■感想など■

2009年10月12日

[TS]「この残酷で優しい世界の中で」〜あなたがつなぐあたしのこころ〜

■■【8】■■

「望美…」
 少女は頭上から聞こえた声に、弾けたように身を起こした。
 そこに、たった今まで頭に思い描いていた愛しい少年の姿があった。
 散々探したのだろう。
 汗びっしょりで、髪はくしゃくしゃだ。
「…ったく…どうした…んだよ…急に……心配…」
 荒い息の下で懸命に紡ぐ言葉は、『彼女』を案じる言葉だった。
「……ふぅっ………ごめん…悪かったよ…キスなんかして…」
 ついさっき心に決めた嘘が、彼の声を聞いた途端、あっという間に砕けて消えた。
 黙っていることが、強く強く、何よりも強く胸を締め付け、刺し、焼き焦がす。

 ちがう。
 ちがうよ。
 キスが嫌だったんじゃない。

「…吐くほど嫌なら…その…もうしないから…」

 ちがう。
 吐いてしまったのは、嫌な事を思い出してしまったから。
 昔の自分の罪を思い出したから。

「……旅行…考え直そうか…」

 いや。
 だめ。
 いっしょにいきたい。
 カズくんと一緒に。

「…望美……泣くなよ…」
 声も無くはらはらと涙をこぼす少女に、少年は一歩脚を踏み出し、そして躊躇して、小さく息を吐いた。
 そして…。

「思い出した?」

 真摯な彼の言葉が、『彼女』の耳を打ち意味を成す言葉として理解されるまで、たっぷり10秒ほどかかった。
「…え?」
 彼は、戸惑う少女の右手を恐る恐る取り、その白くて細くてやわらかい指を、そっと両手で包んだ。
「そうか…思い出したんだな」
「カズく……」
 震える瞳で彼を見やれば、彼は様々な想いを込めてゆっくりと頷いた。
「全部、知ってる。『望美』が、『望』だってことも。細かいことはわからないけど、色々あったことも。俺、お前のおじさんもおばさんもちゃんと覚えてるし、それに昔よく遊んだちょっと泣き虫の奴のこと、忘れたことなんか無かったし」
 『彼女』は信じられないものでも見るように、目の前の“恋人”を馬鹿みたいに見詰めた。
「お前は確かに昔…男だったかもしれない。いや…だったんだろうな。少なくとも俺の記憶の中の『望』は男だったから。覚えてるか?二人で立ちションしたこともあるんだぞ?」
「だ…だったら…」
「…でも、それでも俺はいいって思ったんだ。望美は望美で、確かに昔は望だったかもしれないけど、今はこんなに可愛い俺の彼女だから。それは事実だから」
「あ、あたし…」
「うん」
 『彼女』は一度口を開きかけ、そして俯いてぎゅっと下唇を噛み締めた。

 泣くなあたし。

 泣くな。

 そうずっとずっと思いながら、けれど後から後から溢れてこぼれる涙は、止まらなかった。
 全部知っていた。
 彼は知っていた。
 いつから?
 ずっと前から?
 出会ってからずっと?
 それでも自分を好きでいてくれたの?
 好きになってくれたの?
 ただの女の子として見てくれていたの?

 あたしは、そんな彼をこれからずっと騙して生きていこうとしていたの?

「あ…あだじ…」
「うん」

 こんなにも優しい彼を、よくも騙し続けようとしたものだ。
 薄汚い“便所女”のくせに。

「…だ、だぐざん…よごれだ…よござれだ…」
「…うん…」

 ヴァージンを捧げる?

 愛しい人と結ばれる?

 そんな事が許されると思ったのか?
 よくもそんな事を夢見たものだ。
 何人もの男に弄ばれ、膣内に精液を注ぎ込まれた“精液袋”が。

「いやなごど…だぐざん…ざれだ…」
「…うん」

 おもちゃのように扱われ、便利な便所女として喜んで精液を飲み下したその口で、今度は愛を語るのか?
 優しくて愛しい、大切な大切なカズくんに?

「あ、だじ…あだじぎだない…すごく…ぎだない…」
「それは違う」
 果てない自責に心を責め苛まれ、『彼女』は膝から崩れ落ちて地面に手を着いた。
 それでも彼は、『彼女』の手を離さない。
 離してしまえば、それで全てが終わってしまうとでもいいうように。
「ぢがわない……いばのあだじ…ぢがう…がずぐんのがのじょ…で、もう…いら…な…」
 声がしゃがれて、まるで老婆のようだった。
「…あだじ…もう…いられない…」
「俺の彼女だよ」
「ぢがうっ」
 『彼女』は駄々っ子のようにブンブンと首を振り、手を包む彼の両手を振りほどこうとした。
 でも、彼の手はまるでくっついたみたいに離れなかった。
 そのあたたかさが、『彼女』の手を伝い腕を伝い胸を満たして心を焦がした。

 熱い。

 熱い、熱い、恋のココロを。
「彼女だよ」
「ぢが」
「彼女だよ」
「がずぐん」
「好きだよ望美」
「ぐぅ…」
 彼の言葉に、俯き涙をぽたぽたと地面に落としていた少女が顔を上げた。
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった『彼女』の顔は、お世辞にも可愛いとは言えなかった。
「帰ろう。それで、これからのこと、ちゃんと考えよう。二人で考えよう。時間はあるから。俺には望美が必要なんだ」
「がず…」
「好きだよ望美。たぶん世界で一番」
「〜〜…っ…ぁああ……ぁあ…」
 胸に突き刺さった彼の優しい優しいあたたかなナイフが、痛く、辛く、哀しく、切なく、そしてどうしようもなく嬉しかったから。
 声を上げ、『彼女』が泣く。
 子供のように、ただ純粋に泣く。

 寂しい。

 寂しい。

 恋しい。

 恋しい。

 おねがい。
 ひとりにしないで。
 ここにいて。
 ずっといっしょにいて。
 あたしを捨てないで。

 すてないで。

 すてないで。

 そして少女の言葉は、形にならないまま少年の胸に染み渡る。
「だいじょうぶ。俺はずっと望美のそばにいるよ」
 ずいぶんと長い時間をかけて、こくりと少女が頷く。
 たったそれだけの仕草に、少年が心から安堵したように肩の力を抜いた。

 髪はボサボサに乱れ、Tシャツは汗でべとべと。
 脚はサンダルがペタペタと間抜けな音を立てて。
 そんな少年が、可愛らしい少女の手を引いて河川敷の土手の上を歩いていた。
 少女もまた、誰かに乱暴されたかと見紛うばかりの着衣の乱れだった。
 乳白色のサマーセーターも土と草とほこりで汚れ、ブーツの紐は解けたままだった。
 そして、泣いていた。
 子供みたいに声をあげて、こぼれる涙を左手でこすりながら。
 でも、右手だけはしっかりと少年の手を握っていた。

 この手だけがこの残酷で優しい世界の中で、ただ一つの確かなものだとでも言うように。


         −おわり−

「2006/11/30 20:00」第一稿

「2006/12/04 01:56」投下開始
「2006/12/04 02:24」完了
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