■感想など■

2010年05月27日

◆◆ Act.01 ◆◆「出撃」◆◆

■■【2】■■

 エレベータボックスの強化ガラスを通して、遥か下から横たわったままこちらを潤んだ瞳で見上げてくる巨大な『彼女』に小さく手を振ってやると、『彼女』はそれだけでとろけそうな笑みを浮かべて嬉しそうに頬を染めた。
 エレベータが降下している場所は、固い岩盤を掘り抜いて、硬化剤で固めただけの荒削りなドーム状の地下空洞。
 遥か60メートルの天井から煌々と照っている、強烈な光量を誇るライト群。
 眼前には何本も立ち並ぶ、直径10メートルはありそうな石柱。
 柱には30メートル地点と10メートル地点にもライトが設置されているが、それで空洞内の闇が全て払拭されているわけではなく、むしろそこここにわだかまる暗い部分が、まるでどこか神殿のような荘厳さを醸し出している。かの有名な怪奇作家ラヴ・クラフトが著した『クトゥルフ神話』の、旧世界の海神が眠る「ルルイエ海底神殿」を現実に作ったとしたら、果たしてこんな感じではないだろうか? そう感じずにはいられないほどの、圧倒的とまで言える巨大感だった。
 下降するエレベーターの中では一人の男性が、身に着けたスーツの点検をしていた。
 スーツは伸縮性の薄い素材で作られていて、一見するとレオタードとかダイビングスーツのようにも見える。
 短かめでぼさぼさの茶色い髪。背は170センチ程度で、引き締まった体には「見せる」ためのものではない、実用性の高い筋肉が程よくついている。
 しかし、顔立ちはやたらと整っているのに、どこかぼんやりとした視線と口元にほんのり浮かぶ微笑で、ひどく精悍さに欠けていた。
『神殿……か』
 強化ガラス越しに見る地下空洞は、およそ100メートル先まで見通せるが、その先は闇にとけて確認さえ出来ない。
 いったい、どれほどの広さなのか。
 一年ほど前、運動不足で贅肉が付き放題だった頃、彼──「日向野 幸一(ひがの こういち)」はこれに似た所を、ネットやテレビ、特にヒーローモノの特撮で見て知っていた。
 『首都圏外郭放水路』というのがそれだ。
 そこは、一度行ってみたいと思いながらも、外に出るのが怖くて夢のまた夢と諦めていた「聖地」だった。
 あちらは高さが25メートルほどだが、対してこちらは、天井までその2倍以上もあった。21世紀初期の建設技術では、柱を立てるだけでも膨大な費用と時間と人員が必要とされる規模だ。そもそも、「半年で60メートル級の柱を何本も立てられるか?」と言えば、現代の建築技術を持ってしても無理に違いなかった。
 無駄に『自宅警備員』を4年近くもやってると、そういう使い所の無い知識ばかり、鬱々と降り積もって積み重なっていく。
「お客さん、すぐに来るよ! すぐにエントリーしちゃお……う」
 地下と200メートル分は優に下降したエレベーターを降りてすぐ、彼は目の前に広がるグラウンドのような「待機ベッド」から“ぐわわ”と上半身を起こした『彼女』を“見上げ”、口元が少し引き攣るのを感じる。
 膨大な質量が急に動く事で空気が圧され、風が生まれる。
 高さにして15・6メートルほどだろうか?
 かつて奈良に在った、東大寺大仏の高さが公式では14.98メートルだったから、それとほぼ同じ高さだ。
 肉厚の腰とたっぷりとした尻が、眼前にまるで大型タンクローリーのように横たわっている。
 幸一は思わず唾を飲み込み、喉を鳴らした。彼の身長がおよそ170センチである。こうして彼女が腰を下ろした状態で、既に9倍近い高低差があった。
 もう何度もこうして対面しているというのに、この巨大感には、まだ慣れない。
 数百トンを超える重量がすぐ隣で起き上がるというのは、やはり本能的な恐怖を感じてしまうのだ。もう何度と無く同様の工程をこなし、そして尚且つこの巨大な「人物」が『何があっても自分を絶対に傷付けない』と承知していてさえも……。
「……間に合うかな?」
 彼は身に着けた、特殊なイグニッション端末となる“Iスーツ”の胸元を留め、その手首の情報端末に目を走らせて独りごちた。これから彼は、ある目的のために文字通り一個の「イグニッション・モジュール(点火装置)」となるのだ。
 上空の監視衛星からの情報では、あと44分後に「目標」が海岸線に姿を現すはずだった。
 従って、あと9分以内には「エントリー」を完了しなければならない。
 今度の「目標」は海生甲殻類のシャコに良く似ているという。1ヶ月前、『北アメリカ連合国』で172人を食らった後に姿をくらませた、通称『リヴァイアサン』と呼ばれる巨大生物と、固体識別反応が86%の確率で合致していると聞いていた。
 いつもの事ながら“出現”は唐突で、前もって対応に時間をかけている余裕が無いのが痛いところだ。
『44分……』
 9分でエントリーし、5分で装備を整え、10分以内に輸送を終えて到達地点に移動を完了する。
 そうすれば「目標」が視認距離に到達する20分前には対応準備が完了する目算だが、楽観はしていられない。
 『彼女』が身に着けた装備の最終点検をしていた8名の整備員が、幸一と入れ違いのようにエレベータに乗り込んで、揃って敬礼を送ってくる。
 幸一は慣れない返礼を返しながら、『彼女』が起き上がった「待機ベッド」へと歩み寄った。
 ふと、幸一の鼻孔に“ふわん”と薫るものがあった。こんな草も木も無い無機質な岩肌に覆われた地下空洞には似つかわしくない、花のような香りだった。心震えるほど芳(かぐわ)しく、素晴らしく甘い。
 その香りは濃密にサティから漂ってくる。
 サティの香りだった。彼女の体臭である。
「準備はいい?」
「はい、あなた」
 見上げると、彼の15メートルほど頭上で、幅80センチほどもある濡れたような赤い唇が動き、彼の耳に直接彼女の声が届いた。それは空気を震わせながら彼女の口元より届いた声ではなく、彼の耳元の空間を直接震わせ、適正な音量によって心地よく再生された『彼女』の“声”であった。もちろん、普通の発声ではない。これは『彼女』達だけが可能な、“心声”と呼ばれる能力の一つだった。
 そしてその“心声”には、彼女の「気持ち」がたっぷりと過剰なほどこもっている。
 『大好きです』
 『愛してます』
 『お慕い申しています』
 『私にはあなただけです』
 『アイ・ラヴ・ユー』
 『ヤー・ティビャー・リュブリュー』
 『セニ・セヴィヨルム』
 『サランヘヨ』
 『ウォ・アイ・ニー』
 『ジュ・テーム』
 『テ・アモ』等々……。
 ありとあらゆる「好き」「愛している」の気持ちが、世界中の言葉のイメージが、怒涛の如くイキオイで彼の胸を叩いた。それは純粋で無邪気でどこまでも透明な、ここまで打算無く人を愛せるのは赤ん坊に対する母親くらいではないか?とまで思えるようなものだった。
 それと共に、彼女の体臭が変化した。甘ったるく、幸一の全てを許し、求め、愛したいと願う薫りだった。
 だが彼は少し苦笑して、傍らの床に腰をつけた巨大な『彼女』を再び見上げる。
 オプティカル・スキン(光学的に光線兵器を反射・無効化する特殊なスーツ)と呼ばれるレオタードのような不透明な全身スーツを着た『彼女』は、そのスーツ表面の大部分が銀色……というかマクロな“鏡面加工”のため、一見して「銀色の巨人」という感じだ。
 手で触れたなら、そのスーツの表面は数ミリ単位の丸い極薄で特殊な鏡面金属で覆われている事がわかるだろう。
 乱暴に言えば、スパンコールで覆われたレオタードを着ているようなものだ。
 オプティカル・スキンには脇や股間、膝や踝(くるぶし)など、伸縮の激しい部分を主に、太くて青いラインが幾筋か表面を走っているが、その他は煌く銀色なため、天井や柱のライトや機械類のランプが反射して、眩しいことこの上ない。
 幸一は、その眩しさに目を細めながら肩をすくめた。
「えっと……サティ? あの……“あなた”じゃなくて“マスター”じゃない?」
「あ、間違えてしまいました」

 ──絶対嘘だ。

 凶悪なほどたわわに実り、どかんと前方へ潜水艦の艦首のようにイキオイ良く張り出した、形状としては椰子の実のような豊満で巨大な美しい乳房の、文字通り、小山のような膨らみ。
 等身大の人間の女性であればHかIカップはたっぷりとありそうなその乳房の向こうから、実に幸せそうにニコニコしながら、ちっとも悪びれずに甘く見つめてくる彼女―「サティ」に、彼は再び苦笑した。
「ですけれど、マスターというのは『御主人様』という意味なのでしょう? この国では『主人』というのは、妻が『夫』を呼称する際にも使われる名称で、でしたら『夫』を『あなた』とお呼びするのは、決して間違いではないのでは?」
 たおやかな、おっとりとした話し方は、落ち着いてやわらかい声質に、実に良く合っている。
 外観から受ける印象を含めて、まるで「良いところのお嬢様がそのまま大人になった」といった印象だ。
 結婚適齢期ど真ん中の、名家のお嬢様……とでも形容すればいいだろうか。
 不意に幸一は和服を着せたら凄く良く似合いそうだなと思った。
「いや、その、前提が間違ってないかな? そもそも僕達は、その、夫婦じゃないから」
「毎日、あんなに愛し合っていますのに?」
「う」
 頬に手を当てて鼻にかかった熱っぽい声で甘ったるく問われ、彼は股間のモノが素直に反応してしまってうろたえた。彼女が拗ねたように軽く肩を揺らしただけで、その巨大な乳房がキラキラを光を反射しながらやわらかく“ゆらり”と、とんでもなく重そうに揺れ動いたのだ。
 それだけのことでアレがナニしてしまうとは、成人男性にしては、まるで異性を性的に意識し始めた中学生みたいな反応だが、仕方ない。何しろ今まで24年間生きてきて、彼が「オンナ」を知ったのは、つい最近のことなのだから。むしろあのままオンナを知らずに「魔法使い」にならなかっただけでも良しとすべきだろう。
 もっとも……相手はそもそも「人間ではなかった」どころか、「実体ですらなかった」のだが。
「夫婦は一心同体。これは、私(わたくし)達のためにあるような言葉ではありませんか」
「いや、ええと、夫婦と一心同体がイコールだとしても、一心同体がそのまま夫婦とイコールになるわけじゃないでしょ?」
「では……旦那様?」
「それも違う」
「御主人様」
「日本語にすると、なんか変なんだ。こう、背中がむず痒くなるっていうか……」
「では、幸一様」
「様ってガラじゃないし」
「もうっ……ではどうお呼びしたらいいんですの?」
 美しい眉を困ったように寄せ、鼻にかかった声で拗ねたように言われると、自分がとんでもなく悪い事をしているように思えてくるから不思議だ。
「だから、『マスター』でいいじゃない」
「わがまま言わないでください。そんなの……つまらないですわ」
 どっちがわがままだろうか。
 「めっ」と、小さな子供にするように軽く睨みつけてくる、巨大で、しかも“でたらめな美女”を前に、彼は今度こそ大きく溜息を吐いてみせた。
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