■感想など■

2009年09月06日

第20章「ここにあなたがいないこと」

■■【4】■■
 浴衣は、10日に完成した。

 結局、桂の浴衣は新しく作ると結構時間がかかるようで(由香は「規格外のおっぱいのせいだ!」とか言ったけれど、そういう問題じゃないと桂は思った)、15日に間に合わないとどうしようもないため、由香が、桑園京香が今年新しい浴衣を作るから、そのお下がりをもらえないか彼女に聞いてみたのだ。

 部分的に少し手直しし、それに帯などの、わざわざ直さなくてもいいものは新調して、そうして鏡の前に立った桂は、なかなかに浴衣が良く似合っていた。
「へぇ――それなりに見られるもんね」
「“それなり”ってなんだよっ」
「ほら、けーちゃん動かないっ!」
 桂と、家まで浴衣を持ってきてくれた京香と、当然のようにその場にいる由香の3人は、桂の部屋で少女の体にTシャツの上から浴衣を合わせ、鏡に映った姿をためすがえす眺めていた。
 腕や首など、そこそこ健康的に焼けているとはいっても、一日の大半を部屋で過ごしていたため十分に白い肌には、真っ白な生地に大きな大輪の朝顔があしらわれた浴衣が実に良く映える。
 この浴衣は京香が中学まで着ていたもので、彼女自身ちょっと子供っぽいと思っていた事は当然ながら桂には秘密だ。
 それでも仕上がりに4万近くもかかったし愛着もあるので、京香としては、出来れば誰かに着て欲しいと思っていたところだったから、由香から話を聞いて一も二も無く承諾したのである。
 桂と京香では体型が違うので胴回りや肩口、裾などを手直しし、ついでとばかりに帯は新調したため、お下がりをもらうだけ……であるにもかかわらず、ちょっと時間がかかってしまったのだ。
 袖を通し、帯を締めて鏡に映して見れば、そこにはセミロングの黒髪を揺らす可愛らしい日本人形のような桂がいた。胸元から覗く青いTシャツが無粋だったけれど、縁日の日には(京香も由香も)中にパンツ以外何も着させないつもりだから、きっとちょっとした色香も纏うに違いない。
「下駄はコレ。それで、巾着はコレでいいでしょ?」
 京香が紙袋から取り出した下駄と巾着は、巾着の柄と下駄の鼻緒がお揃いのピンクで、同じ桜の花弁を模した柄が入っていた。
 少女趣味ではないはずの桂も、思わず「可愛い」と思ってしまうような色使いで、彼女は自分では気付かないまま目を輝かせてそれらを手に取った。
「え? いいの?」
「あげるわけじゃないわよ。貸してあげるの」
「なぁんだ」
「ばかね。それはお下がりじゃないのよ?」
「…………水虫とか、無いよな?」
「…………あのねぇ……。揉むよ?」
 桂の無遠慮で失礼な言葉に、京香の目が剣呑な光を放つ。
「っひにゃんっ! ……ばっばかっ! こういう時は『殴るよ?』とかそーゆーんじゃないのかっ!?」
「私がけーちゃんを殴るわけないじゃない。う〜ん……いいわね、このまったり感」
 後から脇に手を通し、下から掬い上げるようにして、浴衣に包まれた大きくて重たい乳肉を“もにもに”と揉み立てる。
 無理に浴衣で押さえ付けていた胸元がはだけ、Tシャツに包まれたおっぱいが“ゆさり”と顔を覗かせた。
「んひゃっ……ひゅうっ……んっ……」
「あらら? なんだか感じやすくなってない?」
「ばっ……ばかっ!」
「いたたたっ! 耳っ!! 耳引っ張らないでよー!!」
「だったらチチから手離せっ!」
 二人の破廉恥なやり取りを他所に、由香はにこにこしながら自分の“おニュー”の浴衣を胸に当てて、鏡の前でくるりと回ってみせた。二人のやり取りにはもう慣れっこだったし、どうせじゃれ合ってるだけなのだから止めたって無駄だし止める必要も無いのである。

 桂の浴衣姿は、すごく良く似合った。
 今は下にTシャツを着ているけれど当日は下にパンツだけになるし、髪もアップにして可愛くする予定だから、うなじとか胸元とかの肌が色っぽく露出してきっと健司も喜んでくれるに違いない。
 桂はすごく嬉しくて、一刻も早く健司に見てもらいたいと思ったりする。
 それはもう、まるきり『恋する乙女』で、好きな男の子に可愛いと思われたいという、いじらしい少女の顔をしていた。
 でも。
「どうだ! 女らしいだろ?」
 そう言って鼻息も荒く反り返る桂は、確かに可愛かった。
 けれどそれは、どちらかといえば女の子っぽい可愛らしさというよりも、小学生とか、ちっちゃい子に対する可愛らしさに思えてきて、由香も京香も、なんとも言えない表情をしながら思わず互いの顔を見合わせてしまったのだった。

         §         §         §

 「女」である事に、桂はすっかり馴れていた。
 化粧にも馴れた。
 どうしようもないくらいに大きくて重たい胸の存在にも、それに伴う下着の締め付けにも、男とは決定的に違う、力とか基礎体力の無さにも、積極的に馴れようというものではなかったけれど、どうにか馴れた。他人からじろじろと見られる事にはまだ少し馴れないけれど、それもまた馴れる事が出来るだろうと思う。

 ただ、一つ馴れないとしたら、女同士では「秘密」がちっとも「秘密」ではない……という事だろうか。

 “京香がここ(家)までやって来た以上、それだけで済むハズが無いという事をすっかり忘れていた自分”を、桂はしたたかに引っ叩いてやりたくなっていた。
 今、桂の目の前には、御馳走を前にした子犬のような、まっしぐらなペットフードを前にした子猫のような、そんな“キラキラ”とした光を弾く2つの瞳が並んでいる。
「で? 聞かせてもらいましょうか?」
 “んふふー”と思いっきり怪しい笑みを浮かべ、豪奢な玉座から臣下を睥睨する女王のような態度で、“エロエロ大魔神”は大仰に言った。
「……なにが?」
「“した”んでしょ?」
「な、なにを?」
「目を逸らしてもダメ。黙秘権も却下」
「オマエにそんな権利」
「浴衣……返してもらおっかな?」
「ひでえっ!」
「あらあら。言葉遣いがなってなくてよ?」
「……どこの人間だオマエわ」
 “ほほほほほ”と口元にあてた左手の向こうで、京香の唇が本当に楽しそうに形を変えた。

 つまり、由香に告白した健司との話は、いつの間にか京香の耳にも、すっかりくっきりきっぱりちゃっかり、入っていたのだった。
 どうりで“あの”京香が嬉々として浴衣を譲ってくれることを承諾したはずだ。
 面白そうな話だと踏んだからこそ、こうして桂の家にまでわざわざやってきて、桂の目の前で桂の口から、桂の“はぢめて”を聞き出そうとしているのだろう。
「それにしても……へぇ…………あの『圭介』だった『けーちゃん』がねぇ…………ふぅん……」
 意味ありげに目を細め、実に楽しそうに桂を眺めやる彼女の前で、桂は顔を真っ赤にしながらきょときょとと挙動不審に視線をさ迷わせた。
 桂に怒られるのを恐れて、由香は「お茶……入れてくるね?」と言って階下のキッチンへ消えたまま、もう10分も帰ってこない。
 そうなるともう援軍は期待できないし、そもそもその期待していた援軍こそが自軍を裏切った憎むべき反乱軍でありスパイであって、桂はまさに絶体絶命の大ピンチだった。
 『ホーム』にいるはずなのに、まるで『アウェイ』にいるような気分だ。
 敵地に乗り込んで追い詰められたなら逃げればいいけれど、『ホーム』で追い詰められたなら逃げる所が無い以上、守りに入るしかない。そして今の桂には、守りさえ許されないのだから涙さえ出て来きそうな事態だった。
「良かった?」
「へ? うっ?」
「まあ、初めてだったら良いも悪いも無いか。
 膜ブチ破られて最初からアヘアヘ喜ぶのは、キモオタの読んでる妄想漫画とかデブオタヒッキー御用達のエロゲーだけで十分よね」
 相変わらず、歯に衣を着せることをしない……するつもりなどこれっぽっちも無いのだろう彼女らしい辛辣な言葉に、桂の顔が何ともいえない顔になる。
「なあに?」
「いっつも思うけどさぁ……なんでオマエってそれで男にモテんの? ……あ、いい、言わなくて」
 つまりは、男の前ではカンペキに演じてみせているわけだ。
 その男の「好みの女」を。
 ここまで男と女の前で態度が違うと、女の中でも評価が分かれるところだけれど、どういうわけか京香は女にもウケが良く、クラスでも中心的な存在だから世の中は不思議なものだ。
 京香本人にそれを聞くと、
「それが人徳ってもんよ」
 などというフザケタ答えが返ってきたので、桂はそれ以来「そういうもんだ」と思うようにしている。
 世の中にはかように“不思議”が溢れているものなのだ。
「で、谷口くんってば、やっぱり体と同じでデッカイの?」
「は?」
「ちんちん」

 ――ちょっぷ。

「あだーーーっ!!」
 電光石火の早業で繰り出された由香直伝の「のーてんちょっぷ」を受けて、京香は両手で頭を押さえ、床の上をゴロゴロと転がりまわった。
「乙女の頭に何すんのよあんたわっ!」
「誰がオトメだ誰が! オトメがちんちんなんて言うかっ!?」
「言うわよそれくらい。じゃあ『ちんぽ』」

 ――ちょっぷ。

「あだーーーっ!!」
「学習能力ねーなオマエわ……」
「えっちしたくせに今さら純情ぶってんじゃないわよ」
「そっそっそれとコレとはっ別だろ? おっ……女には……その、つ、慎みってモンが必要なんだよっ」
「それ、谷口くんが言ったの?」
「……別に、け、健司は関係無いだろ?」
「あるわよー。その谷口くんとヤッたからけーちゃんがこんなにオンナノコオンナノコしちゃってるんだし」
「や……ヤッたとか、そーゆー……直接的な言い方……」
 「美しい」と評した方がいいような京香の整った顔で、そこまでズバズバとあからさまな表現をされると、桂で無くとも困惑してしまうのは必至だった。
「はいはい。いーから。それで?」
 顔を真っ赤にして口篭もる桂の言葉を“さらっ”と流して、京香は艶やかな長い髪を揺らしつつ、少女に“ぐいぐい”と身を寄せた。
「谷口くん、優しくしてくれた?」
「……う、うん……」
「どうだった?」
「どう? ……って?」
「痛かったでしょ?」
 うっ……と息を呑んで京香を見ると、彼女は抑えきれない好奇心と期待感に、綺麗な瞳をキラキラと輝かせていた。
「……どうしても答えないと」
「ダメ」
「絶対?」
「絶対」
 マリア様のような慈愛の微笑みを浮かべながら、京香は情け無用な言葉を放つ。
 桂は諦めて、目を瞑り顔をそらしながら“ぽちょぽちょ”と言った。
「……し、死ぬかと思った」
「その時、何考えてたの?」
「なにも……」
「ウソ」
 桂の言葉を、追い詰めるように京香の言葉が切り伏せる。
「ホッホント……だって、その……、あ、あたま……」
「頭?」
「パンクしそうだった。頭ん中ぐちゃぐちゃで……」
「幸せ……って思った?」
「……わ、わかんないよ、そんなの……」
 桂は床に座ったまま手とお尻だけで“じりじり”と壁際まで戦略的撤退を余儀なくされ、最後には背中を壁面にピタリとあてたまま怪しい笑みの京香を上目遣いで見上げた。
 視線は、京香の顔、床、自分の足のつま先、そして…………
『あっ……』
 健司とのコトを思い出して切ないほど硬く尖り始めた胸の先端へと止まる。
 体中の血液が集まっているかのように、“じんじん”と熱を帯び、ハッキリそれとわかるくらいTシャツから浮き上がっていた。
「わかるわよ。女だもの。でしょ?」
「……そ、そうなのかな……で、でも」
「なに?」
「う、うん……その……このまま死んでもいいや……って」
「抱かれながら?」
「だっ……う……そっ…………う……うん……」
 “きゅううん……”と下腹部の“中”のオンナの臓器が切なさに締め付けられる。「抱かれる」という単語が、「抱かれたい」という意味を持ち、それが桂の頭を痺れさせた。
 桂は無意識に両脚を擦り合わせ、床についた両手を“ぎゅっ”と握り締める。次第に息が荒くなり、たまらなくなって、とうとうしゃくりあげるようにして空気を吸い込んだ。
「好きって言われた?」
「……い、いわ……れた……」
 耳に甦る健司の声。
 何度も何度も囁かれた「好き」という言葉。
 「けーちゃんが好き」という甘い甘い言葉。

 もう、泣き出しそうだ。

 会いたくて会いたくて会いたくて会いたくてたまらない。
 もう何日も何週間も、あの心安らぐ牧歌的な微笑みを目にしていないのだ。
「じゃあ、好きって言ってあげた?」
「わ、わからない」
「わからない?」
「だ、だって、もう、何がなんだかわかんなくて……」
「ウソ」
「ウソ……じゃない」
「ウソ」
「ちがうっ……」
 涙が大きく盛り上がり、視界がぼやけて桂は大きく息を吸った。
 唾を飲み込み、目を瞑って、あの時の自分を思い出そうとしている。
 自分は健司に何て言った?
 好きって口にした?
 ……「ばか」って言葉は、いっぱい言った気がする。
 でも、「好き」って言葉は……一番大事で一番言わなくちゃいけない言葉は、一度も口にしていない気がする。
 あまつさえ……

『ばかっ……オマエなんかっ……だいっきらいだっ』

 「だいっきらい」と、言ってしまった。
「まだ言ってあげてないの?」
 桂のほっぺたに吐息がかかるくらい唇を寄せて、京香は四つん這いのまま少女の耳に囁く。
 それはまるで、森で迷った旅人を誘惑する妖精(ニンフ)のようでもあり、魔王の居城で勇者を唆(そそのか)す妖魔のようでもあった。
「た、たぶん……」
 しきりに唇を舌で濡らし、唾を飲み込む。
 桂の視線は一箇所に留まる事無く、逃げ場を求める逃亡者のように落ち着きが無かった。
「どうして言ってあげないの?」
「だ、だって、あれから会ってないし」
「会ってない? どうして?」
「だって、は、恥かしいし、どんな顔して会ったらいいか……」
「わかんなかった?」
「う、うん……」
「嫌いになったの?」
 京香の言葉に、桂は懸命に首を振る。
 セミロングの髪が揺れ、京香は少しだけ身を引いた。
「好き?」
「うん、好き……好き……」
「大好き?」
「大好き」
「また、抱かれたい?」
「だ……う……そっ…………そん……」
「抱かれたくないの?」
「だ、抱かれたい……抱いて欲しい、ぎゅってして欲しい……」
 ぽろぽろと涙をこぼし、桂は母の愛を求める幼子のような頼り無い瞳で京香を見上げた。
「…………素直じゃないのに?」
 そのあまりにも頼りなげな表情に京香は胸を突かれ、自然とやわらかな微笑みを浮かべて見せる。
「だって……」
「素直じゃない子は、谷口くんもきっと嫌いだと思うよ?」
「だって……だって……」
「嫌われてもいいの?」
「やだっ…………やだぁ……」
「じゃあ素直にならなくちゃ」
 おでことおでこをくっつけて、京香は数センチの空間を隔てて煌く、桂の涙に濡れた瞳を見つめた。

 ――“男だった”頃の桂を、京香は今でもハッキリと覚えている。

 けれど彼女にとって、背が低くて童顔な…………つまりは非常に“ガキっぽい”『圭介』という少年はまるっきり趣味ではなく、これっぽっちも眼中に無かった。
 だのに「女性仮性半陰陽」だとかいう先天的な肉体的変異を“治療”し、正真正銘の「女の子」になってからの『桂』という少女は、京香の心を何かとざわめかせ、不安にも似た感情を抱かせ続けているのだ。
『私、レズビアンじゃないんだけどなぁ……』
 「よしよし」と桂のさらさらの髪を撫でてやりながら、京香は“年上のおねーさん”のように困った顔で息をついた。
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