■感想など■

2009年09月18日

第22章「暴かれた本当の嘘」

■■【6】■■
 長い通路を何分も歩き、ようやく至った突き当りには扉らしい扉は見えない。
 けれど、善二郎は躊躇う事無くただの壁に向かって歩を進め、やがて壁にぶつかる……というところで音もなく壁は消えた。
 暗い部屋だ。
 廊下も薄暗かったけれど、部屋の中はもっと暗い。
「親父?」
 そばにいるはずの父の姿が、いつの間にか見えなくなっていた。
《けーちゃん》
 歪んだ、何重にもフィルターをかけたような声が不意に響く。
「母さん!?」
 それは、もう何日も耳にしていない母、涼子の声だった。
「か、母さん、なんでここにいるの? 親父と旅行してたんじゃないの?」
《ごめんね。あれ、うそ》
「は?」
 含み笑いでも混じっていそうな、場に全く沿わない茶目っ気のある声が桂の耳を打つ。「かっ……かあさんっ! どこにいるの? 出てきてよ! 親父も!
 今、大変なんだ! もう知ってるかもしれないけど、健司が、ボ…ワタシのせいで死にそうなんだ!
 だから、その、母さんなら出来るんでしょ?
 母さんがワタシを呼んだって事は、その事なんでしょ?
 健司を助けてくれるんでしょ?!」
《けーちゃん……『ワタシ』だって…………かわいいっ》
「母さんっ! そんな場合じゃないんだってばっ!!」
 全身の力が抜ける。
 美智子と交わしたシリアスな空気が抜けていってしまいそうだ。
 こうしている間にも、健司には死が刻一刻と迫っているというのに。
 苛立った桂が、なんとか部屋の明かりを点けられないかと、スイッチの類を探して壁をまさぐり始めると、突然部屋の奥からぼんやりと明かりが満ち始めた。
 壁自体が発光している……というより、本当に突然「光が生まれた」といった感じだ。
 その不思議にキョロキョロと周囲を見回していると、今度は少女の右の壁が“ぐにゃり”と歪んで、銀色の細長い円柱と一緒に善二郎が現れた。
「親父っ……!!」
《けーちゃん》
 答えたのは、母だった。
「母さん? どこにいるの? 出てきてよ」
《目の前にいるわ》
「え?」
 視線を親父に向けると、彼は隣に立っている銀色の円柱を視線で示した。
「……え?」
 円柱はなめらかなメタリックで、どういう仕組みなのかわからないけれど床から15センチほど浮いていた。
《元気にしてた? けーちゃん》
「……え? ……」
 円柱の硬質な表面が、水銀のようにかすかに波立って、母の声を発していた。
 隣の父が、ゆっくりと頷く。
《これじゃあ、わからないかな? 》
 再び声を発した円柱の前に、ゆらりと影が揺らめき、やがてその影は母そのものといった像を結んだ。
「母さん……」
《これならわかるでしょ? 》
 円柱の前に立つ母は、まるでそこにいるかのようなリアリティだった。
 半透明などではないし、ちゃんと影もある。
 産毛の一本一本までハッキリとしていた。
「母さん、今、どこから…………!? ……」
 触れようとした桂の手が、するりと母の体を通り抜けた。
 左腕に触れようとした右手が、今は母の左脇腹に突っ込んでいる状態だ。
「か……かあさんっ……??」
 びっくりして手を引っ込め、一歩後退った桂に、母、涼子は困ったような笑みを浮かべ、
《ごめんね。もう、体、無いの》
 そこに存在しているしているかのような量感たっぷりな乳房を揺らして、まるで小さな女の子がそうするように、“ぺろっ”と舌を出した。

         §         §         §

 変わり果てた姿に愕然とする桂の前で、母は特に暗くするでもなく訥々(とつとつ)と語った。
 もう、肉体の寿命が来ていたこと。
 母が味音痴だったのは、もうずいぶん前から味覚が自分でもわからなくなっていたこと。
 老化による細胞劣化はまず感覚器官にくるため、母がすぐに桂を抱き締めるのは、もうあまり良く見えなくなってしまった愛しい子供の顔を確かめるためだったこと。
 善二郎が、彼女の延命処理に懸命だった事も話してくれた。
 ずっと家に帰って来ないのは、決して外資系企業の仕事のためなどではなく、涼子の命を少しでも永らえさせるためであり、彼女と桂の時間を、少しでも長く持たせてやるためだったこと。
 そして今は彼女の種族だけが持つ権利(キー)を使って、彼ら『星人』の遺産である、今はもう飛ぶ事の出来ない半壊したこの恒星間航行用大型船の『システム』と「融合」していること。
「融合? 船と?」
《そう。『船』に残された『星人』の『システム』と情報融合して、この『船』の頭脳となった私は、今はインターフェイスの基本人格よ》
「でも、ワタシの『ナーシャス(深きもの)』(『星人』達の精神ネットワークへのアクセス端末とでもいうべきもの)は全然そんなこと――」
《あなたが混乱したりしないように、私がガードしていたに決まってるじゃない。
 突然他人の意識が流れ込んだりしたら、きっとパニックを起こしちゃって、今までのような生活が出来なくなるのは目に目えてるもの》

 そして、母は語る。

《私はね、けーちゃん。あなたが『星人』のリーダーとしての後を継いで、みんなを導いて欲しいと思ってるの》
「……みんな?」
《この星に残る、あともうわずかしかいない本当の意味での純潔な『星人』たち。
 でも、それは私の母としての我侭。
 あなたを愛している私が、勝手に思い描いたあなたの幸せのカタチ。
 でも、あなたは“お母さん”になった》
 母の優しい言葉に、桂の肩がビクリと震えた。
 両手で下腹部を包み、唇を噛む。
 この命を、自分は健司の命と引き換えに、危険に晒そうとしている。
 それを母に責められるのだろうか?
 そう思ったのだ。
 けれど母はゆっくりと微笑み、瞳にたまらなく優しい光を浮かべたまま、静かに問うた。

《あなたはどうするの?
 あなたは、もうお母さんなの。
 あなたは、自分の子供に……その赤ちゃんに、何をしてあげられるの? 》

 何をしてあげられるのか。

 何かしてあげられるのか?

 ――今から失おうとしている……失うかもしれない命に?

『いや、違う…………違うんだ……』
 善二郎は、今までどこか“捨て鉢な決意”が垣間見えた桂のその瞳に、やがて本来の力が戻ってきたのを見た。
 果たして桂は、どこか晴れ晴れとした顔を上げ、今までに無かったような口調でハッキリと口にする。
「ワタシはこの子に、父親を見せてやりたい。
 健司の顔を見せてやりたい。
 たとえ近くでなくても、遠くからでも、生きて、笑って、人生を後悔しない健司の姿を、見せてやりたい」
 そこには、もう何物にも揺るがない、一人の人間の決意があった。
 男だとか、女だとか、そういう性差に囚われる事の無い、一人の人間の決意が、在った。
《……もしその道を選ぶ事で、それでその子もあなたと一緒に死ぬ事になっても? 》
「死なない。
 ボクが死なせない」
《言いきれるの? 》
「ボクが死なせない。
 そう、誓ったから」
《誰に? 》
「健司に。
 そして、自分に。
 自分に誓ったから。
 ボクは、健司を死なせない。
 この子も、死なせない。
 3人で生きるんだ」
 決意の言葉は、凛と美しく部屋に響いた。
 「ワタシ」が「ボク」になっていたのは、気負ったからだろうか。
《……わかった》
 母は桂の言葉に対して静かに目を伏せると、雨雲から射す日の光のような、眩しい笑みを浮かべた。
《けーちゃん。
 それでこそ、私の子よ》
 誇らしい。
 嬉しくてたまらない。
 そんな色を浮かべた瞳に、やがて涙が浮かび、頬を伝って落ちた。
 立体映像の涙は、床に落ちる前に儚く消えたけれど、桂にはそれがクリスタルのように美しく煌いたのが確かに見えたのだった。
《あなたを、愛しているわ》
 母が歩み寄り、桂を抱き締める。
 もちろん、本当にその腕に抱かれる事は無かったけれど、母の言葉は桂の胸をあたたかく満たす。
 少女の体は、母の豊かで優しい乳房のぬくもりを確かに覚えていたから……。
《母親になったあなたには、お母さん、もう何も言わない。何も強制したりなんかしない。
 あなたが、母親のあなたが選びなさい。
 これはあなたと、あなたの赤ちゃんの、2つの命がかかった選択。
 たった一度の、二度と無い選択なの》

「ボクと赤ちゃんの…………ボクたちの……選択……」

 答えは決まってる。
 いや、変わらない。


 3人で生きる。
 同じ時を。
 時代を。


 ――それだけを、胸に願う。


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