■感想など■

2009年09月12日

第21章「あなたにここにいてほしい」

■■【5】■■
 8月18日の金曜日は、久々の登校日だった。

 真夏の最中(さなか)、15日の夜から17日の午後まで熱を出して寝込んだ桂は、18日の朝、まだ少しだるい体を引きずるようにして登校した。
 それは、母がもし家にいたら、きっと泣いてでも止めただろう自殺行為のような所業。
 実際、家からほんの少しの距離でありながら、朝だというのにさっそく焼けたアスファルトとギラつく太陽放射のサンドウィッチは、残り少ない桂の体力を容赦無く奪っていった。
 ふらふらしながら教室にたどり着いた桂に、まさか登校してくるとは思っていなかったため一足先に登校していた由香がびっくりして早く帰るように言ったけれど、桂は彼女の言葉など聞かず、真っ先に健司は来ているか尋ねた。
 途端に言葉を濁す幼馴染みの少女の顔色を見れば、いくら弱った頭の桂でも察することが出来た。

 健司は、来ていなかった。

 彼に、桂が熱を出して寝込んでいるとメールで伝えた由香にも、もうずっと連絡が無いのだという。
 水泳部にも顔を出していないというし、そうなれば当然、毎日の練習にも参加してないだろう。

 そこまで、健司は怒っているのだろうか?

 あの柔和な性格の少年が「顔なんか見たくない」と思うくらい、桂は嫌われてしまったのだろうか?

 登校日は昼まで。
 何やら妙に元気なはるかちゃんの「じゃあ、新学期に元気に会いましょうね」の言葉と共に、生徒達が夏の街へと散って行く。
 高校2年の夏休みは、あと10日ちょっとしか無いのだ。
 2度と訪れないこの貴重な時間を、どうでもいいような学年集会や教師の夏休みの出来事の報告や新しい教師の紹介などで潰された生徒達は、読書感想文の提出が済む頃にはスタートダッシュの機会を虎視眈々と狙っていたのである。
 桂は京香に捕まり、花火大会の日にどうしてケータイに出なかったのか、メールを無視したのか聞かれたけれど、少女が本当の本気でフラフラになっているのを見ると一転して過保護な母親のような顔付きで保健室へと引き摺っていった。
 あいにくソラ先生は所用とかで外出中であり、京香は主がいないのを幸いにして空調の室温設定を20度に合わせると涼しい顔でソラ先生の机に宿題を広げてみせた。

 高原並みに涼しくなった保健室でしばらく休んでいた桂は、午後3時にはすっかり体調も良くなっていた。
 京香は2時半くらいに先に帰ったし、ソラ先生も一向に帰って来る気配さえない以上、いつまでもここにいるわけにもいかず、桂と由香は連れ立って保健室を出た。
 午後の太陽は容赦が無く、校舎の外に出た二人をサウナのような熱気が包む。
 風が無いのが最悪に輪をかけていた。
「寄ってく?」
「……うん」
 2人してなんとなく申し合わせたのは、たぶんきっと同じ思いだからだろう。

 健司はいったいどうしたのか?

 そして帰りに、牧歌的微笑みが懐かしい幼馴染みの実家である谷口豆腐店へと寄った桂と由香は、固く閉ざされた玄関の前で成す術も無く立ち尽くした。
 家の中は真っ暗で、人の気配さえ無い。
 3日前に桂が見た光景と違うのは、15日の夜に見た「しばらく休業します」の張り紙が、剥がれかけて風に揺れていることくらいだ。
 健司はどこにいったのか。
 彼の家族はどうしたのか。
 あれから一度も帰っていないのか。

 まだ、彼も家族も、この街にいるのか。

「健司くん……どうしたんだろう……」
 誰ともなく由香が呟く。
 桂は、黙っていた。
 口を開くと、泣いてしまいそうだったから。

 そして二人は、それから言葉も無く家路を歩き、別れ、それぞれの家へと帰っていった。

         §         §         §

 翌日。
 まだ夜も明け切らない朝の4時20分頃、桂のケータイの着メロが部屋いっぱいに鳴り響いた。
「桂か?」
 寝ぼけ眼でケータイのボタンを押した桂の耳に、ホストでも十分通りそうな面立ちの保険教諭の声が飛び込んでくる。
「ソラ……せんせ?」
「……まだ寝てるのか?」
「……ん……あ…………」
 昨夜は中々眠れなくて、結局つい2時間ほど前まで、ずっとベッドの中で悶々としていたのだ。
 ようやく寝ついて2時間では、寝ぼけるなと言う方が無理というものだ。
 ベッドの中で彼女が考えていたのは、健司の行方がわからないのならば、いっそ『星人』のネットワークを使って調べることが出来ないものだろうか? ということだった。
 ソラ先生に相談すれば、多少渋るかもしれないけれど、きっと邪険にはされないに違いない。
 そんな事さえ考えていた。
 なにしろ、健司は今のところ桂の“相方(つがい)”となるだろう地球人男性の、第一候補なのだから。
「さっき……寝たばっかだから……」
 目を擦りながら、ソラ先生に答えた桂は、その話をいつ切り出そうか……とぼやけた頭の片隅でちゃっかり考え始めていた。
「今から、すぐに病院に来れるか? ……いや、来い」
 断定だった。
 しかも強制だ。
「病院?」
「ああ」
「ええと……大澤病院?」
「そうだ」
 そこはソラ先生の恩師である医師が経営している病院であり、また、『星人』のコミュニティの息がかかった病院でもある。
 そして、小学校の時に発作を起こして担ぎ込まれた桂が、しばらく入院していた、まさにその病院でもあった。
「今すぐ?」
「今すぐだ」
「……まだ4時半だよ……そんな急に言われ」
「健司の事で、話がある」

 目が覚めた。

 一気に頭がクリアになり、出掛けた欠伸が引っ込む。
「……どういうこと?」
「来ればわかる」
 ソラ先生の声は硬かった。
 何か重大なことを告げようとするアメリカ国務長官の、苦虫を噛み潰したような声に似ていた。
『なんで……健司の事……』
 そこまで考えて、ようやく桂は自分が健司に『星人』の真実を残らず全て話してしまったことを思い出した。
 『星人』の存在と秘密は、決して他に漏らしてはいけない。
 母が力を使って記憶操作してまで隠し通して来た秘密なのだ。
『でも……健司は……』
 彼女はどこか、健司とえっちして、想いが通じ合って、“相方(つがい)”になる事がほぼ確定した事で、それは御破算になったものだと思い込んでいたのかもしれない。
 けれどもし、それがどんな事態であろうとも犯されざる禁忌だとしたら?
「健司に、何かあったの? 何かしたの? た、確かにボクはアイツに色々話したけど、でも、それは」
「とにかく、来い。来ればわかる」
「健司に何かしたら、ボクはアンタを許さないぞ!? 絶対に許さないぞ!?」
「馬鹿。私達は何もしない。私達はな」
「どういう……」
「来ればわかる」
 それだけ言うと、彼女は電話を切った。
 桂はケータイを握り締め、薄暗い部屋の中で、全身を汗で濡らしながら震えた。
 嫌な予感がした。
 とてつもなく嫌な予感だ。
「健司……」
 愛しい男の、自分のオトコの、あの優しい微笑みを思い浮かべながら、桂は小さく喉を鳴らした。

         §         §         §

 ベッドから飛び降りてクローゼットに飛びつき、パジャマ代わりのTシャツを乱暴に捲り上げて脱ぎ捨てた。子供の頭ほどもある豊かな乳肉が“ぶるんっ”とまろび出て揺れ動き、この頃ひどく敏感になった乳首が“ピリッ”と痛んだ。
 緊張からか、大きく濃くなった乳首がパンケーキみたいに膨らんだ乳暈(にゅううん)の上で震えている。
 そういえばそろそろ生理ではなかったか?
 そんな事をちらりと思いつつも、心は幼馴染みの安否にだけ占められている。
 ジーンズを履いて上半身裸のまま鏡で顔を写して手早く髪を整えると、明るい色の綿シャツを手に取ってボタンを留めながら階段を駆け下りる。
 ……と、
「…………っ……」
 ふと階段の途中で脚を止めた桂は、一瞬だけ逡巡すると再び部屋に駆け戻り、一度履いたジーンズを脱いでベッドに投げた。
 そうして、母が用意してくれていながら、今まで頑なに拒み、一度も履いた事の無いライトブラウンの「スカート」を手にした。

 それはひょっとしたら、ある種の「決意」だったのかもしれない。

『そう…………そうなんだ……』
 ホックを留め、ファスナーを引き上げながら、桂は大きく息を吸ってみた。
 鏡の中には背の低い、けれどセミロングの艶やかな黒髪と、ブラウスの胸元をはちきれんばかりに押し上げるバストと、女の子の「記号」としてはこれ以上無い程に他者に主張している膝上5センチのミニスカートが、桂をどこからどう見ても「可愛らしい少女」に形作っている。

 ボクは健司のオンナだ。

 そして健司はボクのオトコだ。

 それを示さねばならなかった。
 健司を傷付けようとする者、健司を自分から奪おうとする者へ、彼に手を出すということは、自分を敵に回すのだと示さねばならなかった。
 だからこその「スカート」であり、それは桂が初めて示した、オンナとしての覚悟のカタチ、だった。

         §         §         §

 ソラ先生の言った大澤病院までは、徒歩で30分、自転車で15分、車では8分ほどの距離がある。
 桂は、通学では使わない、主に母が商店街などに行く時以外は家の裏手に停めっぱなしになっている婦人用自転車を引っ張り出して、スカートが捲れあがるのも構わずに早朝の道路を猛スピードで飛ばした。
 ソラ先生からの電話を受けて、まだ10分も経っていない。
 なのに、もう何時間も経ってしまったような気がしている。

『健司の事で、話がある』

 ソラ先生の口調では、何もかも知っているような、そんな雰囲気があった。
 健司が学校を休んでいること。
 健司の家族が家にいないこと。
 健司と桂が結ばれて、桂がもう女として生きていく事を心に決めてしまったことさえも。

 生ぬるい空気を裂いて朝の道をひた走る桂の体を、噴き出した汗が伝い落ちてゆく。ノーブラの、小柄な体には不釣合いな大きさのメロンみたいなおっぱいが、前傾した体の下で“ゆさゆさ”と激しく揺れ、綿生地に敏感な乳首が擦れて、まるでヤスリがけでもされているかのように痛む。
 「あの日」から、自分のこの体の持つ「意味」を考えない日は無かった。
 この乳房は、「あいつ」に愛されるために大きくなった。
 と同時に、「あいつ」を愛するために大きくなったのだ。
 彼を癒し、安らげてあげられるように。
 それを桂は「あの時」知った。
 雨に濡れて冷えた体を温め、想いを伝えて喜びの涙に濡れた、あのラブホテルの一室で。
 望んで女の体になったわけではなかったけれど、今ではもう女の体でしかいられない……。
 女の体でいる事にこそ、無上の喜びを感じているからだ。
「健司……」
 朝日が昇り、夏の太陽が桂の横顔を照らす。
 汗が玉のように浮かぶ額に、黒髪が張りついていた。
「ちくしょう…………ちくしょう……」
 いつしか涙が零れていた。
 拭っても拭っても、流れるように過ぎ去るアスファルトの路面を、まだ寝静まったまま立ち並ぶ住宅を滲ませる。


 彼を愛したい。


 彼だけに愛されたい。


 心と体が悲鳴を上げる。
 男だった頃、世界はもっとシンプルだった。
 好きなものは好き。
 嫌いなものは嫌い。
 それは今も変わらない。
 いや、変わらないはずだ。
 なのにこの胸をざわつかせるものは、いったいなんだろう?
 乳房が痛いくらいに張って、お腹の奥のオンナノコが“きゅん”と啼く。
 愛しい男を想うだけでこんなにも体が震えるのに、こんなにも心が濡れるのに、

 愛しい彼の安否だけが、明るい朝日の中で桂を苦しめていた。
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