■感想など■

2009年09月14日

第22章「暴かれた本当の嘘」

■■【2】■■
 ふと気付けば、枕元のサイドテーブルの上に、白い封筒があった。
 鼻を啜り、健司の手をシーツに下ろしてベッドを回り込む。
 健司の姿があまりにもショックで、そして玲奈の剣幕があまりにも恐ろしくて、そんなものがある事さえ気付かなかったのだ。
 震える手で裏返すと、そこには見慣れた文字で
「けーちゃんへ」
 と書かれていた。
『健司……』
 思わず、ベッドの上で包帯に隠された彼の顔を見る。
 規則正しい機械の作動音に合わせて、呼吸器が酸素を送り込んでいる。
 もう、自力では呼吸すら出来ないのだろうか?
 ふとそう考えてしまって、慌ててその考えを振り払う。 ためらいは、一瞬だった。
 桂は意を決して、封筒を開く。
 中には手紙と、可愛らしい銀色のネックレスが入っていた。
『これ…………』
 ネックレスは、頼りないくらい細いチェーンで繋がれた2つの小さなリングだった。
「お前のために健司が買ったそうだ」
 不意に聞こえた声に振り返ると、そこにはベリィショートの髪の一部だけ金色に染めた、保険教諭が立っていた。
「ソラ先生……」
「手紙……読めよ」
 戸惑う桂に、美智子は白衣のポケットに両手を突っ込んだままを、すっきりとした顎で手紙を指して促した。

 手紙には少し歪んだ文字で、桂が好きだということが、彼らしい表現で切々と書いてあった。
 そして、これからはずっと俺が護ってあげるとも、書いてあった。
『ラブ……レター……? ……』
 そこには、桂に対しての恨み言とか、文句とか、そういうものは、これっぽっちも見当たらなかった。
『ああ……そうだ……』
 新たな涙が、ぽろぽろとこぼれる。
 唇を噛み、鼻を啜った。

 コイツは、こういうヤツだった。
 いつも……いつでも、自分の事より他人のことばかり考えてるヤツだった。
 ヒトのことを悪く思うなんて、そんなこと、考えもしないようなヤツだった。
 人は普通、人間は基本的に善人なんだっていう人類性善説なんて信じない。
 でも、あいつだけは本当にそうなんじゃないかって、そう思ってしまうような、そんなヤツだった。
 きっとたぶんさっきの問いだって、ケロリとした顔でこう言うに違いないんだ。

「えぇ? それは違うよ? 別にけーちゃんのためじゃないよ? 俺のためだよ?
 俺がそうしたかったんだ。俺がけーちゃんを護りたかったし、俺がけーちゃんを好きでいたかった。
 それだけなんだ。それだけだったんだよ?」

 いつもの牧歌的な笑みを浮かべながら、彼はきっとこう言ったに違いないんだ。
「……う……ううっ…………う〜……」
 口を一文字に結び、手紙を豊かな胸に掻き抱いて、桂は背中を丸めて嗚咽した。
 目が熱くて頭が熱くて鼻の奥が熱くて、喉の奥には熱くて大きくてぐるぐるしたものが出口を求めて猛っているように感じた。
 ボロボロと涙がこぼれる。
 あとからあとからこぼれて落ちる。
 鼻水が糸を引いて床に落ちた。
『けど、それじゃダメじゃないか。オマエがいなくちゃ、ぜんぜんダメじゃないか』
 健司に対する“友情”という感情を、発現し肉体を支配し始めた『星人』の因子が「性愛」を基とした“愛情”だと誤認識し、マトリクス・スフィア(恒久的遺伝情報)を内包したまま肉体変化のスイッチを入れてしまった。
 男性体から女性体へと『変体』していったのだ。
 その肉体変化は『星人』の因子が地球人=健司との混血を望み、その遺伝子を最も効果的に取り入れるための機構として成したものだ。
 肉体が変化し、女性体になり、周りを取り巻く環境の変化と共に、徐々にその肉体に馴染んでいくと、やがて本来なら同性であった健司を、桂は『友情』ではなく『愛情』を感じる対象として捉えていくようになった。

 オンナとして『好き』になったのだ。

 乳房が「Gカップ」という途方も無い大きさに急激に成長したのも、肉体が健司から遺伝子をより確実に受け取るために、彼の好みに変化した結果なのだ。
『オマエがいなくちゃ……こんな胸…………いらない…………こんなの……邪魔なだけだろう?』
 そして、男には絶対に訪れるはずもない“生理”が訪れ、肉体的に子孫を残せる「オンナ」になった時、自分は男に戻る道を自ら捨ててしまった。
 自分の中に生まれ、育ってゆく『愛情』を、もう認めたいと思うようになっていたから。
 もう、女として生きる事しか、考えないようになっていった。
 やがてそれからは加速度的に、肉体的にも、社会的にも、精神的にも女性化が進み、恋を自覚し、体はどんどん歯止めが利かなくなっていった。

 そして、結ばれた。

 身も心もとけあい、一つとなり、互いを与え、貪り、抱き締めて歓喜の涙に震えた。
 もう、自分には健司しかいない。
 自分が女として生きていくためには、相手は健司しか考えられない。
 いや、違う。
 相手が健司だからこそ、自分はこれから女として生きてゆくことを躊躇いなく……いや、それどころか歓喜をもって誓う事が出来たのだ。
 その健司が、もしこのままいなくなるような事があれば…………。
「そんなの……やだ…………。やだよぉ…………」
 胸に抱いた手紙が乾いた音を立て、桂は世界が崩れていくような喪失感に脚をもつれさせた。
 その背中を、誰かに抱きとめられる。
「桂……」
「……ぅ……あ? ……」
 耳元で囁かれた自分の名に、桂は涙と鼻水でべちゃべちゃになった顔を上げた。
 背中を優しく抱いた手が、ゴソゴソと白衣のポケットを探ってハンカチを取り出し、桂のみっともないくらい汚れた顔を丁寧に拭いてゆく。
 それはまるで、ケーキのクリームで口の周りをべたべたにした幼稚園児を保母さんがそうしている様子に良く似ていた。
「……ひどい顔だぞ?」
「んっ……んっ……」
「健司に嫌われたくないだろう?」
 その言葉に、新たな涙が“じわわっ”と桂の瞳に浮かび、純血の『星人』はなんとも言えないような顔で苦笑して、少女の左手にハンカチを握らせた。
「私達のミスだ」
 彼女は、そうポツリと言うと、何かを覚悟したような目付きのまま、大きく息を吸った。
 女性というより、どこかホストのような“男らしい”顔には、今は拭いきれない苦悩が浮かんでいる。
「認識が甘かった」
「……なんの……?」
 涙に濡れ、鼻声のまま問うた桂の頭に右手をのせ、ソラ先生はさらさらの黒髪を幼子にするように優しく撫でた。

         §         §         §

 場所を変えようか。
 そう、美智子は言った。
 そして桂が連れられてきた部屋は、健司の病室と同じ階の、廊下の突き当たりにある部屋だった。
 健司の近くを離れるのはものすごく嫌だったけれど、彼がどうしてあんな風になってしまったのか、彼女はその理由を知っているのではないか? と思い、言う通りについてきたのだ。

 そこは何も無い、真っ白な部屋だ。照明が見当たらないのに、眩しくも暗くもない適度な照度で部屋全体を照らしている。
 部屋に入りソラ先生が2歩ほど歩いた所で、部屋の中央にテーブルと椅子が現れた。音も空気の流れも無く、何も無い空間から滲むようにして現れたのだ。
 驚く桂に、軽く右手で座るようジェスチャーで示すと、ソラ先生−空山美智子は溜息を付きながらグラスを差し出した。
 グラスにはアイスティが注がれていて、良く冷えているのか、表面には水滴までも浮いていた。

 いったい、どこから出したのか。

 白衣のポケットから出した…………とは、いくら桂でも馬鹿馬鹿しくて考えはしない。
「悪かったな」
「え?」
 まだぼんやりとした顔でグラスを受け取った桂に、美智子は自分も椅子に座りながら呟くように言った。
「お前を呼んだって言ったら、飛び出していっちまったんだ」
 玲奈の事を言っているのだと気づいた桂は、何も言わずに彼女の瞳を見つめた。
 目が涙で滲んでいるのか、美智子の顔の輪郭がぼやけて見えた。
 桂としては別室の健司の事が気になって気になって気になって、それこそソワソワと体を揺すりチラチラと自分が入ってきた方向を見たり……と、幼稚園児か小学生のように落ち着かない事この上なかったのだけれど、数秒前までハッキリとしていたドアが、彼女がそちらを見やるたびに薄く霞むように消えていくのを見るに至り、とうとう観念して、椅子に座った自分の膝の上に両手を揃え、美智子を真正面から見た。
 そして、大きく息を吸い、ゆっくりと吐くと、言った。
「……健司があんな風になったのは、ソラ先生達のせい?」

 ――単刀直入だった。

 前置きも何もあったものじゃない。
 およそ駆け引きとか本心の読みあいとかとは無縁の、馬鹿みたいに直球な言葉だ。
 けれど、直球であるがゆえの、決意と力強さに満ちている。
「ソラ先生達が、関係してるの?」
 ぐっと顎を引き、唇を引き結んで睨み付ける目には剣呑な光が宿っていた。
 それはもう、“自分のオトコ”が理不尽に、無慈悲に、決定的な死に目にあっているという状況に、目の前に座っている女性を含めた『星人』が絶対に関与していると信じて疑っていない“オンナの目”だった。
「違う…………と、言い切れればいいんだけどな」
「どういう意味?」
「私達のせいともとれるが…………決してそれだけじゃない」
「…………ふざけてんの?」
 桂は“ぎりっ”と歯を食いしばって右手の拳でテーブルを叩いたけれど、確かに強い力で殴打したテーブルからは何の音も聞こえず、当然のようにへこんだりもしていなかった。
「落ち付け…………とはいえ、このままじゃ収まらんか」
 スレンダーな体躯を、いつ現れたのかわからない椅子の背もたれに預け、美智子は薄い胸の前で腕を組んだ。
「健司がああなった原因を、私は確かに掴んでいる」
 柔らかいような硬いような、なんだか樹脂のようにも感じられるテーブルを無意識に指で叩いていた桂は、美智子の今まで見た事が無いくらい真剣な表情に居住まいを正す。
「それって…………!! …………」
「どうしても聞きたいか?」
 桂の目を見ず、どこか痛みを堪えるように放たれた彼女の問いに、桂はこくり……と子供のように頷いた。
 けれどその瞳には、決意の色が強く強く在(あ)った。
「後悔することになるかもしれんぞ?」
「後悔なんかしない」
「聞かなきゃ良かったと思うかもしれんぞ?」
「今聞かないと、ボクはボクが許せなくなる気がする」
 答える声は硬く、そして力強かった。
 恐らくこれから目の前の保険教諭は、全てを話すに違いない。
 桂はそれを本能的に察したのかもしれなかった。
 その内容がどうあれ、それしか今の健司を救う手掛かりを得る事が出来ないのであれば、自分はそれを絶対に聞かなければならない。

 なぜなら、自分は彼のものだからだ。

 彼は自分のたった一人の男だからだ。

 そういう、悲壮なまでの決意が滲んでいた。
「よし。じゃあ、順を追って話そう」
 純血の『星人』である女性はそう言うと、テーブルに両肘をついて指を組み、唇を寄せて小さく息を吐いた。
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