■感想など■

2009年09月05日

第20章「ここにあなたがいないこと」

■■【3】■■
「で? 1週間以上も連絡してないって、ホント?」
 由香が、桂に怒った。
 それはもう、ものすごいイキオイで。

 亮と街で会ってから、もう4日が経っていた。
 あと3日もすれば7月も終わってしまうという、7月28日の出来事だった。
 “もそもそ”と遅い朝御飯を食べていた桂は、マーガリンを塗ったパンを咥えたまま、キッチンの入り口で仁王立ちした幼馴染みを“ぎょっ”とした顔で見やった。
 思わずぱっくりと口を開け、そのせいで机の上に落ちかけたトーストをそれでも危うくキャッチしたのは、もはや奇跡に近かった。
「なんで……そんな……」
「さっきそこで水泳部の門西くんに会ったの。健司くん、けっこー落ち込んでるみたいだよ? けーちゃんからメールの返事が来ないって」
 ずかずかと問答無用でキッチンに入ってくると、由香は当然のような顔をして桂の隣の席に座る。
 いつもの“ほにゃにゃ〜ん”とした彼女とは違って、その目には『正直に答えないとひどいよ?』といった剣呑な光があった。
 こっちの都合も聞かずにやって来た事とか、チャイムも鳴らさずに合鍵で入ってきた事とか、そんな事は全然ちっとも大した事なんかじゃないと本気で信じてる目だった。
「う……」
「どうして?」
「いや……」
「いや?」
「だ、だから……」
「だから?」
「その……」
「その?」
 桂の目が“きょときょと”と宙を泳ぐ。
「健司くん、大会前の大事な時期なのに、けーちゃんがそんなんじゃ、頑張れないでしょ?」
「……で、でも……」
「今までそんなこと無かったのに、どうしたの?」
「オ……オマエに何がわかるんだよ」
「わかんないよ?」
「え?」
「わかんないって言ったの。だってそうでしょぉ? 私、エスパーでも宇宙人でも未来人でも異次元人でもないんだもん。けーちゃんの考えてる事なんてけーちゃんが教えてくれなきゃわかるわけないよ」
 こんな時の由香が、いつまでも目を逸らしていたって絶対に許してくれないのは分かりすぎるくらいに分かっていたから、桂は諦めて少女の顔に視線を戻した。
「『由香ちゃんの恋愛相談室』…………?」
 拗ねたように上目遣いに聞いてくる桂の可愛らしさに思わず笑いの衝動が込み上げてきたけれど、由香はそれをぐっと我慢して頷いた。
 本人がどう思おうとも、どう振る舞おうとも、桂は日々、確実に綺麗に、可愛らしくなってゆく。
 それは一種、子犬とか幼女にも共通する可愛らしさではあったけれど、時々、女の身でありながら“はっ”とする時があるから、きっと男連中にとってはたまらない魅力に映るに違いない。
 そしてそれを少女が全く無自覚でいることが、拍車をかけているのだ。
「……なにがあったの?」
 黙り込んだまま唇を“むにむに”させている桂の顔を、由香は覗き込むようにして聞く。
「健司くんと、何かあったでしょ。ケンカでもしたの?」
「ケンカなんかじゃ……ない」
「じゃあいったい…………あっ!」
 何かに気付いたような由香の声に、桂の顔が一気に顔が赤くなる。
 “女同士のシンパシー”とでもいうべき感覚の知覚で、桂は由香が“わかって”しまったことを知ったのだ。
「はは〜ん……」
「な……なんだよ……」
「キス……したんだ?」
 半眼で“ちろり”と見る由香の視線が耐えられなくて、桂は真っ赤に染まった顔を逸らした。
 でも、黙っていた。
 何も話さないぞと思った。
「キスだけじゃない? ふぅん」
 けれど、由香の追及の手は緩まない。
 今日は徹底的に聞き出すつもりなのかもしれなかった。
「な……なんにも言って無いだろ!?」
「あたり?」
「うっ……」
「おっぱい触られた?」
「……なななななんでオマエにそんな事話さなくちゃいけないんだよっ」
「お尻触られた?」
 具体的な言葉に、桂が耳たぶまで真っ赤にして黙り込む。
 それを覗き込む由香は、実に楽しそうだった。
「えっち」
 “ドキン”と、桂の豊かなおっぱいの下で、ひときわ大きく心臓が跳ねる。
「したの?」

 リンゴ。

 茹でダコ。

 イチゴ。

 どんな形容も当てはまるくらい、桂のほっぺたは真っ赤に火照って“ぷくぷく”と“美味しそう”だった。
 じぃっ……と由香が見ているのがわかる。
 顔を逸らした左のほっぺたに、少女のまっすぐな目が注がれている。
 それが、はっきりとわかった。
 桂は全身に冷や汗をかいて、落ち着き無く視線をさ迷わせて、“こくり”と喉を鳴らして、そしてとうとう観念したかのように、
「……ん……」
 小さく“こくり”と頷いた。
『やだっ! ほんとう!? うわーけーちゃんえっちしたんだ!? 健司くんとえっちしたんだ!!?』
 そんな風に冷やかされるに違いないと思っていた桂は、由香がいつまでたっても声を上げないのでおそるおそる顔を上げた。
 果たしてそこには、

「良かったね。けーちゃん」

 ……慈母の微笑みが、あった。
 今にも泣き出しそうにさえ見えるその微笑みを見た時、桂は、胸の奥がじんわりとあったかくなるのを感じた。
 ちっちゃいのに。
 こんなにもちっちゃくて、パワーなんてちっとも無いように見えるのに。
 由香の微笑みには、桂の胸をあたためる力が確かにあった。
 桂の全てを包んでくれるような力が確かに、在った。
「良かったね」
 由香は、その笑みをたたえた瞳にうっすらと涙を浮かべてもう一度桂を祝福すると、少女を優しく抱き寄せて背中を“ぽんぽん”と右手で叩いた。
「……うん…………うん……」
 胸がいっぱいになってボロボロと涙が零れて仕方の無い桂は、由香に背中を慈しむように撫でられながら、ただ頷く事しか出来なかった。

         §         §         §

 その後、由香になかば押し切られるような形で、桂は健司に電話した。
 彼女に言わせれば、幼馴染みとか友達とか、そういう気の置けない間柄から『恋人』になるには、それなりに“きっかけ”とか“パワー”とか“ファンタジー”とか、その他モロモロの外因的要素が不可欠で、桂と健司のように一番最初に“えっち”から入ってしまった『カップル』の場合、きちんと努力してマメに二人で過ごす時間を取らないとメンタルな部分でぜったいに躓いたりするからいけない……らしかった。
 桂は『恋人』とか『カップル』とかの単語にいちいち反応して顔を赤くしていたけれど、今まで男と付き合った事の無い由香が言っても説得力は無いなぁ……と思ったりもする。
 もちろん、声に出したりなんかしないけど。
 きっと、エロエロ大魔神な桑園京香あたりから仕入れた、付け焼刃な知識なのだろう。
 それはつまり“今は追求なんてしない方が彼女にとっても自分にとっても“平和”なのだということを意味している”…………と思うのがベストだということだ。

 ソファに二人して並んで座って、桂は由香にじっと見つめられながら健司に電話した。
 時刻は午前11時32分だったけれど、大会予選までの練習は午後2時からに限定されているはずなので、今の時間、健司は自宅にいる筈だった。

 ――ところが。

 健司のケータイは、どういうわけか電源が切られているようで、いくらコールしても例の無機質な『おかけになった電話番号は……』というアナウンスが無情に流れるばかりだった。
「あいつ、拗ねてやがんな? ちょっと連絡しなかったからって……ホント、子供っぽいんだから!」
 ケータイをガラステーブルへ乱暴に放り投げ、桂はソファに“ぼすんっ”と背中を預けた。
 さらさらとした黒髪を乱暴に掻き揚げ、可愛いほっぺたをふくらませて拗ねたように言う桂も、人のことはぜんぜん、ちっとも、これっぽっちも、言えないと由香は思う。
「……逢いに行った方がよくない?」
「いいって! こういうのは、その、やっぱり“最初”が肝心なんだ。いくらボクがあいつを好きでも、甘やかしちゃいけない。自分の思う通りになるなんて思われたら、これからもなめられちゃうもん。ガツンといかなきゃっ!」
 鼻息も荒くそう言い放つ桂は、由香に、小学校の時のワルガキ然とした『彼』を髣髴(ほうふつ)とさせ、やっぱりどうにも子供っぽいと思わずにはいられない。
 ちっちゃい右手で握りこぶしを作って“むむむ”と力んだりなんかするところなど、特に。
「恋人同士で嘗められるも嘗められないないと思うけど……」
「いいんだよ。あいつにはこれから大会もあるし、それに……今さらなんて言ったらいいかわからないし……」
 その原因を作ったのは誰? ……なんて、いくら“ほにゃにゃ〜ん”な由香でも言うつもりはなかった。
 目の前のちっちゃい『暴君』は、真実を突き付けると途端に意固地になってしまうから。
 だから、由香としては“妥協案”を提示してみせるしかない。
「ええと、じゃあ…………うん、そうだ。15日に神社の縁日と、花火大会があるじゃない?」
「河川敷の?」
「うん。だから、それに合わせて浴衣とか作らない?」
「浴衣?」
「うん。どうせ男物しかないんでしょぉ?」
「う……そりゃ……そうだけど……」
 桂が高校1年生だった去年の夏は、彼女も、どこからどう見ても正真正銘の男だったのだから、家には女物の浴衣は母のものしかない。それも、成長期だというのにあんまり成長しなかった体のおかげで、中学3年の時に作ったものを2年続けて着たのだ。
 背が低い事がコンプレックスだった『圭介』にとって、それはひどくプライドを傷付けられる事実であり、最後まで嫌がって母を困らせたものだ。
「健司くん、県大会予選は8月の11日でしょ? で、本大会は」
「25日」

 ――即答した。

 由香は、得意げな顔で目を輝かせている桂を見て、思わずまた抱き締めたくなる自分を抑えた。
 なんとも、実に可愛いらしいものだ。
 しっかり覚えてて、ちゃっかり応援に行こうと思ってるに違いない。
「9月?」
「8月。9月のは全国大会」
「へぇ……」
 この分だと、むこう一年間の公式試合全部を調べてあるような気さえしてしまう。
『もうっ……けーちゃんってば……』

 なんて可愛いんだろう。

 由香は思わず“ほにゃっ”と頬を緩めてしまった。
 自分には同性愛的な性癖は無かった筈なのに(「あのプールでの出来事」は、自分の中でも不可思議な衝動の一つだった)、桂が相手だとそれさえも自信が無くなってしまう。実はさっきだって、桂が健司と『女として結ばれた』と知り、我が事のように喜んでいる自分とは別に、心のどこかで確かにそれを「哀しい」と感じている自分が存在していたこともまた、自覚していたのだ。

 ――これでもう、けーちゃんに私の想いが受け入れてもらえる可能性は本当に無くなってしまった。

 言葉にすれば、ひょっとしたらそのようなものだったかもしれない恋とも言えない気持ちは、たぶんこのまま少女の小さな胸にしまわれ、奥深くに沈められていくのだろう。
 けれどそれは、とうの昔に覚悟していたものだったはずだ。

 恋人としてそばにいられる事は無くなってしまったけれど、友人としてなら一生そばにいる事が出来る。

 そう思う事で、由香は自分の『初恋』に決着をつけたのだから。
 そしてそれは、由香の知る『圭介』との、完全な決別を意味していたはずだったのだから。


「じゃあ15日は、予選を終えて県大会本戦に向けて調整してる最中……かな?」
「たぶん」
「いいじゃない〜! けーちゃん、ちゃんとした女の子になって初めての浴衣を着て、健司くんとデートしなよ!!」
「えっ!?」
 いきなりハイテンションになった由香に対し、ほとんど脅えるようにして桂が身を引く。
 由香はそんな桂に対して勢いづいたかのように身を乗り出し、ほとんど覆い被さらんばかりに顔を近付けた。
「けーちゃんの浴衣姿見たら、きっと健司くんも元気が出るよ? パワーモリモリだよ? 優勝間違い無しだよ!?
 男の子って女の子の着物姿になんだかんだ言って弱いんだから!
 けーちゃんのうなじとか胸元とか後れ毛とかにドッキドキでキスミープリーズうおんちゅっ! だよっ!」

 わけがわからない。

 桂は目を白黒させて、キス寸前みたいな距離で由香の可愛い鼻の頭を見つめた。
「大丈夫。ちゃんと二人っきりにしてあげるから」
「そっ……そういうことじゃ、なくて……」
 蚊の啼くような声で“ぽちょぽちょ”と抗議する桂に構わず、由香は“にやぁ”と笑ってさらに目を輝かせる。
 気分はすっかり、御世話好きで噂好きな“近所のオバチャン”だった。
「そういえば、縁日やってる神社の裏って、有名なデートスポットなんだって」
「だからなんでそんな……」

 ――知ってる。

 『圭介』だった頃、吉崎達三馬鹿に「覗き」に行かないかと誘われた事がある。
 祭りという非日常空間に高ぶった体を、花火の大音量と空気の振動に任せて、ねっとりと纏わりつくような湿度の高い空気の中で絡ませ、互いに求め合うカップルは、そのまま“コト”に及んでしまうこともままあり、翌日の神社の裏の雑木林には、用済みになったコンドームや、ぐちゃぐちゃになった女物の、可愛らしい“勝負下着”などが見つかる事もあるのだ。
「どうする? 健司くんに誘われたら」
「えっ!?」
「さりげな〜く手を繋いで、『けーちゃん、あっち行ってみない?』とかなんとか言われて手を引っ張られたら、どうする?
 どうする? けーちゃん? ねえ、どうする?」
 自分がそうされるわけでもないのに、実に嬉しそうに由香は言って、桂の体をゆさゆさと揺らした。
「そっ……そそそそそ……そんっ……そんなのっ」
「神社の境内は電灯があんまり無いし、きっとたぶんあっちこっちでカップルがあーんな事とかこーんな事とか……」
 由香のものすごぉくいやらしい言い方に、桂の脳裏に濃密に絡み合い求め合う自分と健司の姿が、客観的に、鮮明に、フルカラーで、遠慮も何も無く浮かび上がった。
「ゆっ由香っ……なんかオマエ……エロいっ! エロいぞっ!?
 きょ、京香に似てきたんじゃないか!? そっそそんなえっちなことっ考えるっなんてっ」
 ほっぺたを真っ赤にして目を潤ませ、無意識に自分の体を抱いてでっかいおっぱいを“むにょんっ”と大きく盛り上がらせている桂に言われても、説得力なんてちっとも無い。
 スウェットを下から押し上げる、実に重たそうなノーブラメロンおっぱいの双丘には、“ぽっちり”と硬く勃起した乳首の盛り上がりが、ハッキリクッキリと確認出来てしまっているのだ。
 これはもう、イロイロ考えてしまってイロイロ大変なことになってしまっているのは明白だった。
 ところが、
「ほんとーに好きなんだねぇ……健司くんのこと」
 由香が思わずそう言うと、「ヘンなこと真顔で言うなっ!」などと言って怒るかと思われた彼女は、
「……うん…………すき…………好き過ぎて、時々……どうしようって……思う……」
 なんて、少女には似つかわしくない乙女チックなセリフを吐きながら両手でほっぺたを包んだりなんかしたものだから、由香としてはもう何も言う事など無い。

 無い……のだけれど……。

「じゃあ、意地張ってないで逢いに行けばいいのに」
 ついそんな“いらない事”を呟いてしまい、“じろり”と睨み付けた桂の視線から、舌を出しつつ逃げてしまったりもしたのだった。
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