に意識が逃避しているのだ。
 ちょっと我に返るだけで、全身に震えが走る。

 ――たまらなく、恐い。

 これから、『セックス』をするのだ。
 他の誰でもない、健司と『セックス』するのだ。
 男と、女として『セックス』するのだ。

 体の中に、健司を迎い入れるのだ。

 恐くないわけがない。
 さっきから、脚が震えて、腰が震えて、立っているのが精一杯だった。
 一度ベッドや椅子に座って落ち着いたりしたら、それだけでもう動けなくなってしまう気がした。
 それでも懸命にはしゃいでみせたのは、部屋に入ってからずっとじっと考え込んでいる健司のせいだ。
「見ろよ健司! テレビがある! うひゃー! コレ! コレ見ろコレ! 番組表! 全部AVだ!」
「けーちゃん」
「オマエ、どれ見る? やっぱ、こういうとこ入ったら一度は見ておくべきかな?」
「けーちゃん」
「あ、ほら! 風呂がある! うわっ! こっちから丸見えじゃんっ! やらしー! すげーやらしー!」
「けーちゃん……やっぱり帰ろう?」
 意識して無視していた桂が、健司の言葉にピタリと口を閉ざして、ガラス張りの風呂場に張り付いたまま身を強張らせた。
「…………今更……ナニ言ってんだよ」
「帰ろう? けーちゃん」
「……ナニ……言ってんだよ」
「こういうの、なんか、違う気がする」
「違うってなんだよっ!!?」
 桂は振り返り、真っ赤な顔で健司に詰め寄った。
「さっき、抱いてくれるって言ったじゃねーか! あれはウソか? ウソなのかよっ!?」
 眉をキリキリと釣り上げ、口を一文字に引き結んで、大きくてくりくりした目が少しだけ潤んでいた。
 そんな桂に、健司は優しく、ゆっくりと言う。
「だってけーちゃん……無理してる」
「なんだよそれ…………無理なんか、してねーよ!」
「してる」
「してねー!」
「してる」
「してねーって言ってんだろ!?」
「だってけーちゃん…………恐いんでしょ?」
 健司の言葉に、桂が息を呑んだ。
 俯き、唇を噛み締め、肩を震わせる。
「けーちゃん……」
「このっ…………ボクが……どれだけ……」
 健司が彼女の肩に手を置こうとした途端、桂は“バッ”と飛び退って綿シャツを乱暴に脱いだ。
 乳房を包んでいないブラも引き千切るようにして脱ぐと、まるで決闘でもするかのような攻撃的な目で、真正面から健司を見た。
「け……」
 健司は息を飲み、目に鮮烈に焼きついた桂の裸を振り払うように、目を瞑り、顔を背ける。
 セミロングの髪からちらちらと覗く白くて細いうなじが、
 ひどく重たげに、やわらかそうに揺れる挑発的に豊かな白いおっぱいが、
 小さなヘソが可愛らしく在る、滑らかですべすべしたお腹が、
 健司の体を一瞬で“カッ”と熱くさせたからだ。
 胸の奥で抑え付けていた「炎」が、“カッ”と激しく燃え上がったからだ。
「…………ッ……」
 そんな風に顔を背け、決して自分を見ないように目を瞑った健司に、桂の顔が苦しげに歪む。

 そんなに見たくないのか?

 見るのもイヤなのか?

 健司のたったそれだけの行為が哀しくて、苦しくて、情けなくて、自分があまりにも無様で、桂は再び涙が溢れそうになるのを堪えて、健司に掴みかかった。
「オマエも脱げ!」
 揉み合い、力の限り健司を押し倒して、桂は彼の服を脱がせようと馬乗りになる。
 健司はそれに抵抗し、シャツを脱がせようとする桂の両腕を取って懸命に止めようとした。
 まるで、ヴァーリトゥード(総合格闘技)の試合でマウントボジションになった選手を見るようだった。
「このっ……」
 腕を掴む健司は、あまりに細い桂の手首に戸惑い、力を加える事が出来ず、彼女が少し腕を振ると簡単に外す事が出来る。そのため、脱がそうとシャツに手をかけては腕を掴まれ、それを腕を振るう事で外しては、またシャツに手をかける……という、一見、マウントポシションから打ち下ろしの殴打を加えているようにさえ見えた。
 目を開ければ、顔よりもまず先に、まるで椰子の実かパパイヤのように重たく垂れ下がり、“たぷたぷ”“ゆさゆさ”と揺れる巨大なおっぱいが視界一杯に入るものだから、健司はどうしても目を開ける事が出来ずにいる。
 そのうち、さすがの健司も我慢の限界がきたのか、桂に組み伏せられながらも彼女の腕を掴む手に力を込めた。
「いつっ……」
「いい加減にしなよ!! ヤケになってるけーちゃんなんて、そんなのけーちゃんじゃないっ!!」
「うるさいっ!! オマエだって……オマエだって同じなんだろ? 元男だから気味悪いって、思ってんだろ? 体がどうなってんのか、知りたいんだろ? 教えてやるよ、セックスしようぜ? な?」
 その切羽詰って、みっともないくらいに震えて濡れた声に、健司は思わず目を開けた。
 ぽたぽたと温かいものが滴り、健司の喉を、胸を濡らす。
 桂は、泣きながら、笑いながら、健司の服を脱がそうとしていた。
「嫌いになったっていいんだ。もう、いいんだ。だから抱けよ! な? 気持ち悪いかもしんないけど、抱いてくれよ!」
 それを聞いた健司は、不意に、本当に怒ったように力強く、強引に桂を押し退ける。
 それは情け容赦の無い、今まで彼からは感じた事も無いほどの“男の力”だった。
「けん……」
 絨毯を無様に転がって、捲れ上がったミニスカートから裸の下半身を覗かせたまま、桂は呆然とその後姿を見る。
 彼は一度も桂を見ずにバスルームへと入ると、服を着たまま頭からシャワーを浴び、そしてそれを彼女は、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら呆然と見送っていた……。
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