■感想など■

2009年09月09日

第21章「あなたにここにいてほしい」

■■【2】■■
 人々のざわめきが、いつもよりずっと大きいように感じる8月の15日。
 桂は駅前のロータリーで浴衣を着たまま、少し心細げに健司を待っていた。
 由香と京香と、その他大勢とは、縁日の行われている神社で合流する予定だった。

 あの日。

 京香に健司への連絡を約束させられたあの日。
 桂は彼女に言われたとおり、彼に電話した。
 電話に彼は出ず、代わりに応対した彼の兄は、いつものようにやり手の弁護士を思わせる口調で、弟は出掛けていると告げた。
 場所は、図書館だった。
 だから、桂も行ってみた。
 でも、いなかった。
 家に帰ったのかな? と思い、電話したら、今度は彼の母親が出て、まだ帰ってないと言われた。
 メールを送った。

 けれど、メールは返ってこなかった。

 次の日、桂は午前中に電話した。
 彼の兄が出た。
 健司は、従姉の玲奈と朝早くから出掛けたと聞いた。
 桂は、昨日自分が電話した事を健司に仕えてくれたのか問いただしたかったけれど、昔から少し苦手だった健司の兄には何も言えず、泣きそうになりながら受話器を置いた。
 玲奈と出掛けているという言葉は、その後、一日中トゲのように桂の胸に深く突き刺さっていた。
 突き刺さったまま、抜けそうになかった。
 わかってる。
 11日の今日は、県大会の予選だ。
 水泳部員と、引退したとはいえ、今はマネージャーでもある玲奈が迎えに来ても、何も不思議じゃない。
 そう、不思議じゃないのだ。

 だからまた、メールを送った。

 返ってこないかもしれないけれど、一字一句、心を込めて、メールを出した。
 一緒に縁日に行きたい。
 健司と一緒に花火が見たい。
 一緒にいたい。
 会いたい。
 顔が見たい。
 声が聞きたい。
 そんな溢れんばかりの想いを込めて、メールを出した。

『15日の花火大会に、一緒に観に行こう。6時半に駅前で待ってる。ずっと待ってるから』


 …………返事は、返ってこなかった。


 そして今、駅前のロータリーの、バス乗り場の近くの、小さな噴水を囲うようにしてある円形のスペースの横に、桂は立っている。
 少し前まで、スペースに置かれた合成樹脂製のベンチに座っていたけれど、6時を過ぎてからは立っている事に決めたのだ。
 ただでさえ低い身長が、そろそろ人が混み始めた駅前で座っていたら、きっと見つけてもらえないように思えたから。
 浴衣は涼しい。
 けれど、帯が少し苦しかった。
 可愛い鼻緒の下駄も、履き慣れないから足先がもう痛くなり始めている。
 でも、健司にこの格好を見てもらえると思えば、全部我慢出来ると思った。
『可愛いよ、けーちゃん』
 そう言われたら、苦しいのも痛いのも、きっと全部吹っ飛んでしまうだろう。
 6時半の待ち合わせに5時半から待ってる自分を、桂はちょっと「可愛い」と思う。
 正直、ちょっぴり「恋しい人を待っている」というシチュエーションに酔っていた部分もあった。
 じりじりとした夕日の残滓が駅前ビルの谷間に沈み、いつしか時刻は6時30分を過ぎていた。

 健司の姿は、見えない。

 ナンパがうるさかった。
 何人も何人も、いくら追い払っても纏わりついてくる。
 人待ち顔で心細そうな、おっぱいのでっかい女が寂しげにポツンと立っていれば、まるで男なら誘うのが礼儀だとでも言いたそうな連中ばかりだった。
 最初は噛み付くように追っ払っていた桂だったけれど、そのうち面倒臭くなって逃げるように場所を移り、いなくなった事を確認しては待ち合わせの場所に立った。
 40分を過ぎ、由香からケータイに連絡が来た。
 彼女達はもう神社にいて、ずっと待ってるから早く来いという内容だった。
 健司が来たら一緒に行くとだけ言って、切った。
 50分を過ぎ、今度は京香から電話が入った。
 出ずに切った。
 怒りまくったメールが来たけど、無視した。
 そして、やがて7時になった。
 駅前の人の流れは河川敷に向かい、7時半には開始の花火が一つ、夜空を照らした。

 健司は、来ない。

 でも、まだ、桂は待った。
 健司は、怒ってると思う
 ずっと連絡しなかったから、いくらアイツでも怒ってるに違いない。
 自分が連絡しなかったのと同じくらいの時間、連絡しないつもりなのだろう。
 きっと懲らしめるつもりなんだ。
 そう思った。
 思ったら、いまさらのようにムカムカしてきた。
 彼のケータイに直接かけてみた。

 『おかけになった電』まで聞いて、すぐに切った。

 朝顔の柄の可愛らしい浴衣を着て、髪をお洒落にアップして、カラコロと鳴る下駄を履いて、下駄の鼻緒とお揃いの巾着を下げた桂は、流れる人の影を目で追いながら、その中にまだ来ない「恋人」を探した。
 遠くから、花火の音が聞こえる。
 夜空に火の花が花開く。
 美しい眺めだった。
 こぼれそうになる涙を堪えて、唇を引き結んだ。
 健司はきっと来てくれる。
 そう思った。

 そう信じた。

 8時になり、それからすぐに10分が過ぎた。
 20分になり、30分になり、帰りの混雑を恐れた人々が、ざわざわと楽しげにざわめきながら駅前に戻ってきても、桂は立っていた。
 ナンパから逃げる時に崩れた浴衣のせいで、胸元が少し開き、アップにした髪から後れ毛がうなじに落ちている。
 巾着の紐を握り締め過ぎて汗ばんだ手の平を、桂はパタパタと振って乾かした。
『足…………痛い…………な……』
 足の指を動かし、大きく息を吸って、突っ張った太股からお尻にかけての筋肉の緊張を自覚する。
 背中も痛かった。
 駅前の時計は、43分を過ぎていた。
 今まで以上に夜空が明るくなり、とうとう花火のフィナーレが始まっていた。
 連続して花開く数十発もの花火が、そこだけ昼よりも明るく照らしている。
 人ごみは、すぐに大きくなった。
 誰も、一人佇む桂を気にとめない。
 ほんのちょっと色っぽくなった姿だったけれど、まるで気付かないかのように目の前を通り過ぎてゆく。

 ――泣くものか。

 そう思った。
 きっと何かあったんだ。
 きっと、大事な用があったんだ。

 自分よりも、もっとずっと大事な用事が。

 ――玲奈。

 彼女と、一緒にいるのだろうか?
 あの美しく、聡明で、誰からも憧れを持って見つめられる一つ年上の従姉と。
 それとも、水泳部の後輩と?
『そんなワケない。だって、好きって言ってくれたもん。
 けーちゃんが好きって、アイツ、言ったもん』
 唇を引き結び、顔を見られないように俯いた桂の脳裏に、『あの青年』の言葉が不意に甦る。

『健司君だって、たとえ、ひょっとして、万が一にも君の気持ちを受け入れてくれても、そんなのはすぐにウソになる。あっという間にキモチは離れていくと思うよ?』
『彼には君と過ごした時間がある。男と男の関係だった時間が、何年もの時間がある。それでも彼は君を、けーちゃんを女として見てくれるかなぁ?』
『たとえばキスする時、抱き締めた時、セックスする時、彼は、男だった君を重ねてしまう。バイじゃない彼には、きっと辛いだろうね。自分は誰とセックスしてるんだろう? どうしてセックスしてるんだろう? そう思ったり』

 楡崎要(にれさき かなめ)。
 彼は、こうなる事を知っていたのだろうか?
 きっとこうなるのだと、ずっと思っていたのだろうか?
『ちがうっ……健司はそんなヤツじゃないっ』
 あの胸のぬくもりを、ウソだと思いたくなかった。
 優しい囁きを、激しく求められた熱情を、ウソだと思いたくなかった。
 キスも、愛撫も、その全てが桂には、いや、桂と健司には「真実」だったのだ。
 桂はそう、信じている。

「ん? 桂?」
 9時半を過ぎて、人の通りが落ち着き始めた頃、ベンチに座って唇を震わせていた桂に、声をかけた人物がいた。
 見上げるとそこには、どこからどこまでも「四角い」男が、いた。
 角刈りにした髪に、本当に高校生か真偽を確かめたくなる顔が、筋肉質で野球のキャッチャーに適しているように見える体躯の上に載っている。
 漁師か魚河岸のオヤジのような高校生は、両手にいっぱいの戦利品を持って、桂に聞きもせず彼女の隣に座った。
「どうした? こんなところで」
 イカ焼きの串から一口噛み切って咀嚼すると、
「さっき、アナゴやはるかちゃんも巡回してたから、見つかると面倒だぞ?」
 と言いながら唇の端に付いた醤油を舌で嘗め取った。
「そういうオマエこそ、どうしたんだよソレ」
 ぶーたれた顔の桂が顎で指す彼の手には、およそ縁日で売られているだろう雑多な食べ物がいっぱいに入った袋が握られていた。その他にも、フランクフルトや牛串やリンゴ飴や綿菓子などが、ウインナーみたいに太い指に挟まれている。
「いや、弟達に頼まれてな」
「……あー……3人だっけ?」
「4人」
「へぇ……」
「今日は健司と一緒じゃないのか?」
 何気ない彼の言葉が、桂の胸に“ぐさり”と音を立てて突き刺さる。
「いや、違うか」
「……何がだよ」
「そう恐い顔すんな。お前と健司が付き合ってるの、俺は知ってるからさ」
「はあ!? バカじゃねーの? ボクと健司は……」
「いいぜ? 誤魔化さなくても。俺は健司から聞いたんだから」
「なっ……ななな……」
 “かあああっ”と夜目にも鮮やかに桂の頬が赤らみ、目をくりくりとさせて少女はベンチから腰を浮かせた。
「けど、お前、健司と付き合ってるくせに他の男とデートしてたろ?」
「はあ? ……なんだよソレ」
 伸吾の言葉に、桂の眼に剣呑な光が宿る。
「ボクが? 他の男と??」
 健司の他にデートしたい男などいない。
 もしそれが本当だとしたら、それは桂ではなく桂に良く似た誰かだ。
「人違いだろ」
「いや。だから、まあ、いくら待ってても健司は来ないだろうな」
「……どういうことだよ? “だから”ってなんだよ」
「だから、そう恐い顔すんな。せっかくの別嬪さんが台無しだぞ?」
「……説明しろよ……オマエ、何知ってるんだ?!」
 両手が塞がって抵抗出来ない…………いや、最初から抵抗する気など無いのだろう彼の襟首を、桂は両手で“ギリリ”と締め上げた。
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