■感想など■

2009年08月26日

第18章「ラヴ・セックス」

■■【2】■■
 やがて、シャワーの音の聞こえるバスルームから目をそらして、桂はのろのろと絨毯の上で身を起こし、ぺたんとお尻を落としたままベッドに背中を預けた。
 めちゃくちゃなことをしてしまった。
 もう、完全に嫌われたと思った。
 裸のお尻に、あそこに、絨毯の毛が“ちくちく”としてむず痒い。
 健司と揉み合ううちに彼の体温を感じ、体臭を嗅ぎ、その力強さを感じて、体が今までと全く別の意味で熱くなっている事に気付く。
「……ぁ……」

 ――とろとろに、なっていた。

『相手が健司だと、こんな時にも……しっかり濡れるんだな……』
 シャワールームを見ると、健司はまだ向こうを向いてシャワーを浴び続けていた。
「……ひっ…………っ……」
 涙が、こぼれる。
 ぼたぼたと頬を伝って顎から滴り、ミニスカートや白い太股に落ちる。
 両手で口元を覆い、嗚咽が漏れる
 シャツも、ブラも、パンツも靴下さえも無く、裸にミニスカートしか身に着けていない自分の姿が滑稽で、あまりにも無様で、それがまた桂の心を責め立てる。

 自分は何をしているのか。

 わざわざこんなところまで、健司に拒絶されるためにやってきたのか。

 やがて彼女は、四つん這いのまま、腰を痛めた老婆のような緩慢さで脱ぎ散らかした服を集め、ホックの壊れたブラも、ボタンの取れたシャツも身につけていった。
『帰ろう……』
 惨め過ぎた。
 自分が、本当に何の価値も無い、道端に捨てられる噛み飽きたガムほどの価値しかないつまらない人間に思えて、もう涙も出なかった。
 のろのろと立ち上がり、チェアの背もたれに引っ掛けた靴下を手に取り、そのままポケットに突っ込んで、玄関に通じるドアを開ける。
「けーちゃん」
 落ち着いた健司の声が、バスルームのドアが開くのと同時に聞こえたのは、その時だった。
 桂は後姿のまま振り返る事も出来ず、びくっと身を震わせる。
「け……健司…………ボク……」
「わかってる。あんなことがあったんだもん。ショックで動転してるんだよね。それなのにこんな風にえっちしちゃうのって、やっぱり良く無いよ」
 背を向けたままうなだれる桂に、健司はぐしゃぐしゃに濡れた服を脱ぎ、バスルームの床に絞ってみせる。
「あ〜あ、ぐちゃぐちゃだ。いくら夏でも、服着たまま行水なんて、やっぱりムチャだったかなぁ」
 背を向けたまま一言も話さない桂に、健司はぽりぽりと頭をかくと、服を全部脱いで備え付けのローブを手早く着た。
 そして、玄関に出て行こうとしたまま立ちつくす桂の肩に手をかけようとして……やめ、一人、ベッドに腰を掛ける。
 ベッドが“ギシッ”と軋み、ただそれだけで、ドアに手を掛けたままの桂の体が“びくっ”と震えた。
「俺、けーちゃんのこと、好きだよ?」
 やがて、ぽつぽつと健司は話し始めた。
 桂に聞かせるというより、どこか自分自身に言い聞かせるような、自分の気持ちを確認しているような、そんな話し方だった。

「けーちゃんが女の子になる前から、ずっと好きだったんだと思う。
 もちろん、ホモだとかじゃないよ?
 男だからとか、女だからとか、そんなんじゃなくて……けど、けーちゃんは今、女の子の体、してる。
 俺もただの男だからね、女の子の体には反応するし、根っこの深いところでけーちゃんにだってやらしいことしたいって、きっと思ってる。たぶん。
 男だった時のけーちゃんを男としては愛せなかったけれど、女になった後のけーちゃんを、俺は男として愛せる。
 好き…………って、さ……不思議だと思わない?
 体が変わっただけで、けーちゃんはけーちゃんのままだったのに、前は感じなかったドキドキで、胸が苦しくなったりしたんだ。
 それは……まあ……俺が単純だからなのかもしれないけど……。
 なんか、ケダモノって感じだよね」
 健司の、苦笑しながらの告白に、桂はおずおずと振り返り、彼の顔を伺うように見た。
「たぶん……そういうやーらしいこと、ずっと思ってたんだと思う。だってほら、俺っておっぱい星人だし」
「…………そうなのか?」
 相手が“いぢめる相手”なのか“大丈夫な相手”なのか見極めようとしている用心深い野良猫のように、桂はそろそろとベッドに近付く。
 そんな彼女に苦笑いを浮かべ、健司は桂が座りやすいように、彼女から距離を取った。
「うん。……でもね、俺はこんなけーちゃんは好きじゃないんだ。
 自分を嫌いなけーちゃんなんて、好きじゃないんだ。
 けーちゃんは、そんなに自分が嫌い?
 そんなに今の自分が嫌い?」
「…………嫌いじゃない時もあったけど…………今は……好き……じゃない…………」
 桂はそろそろとベッドに腰を下ろし、自分の体を抱いて、泣き出しそうな顔で目を瞑った。
「俺はね、好きだよ?
 えっちだってしたいって思うもん」
 健司は、「明日は晴れだね」とでも言っているかのように、何の気負いも無く、言った。
「え?」
「けーちゃんがどんなになっても、おっぱいがちっちゃくてもおっきくても、きっと俺はけーちゃんが好きだよ?
 だって、けーちゃんはけーちゃんだもの。
 昔からずっと変わらないけーちゃんだから、そんなけーちゃんだから……だから……それが男でも女でも、同じように大事にしたいって、思うんだ」
 そうして、にっこり笑う健司を、桂は信じられないと言ったように弱々しく首を振りながら見た。
「だ……だってオマエ……気持ち悪いって…………何考えてるかわかんないから、イヤだって……」
 当人が目の前にいるというのに、思い出しただけで胸が締め付けられ鼻の奥がツンとしてくる。

『でも今のけーちゃんはカッコワルイよ。ものすごくカッコワルイ。
 悪いけど、今のけーちゃんは好きになれないね』

 あれは、女になったボクの事なんて、大嫌いだって、そういう意味で言ったんじゃないのか?

『みんなそう言うけど、俺にも選ぶ権利があると思わない?』

 あれは、みんなに焚き付けられても、好きになれないものは仕方ないって意味じゃないのか?

『あんまりでかくてもさぁ…………気持ち悪いよ』

 いくら“おっぱい星人”でも、ここまで大きいと気持ち悪いとしか思えないんじゃないのか?

『でも、相手が何考えてるかわかんないのって、やっぱり気持ち悪いよ』

 あれは、ボクがハッキリと口にしないから気持ちがわかんなくてそう言ったんじゃないのか?

 言いたい事はたくさんあった。
 確かめたい事がたくさんあった。
 なのに、健司の顔を見ると何もいえなくて、ただ彼の目の中の深い色を見つめるしか出来なかった。
 そんな風に、桂が空気を求める魚のようにただ口をパクパクさせていると、健司は何を言われたのか本当にわからないといった風に口をぽかんと開けて彼女を見た。
「なんのこと?」
 あまりにも間の抜けた答えに、桂の頭に“カ〜〜〜〜ッ!!”と血が上る。
 立ち上がり、間抜けな顔をした幼馴染みを右手で“びしっ”と指差した。
「ボっ……ボク聞いたんだからなっ!? トイレでっ! オマエとあいつらの2人と話してるのっ!!」
「え? な、なに?」
「とぼけるなよっ! 気持ち悪いとか、何考えてるかわからないとか、ひっ……人のこと、めちゃくちゃ言いやがって……」
「ちょ……ちょっと待ってよ。そりゃ、確かに俺、そんな事言ったかもしれないけど」
「ほら見ろ! ほーら見ろっ!」
 ぶんぶんと指差した右手を振るたびに、胸元の小高い双丘が“たぷたぷ”と揺れる。
 健司は、体の一部分を激しく刺激してやまない“それ”をなるべく見ないようにしながら、桂を見上げた。
「でも、なんでそんなことけーちゃんが知ってるの?」
「うっ……うるさいうるさいうるさい!! そんなのはどうでもいいだろ!?」
「うわ、逆ギレだ」
「ボクだってキレるぞ! キレるとスゴイぞ! オマエ知ってるだろ!?」
「うん。知ってる。だから落ち着いてよ。ほら、座って。ね?」
 健司は手のかかる子供に対するように、ベッドをぽんぽんと叩いた。
 それがまた癪に障って、桂の顔が“ぷうううっ”とフグみたいに見事にふくれる。
 そんな仕草は、とても17歳の男がするようなものではなく、だからこそオンナノコにしか見えないんだろうな……と、健司は思うのだけれど。
「そりゃ、人のこと悪く言ったかもしれないけど、でも、それってけーちゃんとは関係無い話でしょ?」
「なっ……オマエっ! 関係無いってナンだよ!?」
「だって、俺の大学に、けーちゃん入れないでしょ?」
「は?」
「……は? って?」
「誰の、なに?」
「俺の、大学」
「何の?」
「体育大」
「誰が?」
「俺が」
「…………ええと…………」
 すとん……とベッドに腰を下ろし、桂は眉を“うにゅう”と寄せ、唇を突き出して“むにむに”させた。
「あのさ」
「なに?」
「ちょっと聞きたいんだけど……」
「うん」
「トイレで、何話してたの?」

 ――あ、可愛い。

 唇を突き出し、上目遣いにこっちを見上げる桂に、こんな時だというのに、健司は思わず口元がゆるんでしまうのを感じる。
「……何って……大学のスカウトの話」
「はいぃ?」
 素っ頓狂な声を上げ、にじり寄るように身を寄せた桂から、健司は仰け反るようにして身を引いた。
 ベッドに両手をついているため、でっかいおっぱいが“むにゅう”と寄せられ、とんでもなく豊かに盛り上がって見える。
 危うくそのやわらかそうな乳肉に目を奪われそうになって、彼は慌てて視線を上げた。
「今日の合同練習で、前から誘われてた体育大の水泳部のコーチが来てて、その話をしてた……んだけど…………ええと……」
「じゃあ、俺にも選ぶ権利が……ってのはっっ!?」
「俺より先生達の方が乗り気で、なんだかもう俺がそこを受験するのが当然みたいに言われてるから……」
「じゃ……じゃあ……大き過ぎて気味が悪いってのはっ!?」
「……○○体育大って、ものすごく大きくて有名な大学でしょ? 選手層も厚いし、企業チームからだって毎年何人も引き抜きがあるし、前のオリンピックにも候補を出したんだよ。そんなでっかい大学が、俺なんかにこだわるのって、何か裏でもありそうじゃない?」
「相手が何考えてるかわからなくて気持ち悪いって…………そういうこと?」
「うん。前に名刺とかもらったし、見学に来いとか言われてるけど、俺を誘った理由とか本心を明かしてくれてない気がして……そういうの、なんかヤでしょ?」
「…………本当に?」
「嘘言ってどうするの?」
 じっと健司の目を覗き込む桂は、彼の目の中に少しでも嘘があれば許さないぞ! と言わんばかりの形相で息を詰めた。
 やがて、納得したかのように身を引き、思い切り息を吐くと、今度は“かぁっ”とほっぺたを真っ赤にして視線をどこともなくさ迷わせた。
「で、でもオマエ……ボクの事キライだって言ったじゃないか」
「え? いつ?」
「駅前の、モスの前で……」
「…………嫌いって言って無いでしょ?」
「言った。今のボクはカッコワルイから、『好きになれない』って」
「……『好きになれない』ってのと『嫌い』ってのは、全然違うよ」
「おんなじだ」
「違うよ」
「おんなじだっ! だからボクは…………」
「だって、けーちゃん、亮とあんまり仲良くしてるから……さ。そーゆーの、嫌だって、思ったんだ」
「え?」
「けーちゃんが言ったでしょ? 『嫉妬してる?』って。ああいう風に言い当てられたら、違うって言うしかないじゃない」
「そんなの……」
「それに、『健司のくせに』って言われたら、俺はもう何にも言えなくなっちゃう。けーちゃんは時々、それをわかってて言うから、だから俺もカチンときて……」
「…………じゃ……じゃあ……ホントに、ボクのこと嫌いじゃないんだな?」
「だから、言ってるじゃない。その……好き……だって……。
 ヘンかもしんないけど、女の子になったけーちゃんって、すごく、その……俺の好みなんだもん」
 大きな体を小さく縮こまらせて、顔を赤くしながらもじもじしている健司は、なんというか、ひどく滑稽だった。
 滑稽で、だからこそ、その言葉が真実なのだと思わせる。
「……ボク、男に戻るかもしんないんだぞ?」
「うん。なんとなく理解は、したよ」
「男に戻ったら、オマエを好きだった事なんか忘れちゃうかもしんないんだぞ?」
「うん」
「それどころか、気持ち悪いって思って、オマエのこと嫌いになるかもしんないんだぞ?」
「そうかな? 前に俺、言ったよね? 『俺達、友達だよね?』って。
 そしたらけーちゃん、『何言ってんだよ、ばか。当たり前だろ?』って言ったんだよ?」
「そ、そんなの……」
「けーちゃんはそう言う時、絶対にウソは言わない。
 俺はそれを知ってる。
 だから、けーちゃんが男に戻っても、けーちゃが俺を嫌いになる事は無いよ」

 ――キッパリと、言った。

 健司は、もし桂が男に戻って、今の恋心を忘れてしまったら、彼は自分の中に生まれた恋を友情に変え、再び親友として、幼馴染みとして、男友達として、前と変わらないように桂と接するのだ……と、そう言っているのだ。

 人の感情が、そんなに都合良く意志の力で捻じ曲げられるのであれば、誰も苦労はしない。

 きっと、「自分に恋愛感情など持たない」親友に対して、「男に対して持つべきではない恋愛感情」を抱え、それを無理矢理抑え込みながら、やがてそれが静かな凪(なぎ)となるまで、じっと一人で耐え続けるのだろう。
 そしてそれが出来ると、信じている。
 いや、出来る出来ないではなく、自分はそうするのだと、信じている。
 本当にそれを信じている顔をしている。

 馬鹿だ。

 正真正銘の、どうしようもないほどの、馬鹿だ。

 なんでこいつはこんなに馬鹿なんだろう。

 ――なんでこんな馬鹿が、こんなにも愛しいんだろう――!!?

 「自分に恋愛感情など持たない」親友に対して、「男に対して持つべきではない恋愛感情」を抱えるということが、どれほど苦しいか、どれほど辛くて哀しいか、知っている桂だからこそ、健司のその決意が胸に痛かった。
「けーちゃん……?」
 健司が見ている前で、桂があっという間に顔をくしゃくしゃにして、俯いて、ぼろぼろと涙をこぼした。
「けーちゃん…………泣かないでよ。なんか、俺がいじめてるみたいじゃない」
「……いぢめてるんだよ。オマエってヤツはいっつもそうなのな……いっつも……ボクの心の弱いとこを突いてきやがる……」
「そうかな?」
「そうだよ。サイテーだ。オマエ。責任……とれ。ばか」
「責任?」
「そう」
 涙に濡れ、ぷっくりとしたほっぺたを真っ赤にして、桂は上目遣いに健司を睨みつけた。
 何をするのだろう?
 そう思いながら顔を寄せる桂を見ていた健司は、右の頬にやわらかなものを感じ、目を大きく見開いた。
「けーちゃん」
「……い、いいだろ? べつに……」
「けーちゃん」
「い、嫌だったら洗ってこい。そこに洗面所があるからっ!」
「けーちゃん」
「なんだよ」
「けーちゃん」
「だからなんだよっ」
「けーちゃん」
「うるさいな! 悪かったよ! どうせボクなん」

 言葉が途切れ、時間が止まった、気がした。

 やわらかいものが唇に触れ、離れ、そしてまた触れる。
 大きな手が苦しいくらいに自分を抱き締め、意外なほど厚い胸板に押し付けられていた。

 3秒くらいか。
 いや、もっと長かっただろうか?

 1分?
 いや、5分くらいにも感じた。

 気がつくと、健司の心配そうな顔が自分を覗き込んでいるのに気付いて、桂はふらふらする体を彼の胸に預けた。
 頭がくらくらする。
 何が、あったのか。

 わかってる。

 キス――――。

「…………はじめて、だ」
「キス?」
「……うん…………健司は…………違うのか?」
「はじめて」
 困ったような、怒ったような健司の声に、桂は堪えきれずにくすくすと笑った。
「なんか、きもちいいな」
「キス?」
「うん。男とするなんて、きっともっと気持ち悪いと思ってた。今も思ってる。なのに、オマエとだと、きもちいい。
 すごい。なんか、飛んでくみたい」
「俺も」
「でも、不意打ちなんか、ひきょーだ」
「お返しだよ」
「健司のくせにナマイキだ」
「また言った」
「うるさい。いいの」
「ひどいなぁ……」
 言葉とは裏腹に、健司の言葉はひどく優しかった。
「あの…………ええと…………もう一回………………いいか?」
「俺も、そう思ってた」
 そうして、2人してくすくすと笑う。
 なんだか、おかしかった。
 ここにくるまで、ものすごく回り道をしたような気もする。
 あんなに悩んで、苦しんで、哀しんで、後悔して、悶々と考え込んでいた日々が、今のたった一度のキスで、全て報われた気がする。
 ――唇が、触れる。

 ただそれだけなのに、どうしてこんなにも心があったかくなるのか。
 胸の奥に溜まった黒いもの、穢れたもの、どろどろしたもの。
 そういうものが、全部解けて流れ出してしまったような気がした。
「…………っ……」
 目を瞑り、健司がそうしやすいように、頤(おとがい)を少し上げる。
 目を瞑ったのは、そうするのがこういう場合のエチケットなのだと、散々クラスの女子から聞かされていたから。
『……ぁ――』
 五感のうち、視覚が途切れるだけで、どうしてこんなにも他の感覚が鋭敏になるのか。

 匂い。

 健司の匂い。
 汗の匂い。
 吐息の匂い。
 決してヘンな匂いじゃない。
 頭がくらくらして首筋がゾクゾクする。

 音。

 健司の呼吸する音。
 自分の心臓の音。
 布ずれ。
 ベッドが軋む音。
 なんだかそれだけで腰の辺りがムズムズする。

 感触。

 汗ばんだ健司のシャツの手触り。
 逞しい腕が体ごと抱き締める感覚。
 ちょっと苦しい。

 そして。

「んっ……」

 ――キス――。

 今度は、ちょっと深い。

「んっ……ふっ…………んっ……」
 口を大きく開けるのが恥かしくて、でも健司はそんなことお構いなしに、貪るように舌を啜り上げる。
 舌も唾液も吐息も、いっぺんに味わおうとでもするかのように。
『けーちゃん……』
 健司は、夢中になって桂の唇を吸った。
 知識だけは、ある。
 けれど、経験が全く足りない。
 それでも、桂の上唇を嘗め、下唇を嘗め、歯の間で触れて欲しそうな彼女の可愛らしい舌先に、自分の舌を絡めて撫でた。
 おずおずと伸ばされる可愛らしい舌を自分の舌で撫で上げ、愛撫し、誘い出して啜り上げる。
 “ちゅうう”と吸いながら何度も舌で扱(しご)くと、桂の体が“びくびく”と震えた。
「んんっ……んっ……ん〜…………」
 桂の目から、涙がこぼれる。
 与えられる刺激に腰が震え、お腹の中で何かが“ぬるり”と動いたのがわかった。

 落ちてくる。

 湿っている。

 濡れている。

 “とろとろ”の、“くちゅくちゅ”だ。
『あぁ……コレ…………』
 いつだったか、由香に学校のプールのシャワールームでされた『オトナのキス』を思い出していた。
 あの時、由香は
『これで最後にする。後は、健司くんにしてもらってね?』
 と言ったのだ。
 そして今、桂は健司と『オトナのキス』をしている。
 あの時よりももっともっと、とろけてしまいそうな感覚に身を震わせながら。
「ふあっ…………」
 唇を離し、深い海の底から浮かび上がったかのような荒い呼吸を繰り返しながら、桂は“とろん”とした目で健司を見上げる。
 じわじわと感覚が戻ってくる。
 唇と舌に与えられる感覚を貪る事に夢中で、快美感以外の感覚が鈍くなってた事に今さらのように気付いた。
「いつっ……」
 そんな中、不意に唇の端に痛みが走って、彼女は顔を顰める。
 亮に殴られた時に、切ってしまったのだろうか?
 今の今まで、気にも留めていなかった。
「大丈夫?」
「うん…………それより、健司……チョコレートの味がする……」
「チョコ?」
「うん…………あ……そっか……カラオケ屋で…………」
「ああ……ポッキー食べてたからね」
「あ……ボク、酒臭くないか? ……けっこう飲んじゃってた……」
「カクテル? スクリュードライバーだっけ? 柑橘系の匂いがするよ。それと……」
「「コーンスープ」」
 2人の声がハモる。
 思わず互いの顔を見て、桂と健司は肩を震わせ、声を押し殺して笑い合った。
「あっ!」
 その桂の口の端を、健司が“ぺろっ”と嘗める。
 “ぞくっ”として“ぶるっ”として“じわわっ”となった。
「血の味……」
「やめろって……血なんて……汚いだろう……?」
 血を嘗められるというのが、ここまで恥かしいとは思わなかった。
 唾液を啜られるよりも、遥かに恥かしい。
「? …………そう?」
「そう……だよ」
「考えた事も無かった」
「……ばか」
 そして、どちらからともなく何度もキスを繰り返す。
 唇がふやけてしまうかと思うくらい、互いの口を愛撫しあっていた。
 ここに来て何分経ったのか、もうわからないくらいに。
「キス…………好き?」
「…………健司は?」
「好き」
「うん……ボクも…………好き……」
 なんだか、ものすごいイキオイで、あっという間に健司の技術が上がっていっているような気がしてた。
 唇の裏も、歯の裏や歯茎や、舌の付根や、舌が触れられるところには余すところ無く彼の舌が触れる。
 桂は翻弄され、揺さぶられ、ただ健司に与えられるものを受け入れるしかない。
 彼の唾液をこくこくと嚥下し、力強い舌を、母親の乳首に取りつく赤ん坊のようにちゅうちゅうと吸う。
「……んはっ……あっ……はうっ……」
 だんだん激しくなるキスに呼吸が乱れ、体の奥が熱くなってゆく……。
「……オ……オトナのキス……って……ゆーんだって……」
 哀しくもないのに、涙があとからあとからこぼれてしまう。
 桂は健司の指で涙を拭われながら、それでも懸命に彼を見上げていた。
「これ?」
「……うん…………舌…………」
「……こう? ……」
「……ん……ふっ…………ぅ…………んっ……」
 歯の間で舌をひらめかせただけで、健司の唇が取りつき、誘い出し、嘗め、吸う。
 とても、ついさっき初めてキスを覚えた男の技ではなかった。
 けれど、桂はそれに気づく事も出来ず、ただ彼のキスに翻弄されてしまう。
「……ぁ…………」
 抱き締められたまま、桂は“とろん……”とした目で愛しい人の顔を見上げている。
 目の焦点が合わず、もう健司に全てを任せてしまっているのは、日を見るよりも明かだった。
 幼馴染みで、男友達で、ちょっと頼り無い弟分でしかなかったはずの健司に「男」を感じている不思議。
 そしてそれを「女」として受け入れ、そのことに例えようも無いほどの強烈な喜びを感じている不思議。
『……ぁあ……これが……女……ってこと……なのかな…………』
 信じられる相手に身を任せてしまうということを、こんなにまで心地良く感じてしまうなんて。
 カラオケボックスで亮を相手に感じた感情とは、比べようも無いほど全く違う気持ちだった。
 あんなものとは、そもそもレベルもベクトルも違うのだ。
『……あ……だめ……』
 スカートの中で、あそこが大変な事になっている。
 もう、“とろとろ”で“ぬるぬる”で“くちゅくちゅ”で“ねとねと”だった。
 パンツを履いていないという事が、今さらのように桂の羞恥を炎のように炙り焦がす。
 少し腰を捩るだけで、“くちっ……”と密やかな水音を立ててしまうのだ。
 桂は無意識に両脚を擦り合わせ、“ふうっ”と目を瞑った。
「けーちゃん、大丈夫?」
「……んぅ……」
「ちょっと待っててね」
 そんな桂をベッドに寝かせ、健司は立ち上がってバスルームへと向かう。
 いっそ思い切りがいいほどあっさりと、桂を手放して。
 なんだかそんな事がひどく心細く、そしてそれがとてもおかしくて、桂は笑みを浮かべ、ベッドに仰臥したまま全身から力を抜いた。
 天井は鏡だった。

『……あぁ……』
 自分はどうしてしまったのだろう?
 頭がくらくらして、ぼんやりして、体が“ふあふあ”する。まるで、雲の上に寝そべっているような気分だった。
 お尻の方にまで“とろり”としたものが垂れ落ち、むずむずした。
『キスだけで……こんな……』
 健司の名を呼んだだけで、健司の顔を思い浮かべただけで、健司の手に触れただけで、あんなにも反応をしめしてしまった体なのだ。それが『キス』という“心と体を結ぶ行為”に相対してしまったらどうなるか。
 少し考えればわかろうというものだ。
 想いが通じ、心が結ばれるという快美感は、ただ肉体の反射からだけ受けるものとは劇的なほど違う。

 体全体が、細胞の一つ一つが、この感覚を喜び、受け入れている……。

『健司…………なんかキス……すごく……上手くない……?』
 気のせいだと、思った。
 自分も初めてだと言っていたのだから。
 だとしたら、そんな風に思ってしまうくらい、自分は健司とのキスに“酔って”しまった、ということになる……。
「けーちゃん、起きられる?」
 ふと気がつくと、健司が覗き込んでいた。
「……うん……」
 桂は彼にすがりつくようにして身を起こし、そのまま立とうとしてふらつき、厚い胸板に頬を摺り寄せた。
 脚がガクガクと震え、とても一人では立っていられないのだ
「お湯、入れたから、入りなよ。濡れた服をずっと着てたから、体が冷えてるでしょ?」
「お湯?」
「お風呂。もう入れるよ」

 早過ぎる。

 健司はついさっき、バスルームに入っていったばかりではないか。
 それとも、あまりにも“ぽ〜〜っ”とし過ぎて、時間の流れに気付かないほど陶然としていたのだろうか?
「…………どうしたの?」
 ベッドに腰掛けた健司が、不思議そうに見下ろしてくる。
 桂はふらふらする体を壁で支えながら、俯き、赤い頬を隠しながら躊躇いがちに彼を見た。
「……いっしょに……入るか?」
 あそこがとろとろに濡れて、もう我慢出来なかった。

 もっと触れていたい。

 もっとえっちなことしたい。

 してほしい。

 けれど、自分から「一緒に入ろう」なんて言えなかった。
 だから、ちょっと冗談めかして聞いてみた。
 なのに。
「うん」
 健司は、あまりにもあっさりと頷いて、なんだかこっちが恥ずかしくなってしまうような、そんな笑顔を浮かべた。
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