■感想など■

2009年09月17日

第22章「暴かれた本当の嘘」

■■【5】■■
 一瞬、『お前の母親は実は私だ』と言われた気がした。
 つまり、ひどく嘘っぽかったのだ。
「お前のお腹には、お前と健司の受精卵があるんだよ」
 彼女の目は真剣で、だから、桂はゆっくりと両手を下腹部に当てた。
 この奥。
 腹膜や腹筋や、消化器官の奥に隠された“オンナの臓器”に、自分の『卵子』と健司の『精子』が結実した『証』が着床している……?
 近頃になって特に敏感になった乳首が、ノーブラおっぱいの上でシャツの裏地に擦れて“ぴりり”と痛んだ。
「最近、ちょっとだるかったり、おっぱいが張ったりしなかったか?」
 思い当たる事は、じゅうぶんにあった。
「なにより、時期的にはもう生理を迎えている頃だろう?」
 美智子の言葉に、桂は“こくん”と喉を鳴らした。「じゃ……じゃあ……ほんとうに……その……ボクと健司の……子供? ……赤ちゃん?」
「そうだ」
 信じられない……というわけではない。
 彼とセックスした時、その可能性を考えなかったわけではないのだ。
 けれど、たった一ヶ月半前まで男だった自分が、数十日後には「母親」になるだなんて、あの頃の自分には到底信じられなかっただろう。
 当然だ。
 男には逆立ちしたって子供など宿せないのだから。
 それよりも、桂の体液(ナノマシンをたっぷりと含んだ、健司にとっての“猛毒”)に包まれても尚、健司の精子が機能を正常に果たしたことに驚いていた。
「……いつ……わかったの?」
「ここにくる時に乗ったエレベーターがあっただろう?
 その時にスキャンしたんだ」
「あの時……」
「お前が健司とセックスした数日後から、お前の体機能やホルモンバランスが微妙に変調し始めていたからな。
 可能性を考慮して……だ」
「赤ちゃん…………健司と……ボクの……」
 それは、これ以上ないほどの、二人の『絆』だった。
『ああ……』
 涙が、こぼれる。
 その涙は、さっきまでのものとはまるで違う、迸るような歓喜の感情の発露だった。
 ずっと自分は、「健司とは結婚出来ない」と心の底では理解して(わかって)いたから、だから結婚に代わる「確かな絆」が欲しかった。
 法的なものではない、世間的に認められたものではない、「絆」が。
 自分が健司を好きになって愛した絆が。
 彼の子供を宿し、産み、育てる事で、彼をいつも身近に感じたいと、そう思っていたのだろう。
「だから、正直言えば私は、お前に命の危険を侵すようなマネはさせられない。
 させたくない。
 お前のお腹の中で芽生えたばかりの小さな命は、私達の希望だからだ。
 私達に残された最後の夢だからだ」
 美智子の言葉に、母親の自覚などまだ無いはずの桂は、“はらはら”と涙を零しながらゆっくりと微笑んだ。
「健司が死んだらボクももう生きてはいられない。たぶん、死ぬと思う。
 健司がいないのにアイツの赤ちゃんを産んでも、ボクは嬉しくない。
 アイツが死ぬなら、ボクも、ボクの赤ちゃんも一緒だ。
 この子はきっと怒る。
 どうしてお父さんを見殺しにしたの? お父さんより私を選んだの?
 そう言われたら、ボクはどう応えたらいい?」
「でも、それでいいのか?
 本当にそれでいいのか?
 死ぬかもしれないんだぞ?
 死ぬのはお前だけじゃないんだぞ?
 子供を親の勝手な思い込みで死なせてもいいのか?」
 畳み掛けるように言った美智子の言葉にも、桂の決意は揺るがなかった。
 心から望んでいた二人の愛の結晶を、その愛する人の命と引き換えにする是非を、桂は自分に問うつもりは無かった。

 赤ちゃんの命は大切だ。

 でも、今まさに消えようとしている愛しい男の命はもっと大切なのだ。

 世の母親が聞いたならば謗(そし)るだろう。なじるだろう。
 なんて母親だろう?
 それでも母親なのか?
 人の命を何だと思っているのか?
 母親なら子供の命を第一に考えるのは当たり前じゃないのか?
 けれど、わかるのだ。
 自分のお腹に宿ったこの命は、彼を見殺しにしたらきっと自分を許さないだろう。
 それが、わかるのだ。
「まだ、ほんの少し時間がある。
 よく考えるといい」
 美智子は、揺るがない桂の瞳の色をしばらく見つめ、そして嘆息すると、桂の手を取って立ち上がらせた。
 そうしていつの間にか床から盛り上がるようにして出来上がっていたベッド(のようなもの)に座らせて、
「あとでまた、迎えに来る」
 それだけを告げると、他にはもう何も言わず部屋を出て行った。

         §         §         §

 一人になり、ベッドに座ったままぼんやりと桂は下腹を撫でていた。
 いとしいひと。
 いとしい健司。
 その健司との、狂おしいほどの愛の交歓の末に宿った、奇跡の命。
 その命を、自分は今、危険に晒そうとしている。
 でも、健司を失う事はもっと耐えられなかった。
 耐えられそうもなかった。
 美智子に言った言葉は、決して大袈裟なものではない。
 健司があのまま腐って死んでいったりしたなら、きっと自分は生きてはいられないだろう。
 死なせてしまった事が辛くて苦しくて哀しくて痛くて、きっともう生きる気力を無くしてしまうだろう。
 全ては自分が原因なのだ。
 自分の愛が、健司を殺そうとしているのだ。
 ならば、自分の全てで健司を助けるのが当然ではないか?
 自分の全てを捨てても、彼に再び彼の人生を返すのが当然ではないのか?
 全てを知ってしまった自分には、そうする義務があるのではないだろうか?
「……ふふ……」
 知らず、笑みが漏れる。
 涙が再びこぼれたからだ。
 もう一生分は泣いたかもしれないのに、この体はまだ悲しみや苦しみに健気に反応しているのだ。
「……ごめんね……ごめんね……ボクの赤ちゃん…………自分勝手な母親で……ごめんね……」
 ただ泣く事しか出来ない自分が情けなくて、死んでしまいたい。
 でも、死ねない。
 健司を助けるまでは、死ぬなんて出来ない。
 自分の、こんなちっぽけでくだらない命で彼が助かるのだから。
 その可能性があるのだから。
『けんじ…………助けるよ。ワタシ……』
 いつか、桂は自分を「ワタシ」と呼ぶことにひどく抵抗を感じていた。
 けれど、今はもうその呼称がするりと思考を滑ってゆく。
 「ワタシ」と舌に乗せることで、自分が完全に「オンナ」である事を自覚する。
『ワタシ……オマエを……あなたを、助ける。ぜったい、助ける。だから、待ってて……』
 それから、どれほどの時間が経っただろうか?
 桂は、目覚める事で、自分がいつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていた事に気づいたのだった。
 呼ぶ声が、あった。
 低く、太い声だ。
 聞き慣れた、妙に耳に優しい声だった。
 ハッとして目覚め、体を起こす。
 目の前に、“ここにいるはずの無い人物”が哀しむような、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべて立っていた。
 身に着けているのは上等なスーツだ。
 目は切れ長で鼻梁も高く、酷薄にさえ見えそうな薄い唇と、それに呼応するような野性味溢れるガッシリとした顎を持ったその人物は、桂のよく見知った中年男性だった。浅黒い肌は良く日に焼けてはいるけれど、年相応の皺はあってもシミなどはほとんど無い。
 背は2メートル近くありそうなほど大柄で、肩幅はガッチリと広い。深く皺の刻まれた口元に口髭を生やして制服を着れば、政府の官僚とか軍隊の司令官に見えそうだった。
「……親父……」
 それは、今頃はヨーロッパから中近東辺りを母と旅している筈の、桂の父、山中善二郎その人だった。
「目が覚めたか?」
 父は、目尻のシワを深くして、普段滅多に見ないような男らしい図太い笑みを浮かべた。
 さすが、黙って座ってれば「夫が単身赴任で寂しさに熟れた体を持て余す団地妻」とか、「早婚したはいいものの新婚2年目にして既にセックスレス1年のプチセレブな人妻」とかが、殺虫剤を吹きかけた虫のようにわずか1秒で“コロリ”と簡単に撃墜されてしまいそうな顔をしている。
 クラスの女子などは、自分のしなびた父親と取り替えられるなら、どんな事だってしてしまいそうだ。
「なんで……親父が?」
「桂」
 元息子の質問には答えず、善二郎は少女の左腕を取ってベッドから立ち上がらせた。
「涼子ちゃんが……呼んでる」
「母さんが??」
 父の声にわずかな“痛み”を感じ、桂は思わず彼の顔を見る。
 けれど、彼は少しだけ微笑むと、桂に背を向けて部屋を出て行った。
 慌てて桂も後を追うものの、どこにいくのか、母がそこにいるのか、どうして母が呼んでいるのか、少女のどんな質問にも
「一緒に来ればわかる」
 とだけ答え、後は一切口を開かなかった。
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